第四十五話:魔霧のミスト
孤児院の調理場にて少女達がグツグツと煮だった鍋を囲んでいる。淫魔の少女が鍋の中身を真剣な趣で覗いており、その隣で薬草の束を抱えた小動物めいた獣人少女が、興味深そうに淫魔少女と鍋の間を交互に見回している。
「はい、淫魔のおねーちゃん。置いてあった薬草とってきたよ~。今何してるの~?」
「ん、ご苦労ストネ。薬草の成分を熱湯で抽出してるのさ。私の屋敷の錬金室ならアルコールとか専用の機材も置いてあるから、こんな原始的な方法とらなくてもいいんだけどなっ」
今、淫魔少女が行っている錬金とは、最も原始的なポーションの製造工程である。特定の組み合わせで調合した薬草の煮汁が、傷や病を癒すポーションとなりえるのである。ただし、薬草同士には相性があり、ただ雑多に薬草を合わせて煮詰めれば効能が相殺され、最悪毒となる事もありえる。
薬学と錬金術を修めた者だけが可能な秘術。それがポーション製造。
「ねっとーちゅーしゅつ?」
「ようは今寝込んでるおばちゃん達の病気を治すお薬を作ってるんだよ」
「うわーすごーい!」
淫魔少女はネクロマンサーという並々ならぬ事情から、褒められる事に慣れていない。だからなのか、ストネの称賛を受けると気恥ずかしそうに鼻を擦っている。
「くそぅ……お前は一々愛い奴だなぁ。このっこのっ」
誤魔化しついでにストネの頭をグシャグシャと撫でる淫魔少女。
「えへへ~」
ストネはそれを受け入れ、気持ちよさそうに目を細め、ピクピクと耳を、ふりふりと小さな尻尾を動かしている。
「皆治るかな~?」
「アイツらが山からブルモルトを無事にとって来れればすぐに治せるさっ」
「でも、お山の方には危ないまじゅーとかが一杯いるって聞いたから。一人で行っちゃったエルフのおねーちゃんが心配だな~」
「そうだな……私が目を離して油断してると、アイツはすぐに新しい女を引き連れてくるからなぁ。心配だよ」
「え?」「え?」
一瞬空気が止まった。
「こほん、まぁあれだ。ああ見えてあのボインエルフは結構強いからその点は大丈夫だよ」
「ふ~ん? 白いおねーちゃんよりも?」
「うむ。サフィおねーちゃんよりもだぞっ」
そうして、少女達の昼下がりは過ぎて行く。
〇
火にくべられた枯草と枝のベッド。その上で一毛すら纏わぬ姿で寝ているのは子山豼。垂れた油が火の中へと落ちていく。
バチリッと火が散り、炎葉が舞った。そろそろ頃合いか。
「……ねぇゾンヲリ。本当にこの子達を食べるの……?」
ブルメアはエルフらしい尖った耳を寝かせ、気が向かないといった趣のようだ。確かに、肉食魔獣の肉は独特の生臭さを持つ。少女であれば口にしたくはないとダダをこねてもおかしくはない。
もっとも、先ほど自らの足で踏み潰して殺したという点が要因なのかもしれないが。
(エルフなら狩りの習慣くらいはあるのだと思っていたが、違ったのか?)
「狩りはするけど……肉を好んで食べると野蛮な人間らしいなってよく馬鹿にされるから……」
ブルメアの発言から鑑みるに、純粋なエルフは採食主義者であり、主に木の実などを糧にして過ごしていくのだろう。豊富な森林資源に恵まれているが故に、家畜という概念自体を持ち合わせる必要性がないのかもしれない。
(なら狩って衣服にするのは良いのか?)
「うん……。勝手だよね。私がやろうとした事も、皆も」
ブルメアはぼんやりと焼けただれていく骨付き肉を見つめている。一度手を伸ばそうとする素振りを見せるが、思い留まってしまった。
(食べなければ夜まで持たないぞ)
「分かってるよ……」
ブルメアはそっと骨付き肉を手に取ると、ぎゅっと目を瞑りながら口を小さくあける。そして、口づけをするように、肉の断片をゆっくりと歯で噛み切ろうとする。
「はむっ……んっ!?」
ゴムのような弾力のある硬さと、独特の生臭さが舌の上に広がる。以前に腐った生肉を生食した事もある私からすれば、素朴で芳醇な味わい深さすらも愉しめる絶品だ。
血と生の味とは格別至極。死んでいては味わえないというもの。
「うっウグッ」
ブルメアは涙目になりながら、胃の中からこみ上げてくる何かごと喉の奥に押し込んだ。
まともな人間は魔獣の肉を食べる習慣がない。肉食の魔獣は家畜化できない事もそうだが、単純に狩る事自体が困難だ。一般的な調理方法を確立しているわけではないため、殆どの人間は一度興味本位で口にすれば二度と食べようとは思わない。
だが、常に日頃に魔獣の肉を口にする者もいる。戦地で過ごす事の多い私のような戦士であれば、戦いで消耗した筋力を補うための新しい肉が必要になるのだ。
「やっぱりいやぁ……」
最近になって思うのは、私の味覚はゾンビになって狂っているのではなく、最初から狂っていたのではないか? という疑問だ。少女の好きなすぃーつとやらをベルクトの施しを受けて大量に食べた時、途中から悪寒と胸焼けで震えそうになったのを覚えている。
(身体を貸せ)
それから、私が骨付き肉を平らげるまでにそれ程時間を必要とはしなかった。その間、延々と脳裏にはブルメアの怨嗟の声が響いていたような気がしたが、全て聞かなかったフリをする事にした。
久しぶりに懐かしく充実した食事がとれたような気がする。
(外の世界を一人で生きるのも、戦うのも、とっても辛い事なのね……)
そんな当たり前の事でさえも、"壁の内側"や"ヒトの領域"で過ごしていれば知る事が出来ない。
「……あの果実なら食べられるか?」
樹齢にしてみれば百年以上、丸太一つで橋を架けられそうな巨木の麓から見上げれば、枝元には沢山の赤く細長い反った形状の果実が幾つもなっていた。
(赤いバナナ、かな? 私は初めて見るけど食べられると思う。でも、あんな高い所に生えてる実なんて道具もなしに取れないと思うけど……。ねぇゾンヲリ、まさか登るつもり?)
「そのような手間をかけるつもりはない」
豆粒程に見える房元を目標に狙いを定め、コンポジットボウを構える。弓の弦に矢をあてがい、引き絞る。そして、息を吐いて精神を統一させ、放つ。
風がそよぐように矢は真っすぐと進み、バナナの房元を射貫いた。
「一つ、口直しに食べておけ」
天高くから落ちて来たバナナの束を抱き止め、その内の一本を千切る。残りは痛まないように草の上にでも置いておく。
(あ、ありがとう)
ブルメアがそっとバナナの皮を剥くと、少し緑がかった黄色の果肉が顔を出した。そして、それをひと思いに頬張り、口元に手を当てた。
「ん、おいひぃ」
青臭いすっきりとした酸味が身体に染み渡る。原生種のバナナはすぃーつに使われる物と違ってしつこい程の甘さを感じない。どちらかと言えば、私はこちらの方が好みだったりする。
「んっ、これなら幾らでも食べられちゃう。はむっ」
(食べ過ぎると後で苦しくなる。一本までだ)
「え~っ。イジワルしないでよ」
ブルメアは子供のように駄々をこねる。私は別に嘔吐しながら走った所で気には……、まぁどうでもいいか。
「ところでなんだけどね」
既にバナナ三本目を平らげて気前を良くしたはらぺこエルフは、何気ない調子で話かけてくる。
「ゾンヲリってどこで弓の使い方習ったの? 私も里に居た頃はお父さんに教えられていたから使えるけど。あんな高くて小さな的はまだ一回じゃとても射貫けないもの。もし、コツとかあるなら――」
("人殺し"で覚えた。"あの時"は敵から奪った弓で魔導士を射貫き殺せていなければ【ファイアーボール】で焼かれていただろう。弓に触れたのはそれが初めてだ)
術者に魔法を自由に撃たせてはならない。それが戦場の鉄則である以上、遠隔攻撃を一切使えない者は生き残る事は出来ない。
使える物は全て使え。かつての闘技場での戦いはそれが全てだ。使えないと口にした者から例外なく先に死んで果て行く。偶々、最後まで生き残れていたからこそ、その全てが使えるようになっていた。
「ああ……うん。そうだったね……ごめんねゾンヲリ」
何故か哀れまれた。
「えっと、そうだ。この辺りって、珍しく風の魔霧がちょっと濃いよね」
(魔霧?)
「え? ゾンヲリって『精霊魔法』は知ってるのに魔霧の事知らないの?」
(私にとっての『精霊魔法』とは、叩き切る対象であって使いこなすものではない。細かい理屈など気にした事もないな)
『精霊魔法』の発動前に術者を攻撃して潰すか暴走させる。発動したなら斬魔で切り伏せる。それでもダメなら何か使えそうなモノを盾にするか避ける。
戦士にとって重要なのはそれだけだ。
「じゃ、精霊様について、ちょっとだけゾンヲリに教えてあげよっか?」
……ブルメアが少し得意げな顔をし出した。尖った耳がピンと上を向いているのがよくわかる。
(それには及ばない。そろそろ先に進むぞ)
ブルメアの尖った耳が垂れ下がった。
「しゅん……。また、走るのね……」
精霊魔法の設定について聞かないだって? こんなにもゾンヲリさんとサクーシャとの間に意識の違いあるだなんて思わなかった! こんなんじゃ俺……風の幼女出したくなくなっちまうよ……。
ゾンヲリさんの脳味噌が筋肉で出来ている弊害が出始めて来たかもしれない。