一人じゃなく、連携して
「由依」
美紗は声をかけてパスを出す。由依はボールを受け取り、深呼吸をする。
一番近くにいる相手は千佳だけど、積極的にプレスをかけてこない。
仕掛けたい気持ちを抑えつつ、考える。
(一人でやっている訳じゃない、か)
美紗が理紗に対して言った言葉。その言葉は由依の心にも刺さっていた。
それは千佳と対峙したときのこと。彼女は千佳と勝負がしたい、という勝手な理由で一人でボールを奪おうとしていた。
一回目は抜かれたあと、美紗の指示で失点を免れることができたが、二回目は失点に繋がった。
チームとしては一失点。だけど由依のディフェンスは二回とも失敗。
身勝手なことをした当然の結果。
(ちゃんと連携しないとね)
点を取ら、美紗の言葉で冷静になることができた。
由依ができることは基本的なこと。
ボールを持ったら正確にパスを出す。そして走る。
守るときは迂闊にプレスをかけない。
中学でサッカー部に混じってボールを蹴っていたことを思い浮かべる。
下手だったけど全力でプレーしていた。
「美紗っ」
リターンパス。由依が仕掛けてもボールを取られるだけ。リスクを負う必要はなく、正面を向いてボールを持つことができる美紗にパスを出すことが最善だと由依は考える。
「由依、パスはもう少し強く出していいよ」
後方でボールを受け取った美紗は相手からのプレスがない分、余裕を持ってプレーができた。
周囲を見て、状況を把握する。
「あと次から私や理紗の動きに合わせて、裏に抜けて」
「裏?」
「千佳の背後を狙って走って」
シンプルなプレー。それぐらいなら由依にもできる。
「分かったわ」
由依は理解して美紗に相槌を打つ。
それを見て、美紗は理紗のほうを向く。
「理紗、もっと後ろに引いて。パスを出しづらい」
「うちはもう少し前のポジションで……」
「理紗この三人の組み合わせなら、あなたは攻守両方をしないと。特に千佳には気をつけて」
「……りょーかいや」
不満はあったが今度は言い返すことはせず、美紗の言葉に理紗は応じる。
(あーなったら、文句を言っても仕方ないからなぁ)
意地を張る、と言えばいいのだろうか。「自分が正しい」と感じたことは言い、否定されても我を通す。
特に美紗がミニゲームや試合で味方のプレーやミスをもとに言うことが多い。
そして双子の理紗には美紗の考えていることが分かる。
理紗のミスを見て、みさきは後方からボール奪取の機会をうかがい、取るとすぐさま千佳へ繋げる意図を持っていることを知る。
由依のプレーを見て、彼女は足が速いことに気付き、相手の裏のスペースを狙う動きをさせる。同時に由依と千佳を勝負させるようにした。
そして千佳のプレーからは彼女がキープレーヤーだと判断し、攻められたときに理紗がファーストディフェンダーとなる。
相手の意見を聞かずに言うという難点があるが、的確な指示だと理紗は思う。
ただ、そのせいで昔所属していたチームのメンバとよく衝突していたと理紗は記憶している。
(このメンバなら衝突することはないやろうし、任せるか)
理紗は立っている場合からポジションを下げる。
するとすぐに美紗からパスが届く。理紗は前を向くと、藍那が近寄ってきていた。
そしてその背後にはスペースが空いている。
先ほどと同様、簡単に藍那を抜くことはできると理紗は感じた。
理紗はさらに周りを見る。
千佳は美紗の言葉を聞いていたのか由依をマークしていた。
みさきは藍那と千佳がよく見える場所――敵陣深くで構えている。
(ここは……)
慌てる必要はない。美紗の指示に従い、一人での攻撃を避け美紗にボールを下げる。
美紗はボールを蹴りやすい位置に転がし、由依のほうを見た。
由依は愚直に真っ直ぐ前へ走りだしている。彼女の初速は千佳よりも速いらしく、千佳が追いかけるような格好になっていた。
(だけど)
パスコースがない。由依は右サイドを駆け上がるように走り、千佳がその内側を走っているからだ。
しかも彼女はチラチラと美紗のほうを見て、様子を見ている。
グラインダーのパスだと千佳にカットされる可能性が高いと美紗は判断した。
「美紗っ、寄ってきてる!」
理紗の声に反応して美紗は由依と千佳から視界を外す。理紗のほうを見ると、藍那が美紗へプレスをかけてきていた。
その背後で理紗が立ち位置を変え、ボールを要求している。
「突出したプレスは意味がないよっ」
接近され、パスを出しにくくなる前に美紗はボールを手放す。
ボールを受け取ったのは理紗。彼女は前を向くと目を丸くした。
理紗はみさきからプレスをかけらることもなく、完全にフリーな状況だった。
そのような状況になったのは由依がコートの内側に向きを変え、右サイドから左サイドへと横断するかのように走っていたからだった。
急に方向を変えたことで千佳が対応できなくなっていた。そしてみさきは千佳が対応できていないことが目に留まり、が理紗へのプレスを躊躇わせていた。
一方で由依が方向を変えたことのは「近くに行けばボールが連携して攻撃できるかも?」と考えただけだった。
だけどそのシンプルな考えが彼女の決断を早くし、急な方向転換をさせ、相手を戸惑わせていた。
(瞬発力あるなぁ)
由依が走ることが好きだということや、東山高校で陸上部に誘われていたことを知らない理紗は素直に感心する。
感心すると同時に彼女は由依の走る先にボールを蹴った。
「ナイスパスっ」
右足の内側でトラップする。しかしトラップが足元にしていまい、動きを止めてしまう。
その間に千佳が追いつき、由依に体を寄せる。
(っ!)
千佳とは体格差があり、経験差があった。ファールにならないチャージに由依はよろける。そして足元にあったボールも千佳に取られてしまった。
千佳は顔を上げ、ドリブルを開始し――
「させへんでっ」
「なっ!」
千佳の正面にいつの間にか理紗がいた。彼女は足を伸ばし、千佳の持っていたボールを爪先でつつく。
ボールは二人から離れると、偶然にも体勢を直していた由依の元へに届く。取られたボールが戻ってきたことに一瞬彼女は驚いたが、前を向いてドリブルをする。
目の前にいるのはみさき。
(ドリブルで川内さんを抜くことは難しそう)
腰を落として構えるみさきを見て思う。構えに隙がない。
だけど彼女を抜けば得点を入れることができる可能性が高い。
「スピードで抜いちゃって!」
背後から美紗が叫ぶ声が聞こえた。その声に反応して由依はみさきの左前方へ大きく蹴り出す。
「っ、はや」
大きく蹴り出し、走る由依にみさきは驚きを隠せない。大きく蹴り出されたボールとの距離はみさきのほうが近かったが、走り出す瞬間の初速は由依のほうが速い。
単純だったが、彼女の特長を活かしたプレー。みさきが体を入れ妨害する前に由依に抜かれてしまった。
(抜けた、けどっ)
蹴り出したボールの勢いが強い。由依が思っていた以上に前方に転がっている。
このままだとゴールラインを割る前にボールに追いつくかどうか。
「間に、あって!」
スピードを上げる。ギリギリ追いついた。だけど目の前にゴールラインが見える。
由依はとっさにボールの上に足を置き、転がるボールの勢いを殺す。
だけど体の勢いが止まることはない。踏みとどまることができなった由依はバランスを崩し、転倒してしまった。
「ボ、ボールはっ」
前転し空を見上げたあと、うつ伏せになってボールのほうを見る。ボールはライン上で止まっていた。
「よしっ」
由依はもう一度空を見上げると、ガッツポーズをした。
〇前のクラブでの理紗と美紗
理紗:強いプレスや思い通りにプレーできないとメンバと衝突する
美紗:メンバへの指示や意見を出すときにメンバと衝突する
〇中学サッカー部での由依
「ボールを蹴るからには迷惑をかけない」と思い、部活中は全力でプレー
(上達したかどうかは別)