第1話 出会い
「なるほど… 干渉対象を世界そのものまで拡張した上での生成魔法… 最初からエリクシールを存在しえないものと認識するのね…」
壁面いっぱい緻密に書き込まれた幾何学的な模様をぼんやり眺めながら、彼女は独りつぶやいた。
「わたしは偉大なる主のお導きに心より感謝します。わたしのこの口はただあなたの賛美を唱えるでしょう。わが神、主よ、わたしはとこしえにあなたに感謝します」
女はひとしきり祈りを捧げると、目を大きく見開き手を高く掲げ詠唱を始めた。
「主より賜りし恵みをもって、我、この願い叶えん。主はわたしの力、わたしの盾、わたしの心は主に依り頼みます。感謝のいけにえを神にささげよ。我の誓いをいと高き者に果せ。」
詠唱に呼応するように壁面の文様は眩しく輝き、自身の座標を見失ったように激しく振動しはじめた。彼女は今まさに"魔法"を行使しているのである。
「今晩のご飯どうしようかな… どうせ今日も一人なんだし簡単なものでいっかな」
スーパーの広告チラシを眺めながら、青年は本日の妥当な夕食を考えていた。今日は5限まで講義が入っていたので若干帰路に就くのが遅かった。閉店間際の半額になる惣菜で手を打とうか、などと考えているうちに家に着く。一旦、買い出しに行く前に荷物を下ろし、ついでにシャワーも浴びて汗を流そう。そう思案した彼は部屋に入るとすぐにバスルームに移った。
鼻歌まじりにシャワーを浴びる。ご機嫌で頭を流している最中の彼は気付かなかった。自身の体がなんだか意味ありげに発光していること。バスルーム一面になんだかそれっぽい魔法陣が展開されていること。彼が目を開けた時にはもう、誰も予期していなかった"移動" が完了していた。
「………エリクシールって人型なのね、流石にそれは予想外だったわ」
「だ、だ、だれ!? ど、どうやって入って…って、ここどこ!?」
目の前に現れた男型の裸体を冷静に見つめる女。
しかし見つめられる方はそうはいかない。さしあたり彼の脳内はパニックを起こしていた。シャワーを浴び、数秒目を閉じて開ければ、目の前に突然女性が立っているのだ。無理もない。更に言えば、この女性は結構な美人に相当していたのだ。長い髪に少し隠れているが、端正な顔立ちをしており紅色の瞳が印象的だ。
「どうやって入って、ってあなたはここに――生成されたんじゃない。まるで私が侵入したみたいな… それよりも、あなた喋れるの? 変ねえ…… エリクシールに会話する性質があるなんて聞いたことないわ…」
「せ、生成…?、エリクシール?何をいっているのさ?」
「……あなた、エリクシールではないの?」
「エリクシールって誰だよ… 僕の名前はカイト、お風呂に入ってたはずなのに気づいたらいきなりこんなとこに……」
「カイト…? もしかして、あなたには人を不死にするとか、そういうのないの?!」
「もしかしなくてもあるわけないでしょ、そんなこと!!」
「じゃあ、あなたは一体何者なのよ…… なぜ私の生成魔法で現れたの……?」
困惑が二人の間に共有される。最も、互いの困惑のベクトルは違う向きであったが。
「……くしゅん!」
「そういえば、あなたずぶ濡れのままね すぐ乾かしてあげるから動かないで」
「あ、ありがとう……」
「……主より賜りし恵みをもって、我、福音をもたらさん。かの兄弟に日の恵みを果せ」
彼女の詠唱に合わせ、魔法陣が展開される。そうして温かな光がカイトを包んだ。
「あ、あたたかい……」
「はい、これ 今ローブぐらいしかなくて 申し訳ないけど ひとまずは、ね」
「いまのが、魔法?なんですか?」
「そうだけど…… あなた魔法を見たことないの? 本当に何者なの?」
彼女は驚きを隠せないようだ。カイトはカイトで魔法が信じられないのだが、目の当たりにした以上信じざるを得ない。とにかくカイトは自分の世界について、今までのことを彼女に伝えた。
「異世界ってこと……?」
「僕から見ればこちらが異世界なんだけど…… とにかくそうです」
「まさか、異世界が存在するなんて…… たしかに干渉対象が拡張されている以上あり得ない事ではない、というの? いや…、仮にそうだとして…、ならば主の意図は…?、この者を召喚する魔法陣を、わざわざ啓示されてまで…」
「あ、あの 僕は、どうやったら帰れるんですかね?」
「……… 自己紹介がまだだったわね 私はシャルロッテ・クリューガーよ よろしく」
「は、はぁ では、改めて…… カイトです それで、帰るには……」
「わからないわ」
「え?」
「あの術式は主からの啓示で賜ったものだから…… その対になるような術式を組めないの……」
「え、そ、それじゃ…」
「ようこそ、この世界へ 主のお導きよ 主に変わって私シャルロッテが祝福するわ」
「ええええええええ?!」
「あと、あなたの住居は強制的に"ここ"よ あなたを追い出すわけにもいかないし、"手放す"こともできないのよ」
「いやいやいや、と、突然すぎますよ!!」
「そう案じなくても大丈夫よ… こう見えてもあなたの生活を保障するぐらいは…」
「そ、そうじゃなくて……!」
「わたしたちには神のご加護があるわ」
こうしていきなり、カイトにとって魔法が存在するらしいということぐらいしかわからない異世界での生活が強制的に始まったのだ。




