第四十七話:生肉ムッシャムッシャ、おててもバッシャバッシャ
※ダーク♂ほのぼの注意警報※
精霊契約を終えてから、私と幼精とブルメアの関係は一変した。
(ゾンヲリのご主人様、ご主人様! "コレ"も食べて良いの?)
脳裏に響くのは無邪気なフリュネルの声。先ほど私が狩り殺して毛皮を剥いだばかりの魔獣を指してそう言っている。
契約者と精霊は"声"を通じて意思疎通ができる。これは、ネクリア様との【ソウルコネクト】と同様、周囲に音を発さずに意志を伝え合うことが可能だ。
「ああ」
(やったーっ!)
フリュネルは私の前に具現化して横たわる生肉の前に降り立つと、小さいながらも大きな口を命一杯に開け、生肉を貪り始めた。
グシャグシャという咀嚼音。口元にべったりと付着した獣血、瞬く間に質量が失われていく肉の塊。そして……。
(おいしいよ! すっごくおいしいよ!)
花が咲いたかのような満面の笑顔を浮かべて見せるフリュネル。このゲテモノ食いは一体誰に似たのだろうか。これがまた分からないところだが、素直に相槌を返しておくことにした。
(うっ……)
脳裏に響くのは、相変わらずのブルメアから漏れる嗚咽。無理もない。私でさえもフリュネルが行った最初の"食事"を見たときは思わず絶句したものだ。
私が契約の代償で味覚を失った代わりに、フリュネルは"食べる"事が出来るようになった。そこで己の欲求のままに肉を喰らうフリュネルの在り方を見て理解した事がある。精霊には善も悪もない。ただ純粋にそこに在るだけなのだろうと。
子供は風の子元気の子とは言うが、まぁ……幼女の喜ぶ顔が見られるのならば、さしたる問題ではない。
「こうしてよく見てみると、フリュネルは少し貴女に似ているな」
垂れ下がった長い耳、美しい翠玉色の髪と瞳、あどけなさの残る童顔。もっとも、性格はブルメアと似ても似つかないのだが。それもまた、愛嬌なのだろう。
(う~ん。精霊の肉体を構成するのは契約者の魔力になるからなのかな。だから本質的な見た目が少し似てきちゃうってお父さんから聞いた事があるの)
契約者の魔力を糧に成長するか、周囲に漂う魔霧を糧に成長していくかで精霊の容姿は変わっていくという事なのだろうか。
「ならば、私と似ている箇所もあるのだろうか?」
(どちらかといえば、ゾンヲリの方に似ているんじゃない? ほら、性格とか……)
気になるのは契約時にフリュネルに新しく生え備わった竜尾と竜翼。私の生前の本懐は龍殺しであったはず。それに、私は"人間"でもあったはずだ。今、フリュネルのとっている姿はあの龍魔隷嬢ルーシアに近いと言っていい。
「……案外、契約者の魔力は精霊に影響しないのかもしれないな」
(え~、ゾンヲリの方から珍しく話振ってきたのにそういう事言っちゃうんだ)
「今となっては気にしてもしょうがないのでな」
生前の私を知る者はもはや誰も居ない。仮に生前の私を知っていたとして、今の魂だけの存在である私と結びつけられる者はいない。"人間"と話す機会など、戦場での果し合い以外にありえないのだから。
「フリュネル。もう昼過ぎだ。それを食べるのもその辺にしておけ」
「うん、分かった!」
用が済めばフリュネルは契約者であるブルメアの体内へと還る。そんな賑やかな調子で山道を進み続けて中腹に差し掛かろうという辺りからか、魔獣との遭遇回数が目に見えて増加してきた。
もっとも、前に遭遇した山豼との戦闘のように、不意打ちによる先制攻撃さえ受けなければ、弓で先に急所を射抜いて一撃で倒してしまうだけなのだが。
(ねぇゾンヲリ! あの川の先にある岩壁付近から冷たい風が吹いてきてる気がするの)
エルフは"風"に対して敏感なのだろうかと思いつつ、ブルメアが反応を示した先にある清流を辿って行くと、流れる水の壁がそそり立っていた。その滝の根元に見えるのは、足場の大半が水で満たされた自然洞窟。
カビが繁殖するには十分過ぎるほどの湿気が漂う暗所。恐らくブルモルトが生息している可能性がある。
(うわぁ、すっごい水の音。虹もかかってる! こんな景色初めてみた。綺麗~~)
(水の魔霧が一杯! 一杯だよ!)
フリュネルとブルメアは"滝"を初めて見た感傷に浸っていた。ただ大量の水が地面に打ち付けられているという現象を見て、何が面白いのかは私には全く理解できないが。
「……今の所周囲は安全なようだ。洞窟に入る前に少しだけ休憩をしておこう。その間は各自で好きにするといい」
ブルメアに肉体の制御権を返し、私は周囲の様子に気を配る事に専念する事にした。
「あ、じゃあちょっとお水飲みたいな。喉も渇いちゃったし」
(洞窟の中は冷える。ハメを外して装備と服は濡らさないようにしておけ)
「もう、私は子供じゃないんだから分かってるわよ」
ブルメアはおもむろに清流の元へと近づき、水の中を何気ない調子で覗き込んだその時だ。
「きゃあっ!」
ブルメアは唐突に悲鳴を上げ、尻餅をついてしまった。その後、自身の両手を凝視したまま、わなわなと震えていた。
「なに……これ……。そうだ、洗わなきゃっ」
水鏡に映った正体と業を覗き見て何を思ったのか。ブルメアは清水の中に慌てて腕を突っ込んだのだ。バシャバシャと水音を立て、ゴシゴシと両手を擦り合わせていく。跳ねる水がブルメアの服を濡らそうともお構いなしに。
「血が、血がっ! 違う。私っ」
(落ち着け!)
半狂乱で血を洗い流し続けるブルメアを止める事は出来なかった。
(どうしたの? ブルメアのご主人様)
この場所に到着するに至るまでに行われた魔獣の"殺戮"と"解体"の際に付着した乾いた血が、ブルメアの白い肌全てを覆い尽くす血化粧と化していた。
清水は次第に赤黒く濁り、淀んだ水鏡がブルメアの表情を映せなくなる頃、ようやく平静を少し取り戻した。
「はぁ……はぁ……。コレが、私、なの?」
ブルメアは"戦士"ではない。
血を浴びる経験もなければ、死も見慣れてはいない。そんな中、他者に肉体の全てを委ね、他者がその身体を使って殺戮の限りを尽くせばどうなるか。そして、それまでは他人事であった業の全てが自分の手によって築かれたのだと自覚すればどうなるか。
(それが、貴女が心から望んだ自分の姿だ)
「ちが……」
(違わないな。ならば何故、私が残虐非道の戦鬼と知っても尚、肉体を貸そうなどと言ったのだ?)
「ただ……自由が欲しかったの。誰にも奪われない力が、欲しかったの……。あの地下牢獄を破壊してくれたゾンヲリに付いていったら、私もネクリアのように貰えるのかなって思って……だから……」
(力によって得られる自由などと、所詮は血を血で洗う血生臭い結果しかもたらさないと分かっていてもか?)
ブルメアは無言のまま小さく頷く。
(ならば取り繕わずに"今"の自分も素直に認めるといい。岩蜥蜴の命を握りつぶして悦楽の表情を浮かべていた時のようにな)
戦士に必要とされる資質とは何か。
自分より弱い者を平然と踏みにじり優越感を得られる心、生命を殺害することも厭わない精神性、鍛え上げた力と技を存分に振るいたいという殺戮の衝動。
それらを持たない者は戦士にはなれない。それから目を背ける者も。
(ゾンヲリのご主人様はブルメアのご主人様をイジメてるの?)
フリュネルから唐突ながらも痛烈に批判される。
(ああ、いや)
(同じご主人様なんだから仲良くしなきゃダメだよ。めっ)
フリュネルは突如具現化し、ぺしっと翼を当ててくるような素振りを見せる。子供は物事の本質を的確に捉えてくる。
(……貴女の身の上を思えば、強く言い過ぎていた。すまなかった)
「……うん。でもね、ゾンヲリの言ってる事も本当の事だから……ちょっと考えさせて欲しいの」
(ああ)
ブルメアは暫くの間、水面に浮かぶ自分の顔をぼおっと眺めていた。とうに予定していた休憩時間も過ぎているが、依然としてブルメアは白く綺麗になった自身の両手を見比べていた。
「ねぇ、私ね。ゾンヲリみたいに誰かを救えたら、今までの弱い自分から変われるのかなって思ったの。でも結局一人じゃ何も出来なくて……嫌な事や辛い事は全部他の人達にまかせっきりで……」
(一人で出来る事は限られている。私は単に、殺すことが得意なだけに過ぎない)
武器を与えてくれたのは鍛冶屋の獣人の助力によるもの。彼の厚意がなければ、私でもここまで進むのは難しかっただろう。老婆の病を見たところで、少女の知識がなければ解決策を探す事すらも困難だっただろう。
「でも……」
(老婆を助けようと働き、救えるきっかけを作ったのは貴女なのだろう? ここまで折れずに来れたのも紛れもなく貴女の意志によるものだ。真の理由はどうあれどな)
自由を求めるのも、復讐の為に力を求めるのも、他者を思いやる事も、必ずしも対立するモノではない。人の想いとはそう単純なモノではない。
「そう、なのかな……」
(ブルモルトの生息している洞窟は目の前にある。折角ここまで来たのだ。最後までやりきってみるといい)
今のブルメアに必要なのは心に折り合いをつけることではなく、無心で身体を動かし続ける事。面倒な事は考えていても仕方ないのだから。
「うん。そうだね。頑張るよ。ゾンヲリ」
ブルメアの垂れ下がっていた長い耳が少し上を向き始めた。どうやら、少しばかし長くとってしまった休憩も終わりそうだ。
赤黒く濁っていた川も元の綺麗な清流へと戻り、最初から何事もなかったかのように流れ続けていく。
どうもサイコな空気が漂いつつありますが、気にしないのが吉。
幾度となく行われる唐突なSAN値チェックイベントがブルメアさんを襲う。殺人衝動や不定の狂気を発症しないかどうかが心配である。
何もかも息を吸うように魔獣をカーネイジしていくゾンヲリさんって奴が悪いんです。風の幼女による生肉食いの方がSAN値削られそうではありますが。幼女無罪!