第七話:ネクリアさん十三歳は永遠に
少しポジポジするように大幅改稿
汚屋敷中に散乱している肉片や汚染された家具を焼却し続け、腐った肉片を餌に沸いた蛆やゴキブリを潰し、塵一つ残さぬよう掃き掃除し、拭ける所はピカピカになるまで磨き上げる。
そんな二日にも渡る徹夜作業を続けた甲斐あってか、なんという事だろう。汚屋敷は御屋敷へと変わり果ててしまった。
「おお……何だろうな、これ。私、ちょっと感動してきたぞ」
「ネクリア様に喜んで頂けて何よりです」
ピカピカの玄関口を見たネクリア様は、目じりに涙を溜めながらそんな言葉を漏らした。今となってはウキウキ気分で廊下を渡り歩いている程だ。
「ゾンヲリ、お前も大分痛んできたよなぁ」
「ええ、そうですね」
「またヴァイオレット・レイでもかけようか?」
ネクリア様は純粋な善意から滅菌魔法の行使を申し出るが、しかしそれには及ばない。袖を捲れば死斑は浮かび上がっており、体内も臓物から腐り始めているのは痛みから実感している。
「既に私の身体は手遅れだと思います。それより、私に新しい仕事を頂けないでしょうか」
「いや、ゾンヲリは十分働いてるし、今は振るような仕事もないから休んでていいぞ」
「……ありがとうございます」
少女は優しい。私の疲れを労って休息を与えようとしてくれる。しかし、私はそれを素直に喜べないでいた。
「不満そうだな?」
「いえ、私がネクリア様の役に立っていられるのは"今だけ"ですから」
完全に肉体が腐り果てれば、最初の肉体のように屋敷を穢す汚物に逆戻りだ。価値を示す事の出来ないゾンビは鍾乳洞に投棄されるのが定めだ。
「そっか、これ以上腐るとゾンヲリにはもう掃除をやらせられないのかぁ。それは不便だな……」
人は一度覚えてしまった便利さや快楽を忘れる事など叶わない。そして、少女は綺麗な御屋敷に住まう喜びを知ってしまった。もはや肉片や汚物が散乱していた頃の汚屋敷生活に戻る事など出来ないだろう。
それが、私が少女に打ち込んでしまった楔だ。
「私はこれからどうすれば良いでしょうか?」
ネクリア様の為に貢献できる仕事をやり尽くしてしまった以上、今の私に出来る事は鍾乳洞で「うーっうーっ」と言いながらお客様を待つほかにない。結局、ゾンビである以上近日中に滅びる定めからは逃れられないのだ。
「う~ん、その事については執務でもしながらにでも考えるか……」
それで話は終わり、ネクリア様と別れるはずだった。しかし、玄関の扉が開かれた。
「義姉さん。いる~?」
艶やかな声を発した来訪者はネクリア様と同じ種族のサキュバスだった。その女性を一目見た瞬間、既に止まっている心臓が高鳴った気がした。
その女性は妖しげな魅力に満ちていた。まさに男の理想を体現したかの如くの美しさと言ってもいい。魔性というものがあるのだとすれば、目の前の女性のためにある言葉だと言っても過言ではない。淫魔の装束からのぞかせる豊満な谷間、劣情を催す太もも、綺麗に整い過ぎた表情。
どこを見ても非の打ちようがなかった。
「何の用だイルミナ。帰れ」
一方ネクリア様は、目の前の女性に対してあまり良い心象を抱いていないようだ。
「も~、義姉さんったら。そんなに邪険にしないでよ」
イルミナと呼ばれた淫魔はネクリア様を義姉さんと呼んでいる。しかし、ネクリア様のお姿はどう見ても小さな女の子の淫魔であり、イルミナの姿は大人の魅力を醸し出している女性だ。
「まぁいい。要件があるならさっさと済ませろ。いくぞ」
客間に至るまでの間、イルミナから視線をそらせない。
「ふふっ」「ぅぁ……」
途中、私の視線に気がついたのか、口元に指を当てながら笑いかけてくれた。思わず声を漏らしてしまう。
「何だ? 急に笑って」
「何でもない。あ、そういえば、暫く見ない間に屋敷も随分と綺麗になったのね~。そこの子のおかげだったりするのかしら」
イルミナは綺麗になった廊下を見渡すと、こちらに視線を向けた。イルミナと視線が合う度に、胸が苦しくなる。
「ん、ああ。ゾンヲリに屋敷中を掃除させたからな」
「ふ~ん、"今度の子"は結構素直だったりするのかしら」
「あ~もう、一々邪推するな! 追い返すぞ」
客間に付くと、ネクリア様は上座に座り、イルミナは対面のソファーに腰掛けた。同じ高さのソファーに腰掛けていても、ネクリア様だけ床に足が付いていなかった。
「義姉さん。はい、これ。大魔公の招集会議の日程ね」
イルミナは一通の封筒をテーブルに乗せると、ネクリア様の前まで滑らせる。ネクリア様はそれを手に取り、表紙を眺めると、雑にテーブルの上に投げ捨てた。
ネクリア様はそれはもう露骨に嫌そうな顔をして見せたのだ。
「はぁ、嫌だなぁ……行きたくないなぁ。そうだ、イルミナが私の代わりに出席してくれよ」
「もう、義姉さんはいつまでもそんな子供みたいな我儘言ってられないんだから。お義父様の後継ぎとしてしっかりしないと」
「煩いなぁ。分かってるよ」
「大体、義姉さんは未だに独身なんだし、そろそろ結婚だって考えないと……それに今年で三――」
「あああああっ!」
刹那、少女は咆哮する。
真実を知った愚か者に鉄槌を下すべく、生きとし生ける者全てが恐れおののく程にけたたましく、吼えた。
「イルミナお前! 何いきなり私の年齢をゾンヲリにばらしてるわけ?」
「えっと、多分その子も気にしてるかなって思ったから」
イルミナは私に流し目を送った。
どうやら私は知ってはならぬ事を知ってしまったらしい。確かに、イルミナがネクリア様を義姉さんと呼び始めた辺りからずっと頭に引っかかっていた。どう見てもイルミナの方がお姉さんの見た目なのだ。
だがしかし、これは……。
「ふざけるな! もうお前はさっさと帰れ!」
「ネクリア様、大丈夫です」
年頃の少女らしい可愛らしい仕草を見せ、時折見せる大魔公としての立ち振る舞い。そして、"ネーア"としての顔を持ち、下町を一人で逞しく生きる術も知っている。
そう、ネクリア様は『永遠の十三歳』だった。それなら全ての辻褄が合う。
「何が"大丈夫です"だよ。私にとっては大丈夫じゃないんだよ!」
ネクリア様にジト目で睨まれる。どうやら藪に潜む蛟を突いてしまったのかもしれない。
「それにお前な、さっきからそこの雌豚を見ては鼻の先を伸ばして、どういうつもりだ」
「い、いえ。そのようなつもりは……」
イルミナを見惚れていた事はネクリア様にはお見通しだった。咄嗟に取り繕おうとするが、事実であるために言い訳が思いつかない。
「も~、義姉さんったらそんなにその子虐めちゃったらま~た逃げられちゃうわよ?」
クスクスと笑いながら助け船を出してくれるのはイルミナだ。
「うぐ、でもゾンヲリをどうしようが私の勝手だろ。あとお前は人の奴隷に色目使うのやめろ」
「ふ~ん、義姉さんがそういう事言っちゃうんならこの子に聞いてみよっかな?」
「ぅぁ……」
イルミナにじっと瞳の奥を覗きこまれる。それだけで幸福な気分になっていく。
「あ、おい!」
イルミナは立ち上がり、私に向けて手招きをすると、周囲に妖しい香りが立ち込め始める。甘く、痺れるような心地よさに包まれ、思考がぼやけていく。
「ねぇ、こっちにいらっしゃいな」
「……はい」
行かなければ。
「おい、ゾンヲリ、テンプテーションだぞ。気をしっかり保て!」
何かが喚いているが、頭に入ってこない。目の前の女性を求め、ふらふらと前に彷徨い歩く。香りが濃くなるにつれて、幸福感がより鮮明になってくる。
もう、目の前の女の事以外を何も考えられない。
「ふふ、可愛い子」
手を優しく両手でとられた。暖かな温もりに初めて触れ、それだけで全身が怖気で震えた。今までに感じた事のない快楽だった。
「うあっ」
「君の名前を教えて」
言わなければ。
「ゾンビウォーリアー……です。ネクリア様に……名づけ、られました」
「良い子ね。義姉さんって君に辛い仕事押し付けたりしてるでしょ?」
なすがままにしていると、イルミナの白くて細い両の手が背中に回ってくる。布越しに肌が直に触れ合う。甘い吐息がかかる。
「いえ、そのような……あっうぁ……」
脳髄が焼き切れそうな程の快楽の波に揺られ、何も考えられない。
「ふ~ん……ちょっとは抵抗するのね。なら」
イルミナの色っぽい唇が徐々に迫ってくる。それを、拒む事は出来なかった。唇と唇が触れ合った瞬間、全てが真っ白になった。
「んっ……っ!! んん!?!!!!」
急にイルミナに突き飛ばされ、後ろに尻もちをついてしまう。
徐々に頭がすっきりしてきた。周囲を取り巻く雑音の内容が理解できる。それはネクリア様の怒声だった。イルミナと口付けをするまでの間、ずっと叫び続けていたのだ。
「ぐ、一体何が……」
イルミナは先ほどまで見せていた妖艶さの欠片もない表情で口元を抑えていた。その理由は明白だ。
「うぶ、ちょっと。うぶ、何よ、これ。うぐっ」
私の口内は熟成した腐った体液で満たされている上に不衛生だ。そんなモノに口づけをしてしまえば、タダでは済まない。
「ふっくくく、はっはっはっ。ゾンビとキスとは良い趣味しているなイルミナ」
ネクリア様は勝ち誇った表情で高らかに笑っていた。
「えっ? この子、ゾンビなの? うぶっ、ちょっと、水飲み場に行ってくるわ」
「そのまま戻って来なくていいからな~」
イルミナは水飲み場を探してどこかへ消えていく様をネクリア様は手を振って見送っていた。
「さて、ゾンヲリ」
ネクリア様の声は低く、目が座っている。当然の如く、先ほどの痴態はネクリア様に見られているのだから。
「な、なんでしょうか、ネクリア様」
「私からの再三の呼びかけを無視するとはどういうつもりだ」
「……面目ございません」
途中から意識がぼやけていた。イルミナの美貌に惑わされて私は自我を保てなくなっていたのだ。それこそがサキュバスが持つ男を魅了する能力なのかもしれない。だからと言ってそれは言い訳にはなるわけでもない。
「ま、面白いモノも見れたから今回だけは許してやる。だけど、次同じ事やったら魂ごと滅してやるからな」
「肝に銘じておきます」
「まぁ、イルミナの魅了に多少は抵抗してみせた事だけは褒めてやる」
「いえ、私は……」
全く抵抗などしていなかった。ネクリア様に褒められる言われもなかった。次にイルミナから魅了を受けたとしても、抵抗できる自信もなかった。
「どうした?」
「何でもありません」
その後、イルミナは水飲み場から帰って来た。
「ふぅ……酷い目に遭ったわ。義姉さんもその子がゾンビだって事は早めに言ってよ」
「ふん、人のモノに色目を振りまくお前が悪いんだよっ」
ネクリア様はぷりぷりと悪態をついていた。
「それと、君にも悪い事しちゃったわね。突き飛ばしてごめんなさい」
イルミナは私の方に身体を向け、両手を合わせながら謝罪してみせた。
「私の事はお構いなく」
そうして、イルミナは御屋敷から出て行き、客間に残されたネクリア様と私だけが残ったのだ。
「嵐のような方でしたね」
「ああやって一々私にちょっかいかけに来るんだよ。鬱陶しい事この上ないだろ?」
ネクリア様は口ではそう言っているが、少し名残惜しそうにしていた。
「ですが、ネクリア様は本心から嫌ってないように見えます」
「知った風な口を言うな。生意気だぞっ」
ネクリア様は握りこぶしを作り、私の腹部をポコっと軽く叩いてみせる。
「さて、コレをどうするかな……」
ネクリア様はテーブル台の上に置かれた大魔公会議の日程が記された封筒から手紙を取り出して内容を確認すると、憂鬱そうに溜息を漏らしたのだ。
「嫌なのですか?」
「うん……お前も既に知ってるだろうけど。私ってこんなんだから色々馬鹿にされちゃうんだよ」
ネクリア様は胸に手を当て、蝙蝠の翼を垂らしていた。それは自身の無さの表れなのだろうと思われる。
「せめて私で良ければネクリア様のお力になりたいのですが、この身体では……」
腐った身体でネクリア様に付き添った所で、繁華街で"ネーア"の受けた仕打ちを助長するだけにすぎない。私では、ネクリア様の力にはなれない。
「そうだ、ならお前に新しい身体を買ってやる」
「えっ? よろしいのですか?」
「うむ、それに掃除する担当が居なくなると私も困るしな」
「……ありがとうございます」
「うむうむ、それじゃ、早速奴隷市場に行こうか」