サッカーって、奥深い
ガッツポーズをした藍那は呼吸を整え、彼女自身のメンバのほうを見る。すぐに目に入ったのはみさきだった。諸手を上げて喜んでいる。
「藍那ちゃん、ナイスゴール!」
「あ、ありがとう」
大声で褒められ、恥ずかしくなった藍那は顔を伏せる。
「やられたわ」
藍那を追いかけ、プレッシャーをかけていた美紗が声をかける。
「よくあの場面でボールのほうへ向かわなかったわね」
あの場面、とは千佳がボールをキープしていた場面のことを指していた。
サッカー未経験者の場合、ボールのほうへ無意識に行ってしまうことが多い。
「みさきちゃんに「動き回らないでね」って言われたから……」
正直に藍那は話す。彼女はみさきの言葉がなかったら千佳のほうへ移動し、ボールを受け取ろうとしていただろう。
実際何度か体が動きかけたがすんでのところで言葉を思い出し、その場から動かなかったのだ。
「言われたからって実行できることは難しいわ」
「そうなの? 確かに動きかけたけど」
「……平然と言うわね」
サッカーの試合は常に変化する。言われたことがそのまま思い通りになるとは限らない。
どちらかというと、思い通りにならないことがほとんど。臨機応変に対応をしなければならない。
それを当たり前のように「そうなの?」と返されてしまったら、美紗は困ってしまう。
(まあ、考えてプレーをするほどサッカーをしていないのね)
藍那は初心者。まだサッカーに慣れていないから指示に従ってプレーをしている、と美紗は結論付けた。
「サッカーはオフザボールの動きも大切だから、今の動きを大切にね」
「うん」
「それじゃあ、ミニゲームを再開しよう……」
「美紗ちゃん、無理みたいだよー」
ゴールライン上に置かれたボールへ向かう美紗にみさきが言う。美紗がみさきのほうを見ると、彼女は千佳と理紗、由依が集まっていた。
「……あらら」
そこでは由依が地面に仰向けで倒れており、右足を空に向けて上げていた。その右足の足首とつま先、それぞれを千佳が両手で持っている。
千佳はゆっくりとつま先を由依の体のほうへ押していた。
心配になった美紗と藍那は二人に駆け寄る。
「吉野さん、足攣っちゃったの?」
「本郷さんが大嶋さんにボールを蹴ったとき、精一杯足を伸ばしたからね」
心配する藍那に答える由依。
「体が疲れていたし、当然のことよ。だから心配しないで」
「それでも、鍛え方が足りへんな」
先ほどと同じことを言う理紗。からかっているのは彼女の表情を見ても明らかだった。
ニヤニヤと笑っている。
「……私、初心者よ」
「それを言うと藍那も初心者やで?」
理紗は藍那を見る。名前を呼ばれた藍那はキョトンとした顔になる。
「藍那は疲れてへんのか?」
「疲れているけど、まだ走れるよ」
藍那は足が攣りそうな様子はない。呼吸を整えることができると、平気な表情をしている。
(まぁ、由依の場合は「イメージに体がついてきていない」状態なんやろうなぁ)
中学時代にマネージャーとして、少しでもサッカーをしていた由依はその時のイメージが頭の中にあるのだろう。だけどそのイメージは少なくとも数か月も前の話。
頭の中のイメージでサッカーし、体がついてこられないのは当然のことだと理紗は感じた。
一方で藍那は高校に入学してからサッカーを始めている。
始めたのが四月だとしても最低でも直近一か月ほどはサッカーをしていることになる。
基本的な筋力・体力は出来上がっているのだろう。
「由依はブランク解消が必要やな」
「そうね……あ、本郷さんありがとう」
由依は足を伸ばしてもらっていた千佳に言う。千佳は由依の足を地面に下ろし、手についた土を払う。
「ミニゲームもちょうど途切れているし、休憩しましょうか」
みんなの顔を見ながら千佳は言う。誰も異論はなく、全員うなずいた。
「吉野さん、立てる?」
藍那が由依に手を差し伸べる。由依は「ありがとう」と答え彼女の手を握り、右足を気にしながら立ち上がる。
「ベンチまで歩けそう?」
河川敷の端、藍那たちがカバンを置いてある場所に一脚のベンチがあった。そこまでの距離は十数メートル。
足を痛めた由依にとっては長い距離だ。
「たぶん……」
これ以上迷惑をかけたくないと考えた由依は藍那の手を放し、おっかなびっくり歩く。右足に重心をかけるたびに彼女は顔をしかめた。
「大丈夫なの?」
「平気よ、平気」
意地を張って由依は歩き続ける。その背中を見つめながら、彼女以外の五人は「やれやれ」とでも言うように首を横に振った。
由依はベンチまでたどり着くと腰かけ、足元にあるカバンからペットボトルを取り出す。そして相当喉が渇いていたらしく、一気に中身を飲み干した。
「ふぅ」
最後の一滴まで飲み切ると息を吐いて、空を見上げた。
「体力が落ちたわね……」
「高校に入学してから、運動はしてなかったん?」
「そうね」
本格的な運動はいつ以来なのか、由依は過去を思い返す。
高校総体の地域予選が行われたのは八月。予選は千佳の所属していた中学校に一回戦で負けたから、その前日に行った試合形式の練習に参加した以来か。
その日以降は受験勉強に集中。たまに部活にマネージャーとして顔を出すことはしていたが、練習に参加することはなかった。
また高校の部活見学で軽く運動したことを除くと、ここまで本格的に運動したのは八か月ぶりとなる。
(足が攣ることは当然かな)
思い返して、当たり前な状況に由依はため息をついた。
「それで、これからどうするの? 申し訳ないけど、私はこれ以上動けないわ」
「そうだねー。今日はこれでお開きにしようか―」
きりが良いしねー、とみさきは付け加える。
「千佳ちゃんは個人練習するのー?」
「そうね。もう少しボールを蹴ろうかしら」
「シュー練?」
「ええ」
チラッとグラウンドの隅に設置されている鉄製のゴールを見て千佳は言う。
「じゃあ、あたしがキーパーするよー」
みさきは自身のカバンからキーパーグローブを取り出して準備を始める。
「お願い」
「オッケー」
「それなら私がディフェンスしようか?」
「お、いいねぇー」
美紗が手を挙げ、みさきが笑みを浮かべる。千佳も勝負相手がいることで不満はなく、好都合だったため無言でうなずく。
「理紗はどうする?」
「うちはここで見とく」
「藍那ちゃんは?」
「わ、わたしもここで見ているよ」
「りょうかいー」
キーパーグローブを付け数回手を叩くと、ゴールへと向かう。
「みんな、元気だね」
「そうだね」
「理紗ちゃんは行かなくてよかったの?」
「うちも疲れたからな。休憩が必要やったんや」
「休憩したら、参加するの?」
「……や、それは勘弁や」
理紗はゴール前に行った三人を指さす。三人は既に練習を始めていた。
千佳がドリブルを仕掛け、ゴールを狙っている。
「美紗ちゃん、全力でボールを奪いに行って大丈夫だからー」
みさきは声が届くように片手を口元に当て、指示を出す。その声を聞いた美紗は笑みを浮かべる。
「分かったわ!」
ミニゲーム時とは異なり、積極的に千佳へとプレスをする美紗。そのプレースタイルに千佳は戸惑いを隠すことができなかった。
「美紗、さっきは手を抜いていたの!?」
「三対三と一対一じゃあ、守備の仕方が変わるからねっ」
「ちっ」
舌打ちし、フェイントを織り交ぜて千佳は美紗を抜こうとする。だけど全く抜くことができていなかった。
美紗はフェイントを見抜き、ボールが千佳の足元から離れるとすぐさま足を伸ばしてボールを奪おうとする。
三対三で相対した時とは異なる、激しくアグレッシブなプレー。藍那は目を丸くした。
「あれ? 美紗ちゃんって性格変わっている?」
昨日ファミレスで一緒になった時とは異なる雰囲気に藍那は首をかしげた。
「……ああ、サッカーになるとスイッチが入るんや」
藍那の質問に理紗が答える。
「三対三の時もあんな感じやったで」
「そ、そうだった?」
自分のプレーに必死だった藍那は気づいていなかった。理紗は隠すことなく説明する。
「美紗は冷静にプレーはできるけど、負けず嫌いやからプレーが激しくなるんや」
「へぇ」
「心は熱く、頭は冷静にってところ?」
由依がそう言うと理紗は「せや」と言ってうなずく。
「荒っぽい……もとい激しいプレッシングは相手を選んでいるから、今だと千佳だけしかやらんと思うで」
「荒っぽいって……確かにそうかもしれないわね」
三対三をしていた時も美紗は千佳に対してファールすれすれのスライディングをしていたことを由依は思い出す。
あんなプレーを初心者の藍那や由依が受けると確実に怪我をしてしまう。
中学の男子サッカーを知っている由依ならまだしも、藍那がサッカーを怖いものと思ってしまうかもしれない。
「誰だってあんなプレッシングを受けたくないわ」
「だからこそ、やっているんや。美紗はディフェンダーやからな」
ディフェンダーは相手の嫌がることをし、守備をする。それは至極当然のこと。美紗はそのことを体現しているのだった。
「千佳は泥臭いプレーよりもきれいなプレーを好みそうやし、美紗のしつこいディフェンスは相性悪いかも」
「そうね」
「みさきのコーチングも的確やし、千佳は嫌だろうなぁ」
二人が話している間、千佳は一度もシュートを打つことができていない。それどころかドリブルの途中でボールを美紗に奪われている。
思うような動きができていない千佳は頭を掻きむしり、美紗を睨んでいる。対して美紗は満足したように笑みを浮かべている。
みさきも美紗の動きに親指を立て「ナイスプレー」と声をかけている。
そんな三人のプレーを見て、由依と理紗の話を聞き、ポツリとつぶやく。
「サッカーって人を熱中させるほど、奥深いんだね」
藍那の言葉に二人はうなずいた。




