第四十話:二度ある孤児院は三度ある
ブルメアに案内されるがままに、街外れにある孤児院へと続く何度か見た道を進んでいく。そして、孤児院に向かうという行動は、私や少女にとっては随分と既視感のある話だ。
「なぁ、もしかしてなんだけど。今ブルメアの住んでるベルクトが用意してくれた孤児院ってさ。サフィとかいう白い獣人の女が居たりしないか?」
「ええ、ネクリアはよく知ってるね。孤児院ではサフィさんやお婆さんには良くしてもらっているの」
例の孤児院の生活水準は、獣人国内で比較すると良い部類になる。その理由の一つは恐らく、ベルクトが竜王という立場から得た個人的な資産を投げうって、孤児院の運営費用にしているのだろう。
「なるほどなぁ……ベルクトの奴がロリコンな理由がちょっとだけ分かったよ」
「そういえば、様子を見てた限りだと孤児達には結構好かれているみたいだね」
子供好きに悪い人はいない。孤児達に肩車をしているベルクトの様子が思い浮かぶ。
「それとサフィは今どうしてるんだ?」
昨晩の出来事もあるからか、少女は少し気にしていた。それもそのはず、今サフィとばったり顔を合わせるのは不味い。なんせ、下手をすれば殺し合いに発展する程の仲なのだから。
「今朝、孤児の男の子達を連れて薬草を採りに飛び出して行っちゃったの。私も付いて行こうと思って声をかけたんだけど……」
あのお人よしであれば、死にかけの困ってるヒトを見過ごす事は出来ないだろう。
「ま、流石に武器も何もなしの麻服一丁だけで付いてこられてもな……」
「む、少しは私だって戦えるのに。それ言ったらネクリアだって全然戦えないじゃない」
むくれたような表情で、ブルメアは少女に対して戦闘経験に関する僅かな優位性を主張する。
「私はい~の。なんたって私にはゾンヲリが居るんだからなっ」
この清々しい程の人任せである。
「ずるい……」
淫魔の少女と年頃のエルフの娘、二人揃えば姦しくもなるというべきか。そんな他愛もない会話を挟んで孤児院の中にある古びた礼拝堂の中へと足を踏み入れる。
そこには、土の精霊と思わしき偶像の前で、膝を畳んで一心に祈る獣人の少女の姿が見えた。
「お願いします。精霊様。どうか、皆の病気を治してください」
声を掛けるのも躊躇われる程に、獣人の少女の在り様は真剣そのもの。二人は小さな少女の祈りが終えるまでじっと見守り続けていた。
「あ、淫魔のおねーちゃんとエルフのおねーさん。お帰り~」
やがて、こちらに気がついた少女は破顔すると、嬉しそうに尻尾を振りながら駆け寄ってきた。
「ん、久しぶりだな。ストネ。元気にしてたか?」
「うん」
少女が手をゆっくり差し伸べ、ストネの頭を撫でていく。それを受け入れるストネは気持ちよさそうに目を細めていた。そして、以前よりもふわふわになった手触りと温かさが、少女の指を介して伝わってくる。
傍から見れば微笑ましい少女達の触れ合いなのだが、私が己に課した禁則事項をいとも容易く破って行く背徳的で冒涜的な行為だ。小さくて可愛らしい獣人の女の子の頭をいつまでも撫で続けるわけにはいかないと思い至る頃。
少女の慎ましい胸に顔を埋めていたストネが、一歩分の距離を空けたのだ。
「なぁ、ストネ。こっちのエルフのおねーさんから孤児院に病気が流行っているって言うから来たんだけど。詳しい事を教えてもらっていいか?」
「うん、あのね。朝、急に皆が血を吐きだしちゃったの。それで――」
ストネからのたどたどしい説明を受けながら、孤児院の置かれた状況を整理する。
意識を混濁させて血を吐かせる程に凶悪な流行り病の治療の目途は未だに経っておらず、病に対する効能が確認された薬草の蓄えは残り僅か。そして、防疫のために孤児院の奥にある寝室に患者を隔離しているという状態だ。
一言で言ってしまえば、助けるのは絶望的だ。
私であれば、どこか別の小屋にでも病人を一か所にまとめて炎で焼いてしまう事を提案する。そうすれば、これから増える可能性のある死者を減らす事は出来る。
しかし、大魔公であられる少女はこのような結末を望まないだろう。
「なるほどな。大体何が流行ってるのかの検討はついたけど。一応触診もしておこうかな。お婆ちゃんの所まで案内してくれるか? ストネ」
「うん……」
重い足取りで、孤児院の奥にある部屋の元まで進んで行くと、苦しそうに呻く声や咳をする音が聞こえてくる。戦士でなくとも、生物としての生存本能がこの先に進むのを止めるよう警告してくる。
「この先の部屋におばあちゃんが寝てるの。でも病気が伝染るから入るなって……」
「分かった。この先は私一人で行くよ」
「ねぇ、ネクリアは大丈夫なの?」
ブルメアは不安げに少女を見つめていた。
「ふふん。私はこの手の病気には免疫があるからなっ」
「わぁ、すご~い」
少女はいつものように盛大に慎ましい胸を張る。が、そのポーズをすぐに崩してしまう。
「……というかさ。そうでもないと死霊術師なんてやってられないんだけどな……。だから私の事は大丈夫だから」
「うん」
死体などを媒介に伝染する病は死に至らしめる物も少なくはない。腐乱死体と常に生活を共にし続けなければならない死霊術師という生き方は、単に悪臭や悪霊に悩まされるという次元を超えている。
少女の付近には常に死が迫っているのだ。
(ネクリア様……なんとおいたわしい……)
「声が漏れてるぞゾンヲリ」
(申し訳ございません)
少女がネクロマンサーとして生きる事を後悔しないように、私がすべくは少女の望みを叶える事のみ。哀れみなど不要だった。
ブルメアとストネを背にして、病魔の漂う寝室の中へと少女はゆっくりと歩を進める。
「ゲホッゴホッ、誰だい。この部屋には入るなってゲホッ、言っただろうに。あんた、前に来た子だね」
老婆の獣人が血痰で汚れた藁の布団をどかし、ベッドから身体を起こした。口元からは血が垂れている事から、只ならぬ病症であるのは素人目にも確定的に明らかだ。
「大丈夫だ。私は医者だからそのまま楽にしていてくれ」
「……分かったよ」
老婆の獣人が身体を横に寝かせると、少女は手際よく診察を始める。
「随分熱が出ている。何時からだ?」
「昨日の晩から具合が悪くなってねぇ。気にせず寝てたら朝にはこの様だよ――」
少女が特に気にしていたのは、手足に幾つも浮かんでいる赤斑だった。
「この斑点は?」
「今朝からだよ。ちょっとずつ大きくなって数も増えてきてるねぇ」
「そっか。それならまだ助けられるかもっ」
少女は努めて明るく振舞いながら、老婆に明るい未来の存在を教える。しかし、それを聞いても老婆の苦悶に満ちた表情は変わらない。
「つまらない冗談はよしておくれ。あたしはもう自分の身体がダメなのはわかってるんだよ」
「おばちゃん。この丸薬を飲むと楽になるぞ」
少女が懐の小物袋から取り出したのは何かの草を固めて作ったような丸薬だ。そういえば、ビースキンに帰還する途中で少女は時折薬草を摘んで何かを調合していたような気がする。
「何だいこれ。まぁ、物は試しで飲んでみるかねぇ……」
老婆の獣人が口の中で丸薬を噛み潰し、水を含んで喉奥に流し込む。
「おや……痛みが引いて……」
その言葉を最後に老婆の表情は微睡みに沈んで行く。そして、少女は藁のかけ布団を優しく老婆にかけ直したのだ。
(ネクリア様、今の薬は一体?)
「鎮痛睡眠薬だよ。身体が悪くなるのは気分からって言うからさ。せめてもの気休めだよ。かっ勘違いするなよ? コレは元々私が快眠するために作ったのであって、夜に眠れないお前の為に作ったわけじゃないんだからなっ」
意識があるまま苦痛の時間を過ごすより、夢の中で時が過ぎ去るのをじっと待つ方が救いになる。絶望が色濃くなるほど、ヒトは生きる意志を捨てたくなるのだから。
あざとさも忘れない少女の優しい嘘が身に染みる。そんな少女に今贈るに相応しい言葉は。
(分かっております。ですが、こちらの老婆は本当に助かるのでしょうか?)
「うむ、まだ黒死病の発症から一日経ってないから黒死斑が浮かんできてない。だから日没までにブルモルトが手に入れば可能性はある」
(えっと……)
「……細かい所を端折って重要な部分だけを言うとさ、洞窟とかに生息している光るカビをブルモルトって呼ぶんだけど、それが特効薬を調合するのに必要な材料になるんだよ」
黒死病の発症してから生死の境となる線引きや、光るカビが特効薬の原料になる理屈について私が説明を求めた所で時間を無駄にする行為でしかない。
私に出来る事など最初から決まっている。少女の言葉を信じ、少女の求める物を少女の元へと捧げる事だけだ。
設定補足
黒死病、発症から2日~10日で死に至る。赤斑が浮き上がっている段階では、体内の組織が破壊されている最中であり、末期症状になると四肢が完全に壊死して黒くなる。こうなると助からない。
治療には抗生物質の投与が必要になるのだが、その抗生物質の材料である抗菌物質がアオカビが取れる滅菌酵素なのだ。作中ではアオカビではなく、光るカビに変わっているが、細かい事は気にしない。
なお、アオカビが治療薬になる事は普通は誰も発想しないと思うので、作中世界での黒死病の治療方法はネクリアさん十三歳が取る方法とは"別の物"になっている。
ブルモルト
第四話でゾンヲリさんが鍾乳洞の中で見かけた光るキノコを作るカビ。湿気のある洞窟になら割とどこにでも生息している。