第四十六話:自由の翼。フリュネル
※ロリコン注意報発令中※
食事を終え、岩山の洞窟を目指し、獣道をかき分けていく。緩やかに傾斜はきつくなり、辛うじて進める道も険しさは増していくばかり。
「妙だな」
(……どうかしたの? 急に立ち止まったりして)
ブルメアの足は疲労で限界を迎えつつある。にも拘わらず、今のブルメアはそれ程苦しそうにしていない。いや、それどころか内側から力が沸き上がるような奇妙な高揚感すらも覚えている。
「苦しくはないのか?」
(うん、この場所の魔霧が風の森に近い感じがするからなのかな。ちょっと元気が出てくるの)
周囲に霧が漂う程の湿気は感じられない。むしろ、透き通るように空気が澄んでいる。これは雨上がりに発生する霧とは全く別種の性質を持つモノ。魔霧だ。
この感覚には覚えがあった。以前、地下霊廟近辺でも不自然な霧が漂っていたのを覚えている。あの場所と比較すると霧は薄く、邪気も感じられない。
「だが、油断して良い場所でもなさそうだ」
このような異質な空間では、異質な存在が出現する事が稀によくある。例えば、そう……。目の前で行き倒れている羽の生えた緑髪の幼女のように。
「……誰か……助けて……」
私の気配に気がついたのか、地べたに伏したまま、手を伸ばそうとしている。迷わず駆け寄り、助け起こそうと肩に触れると、手がすり抜けてしまった。
「おい、大丈夫か?」
「だ……れ……?」
触れる事が出来ない。つまり、この痩せこけた幼女は実体を持たずにこの場所に存在しているのだ。ともすれば、肉体を持たない私と同種の存在なのだろう。
「お腹、減った……の」
だが、今はそんな事はどうでもいい。 重要な事じゃない。困っている幼女が目の前にいるなら選択肢は一つだ。一番太くて長い奴はブルメアのおやつにとでも思って用意していたが、今こそが使い時だろう。
「お姉さんのバナナ。食べる?」
「私……バナナ食べられないの……」
これは強敵だ。
(ねぇ、ゾンヲリ。その子は幼精だよ)
「幼精?」
(精霊様の卵なの。たまにこの場所みたいに魔霧の濃い場所に生まれるんだけど……。ここだと魔霧が薄すぎてすぐに死んじゃうんだ)
「どうすれば救える?」
(その子は風の幼精だから、もっと風の魔霧が濃い場所に連れて行くか、契約するしかないと思うな……。可哀想だけど……、私達じゃどうにもなら――)
つまり、契約とやらを行えば目の前の幼女は助かるわけだ。ならば迷う事もない。地に伏せる幼女の前に膝を着き、手を差し出す。
「今すぐに選べ。契約か、死か」
「け……けいやく……? して……くれるの?」
風の幼女は面を上げて、震える手を伸ばそうとする。
(ちょっ、ちょっと、ゾンヲリ!? 何いきなり契約なんてしようとしてるの?)
狼狽えるブルメアの声が脳に響き、手の動きを止められる。
「何か問題でもあるのか?」
(大有りだよ! 精霊契約には代償がつきものなの。それに、幼精の子は代償を遠慮なんてしてくれないのよ)
「代償を支払うのは契約した者の魂か? それとも器の方なのか?」
(……分からない。それも全部、精霊様の気分次第だもの)
「ならば、代償の全ては私が持つ魂で支払おう。それを条件とすれば貴女には迷惑はかけまい。構わないな?」
風の幼女はコクコクと頷く。もっとも、私とブルメアの会話の事など聞いていないので意味もよくわかっていないのかもしれないが。
(仮に契約できたって、その子は未熟だからゾンヲリに力を貸してくれないんだよ? それに、契約が成立しちゃったら維持の為にずっと魔力をその子に与え続けなきゃいけないのに……)
魔力か。以前少女は私にも"死霊術が使える"と言っていた。つまるところ、魔法は使えずとも魔力自体は持ち合わせているので問題はない。はずだ。
「それは今の貴女と何が違うのだ? 役に立たなければ放っておくか? ならば何故、貴女はこのような場所までわざわざ走ってきたのだ?」
(あ……っ)
人は何かを得るためには代償を支払って生きていく。先日出会ったばかりの死にかけの老婆一人救うためだけに、山豼という魔獣に狩られかけたこのエルフも代償を支払ってきたはずだ。
他人事だと放っておけば、血を吐く思いもしなくて済むというのに。
「話は終わりだ。答えろ。契約か、死か」
風の幼女は黙って私の手を取ると、その瞬間に閃光が走り抜け、全てが静止してしまったかのような感覚を覚える。いや、止まっている。木々の音も、虫の声も、獣の遠吠えも全く聞こえない。
静寂だけがその場を支配していた。
「はわぁ……お腹いっぱい……。ありがとうご主人様」
風の幼女は満足げな表情を浮かべながら、新たに背中に生えた小さな竜翼をはためかせてふわふわと浮かんでいた。
「ああ……本当に契約しちゃったんだ」
私の隣でブルメアが手で顔を覆っていた。その首元には契約者の証と思わしき緑色の小さな聖印が刻まれている。
「あれ……? ご主人様が二人いる? お姉さんと……誰?」
訝し気にこちらを見てくる。その正体は掴み切れないといった様子だ。
本来の肉体を持たぬ者の魂の形とは虚ろで定まっていないのかもしれない。その上で私は他者の肉体を借り過ぎていた。自分自身が一体どのような存在なのかも分からない。
ただ、一つだけはっきりしている事もある。
「私はゾンビウォーリアー。長いのでゾンヲリでよい」
「ゾンヲリのご主人様!」
屈託のない元気な声で私の名を呼ぶ幼女。この存在にとって、私がゾンビであることはさして重要ではないのかもしれない。
それよりも、自分に訪れた変化の方が気になった。何かが抜け落ちていくような気だるい疲労感。これはネクリア様が魔力切れを引き起こした時の感覚に近い。そして、口の中にあるはずの舌と思わしき場所の感覚が完全に失われてしまっている。
私は、ビースキン香草煮込みを食べても二度とあの快楽を味わう事が出来なくなってしまったのだ。
「……なるほど、これが代償か。それより、"私"だけで十分だったのか?」
「うん。こんなに濃い魔霧をお腹いっぱい食べたのは初めて!」
「ふっ……そうか」
それも、眼前の幼女が浮かべた無邪気な笑顔と比べれば、吹いて消える程度の後悔に違いない。
「……ねぇゾンヲリ。私を助ける時と違ってその子に対して随分と優しくない? おかしくない?」
ブルメアのどうでもよい野次は聞き流す。今重要なのは目の前の幼女だ。
「ところで、お前の名前はなんと呼べば良いのだ?」
「分かんない。ご主人様が好きに呼んでいいよ」
ただそこに生まれて消え行くだけの存在に名前などなかった。それはつまるところ、私と変わらないのだろう。少女ならきっと素晴らしい名前を付けてくれるのかもしれないが、生憎私は戦しか知らない。
気の利いた名前の一つすらも思いつかない。
「……むぅ」
このまま幼女と延々とにらめっこを続けていても埒が明かない。いや、ずっとこうし続けていたいという名残惜しさはある。ほんの少しだけ、ほんの少しだけだ。
「……ねぇ、なんで二人揃って私の方を見るの? 結局契約の代償を全部支払ったのだってゾンヲリなんだし、何かおかしくない? ねぇ」
「ヒトには向きと不向きがある」
「あるのだ!」
完全に諦めたかのように、ブルメアは深い溜息をついた。
「フリュネル。その背中にある大空を羽ばたける自由な翼。からとってみたけど。どうかな?」
少し照れが入っているのか、エルフ耳が少し紅潮しているように見えた。
「フリュネル!」
フリュネルがパタパタと羽ばたいている。実にご満悦のようで良かった。
最悪、私が名付けた暁には、"風"にちなんで"レイジングテンペスト"とか"グレートハリケーンスペシャル"とか"グランシュトローム"とかになっていた所だろうな。
設定補足
契約の代償は恒久的な最大MPの減少。
何か重要なモノを捧げる事。ゾンヲリさんの場合は味覚である。
また、反属性の精霊魔法が恒久的に使えなくなる。
厳密には使うと逆凪が発生して自爆する可能性が著しく上昇する。この場合土。
メリット。
風の精霊魔法を"術者の代わり"に精霊が使ってくれる。
幼精の戦闘能力は殆ど皆無。直接的な戦闘能力が向上する事もない。
なので幼精と契約するの奴なんてのは"単なる馬鹿"である。
つまり、ゾンヲリさんが契約しても百害あって一利なし。なお、何故戦士であるゾンヲリさんに幼女を満足させられるだけのMPがあるのかは……ミスト関連の伏線なのじゃ。
なお、精霊契約は精霊信仰を持つ亜人組の文化だったりする。
なお、作者が書いたフリュネルちゃんのマウス絵は下記リンクに掲載してあります。(クオリティはソシャゲ絵に慣れている人にとっちゃグロレベルなのでモノ好き向けです。はい)
https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/1398305/blogkey/2417909/




