第四十二話:走れブルメア
これより始まる未知の体験に対する不安からか、ブルメアの表情は強張っていた。寝台の上で両手を組んだ姿勢のまま、少女を見つめている。
「なぁブルメア、本当に止めておくなら今のうちだぞ。本来なら依り代に魂を憑依させるにはゾンビパウダーのような薬物も併用する必要もあるんだからさ」
ゾンビパウダー。それはヒトを薬物で操るために用いられる。使用された者の精神は完全に破壊され、ゾンビパウダーだけを求めて生き続ける屍へと変容させてしまう。
別の魂を肉体に宿らせるには宿主の精神など邪魔物でしかない。故に、ゾンビパウンダーのような悪魔的手段を用いるのが死霊術の間では通説なのであり、少女のように肉体を自ら死霊に受け渡すような事は通常行われない。
「いいの。始めて」
既に人払いは済ませており、この儀式場と化した寝室の中に居るのは少女とブルメアだけ。少女はコクっと頷くと、ブルメアは静かに目を閉じた。
「うむ、そのまま落ち着いた姿勢のまま、心を乱さないようにな」
「分かった」
少女は静かに死霊術秘法書を開き、ページをめくり始める。
「体内に何か入ってくる感覚があっても、そのまま全てを受け入れろ」
「う、うん……」
「では始める」
少女は深呼吸をし終えると、死霊術の詠唱を開始する。そして、私を体内から取り出し、掌の上に置いた。
「汚れ無き純白の盃を彼岸をたゆたう暗魂の雫で満たしたもう……【死霊憑依】」
少女は寝ているブルメアの丹田にゆっくりと私を押し込もうとする。私がブルメアの肉体への浸透を始めると、大きく身悶えたのだ。
「あ、うあっ……」
少女の肉体へと入る時とは異なり、ブルメアの肉体は薄い膜が張られているかのように私の侵入を拒んでいた。
……ブルメアから微かに漏れる喘ぎに妙な高揚感と背徳感が芽生えそうなのだが。これまで散々少女とやってきたことなのだから気にしたら負けなのかもしれない。
「落ち着け、大丈夫だから」
優しく囁くように、少女はブルメアに声をかけながら、小さな白い手でブルメアの手を握る。すると、安心したのかブルメアから感じる抵抗が失われていく。張られていた薄い膜を破っていくように、徐々にブルメアの体内へと侵入し、完全に果たした。
そして、私はゆっくりと指の動きを確かめると、動いた。
(あ、か、身体が、動かない。声も)
しかし、思うように身体を動かせない。脳裏に響くブルメアの動揺が私の動作を阻害しているのだ。二つの意思の介在する肉体に対する命令は互い衝突して打ち消し合う。それが、今の私とブルメアの状態におけるリスクだ。
その点を鑑みれば、少女は随分とスムーズに私に身体を受け渡してくれていたのだという事を改めて実感する。
「ネ、ネクリア様、は、入れはしましたが、これでは」
「う~ん、やっぱりか。ゾンヲリ、まずはブルメアに身体を返してやれ」
「はい」
肉体の制御権を受け渡す。この一連の動作については、少女の肉体で何度も繰り返してきているためか、私も大分手慣れてきている。脱力し、四肢に巡る感覚を極限まで薄くしておくだけでいい。
(これで動けるはずだ。起き上がってみろ)
「う、動ける」
ブルメアは寝台から身体を起こし、掌を握ったり開いたり、身体中至る所を触れて確かめていた。そして、ひとしきり自分の身体が自分の物である事を十分に実感して安心したのか、大きく息を吐いた。
「はぁ~~~~。怖かった~~~。急に身体が動かなくなるんだもん。ネクリアはよくこんな事やれるね」
「死霊降ろしってそういうモノだし。ブルメア、これを経験できたお前は凄く運がいいんだぞ? この術は本来は魂継を執り行うためのもの。魔族国でも私の一族を除けば魔王様にしか知り得ない禁呪なんだからなっ」
肉体への魂継、それが本当に実現できるのだとすれば、悠久の時を生きる不滅の存在となる事も可能だろう。もっとも、この術が役に立つ機会は『ネクロマンシー』程ではないが限定的と言える。
まず、魂を選べる機会がそれ程ない。魂呼びを行うには儀式場を要するし、呼ぶ魂を選ぶ事は出来ない。ともすれば継承しなくてはならない程に価値のある魂を持つ肉体がその場で滅んだ時か、私のように最初から少女に付き従う"おかしな死霊"でなければそもそも対象となり得ないのだ。
そして何よりも、入れ物となる肉体を用意するのが困難だという事。ゾンビパウダーで精神を歪められた肉体にせよ、自暴自棄になって提供された肉体にせよ。そういう精神の病んだモノ達の肉体を得て出来る事というのはたかが知れている。
精々、生に対する憎悪と害意を無差別に周囲に振りまくだけの悪鬼を一匹作るだけの魔法でしかないのだ。故に、禁呪と称されるのだろう。
「……ネクリアって本当にすごかったんだね」
「うむ、まぁな!」
少女は死霊術に誇りを持っている。だから褒められると照れてしまう。
(それで、結局貴女はどうするつもりなのだ?)
「ひあっ。い、今頭の中に語り掛けて来たのがゾンヲリなの?」
ブルメアの長い耳が、ピクッと天を穿った。エルフの感情が耳に出やすいのかもしれない。が、今はそんな事はどうでもいい。重要な事ではない。
(そうだ。だかこのまま時間を浪費するのも惜しい。だから単刀直入に言う。私に身体を貸すか、やはりここで止めるかを今ここで判断しろ)
「……やってみるよ」
(後悔は、するなよ)
――――……
それから、ブルメアの肉体を操作できるようになるまで一刻も必要とはしなかった。ブルメアの膂力と体力では相当な重量を誇るダーインソラウスを持ったまま走るのには難儀する。だから武器は護身用の短刀と鍛冶屋から借り受けた武具一式に留めておいた。
「ネクリア様、それでは行ってまいります」
「ゾンヲリ。ブルメアにエッチな事をするのだけは許さないからな」
そんな少女の有難い激励を受けながら、私は北にある岩山を目指し、ただひたすらに大地を蹴り続けた。ブルメアの女性らしい体つきの肉体はいささかの走りにくさを覚えるものがある。幸い、胸当てでガッチリと胸部を固定されているおかげで、窮屈さを覚えるもののそこまで不便はしていない。
(はぁ……はぁ……。ゾンヲリ、くるし……、お願い、休ませて)
「既に白昼は過ぎている。それに予定からも大分遅れている。当初の休憩予定地点である水源に着くまでは我慢しろ」
(お願……これ以上は、無理ぃ……)
そうブルメアが弱音を吐いたのを口切りに、身体の動きが急に鈍くなり、やがてその場にへたり込んでしまった。つまり、私の身体操作に対して抵抗の意思を見せ始めているのだ。
戦いとは無縁の長い奴隷生活を送ったブルメアの体力では、軽量とは言え装備を抱えた状態で長時間走るのは酷く辛く感じるのかもしれない。事実、辛さからか既に心が折れかけているのは明白だ。
しかし、帰りも考慮するならば魔獣との遭遇率の高まる夕暮、そして狩りの時間である深夜になるまでには帰還しなくてはならない。加えて、休憩を増やせば増やす程に次に重い腰を上げるのが辛くなるのがヒトの身体というもの。
「ならば、休むか? 貴女が苦痛から逃れている間に、老婆はそれ以上の苦痛を長く味わう事になるぞ」
戦士とは、ヒトが受けるべく痛みを代わりに引き受けて戦う者。
(それは……)
「強さが欲しいのではなかったのか?」
(そう、だけど……)
「ならば立て」
ブルメアはへたり込んだまま動かない。その理由も理解できる。緩やかとは言え、登り坂を馬の歩様で言うならば"駆歩"に準ずる速度で、日が真上に登るまでの期間をずっと走り抜けているのだから。
現在の装備重量や晴れ晴れとした天候状況を加味すれば女子供は愚か、ある程度訓練を積んだ戦士であっても息を切らす程の苦痛だろう。
「……では仕方がない。ビースキンへ戻るぞ」
(え? どうして? まだ時間だって十分に)
目標は深夜までの帰還であり、目測でそびえる岩山までの距離を測れば、大よそ3分の2程まで既に踏破している。確かに、このまま魔獣に遭遇したり、不足の事態が起こらなければ余裕は多少残されている。"夜"とその"夜明け"を最後まで肌で経験していない者ならばそう判断してもおかしくはないだろう。
「登るのは山だ。ある程度の高度まで登ったら、身体を山の空気に馴染ませておく必要がある。それに、この場で休憩を挟めば後が辛くなって行く」
山奥に進む程に傾斜はきつくなり、安定しない道を通る事になるだろう。それによって奪われる体力はこれまでの比ではない。そして何よりも……。
「この程度で満足に動けなくなるようでは魔獣と遭遇すれば贄となるだけ。折角拾った命を態々魔獣の餌として捧げたいと言うのならば止めないが、な」
結局このエルフの娘は戦士の器ではなかった。それだけだ。
(……馬鹿にしてっ。走る。走るわよ。走ればいいんでしょ!)
「そうか。ならもう少し頑張ってみせろ」
肉体への命令が通った事を確認し、私は休憩地点となる水源まで大地を蹴り続けた。この娘が一体何のために戦う事を選んだのか、もう少しだけ見定める事にした。
唐突に始まる走れメ〇ス的展開。
以下展開をギャル語に要約
ブルメアゎぁ走った…… お婆ちゃんがまってる……
でも……もぅつかれちゃった…でも…… あきらめるのょくなぃって……
ブルメアぁ……ぉもって……がんばった……
でも……水ぶくれ…われて……イタイょ……
ゴメン……まにあわなかった……(ドゴォ
なお、ゾンヲリさん曰く馬の駆足の速度がどれくらいかといえば、時速20kmくらい。具体的にどのくらいの速度なのかというと、マラソンランナー世界記録くらいだったりする。ちなみにウサイン・ボルト氏の短距離走の最高時速で37.5km。
なお、足を千切って不能にしてもいいならブルメアさんでも瞬間最高時速45kmくらいまでは出せます。全部KIAIで何とかする世の中なのである。