第五十五話:元老会議 前編
淫魔少女ネクリアと銀甲冑が竜王ベルクトによって連れられてきたのは城塞都市ビースキンの中心部。そこは、獣人国の統治に関わる要職達が暮らす区画であり、荘厳な石造りの建造物が立ち並んでいた。
少女は堂々とした態度で歩くように取り繕ってはいるのだがはやる好奇心には抗えないらしく、時折遠方に聳え立つ見事な装飾が施された大神殿や巨大石像を流し見しては「ほう」と唸っている。一方で銀甲冑は無言のまま少女の手を引きながら竜王ベルクトの背を見据えていた。
「こちらが元老会議が開かれる議事堂です。ネクリア様」
議事堂を見上げた淫魔少女は思わず息を呑む。石材の一つ一つが精魂込めて丁寧に研磨されており、それが云百云千と積み上げられた威風堂々たる様相に圧倒されたためだ。
「う、うむ、しかしなぁ、こんな凄い場所に異種族の私が入っても大丈夫なのか? 怖いおじさんに怒られて追い出されたりしない?」
淫魔少女は魔族国内での常識に則り、公権力の無い者が貴族街をうろつく事の危険性を竜王に問うた。
「はは、恥ずかしながら私の竜王の権力でその程度の事でしたらどうにでもなります。それよりも、ネクリア様とゾンヲリ殿のお力は今後の議論を優位に進める上で絶対必要になります。どうかそのまま付いて来て下さいますようお願い致します」
「ん、それは別に構わないんだけどさ。その会議って具体的に何について話すんだ?」
「今日、獣人国で発生している様々な問題について議論するのです。鉱山都市で軍を編成中のニンゲン共に対し、私達獣人が取りえる選択肢が議論の争点となりそうです。それ以外にも問題は山積みではありますが……」
「議会なんて始めなきゃならない時ってのは、大抵ロクでもない事が起こってる事なんだよな……」
「ええ、そうですね。残念な話ですが」
ベルクトは力なく笑って見せると、議事堂内へと歩んでいく。それに合わせて淫魔少女は銀甲冑の手を強く引くと、銀甲冑は軽く頷きながら前へと進みだす。
それからベルクト一行は議事堂内で受付を済ませた後に速やかに会場へと入場し、右翼側の席に着いた。会場内はまだまばらであり、所々から雑談の声が上がっていたので淫魔少女は周囲の様子を眺めて待っていると。
「ネクリア様、あちらにある対面の席に座られている方々が農業及び鉱業といった獣人国の基盤を支える知識人、元老です。そして、今私達が座しているのが国防などの軍務に携わる者の為の席なのです」
それからベルクトは議席に対する補足説明を続け、入り口から最も遠い席を政を執り行う王とその側近が座る為の席、最も入り口に近い席を市民の為の聴衆席と称したのだ。
「むむむ、市民階級が議会を自由に見物できるだなんて、案外……魔族国よりしっかりしてるんだな……」
「ここで議決した決め事はすぐに獣人国内全域に周知させなければなりませんから、知る者はなるべく多い方が良いのですよ」
「私の国もコレくらい風通しがよければなぁ……」
議席の数は聴衆席を除けば三百にもなる。その大半は埋まる頃に、空席となっていた王席の前へと向かう獣人が現れる。朱色に染色された上等な毛皮のマントを羽織り、老齢ながらも豪気さを感じさせる物腰であるその男が、獣人の王である事は誰が見ても明らかであった。故に、それまで騒がしかった聴衆達が一斉に静まり返る。
そして、王は席の前に立った後に周囲を見渡すと、満足したように頷いた。
「ふむ、皆が静かになったようじゃし、さっさと臨時会議でも始めるとするかのう。では竜王ベルクトよ。議題の説明をせよ」
「はっ」
ベルクトは起立する。周囲の注目を一身に浴びながらも物怖じする様子も見せず、平静に淡々と言葉を発した。
「先日、鉱山都市でニンゲン共の奴隷とされていた獣人達が一斉に蜂起し、彼らの一部が難民となってビースキンに逃れてきたのを保護したのは皆様の記憶に新しいと思い――」
左翼にある元老院席に座っている者の一人がベルクトの説明を遮るように野次を飛ばした。
「そうだ! 黒い化物騒ぎで逃げてきた連中だけじゃ空き足らず、奴らまでお前達防人が無計画に受け入れたせいで流行り病が蔓延し、農業従事者が壊滅寸前のビースキン国内の食糧事情が逼迫している! このままでは冬には大量の餓死者で溢れるぞ! この責任を一体どうしてくれるつもりだ?」
人間領境付近にある農村部は獣人国の食料の大半を賄う役目にあったが、その多くは鉱山都市市長が放った3体のグールによって壊滅させられた。これにより獣人国内の食料生産が滞った上に、非生産者と化した難民を賄う為の食糧消費も加速してしまったのだ。
獣人国の食料供給能力は遠からず破綻するのが目に見えていた。
「元老フラクラム殿のご意見は大変ごもっともです。ですが、今は最後まで話を聞いて頂けませんか?」
「ふん」
鼻息を荒げる元老フルクラムは座席に腰をかけて腕を組んでいる。元老側の席に座っている者達の多くは、フルクラムの主張に納得している様子で相槌を打っていた。刺さるような視線に晒されながらも、ベルクトは軽く咳払いをした後に言葉を続ける。
「では……続けましょう。獣人達の蜂起に対し、事態を重く見た鉱山都市のニンゲン共は我々を征服する為の軍隊の編成を始めた模様です。偵察の報告によれば、一昨日時点でその数は五百以上と聞き及んでおり、その規模は大よそ千五百から二千前後まで膨れ上がる可能性があります」
それを聞き、会場内はどよめきに包まれた。
「馬鹿な……。獣人国内から全ての兵士をかき集めても二千にも届かないではないか……」
狼狽する元老フルクラム。それもそのはず、獣人対人間の平均的な戦力比は人間の方が圧倒しているのは周知の事実。単純に正面から数で押し返すのであれば、四倍から五倍以上の数が必要になるのは明らかだからだ。
「もうだめだぁ……おしまいだぁ……ニンゲンに勝てるわけがない……」
などと軍務側の席からも悲痛な声が上がってしまう始末である。会場内に響き渡る嗚咽と混乱。もはや収拾がつかなくなりかけたその時。
「静粛にしろ! 黙って話を聞かんか」
王が一言そう述べるだけで静まった。淫魔少女は思わず「おおっ」と感嘆の声を漏らしたのだ。
「……早ければ今から一週間後にはニンゲンの軍隊がビースキンへと到達するでしょう。それまでに私達は選ばなければなりません。戦うか、戦わずして降伏するかです」
「全くもって話にならん! はじめから降伏する他に方法はないだろうが。ニンゲン共と戦えば敗北は必至、だからこそ我々は、あれだけニンゲン共に気を使って生贄を差し出し、それを見殺しにしてきたのだからな」
元老フルクラムはベルクトの問答を一蹴し、元老側は満場一致でフルクラムの意見に賛成の構えをとった。反抗をせず、人間の横暴を許す事で存続してきた者達にとって、戦う事など選択肢には入らないのだ。
「降伏すれば、獣人の殆どがニンゲンの奴隷として死ぬ事になってもですか?」
「はっ。ニンゲン共との交渉次第ではある程度"譲歩"してもらう事くらいは出来るだろう。あるいはこの土地を放棄して未踏の地で一からやり直すか。いずれも市民全て徴兵して総玉砕するよりはマシだと思うがな」
「では、我々に心強い味方が居るとしても、そう言い切れますか?」
「何を馬鹿けたことを……。一体そのような者がどこに居るというのだ。よもやベルクト殿自身がどうにかするなどと戯けた世迷言を言ったりしないだろうな?」
「最強の竜王としてその名を馳せたグルーエル様と、我々の盟友であり、四大魔公として恐れられたネウルガル様のご息女であられるネクリア様です」
「ほえ?」
いきなり話を振られて素っ頓狂な声を上げたのは、その当人である淫魔少女だった。
農林、鉱山、外交、経済、その他の元老5人くらい用意するつもりだったけど、名前覚えるのも書き分けるのも大変だから代表のフルクラムさん一人に絞ることにしたらしい。名前は出ませんでしたが、王様の名前はレオさんです。
多分脇役なのでどっちも覚える必要、ないです。
普通なら難民なんて見捨てて戦わずして無血開城する方が呆れる程に合理的。仮に獣人総玉砕して何とか追い返せたとしても、冬越えられるだけの戦果が得られなければ意味がないのだ。だったら最初から降伏して少しでも多くの自治権を得られるようにもがく方がマシだと思うのがぜいいんな気がする。
誇りだけで飯は食えんのである……。