第五十二話:少女の錬金術
※久しぶりに三人称めいたアトモスフィアでお送り致します。
調理場の台座に置かれている薬草と雑穀の煮汁の詰まった鍋の前で、淫魔の少女は落ち着きのない様子でウロウロしている。時折、星明りが差し込む窓から夜空を物憂げに見上げては、深い溜息を吐くのを繰り返している。
「……遅い。遅すぎるぞ……ゾンヲリの奴」
当初の約束していた集合予定時間は夕刻であり、とうに過ぎ去ってしまっている。黒死病感染者の看病を終え、ブルモルトとの調合に使用する薬剤の精製、その後の工程で先行着手できそうな作業も既に終わらせて手すきになってしまい、思案に耽る余裕が生まれてしまった。
信じて送ったはずの件の戦士がもう二度と帰ってこないのではないか。夜空を見上げる度に、淫魔少女の脳裏には絶望の未来がチラつく。
「アイツ、どっちかというと負ける事の方が多いからな……やっぱり不安だ」
少女の前で戦っていた件の戦士は、強敵と邂逅する度に劣勢を強いられてきた。女騎士、帝国黒騎士、不死隊、グール。それだけの数の苦戦と敗北を見届けてきた。そして、敗北時の共通点はいつも決まって"弱者の肉体"を使っている時だった。
今、戦士が使っているはずのブルメアと呼ばれたエルフ女性の肉体も、難民キャンプに居る黒死病による病死者や餓死者に比べれば比較的マシとはいえ、弱者の例に漏れない。
「ああ、もう」
淫魔少女は不安を振り払わんと頭を振ると、居ても立ってもいられずに孤児院の外へと飛び出した。すると、向かった先の暗い夜道には人影が立っており、その正体を覗き込んだ時、淫魔少女の黒くて細長くて艶やかな尻尾がピンと立った。
「ネクリア様?」
人影が淫魔少女の名を呼ぶ。その影は星明かりに照らされて次第に色彩が宿って行く。それが淫魔少女の求めていた人物なのだと確信した時、思わず破顔しそうになっていた。しかし、大魔公としての威厳を保つ為にぐっと堪えて、大きく息を吸った。
「全く、遅いぞゾンヲリ! 何時まで私を待たせるつもりだ」
精一杯の虚勢を張りながら、普段通りに怒鳴り散らす。
「申し訳ございませんネクリア様。不肖ゾンヲリ、ただいま戻りました。幾分予定外の障害が多かった為に、到着に遅れてしまいました」
エルフの女性は地べたに跪き、深々と頭を下げた。
「そういうのは良いからさっさと頭を上げろ。無事に帰ってきて何よりだ。お帰り、ゾンヲリ」
「はっ」
「ん? そう言えばお前が表に出て来てるって事は、ブルメアの方はどうしたんだ?」
「長い間走り続けて精も根も尽き果ててしまったのか、今は眠っております」
「……ん、まぁそれならそれでいいか。とりあえずこんな所でずっと立ち話するのもアレだし、付いて来いゾンヲリ。早速特効薬の調合に取り掛かるぞ」
「はっ」
調理場にて、ブルモルトがたっぷりとこびり付いた岩石を手に取った淫魔少女は満足げな表情を浮かべた。
「うんうん、これがあれば何とかなりそうだなっ」
そう言って、削りとったブルモルトを雑穀と薬草の煮汁の入った鍋の中へと雑に投げ入れる。
「……ネクリア様、そんな作り方で大丈夫なんでしょうか?」
錬金術とは、もっと緻密な計算に基づいて調合が行われるべきであるという先入観を持っていた為に、エルフは訝しんだ。
「大丈夫だ問題ない。これはブルモルトを培養する為の溶液なんだからコレで良いのっ。ってか私の作り方に文句でもあるのか?」
「いえ、滅相もございません。では暫くしてからコレを飲めば黒死病は治るのでしょうか」
「ふっふーん。そんなわけないんだな~それが」
少女は得意げに謙虚で慎ましく奥ゆかしい胸を張ってみせる。
「というかゾンヲリ、ソレ飲んだら腹壊すだけだぞ。培養が終わったら薬効成分だけを抽出する作業があるんだよ」
その後、少女による特効薬製造工程におけるうんちく話が長々と続き、事ある度に「流石ですネクリア様」と「ふふん」というやり取りが繰り返されていった。そして……。
「ま、本来は培養を完了させるまでに三日くらいは密閉して浸け続けておきたいんだけど、今回は急ぎだからちょっとだけズルを使おっかな。【生命活性】」
少女が魔法を唱えると、ほわほわとした優しげな光が鍋を包んだ。そして、暫くするとポコポコと水面に泡が浮かぶようになった。
「……ネクリア様。その魔法は一体何なのでしょうか?【精霊魔法】ではなく、【奇跡】に近いように見えるのですが……」
「ああ、お前にはまだ見せてなかったっけな。対象の生命力を活性化する事で傷ついた肉体の治療を促す【太陽術】の一つさ。ブルモルトは菌類だからコレで即席培養するんだよ。どうだ凄いだろ?」
治療を促す術といえば、対象の傷を直接治すことを目的に使われる事が殆どである。しかし、少女は菌類の培養の為にその術を使った。太陽の力で生かす事も殺す事も出来る。それが少女の錬金術の真髄であることを知って感銘を受けたエルフの女性は、ただ約束の言葉を放つのみ。
「はい、流石です! ネクリア様」
「ふふんっ」
それから淫魔少女はビースキン香草煮込みに使われる豆油を鍋の中に大量に流し込むと、鍋の中身は水と油の二層に分かれて行く。
「ゾンヲリ、必要なのは沈んでる水の方だけだから、浮いてる油の方は捨てちゃってくれ」
「はっ」
エルフはわけも分からず浮いた油をひたすらすくっては捨てるという作業を繰り返していく。やがて、完全な水溶液だけになった鍋の中に、淫魔少女は事前に用意しておいた炭を投げ込んだ。
その行動の理由が全く理解できないエルフが首を捻っていると、淫魔少女はニヤニヤしている。
「知りたいか? なぁなぁ知りたいよな?」
「は、はい。知りたいです。ネクリア様!」
「ブルモルトの薬効成分は炭に吸着する性質があるんだ。これ、錬金術を志す者なら"誰でも知ってる"常識だからなっ。じょ・う・しき。お前もよ~く覚えておけよ」
ここぞとばかりに淫魔少女は自身の優位性を誇示しようとする。実の所、話を聞いてもらいたいだけだったりする。
「おみそれ致しました!」
「うむ」
淫魔少女は炭をヤカンの中に居れ、煮沸したお湯を中に入れては捨てるを繰り返した、
「後は、この炭を酸性の溶液で洗い流せば不純物の殆どを取り除く事が出来る。無菌化したスライムアシッドか果実酢辺りが理想なんだけど……、今回は柑橘類の果汁で代用しようかな」
少女の手搾りによって事前に用意された殺菌と沸騰済み柑橘果汁100%ジュースをドバドバとヤカンの中へと流し込み、それをヤカンの排出口から捨てていった。
「ところでネクリア様、この果実水。一体何処から入手したモノなんしょうか? ほぼ戦時中とも言える今では、果実は"外"にでも採りに行かなければ入手できない程に貴重な品な気がしますが……」
「あっ……それは、その。えっと……アレだ。親切な青果売りのおじさんから生食用に使えない奴を貰ったんだよ。うん。け、決して後ろめたい事とかしてないからなっ」
淫魔少女の言葉の節々には焦りがあった。
「では今度、時間が許されるようでしたらその感心できるおじ様に私からもお礼参りに行きましょう」
「あ、それはやらんでいい」
「アッハイ」
「まっそれは置いておいてだ。後はこうやって白灰水を流して布で漉して邪魔不純物を取り除けば……」
淫魔少女は事前に用意していた搾りかすの果実を灰にして溶かした熱水をヤカンの中へと流し込み、水溶液を排出口の箇所でろ過しながら湯飲み用の容器に入れていく。
「完成だ。じゃあ、後は患者やブルメアが眠りから目を覚ますまでの時間はお前の話でも聞いて時間を潰すとしようかなっ」
多くの者達の血と汗と涙という"犠牲"によって作り出された黒死病の特効薬。それは本来、老婆の獣人ただ一人を救う事を目的に作られた物だった。
これで異世界転生したら抗生物質作って無双できる日がやってくるのだろうか。でも信用されなきゃ魔女扱いされて火あぶりにされるのがオチな気がする今日のこの頃。実際、作中描写で作ったカビと炭で出来たスープ(抗生物質)を口の中に運ぼうとする猛者がどれだけいるかどうか……。
中世に魔女狩りが横行するわけである。
なお、以下は錬金描写に関する捕捉。
①ネクリアさん十三歳に使わせた【生命活性】について。その効果は1ヶ月で治る傷を2週間で治るようにする程度なので、戦闘中に使っても殆ど役に立ちません。たんに後遺症の治療に使われる程度のモノです。なお、細胞レベルの小さな物質に対して働きかける魔法なので、菌類に対してはかなりの即効性があります。
②油を混ぜた理由は水に溶ける物質と油に溶ける物質をそれぞれ分離する為である。今回、ブルモルトから抽出したペニシリンめいた有効成分は水溶性なので水の方に溶けている。それ以外の有害物質は油に混じってるのでそっちは捨てている。
③ペニシリンめいた有効成分は酸性物質なので、中性や酸性水溶液で洗っても成分が溶けだす事がない。その一方で炭はアルカリ性なので炭に付着しているアルカリ性の不純物が酸性水溶液に吸着して洗い流される。
④白灰水について、植物に含まれるミネラルはアルカリ性であり、炭化しても炭の中に含まれている。植物から作られた炭を水に浸すとそのミネラルが水に溶ける事によって水質をアルカリ性に変える。
本来は重曹を溶かしたアルカリ性水溶液を使用するべきなのだが、重曹を入手できないので今回は代用品として用いている。
らしい。よくわからんけど医学ってすげー!(作者の脳味噌ゾンビなので、もし間違ってるようなら指摘もらえると嬉しい…嬉しい……)
また、ネクリアさんが裏で搾っていた(意味深)果汁100%ジュース(酸性水溶液)は予めヴァイオレットレイ(紫外線殺菌)されてます。




