第五十四話:間の悪い風精の子
※ブルメアさんとサフィさんだけが登場する場面のままですが、人称を変えました。
藁の布団に包まれてエルフの娘ブルメアは眠り続けていた。時折、獣人の少女ストネが見舞いに来ては、小さな身体をベッドの上に乗り出して心配そうに顔を眺めている。
「んん……」
ストネが四度目の見舞いを終えようかという頃、ブルメアはもぞもぞと動きだし、小さくうめくような声を発した。途端、獣人の少女の可愛らしい目が大きく開かれる。
「あ、エルフのおねーさんが目を覚ました!」
小さな少女らしい元気な声に起こされて、ブルメアは寝ぼけ眼をこすりながらベッドから身体を起こした。
「あ、おはよう。ストネちゃん。えっと……」
ブルメアの意識と記憶は岩山を下っている辺りで途切れている。だからなのか、孤児院の一室で目覚めた事に戸惑いを覚え、どのような会話からを切り出そうか悩んでいると。
「おねーさん、一昨日に帰って来てから今日のお昼までず~~~っと眠ってて目を覚まさないから皆すっごく心配してたんだよ」
「えっ……私、丸一日眠ってたの!?」
立て続けに告げられる事実を前にして、ブルメアは困惑を隠せないでいた。
「うん。皆すっごく心配してたんだよ! あ、待ってて、すぐに白いおねーさんにお水と食べ物もらえるように頼んでみる!」
「あ……ストネっ」
ブルメアが静止する間もおかずにストネは部屋を飛び出していった。それからブルメアは部屋内を見渡すと、物置台の上に"一昨日の旅の成果"が乗せられている事に気付いた。
確認しようとベッドから足を下ろした瞬間、ブルメアの足に電流が走る。唐突な痛みを受け、ブルメアは思わず声にならない悲鳴を上げた。
「ッッッッ!? なにこれっ? すっごく痛いんだけど!?」
一昨日の旅で、ブルメアは馬が潰れる程の距離を全力で駆け抜けてきた。しかしそれは、己の限界を優に超える程の肉体の酷使であり、代償を無くして行うには実に虫の良い話であった。
意識を巡らせば、下半身に限らず身体中の至るところで痛みを叫んでいるのだ。もはや、寝癖でボサボサになってしまった髪を整える事などブルメアの意識からとっくに消えてしまっている程に。
「ううっ……これ、大丈夫なのかな……私。死んじゃったりしない? ねぇ、ゾンヲリ……?」
ブルメアは改めてベッドに腰掛け直してから冗談交じりに隣人に問いかけるが、期待していたような高圧的な返事が戻ってくる事はなかった。一昨日までは"当たり前"だったそれは、もう当たり前ではなくなってしまったのだ。
一昨日の旅自体も夢か幻だったのだろうか。そんな考えがブルメアの脳裏に浮かぶ。
「……そうだっ、フリュネル。いるの?」
「な~に? ブルメアのご主人様」
ブルメアの目の前に風精の子フリュネルが具現化し、首を傾げていた。
「あ……良かった」
安堵するのもつかの間に、ブルメアは物置台の上を指差した。
「ねぇ、フリュネル、アレってゾンヲリの荷物だよね。忘れていったのかな」
「ううん、アレ全部ブルメアのご主人様の分だよ」
「えっどういう事なの?」
「う~んとね。身体を貸してくれた事への正当な対価なんだって」
魔獣の毛皮や腱などが詰まった袋や碧風石を含め、滝の洞窟へ向かう旅で得た物品のおよそ八割程が手付かずで置かれていたのだ。その価値にしてみれば、鍛冶職人から借り受けた武具を修繕して買い取るには十分な額面だった。
「なによ、それ……こんなの全然対等じゃない」
結局世の中金が全て。これは手切れ金だ。そう言われた気がしたのか、エルフの娘ブルメアは無性に腹を立てた。羞恥からではなく、怒りで耳が真っ赤になる程に。
「ねぇ、フリュネル。ゾンヲリの居場所知らない? ちょっと文句言いに行くんだから」
分け前が多すぎる事に対する文句は単なる会う為の口実。ここで全てを清算してしまえば、冒険に出かけられる機会はもう二度と訪れない。そんな漠然とした予感から、ブルメアは件の戦士に文句を言いに行くことを決めたのだ。
「ちょっと待っててね。ゾンヲリのご主人様の所に行って聞いてくる。聞いてくるね!」
そう言い残すとフリュネルは空間に溶け込み、視界から消える。もう一人の契約者であるゾンビウォーリアーの元へと"声"を届ける為に。
「ふぅ……。フリュネルと契約してて、良かった……かな?」
ブルメアはほっと胸を撫で下ろすのもつかの間。部屋の出入口の仕切りとなる垂れ幕の向こう側に人の気配を感じ、顔を向けた。
「ブルメアさん。今入ってもいいかしら? 食事を取ってきたのだけれど」
「あ、どうぞ。サフィさん」
垂れ幕を潜って姿を現したのは、雪のように白く美しい毛並みが特徴の獣人の娘サフィ。その手に持つ石のトレーに乗せられた蒸かした芋からは白い湯気が立っている。
「今度はなるべくエルフの口に合いそうな食べ物にしてみたつもりだけど……どうかしら?」
ブルメアはほくほくの芋を一口頬張ると、目を細めた。
「んんっ、すっごく美味しいっ」
その言葉を皮切りに、暴食の披露宴が始まった。そう、丸一日という断食を経て飢えきったハラペコエルフに理性というモノは残されていない。拳程の大きさのある芋は瞬く間にブルメアの胃の中へと溶けていってしまったのだ。
「……ブルメアさんは見かけによらずよく食べるんですね。もっと芋を持ってくれば良かったかしら」
困ったような表情を浮かべるサフィ。それに対し、ブルメアは恥ずかしさからか横髪をいじっていた。
「あ、あはは、ごめんなさい。お腹が減っててつい……」
「いいの。ブルメアさんの薬のおかげで私達の孤児院は病から救われたんだから。これくらいお礼はさせて欲しいの」
ブルメアはサフィの言葉に不可解さを覚えていた。何故なら、孤児院を救ったのは件の戦士とその主である淫魔少女ネクリアのはずなのだから。
「でもね、黙って危険な岩山に向かうだなんて無茶はもう二度とやらないで頂戴。ブルメアさんは"重要な客人"でもあるんだから……ほんと……命が残ってるだけでも運がよかったんだから」
竜王ベルクトによる友好な異種族保護命令という名目でブルメアは孤児院に滞在している。孤児院の側からすれば、いかなる理由があろうとブルメアに怪我を負わせるわけにはいかないのだ。
「……ごめんなさい」
「ただ、不思議ね。一昨日までのブルメアさんと比べると別人みたいに雰囲気変わってるもの」
「そう、かな?」
「一番変わったと思うのは隙の有無、かしら。武芸に心得がある人が纏う独特な空気を佇まいから感じるもの」
見る者が見れば、武人とそれ以外は平時の佇まいで簡単に見分けられる。油断とは即ち死に直結する。故に、最も油断しやすく不意打ちを受けやすい平時にこそ武人は注意する。周囲や動く者に向ける目配り、音に対する反応が無意識に佇まいとなって表に現れるのだ。
ブルメアは極限状態の中、件の戦士の経験を直接その身体で覚えてしまった。
「それは多分、私に自由をくれた"恩人"のおかげ……なんだと思う」
「そう、それ程のヒトが、まだこの国に残ってるのね。だったら……」
サフィの物言いには影が差していた。
「どうかしたんですか?」
「あ、個人的な事だから気にしないで」
「ううん、悩みとかあるんだったら私にも教えて欲しいなっ。ほら、もしかしたらサフィさんの事も助けてあげられるかもだし」
サフィは暫く悩んでから、重い口を開いた。
「私には仇を取りたい相手がいるの」
ブルメアは軽はずみに聞いてしまったことを内心後悔した。しかし、ブルメア自身も一昨日までは"復讐"を考えていた事もあってか、サフィの気持ちは理解できなくもなかった。だが……次の瞬間にはその考えは脆くも崩れ去った。
「ゾンビウォーリアー。父を殺し、父の死を冒涜したあの悪鬼だけは絶対に許せない」
憎悪を滲ませるかのように仇敵の名は告げられる。それは、ブルメアの恩人の名でもあった。当惑しているブルメアに追い討ちをかけるかのように、事件は唐突に訪れた。
「あ、ブルメアのご主人様! 今、ゾンヲリのご主人様は元老会議って所に出席してるんだって!」
突如ブルメアの前に具現化したフリュネルは、お返事の内容をその場にいる全員に聞こえるように話してしまったのだ。室内の空気は絶対零度で凍える程に冷え切っていた。
「フリュネル……タイミングが悪いよぉ……」
風精の子にとってそんなことは知った事ではないのである。
単なる被害者であるブルメアさんの首絞めるのはやっぱりやりすぎ感があったので、少しマイルドに微調整。その後のやり取りは行間で察してもらう方向に変更しました。
という事でゾンヲリさんに対するサフィさんによる襲撃フラグが立ちました。 肉親殺して同胞を大量虐殺しているんだから恨まれて当然なんだぁ……(恍惚)