ファール
「だ、大丈夫っ!?」
派手に転倒した千佳を見て、藍那が慌てて駆け寄る。
千佳はすぐに立ち上がると近寄る藍那を制止した。
「これくらい大丈夫よ」
「でも、血が……」
藍那が指差す左肘を見る。血がにじみ出ていた。
動揺している藍那とは異なり、当の本人は慌てることなく出血している箇所の周囲の土を払う。
スポーツに怪我はつきもの。特に土のグラウンドでサッカーをして、転倒すれば擦り傷なんて当然できる。
「問題ないわ」
「洗わないと……」
「ミニゲームが終わったらね」
「でも……」
「……分かったわ」
千佳は息を吐いて藍那の提案に同意した。
彼女は藍那にここまで心配されるとは思ってもいなかった。引き下がらない言動にも少し驚いた。
彼女を安心させるためにもこれ以上言葉を否定してはいけない。
周囲を見渡し、高架下に水道があることを見つける。
「洗ってくるから、待っていて」
「うん」
「……みさき、勝手に始めないでよ」
「わかってるってー」
みさきがいつの間にかボールをゴールラインとタッチラインの角に置き、蹴る準備をしていた。彼女は千佳に指摘されると両手を腰に当て「待ってるよー」と付け加える。
その行為を見た千佳はコートを出て水道へと向かう。
「ねぇ、美紗ちゃんー」
「どうしたの?」
「さっきのはファールじゃないのー?」
みさきは遠くから美紗が千佳のボールを蹴り出すプレーを見ていた。一瞬の出来事で彼女たちの足元ははっきりと見えなかったが、美紗はかなり荒く削っていたように見えた。
「ちゃんとボールに対して行っているわ」
「微妙だと思うなー。由依ちゃんや理紗ちゃんはどう思うー?」
集まってきていた二人にみさきは尋ねる。
「私はファール」
「うちはノーファールやな」
二人の意見が割れた。
「由依、同じチームなのに庇わないんや?」
「反則に関しては公正公平に。客観的な視点が必要よ。同じチームだからって偏見はしないわ」
由依はジト目で理紗を見る。見られた理紗は肩をすくめた。
「冗談や。うちから見えた角度やったら、ボールにちゃんと足がいってたんや」
「危険なプレーには変わりないわ」
「せやけど、あれでファールになったら試合にならんで」
睨み合う二人。そしてお互いの意見のぶつけ始めた。
傍らで見ていたみさきは「聞く人間違えたかなー」とぼやきながら頭を掻く。
「藍那ちゃんはー?」
「えっと……」
腕を組み、首を傾げて考える藍那。十秒ほど考えた後、自信なさげに口を開いた。
「わ、わたしはファール、だと思う……」
「どうしてー?」
「千佳ちゃんが怪我をしたから……」
「なるほどねー。でもそれは少し観点が違うかなー」
「そ、そうなの?」
「ファールはね「危険なプレー」に対してなるものなんだ」
「危険なプレー?」
藍那は首をかしげた。彼女には危険なプレーがどういうものなのかイメージができていないらしい。
口で説明するよりも実際に表現したほうがいいと思ったみさきは、ボールを藍那に渡す。
「?」
「今から藍那ちゃんにファールをするからー」
「え?」
「……あー」
身構える藍那を見て、言葉が足りていなかったと悟ったみさきは言葉を付け足す。
「ファールを表現するだけだから、過剰な力は加えないよー」
そう言うとみさきは藍那の背後に立つ。
「例えば、今みたいに藍那ちゃんがボールを持っているとして、あたしが後ろから奪おうとする場合ー」
「う、うん」
「足を伸ばしたら、藍那ちゃんの足を蹴っちゃうでしょ?」
みさきは痛くない程度の力で藍那の足の後ろを爪先でつつく。
「そうしたら、藍那ちゃんはバランスを崩して倒れちゃう可能性があるでしょー」
「そう、かも」
「これは危険だからファール」
じゃあ次ね、と言いみさきは藍那の斜め後ろに立つ。
「体を横から入れて、ボールを奪うことを考えたとき……」
みさきは藍那の肩を掴み引っ張りながら体を入れた。
「!?」
みさきの行為を想定していなかった藍那は体をのけ反らせ、引っ張られた方向へよろける。
しかしすぐに足を後ろに引き、藍那は倒れることはなかった。
たたらを踏んだ後、彼女はみさきのほうを向く。
「これもファールだよね?」
「そうだよー。ボールを奪うために手を使っているからねー」
「手を使う?」
「サッカーは基本的に足するスポーツだからね。関係がないところで手を使うことは駄目だよー」
「へぇ」
納得した表情になる藍那。
「だったら、後ろからはボールを取ることはできないの?」
「手を使わずにすればいいんだよー」
先ほどと同じ場所にみさきは立ち、今度は手を使わず体を藍那に寄せる。そして彼女とボールの間に体を入れた。
「こうすればボールを取ることができるんだよー」
「……なるほど」
「だから藍那ちゃんがさっき言った「怪我をしたからファール」だと結果論になっちゃうから、正確に言うと「危ないプレーだからファール」「手を使う等のサッカーに関係のない、ボールに対して関与しないプレーだからファール」ということになるかなー」
「……だったら、さっきの美紗ちゃんのプレーは危険だからファールになるの?」
本題に戻る。質問をされ、みさきは困った顔をした。
「正直微妙なところー」
「微妙?」
「うん。今の由依ちゃんと理紗ちゃんみたいに意見が分かれるプレーだからねー」
いまだに言い争っている二人を向きながら答えるみさき。ちょうど二人を止めるために美紗が割って入るところだった。
「分かれるの?」
「危ないプレーだったけど、ボールに対してのプレーだったからねー」
「矛盾しているように聞こえるけど?」
「セルフジャッジだから仕方ないよ。本当の試合なら審判が判断するからねー」
みさきに言われ、藍那はハッとした顔になる。
テレビで見たことがるサッカーの試合。そこには試合をしている二チームとは異なる、笛を持った黒色の服を着た人――審判がいた。
確かに試合と比較するとこのミニゲームには審判がいない。
第三者目線で判断をする人がいないのだ。
「審判がいないから意見が分かれるの?」
「審判は絶対だからねー。審判に対して文句を言っても仕方ないし」
下手をしたらカードを貰うからね、とみさきは付け加えた。
「……これはどういう状況?」
千佳が肘を洗い戻ってきた。状況が分からない彼女は相手チームの三人がもめている様にしか見て取れなかった。
「さっきの美紗ちゃんのプレーがファールかどうかを審議しているんだよー」
「あれはファールじゃないわ」
短く息を吐き、千佳は言い切る。
「そうなの?」
「私の足は削られていないわ。それにあれでファールになったらサッカーにならないわよ」
理紗と同じ回答。
「男子サッカーでも似たようなことは何度も経験しているわ」
千佳にとって、美紗のプレーは日男子サッカーで常茶飯事だ。時折あのプレー以上に酷いものもある。
肘を入れられたり、服を引っ張られたり……ファールじゃないかと感じることは何度も経験している。
(それに……)
美紗のプレーはディフェンダーとしてゴール阻止をするために当然のものだった。スライディングをするタイミングも完璧だった。
千佳自身は美紗の動きを読むことができていなかったから、肘を擦りむいてしまったと考えていた。
「ファールじゃないから、コーナーから再開するわよ」
「相手はまだもめているけど、このまま再開するー?」
三人は相手チームを見る。まだ言い合っていた。三人はため息を吐いた。
「……そんな卑怯なことはしないわよ」
「わ、わたし声をかけてくるね」
〇ファールとは(※サッカー競技規則より直接フリーキックの場合を抜粋)
競技者が次の反則のいずれかを相手競技者に対して不用意に、無謀に、または、過剰な力で犯したと主審が判断した場合、直接フリーキックが与えられる。
・チャージする。
・飛びかかる。
・ける、またはけろうとする。
・押す。
・打つ、または、打とうとする(頭突きを含む)。
・タックルする、または、挑む。
・つまずかせる、または、つまずかせようとする。
身体接触を伴う反則が起きたときは、直接フリーキックまたはペナルティーキックで罰せられる。
・不用意とは、競技者が相手に挑むとき注意や配慮が欠けていると判断される、または、慎重さを欠いてプレーを行うことである。懲戒処置は必要ない。
・無謀とは、相手競技者が危険にさらされていることを無視して、または、結果的に危険となるプレーを行うことであり、このようにプレーする競技者じゃ、警告されなければならない。
・過剰な力とは、競技者が必要以上の力を用いて相手競技者の安全を危険にさらすことであり、このようにプレーする競技者には退場が命じられなければならない。
競技者が次の反則のいずれかを犯した場合、直接フリーキックが与えられる。
・ボールを意図的に手または腕で扱う(ゴールキーパーが自分のペナルティーエリア内にあるボールを扱う場合を除く)。
・相手競技者を押さえる。
・身体的接触によって相手競技者を妨げる。
・相手競技者につばを吐く。
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物語上での美紗のプレーは、審判がいた場合、審判の立ち位置によっては千佳の足を削ったように見え「身体接触を伴う~」の部分に該当する可能性があったかも。




