第五十六話:元老会議 後編
ベルクトが手を差し向けた先に観衆の関心が集中する。しかし肝心の少女はと言えば、しどろもどろにキョロキョロするばかりであり、そこに大魔公としての威厳を感じられない。
「……その少女が大魔公だと? はははっベルクト殿は我々を馬鹿にしているのか?」
次の瞬間には聴衆からどっと嘲笑が沸き起こる。議事堂内でやり取りを見届けていた誰しもがそうなると予想していた。だが、誰しもが気付いていない。
淫魔少女の隣が空席となっていることを。
「ネクリア様への無礼な口を慎むがいい」
土埃と共に一筋の疾風が舞った後、底冷えする程に冷たく重い声調でそれは唐突に告げられた。聴衆達が何が起こったのかを理解した時には既に、鈍く銀色に輝く大剣が元老フルクラムの喉元に突きつけられていたのだ。
固唾を飲み下す音だけが、やけにゆっくりと議事堂内に響く。
「……どうか先ほどまでの失言を許して欲しい。願わくばその剣をとり下げてもらえないだろうか」
大剣は下ろされ、銀甲冑は何食わぬ顔で元の席へと戻っていく。その間、銀甲冑の働いた無礼と狼藉を咎める者は誰も居ない。そう、一瞬にして会場を黙らせるに足る程の暴力を誇示してみせたのだ。
この場に居る者全てを、容易に斬殺せしめる事が可能な存在に野次など飛ばせるわけもなかった。ただ一人を除いて。
「おい、いきなり怖がらせてどうするんだ。馬鹿!」
恐れ多くも銀甲冑の前へと駆け寄り、ポコっと殴りつける少女。
「申し訳ございません。ネクリア様」
何の力も持たないような小さな女の子の前に跪き、頭を深々と下げてみせる暴力の象徴。その有様をまざまざと見せ付けられては、淫魔少女が大魔公である事を疑える余地などなかった。
「私の監督が不十分なせいで皆の議論に水を差してすまなかったな。どうか私達のことは気にせずそのまま議論を続けて欲しい。それと、私達は獣人への協力を惜しまないつもりだ」
淫魔少女は四方に向けて可愛らしく四度の礼をすると、銀甲冑を連れながら元の席へと着いた。
「余談になりますが、先日ビースキン近郊に現れたグールと呼ばれる黒い化物の討伐及び、今現在獣人国に蔓延している不治の病の特効薬を提供して下さったのは、全てネクリア様のご助力によるものです」
ベルクトから告げられた事実を聞き、聴衆達は一斉に沸きあがる。
「そうか、あの恐ろしい黒い化物を一瞬でやっつけたのはあのヒトだったのか!」
「病に伏せる息子の元に薬を届けてくれたのはあの子だったわ!」
「私の家族が鉱山都市から帰ってこれたのはネクリアという方のおかげだと聞いていたが……まさか……」
「俺も見たぞ!」
少女の恩恵を受けた者達は口々に叫ぶ。流石の少女も恥ずかしいのか、顔を真っ赤にしながらプルプルと目を泳がせるばかりであった。
「静粛に、静粛に、感謝や世辞を述べるのは後で個別にせい」
この王の一言で会場は静まる。
「なる程……。近頃の妙な噂の正体は理解しました。そこで屍麗姫と謳われるネクリア様に一つだけお伺いしたい。その死霊術でグルーエル様を蘇らせたように、精強な不死の軍勢を率いてニンゲン共を追い払って下さるのでしょうか?」
「悪いけど私にも色々と事情がある。ゾンビ軍団は戦場では非常に目立つ、今私が獣人国に滞在している事を帝国軍人や他の大魔公に気取られると非常に面倒な事になりかねないんだ。だから、私の方から貸し出せる戦力は実質彼一人だけだと思っておいて欲しい」
今の少女は魔族国の逆賊であり、帝国の特務兵団に追われる立場にあった。戦場の表に立っている事を各種勢力に把握されるようなことがあれば、今差し迫っている軍団とは比にもならない脅威が押し寄せて来る可能性があった。
「……それで千以上の軍勢を相手にして勝機はあるのですかな?」
淫魔少女が返答に困っていると、銀甲冑は立ち上がる。
「勝機はある。私が単独で敵陣深くに潜り込んで夜襲を仕掛け、敵の魔術師を含めた後衛を全て切り崩そう。さすれば人間相手に力押しされることもあるまい」
獣人に人間に対して劣勢を強いられる要因の一つが、遠隔攻撃と魔術師の差である。【ファイアーボール】を一発放たれるだけで、獣人の脆弱な防具で固められた戦列などいとも容易く穴を空けられてしまう。砲兵が戦場の花と呼ばれるならば、強力な広域破壊魔法を繰り出す精霊魔術師の存在はまさに戦場の女神と言っても過言ではない。
それらの全てを、夜の闇に紛れて鏖殺すると銀甲冑は言ってのけたのだ。
「確かに、ニンゲンの魔術師や投射兵器さえ封じれば兵力差を五分まで持ち直せる。ですがそれが実際に可能なのですかな?」
近接戦闘能力に限って言うならば、平均的な獣人と人間との間に兵力差はそれ程生じない。
「私は眠りや休息を必要とせず、敵を一方的に索敵する方法を知っている。毎朝のように現れる凄惨な死体を目の前にすれば、敵は夜の闇を怖れ、疲弊で士気を著しく落す事だろう。そのような戦い方も死人である私には可能。というわけだ」
夜襲であれば大量の敵を一度に相手する必要もなく、戦線からの離脱も容易。仮に安易に深追いしてくるならば、優位な地理まで引き込んで錬度差から一方的な虐殺に持ち込む事も辞さない。こうしたゲリラ戦術は数的不利で大群を相手する時に使われる事は珍しくない。
唯一、竜王グルーエルに匹敵する程の個にさえ遭遇しなければ、この戦術はほぼ無敵だった。
「……なる程。貴殿の言い分は良く分かった」
元老フルクラムの言葉を最後に、着席する。
「ふむ、互いに言いたい事は言い終わったようじゃな。では裁決を取ろうかのお。人間相手に徹底的に抗うと決めた者は手をあげよ」
軍務席は満場で挙手し、元老席からはフルクラムを含めた約半数が挙手に回った。
「賛成多数と見て可決。人間とは徹底抗戦じゃな。以上で閉会とする。以降、竜王ベルクトは軍をまとめて人間の軍勢に備えよ」
「皆様の協力に感謝する。この竜王ベルクト、及ばずながら力を尽くし皆を勝利に導くと約束しよう」
その言葉を機に重ねられる歓声。それは、今一度勝利と希望を夢見る獣人達にとっての儚い願望から来る叫びだった。
多くの者達は各々が居るべき場所へと戻り、議事堂内が閑散とし始めた頃。元老フルクラムがベルクトの元へと詰め寄る。
「分かっているなベルクト殿? 此度の戦いに負ければ我々に次などないという事を」
「ええ、重々承知しておりますフルクラム殿」
「私はグルーエル殿の強さと勇猛さを見込んで賛成に回ったが。精々竜王が戦場で逃げ回るなどというような無様だけは晒さないでおくれよ」
「……はい」
元老フルクラムの言葉は竜王ベルクトに対する明確な不信。それを払拭する機会に恵まれなかった臆病者への風当たりは依然として厳しいものだった。
そして、議事堂内に残る者も僅かになった後、白い影が慌てるように会場内に駆け込んできた。
「見つけたぞ! 悪鬼!」
息を切らしながらも血走った目で銀甲冑を睨みつけ、二つの短刀を構えるのは先代竜王グルーエルの娘であるサフィだった。一方で悪鬼と呼ばれた銀甲冑は、兜に隠れた瞳で見つめ返すばかり。
「サフィ! ゾンヲリ殿に武器を向けるのは止めて下さい。そんな事を続けていても不毛です」
「黙れ、臆病者が! 剣を抜けオウガ。今度こそ私が殺してやる!」
「……前よりは覚悟を決めたようだな。だが……まぁいい。気が済むまで相手をしよう」
そう言うと、銀甲冑は会場の中央まで進み、素手のまま構えをとった。
サフィの腕には血の滲んだ包帯が巻かれている。そこから、銀甲冑はサフィが昨日までにどれだけの研鑽を重ねてきたのかを推し量っている。その上で、剣を抜くに値しないと決め付けたのだ。無論、それに憤慨しないサフィではなかった。
「ふざけるな!」
サフィは吼えると、悪鬼を討ち取らんと飛び掛った。
議事堂内で公然と行われるSMプレイ。それは、ゾンヲリさんが暴力という鞭を振るってネクリアさんが謝罪と賠償という形の飴をばら撒くという謎展開である。
コワモテに圧迫面接された後に可愛い子に優しくされたらコロっといきそうになる。ならない?そういう事を自然にやっちゃうのがこの漫才コンビである。
なお、会議中にサフィさんをボロ雑巾にして晒し者にする案もあったらしい。しかしそれは幾らなんでもあまりにも惨めといわざるを得ない(収拾もつけられなくなるしね)。故に人が居なくなった段階で始める事にしたらしい。




