東山高校の昼休み
「大嶋さん」
昼休みのチャイムが鳴りしばらくして、弁当袋を片手に持った由依が藍那のクラスに顔を覗かせた。
当の本人はエナメルバッグの中を漁っていて、由依が来たことに気づいていない。由依は教室の中に入り、彼女の肩を叩く。
「え……吉野さん?」
想定外の来訪者に驚いた藍那だったが、すぐに気を取り直す。
「どうしたの?」
「一緒に昼ご飯食べない?」
「えっと……」
「もしかして先約がいた?」
事前に伝えることができればよかったが、タイミングが合わず伝えることができなかった。
加えて昨日一昨日と一緒にいることが長かったのに連絡先を交換していないという失態。
連絡先を交換することを含め、今日昼ご飯を食べようと由依は考えていた。
(そういえば「RiME」を使っているかな?)
RiMEとは全世界で使われているメッセージアプリのことだ。「韻を踏むように「楽しく」「面白く」「テンポよく」メッセージのやり取りができるように」という意味が込めてそのアプリの名前になったらしい。
しかし由依はそのアプリを藍那が使っているかどうかということは、些細なことだと気づく。
使っていなければ電話番号を交換すればいいだけのこと。
「先約はいないけど、購買でパンを買ってからでもいい?」
藍那がおずおずと言う。彼女が躊躇っていたのは、今から昼ご飯を買いに行くからだった。買いに行くことが迷惑ではないかと感じていたのだ。
「いいわよ。そのまま中庭で食べましょ」
「うん」
二人は購買に足を向ける。
「そういえば吉野さん、足はもう大丈夫なの?」
しばらくして藍那が尋ねる。
昨日練習を終え解散し、帰路に就いた時も由依は足を引きずるように歩いていた。平然と藍那の隣を歩いているが、無理をしているのではないかと彼女は心配だった。
「問題ないわ。攣るのは一時的に痛いだけだし」
「そうなの?」
首をかしげる藍那。
(まぁ、あれは経験しないと分からない痛さよね)
彼女がこのままサッカーを続けていれば、いつか経験する。その時に「攣る」ことを理解するだろう、と由依は詳しく教えることはしなかった。
「ケアをすれば大丈夫よ」
「そうなんだ」
「ええ……そういえば、大嶋さんRiME使っている?」
「うん使っているよ」
「友達追加しない? 今後の予定とか連絡するのに便利だし」
「あっ、そうだね」
雑談をしながら二人は階段を降り一階の食堂へと向かう。
「買ってくるから、ちょっと待ってて」
食堂に到着すると、藍那は中へと消えていく。由依は近くの壁にもたれかかり、彼女が戻ってくることを待つ。
時間がかかりそうだったので由依はスマートフォンをいじっていると、RiMEにメッセージが届いた。
アプリを起動して確認すると理紗からだった。
――今日の放課後に打ち合わせせーへん?
唐突な話。由依は短く息を吐いて指を動かす。
――何の打ち合わせよ?
――当然、サッカークラブのことや!
一分もたたないうちに返事が返ってきた。そして立て続けにスマートフォンが振動し、RiMEの内容が次々と更新されていく。
――みさきに聞いたんやけど、サッカークラブをつくるけど何も決まっていないらしいんや
――例えば、チーム名とか
――あとどうやって人数を集めるとか
することが山積みだと由依は呟き、眉間にシワを寄せながら指を動かす。
――それは大変ね
――せやから、今日の夕方に集まって決めるんや
(なるほど)
要するにチームとしての方針を決めたいと、理紗は考えているのだ。由依もそのことに異論はない。
――誰が集まるの?
――今のところ、うちと美紗とみさきやな
西寺学園のメンバが全員集まるということか。
――分かったわ。大嶋さんには私から聞いてみるわ
返信するとスタンプで「OK!」と返ってきた。由依はスマートフォンをポケットの中に片づける。
「吉野さん、お待たせ」
藍那が片手にパンの入ったビニール袋を提げて戻ってきた。目的のパンを買うことができたのか、藍那の顔はほころんでいる。
「それじゃあ、行きましょうか」
「うんっ」
元気よくうなずく。由依も自身の顔が緩むのを感じながら、藍那と並んで廊下を歩く。
「……人、多いね」
「昼休みだし、当然のことじゃない?」
しばらく廊下を歩き、中庭に出た。東山高校にある中庭は全面芝生で、上履きのまま入ることができる。また中庭を囲うようにベンチも設置されており、外の空気を吸いながら食事をするにはもってこいの場所だった。
今は昼休みに入り時間が経過していたため、かなりの生徒が中庭にいた。鬼ごっこらしきことで遊んでいたり、ベンチで談笑している。
ベンチが空いていないかと不安になった二人だったが、見渡すと幸い一脚空いていた。
そのベンチに二人は腰かけ、それぞれの昼ご飯を膝の上に広げる。
「その量で足りるの?」
由依は弁当をつつきながら藍那に尋ねる。彼女が膝の上に置いたパンの数は二個。少ないと由依は感じた。
「うん。今日は朝ご飯をたくさん食べたから、今はお腹いっぱいなの」
「何を食べたの?」
「カレー」
さらっと言った藍那の言葉に由依の箸が止まる。
「……よく食べることができるわね」
「そう?」
藍那は首をかしげた。その行為を見て、由依は「私は食べることはできないわ」と言い、自身の弁当を食べることを再開する。
藍那と出会ってまだ数日。由依は少しずつ彼女のことを理解し始めていた。
初心者だがサッカーを真剣にやりたい。
昨日の千佳の怪我、由依の足が攣ったときの慌てぶりを見ると運動全般のことに関して知識が少ない。
由依とはどこか違う感覚や感性を持っている。
「そういえば、これまでスポーツをしたことはあるの?」
「体育の授業以外ではしたことがないかな」
購買で買ったパンを口にしながら藍那は答える。
「中学校でも部活には入っていなかったから」
「帰宅部だったの?」
「あ、でもサッカーの試合は何度か見に行ったことがあるよ」
友達がやっていたから、と藍那は付け足す。
「友達?」
「中学卒業と同時に県外に引っ越しちゃったけどね」
当時のことを思い出しているのか、遠い目をする藍那。
「大嶋さんがサッカーを始めたきっかけはその友達がきっかけ?」
「うん。サッカーって実際どんなものなのか知りたかったから……」
暗い顔になる藍那。聞いてはいけない話題だと感じた由依は別の話題がないか思案しながら空を見上げ、一口ご飯を食べる。
「ああそういえば、さっき理紗からメッセージがきたわ」
「どうしたの?」
「今日の放課後に集まって、チーム名や今後の方針を決めたいって」
「うん、いいよ」
考える間もなく藍那はうなずく。
「あ、千佳ちゃんは参加できないよ」
「どうして?」
「今日は吉川高校の男子サッカー部の練習に参加するって」
「サッカーに真剣なんだ」
昨日は由依、藍那たちとボールを蹴り、今日は自身の高校のサッカー部の練習に参加する。
毎日放課後にサッカー。普通の部活動と同じだ。
(あれ?)
由依の内心に疑問がわく。
女子サッカーをしたいのならば、この街にある「備丘GFC」に所属すればいい。千佳なら「備丘GFC」でも通用する。
まだ名もない、人数も足りないチームに拘る必要なんてない。
回りくどいやり方でサッカーをしているように由依は感じる。
「どうして「備丘GFC」に入らなかったんだろ?」
「色々あったらしいよ」
最後のひとかけらとなっていたパンを口に入れ、藍那は答えた。
「練習を見に行ったらしいけど、肌に合わなかったらしいよ」
「へぇ」
「だから、男子サッカー部に混じりながらも私たちの練習にも顔を出してくれているの」
言い終えると藍那のスマートフォンが振動した。彼女は取り出して画面を見る。
「あ、みさきちゃんから電話だ」
「出ていいわよ。その間にご飯を食べるから」
「うん……もしもし」
スマートフォンの画面をスワイプし、藍那は電話に出る。由依は藍那の行動を見ながら、黙々と弁当を食べる。
藍那の応答を聞き、何のやり取りなのか由依は理解した。
今日の放課後に集まる話だ。
「さっき吉野さんからも聞いたよ……うん、問題ないよ」
異論がない藍那は頭を縦に振りながら答える。
「場所は……うん、わかった。じゃあ放課後」
電話を切り、腕を組んで何やら考え込む藍那。
「どうしたの?」
「ユニフォームのイメージがあったら持ってきて、って言われたの」
「イメージって……大嶋さんが描いているの?」
「うん」
浮かない表情で息を吐く。
「どうしたの?」
「満足な出来じゃないの……」
藍那は納得できていないから、他人に見せたくないらしい。由依はそんな彼女に苦笑しながら口を開く。
「出来が悪いわけじゃないいのよね?」
「うん。みんなが納得してくれるのかな……って」
「だったら見せてもいいんじゃないの?」
藍那が作っているのはチームのユニフォーム。別に藍那が完璧なものを作らなくてもいいんじゃないか、と由依は思った。
「基本的なデザインができていたら大丈夫」
「そう……かな?」
不安げに藍那が聞いてきたが、由依は大きくうなずき返す。
「心配なんてないよ……それで」
一呼吸入れて言葉を続ける。
「どんなユニフォームデザインなの?」