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第三十七話:戦士の心得


 兵舎の訓練場は深夜帯では誰にも使われる事がない。しかし、今夜に限っては施錠が外され、室内からは微かに火の光が漏れ出ていた。


 ミイラ化した獣人はそっと扉を押すと、呆気なく訓練場の入口を開いた。ミイラは引きずるような重い足取りで中へと足を進めていくと、その後ろをちょこちょこと淫魔の少女が追従していく。



 訓練部屋の中心では、ベルクトが鏡銀の金棒を無心で素振りしていた。その動作は丹念で素早く、精密であり、それを見ていた淫魔の少女が思わず息を呑む程に鬼気迫る様相であった。


 しかし、ミイラの獣人は気にするような素振りを見せない。


「待たせたようだな。ベルクト殿」


 ミイラの呻きと掠れが混じった声が室内に響くと、ベルクトは素振りを止め、一呼吸おいてから向き直った。


「いえ、おかげで決闘前に高ぶっていた気分を十分に落ち着ける事が出来ました」

 

「そうか、ではこれを借りるぞ」


 ミイラは剣掛けから一本の刃のない銅製ロングソードを手に取る。それは、ミイラが使うにはあまりにも細く、脆く、短い刀身の訓練用の模造剣だった。


 一方でベルクトは素振り用の大金棒を台座に置くと、刃のない儀礼用の剣を右手に掴み取ろうとする。


「ベルクト殿が使用するのは真剣で構わない」


「しかし、それでは」


 ベルクトは実力を侮られた事に不服だった。そして、訓練で真剣を用いて万が一にでもミイラに切り込んでしまう事を危惧していたのだ。

 

「全力で殺す気でかからねば竜王は超えられまい。後で言い訳を述べる気があるならそれでも構わないがな」


 しかし、ミイラ男にとってはベルクトの抱いた危惧こそが驕りに等しい行為だった。


「……分かりました。全力で行きましょう」


 ベルクトは腰に掛けた鏡銀(コバルト)製のロングソードに手をかけ、引き抜く。刃渡りの長い銀色の剣が燭台の灯に照らされて、一瞬だけ黄金色に鈍く光る。


 二人の獣人は円形の境界線の内側へ入り向き合うと、互いにロングソードを中段に構えた。


「ま、どっちも怪我だけはしないように頑張れよ!」


 手頃な場所にスカートを畳んでしゃがみ込んだ淫魔少女の能天気な声援が訓練場内に木霊する。しかし、剣を向け合う二人はそれを気にも留めない。それ程までに、目の前の事柄に集中していたのだ。


「……」


 ベルクトは機会をうかがい、ジリジリと距離を詰める。一方でミイラは力を抜いた姿勢のまま、その場で直立していた。


「ん、ゾンヲリの奴は何をやっているんだ? いつもみたいに前に出ないでぼーっと突っ立ててさ」


 そう呟いた淫魔少女の視点からではミイラ男は隙だらけにしか見えていなかった。しかし、対峙しているベルクトは攻めあぐねている。


「……どうした。来ないのか?」


「っ! 行きます!」


 ベルクトはロングソードの間合いへと俊足で踏み込んだ。瞬きする間も与えず横一文字に切り裂かんとする。


 一瞬の間に三度の剣戟音が鳴る。始めの横一文字が弾かれ、返しの二文字目は受け流され、崩された姿勢のまま苦し紛れに放った三度目の斬撃音だ。


「ガアッ」


 ベルクトの放った甘い一撃は、ミイラ男によって上段から切り落とされていたのだ。


 肩口に響く鈍痛を受けたベルクトは思わず呻き、地べたに跪いてしまっていた。真剣には訓練場の土が付着しており、鏡銀の輝きも今や曇っている。


「……」


 ミイラは無言のままゆっくりと銅剣を振り上げると、首筋を目掛けて斜めに振り降ろした。その速度は淫魔の少女にもしっかりと目で捉えられる程にゆっくりとしていた。


「ッ!」


 ベルクトは顔を上げて後ろに跳び、間一髪という所で躱す。


「ハァ……ハァ……」


 ミイラ男は追撃をせず、試合開始時点に立っていた場所で黙したままベルクトを見据えている。ベルクトは今の打ち合いで実力差の程を一瞬で理解させられたのだ。



「終わりにするか?」



 ミイラ男の言い放った誘惑はベルクトにとって酷く甘美に聞こえるものだった。既に呼吸も乱れており、薄っすらと脳裏にちらつくのは、獣人の英雄である竜王グルーエルに勝てるわけがないという諦めだ。



「ッ! まだです!」



 ベルクトは再び前に出る。剣を幾度も振るう。諸手突き、袈裟切り、十文字切り。フェイントを交えての残像剣、その全てがミイラ男に受け流されるか弾き返されていった。


「うおおおおっ!」


 ベルクトは叫び、天に跳び、全体重を乗せた重撃を振り下ろさんとする。


「グアッ」


 ミイラ男に対する一刀両断の剣筋は、横からの鋭い剣戟で反らされた。誰も居ない地面からは豪快に石礫と土埃を巻き上がり、ベルクトは再び地に膝を着ける。


 そして、最初と同じように無慈悲な斬撃がベルクトの眼前に振り落とされる。


「ッ!」


 ベルクトは再び後ろに跳びさろうとするが、度重なる全力攻撃による疲労が反応を遅らせた。銅剣がベルクトの頬を掠めると、一筋の血液が伝っていく。


「ハァハァ……ハァハァ……どうして……一度も当たらないんだ」


 戦闘開始時のベルクトの勢いはすっかりと殺がれてしまっていた。肩で息を吸う満身創痍の状態で、ミイラ男に目を配る。


 

「その疑念の答えを、私の口から聞きたいのか?」

「……はい」


「先の戦闘で私に一太刀を入れる機会は"二度"もあった。それをベルクト殿自らが不意にしたのだ」


「そのような隙はどこにも無かった……それ程までに私は技も肉体も竜王グルーエルに劣るのですか」


「劣ってはいない。少なくとも肉体に関して言えばな」


「それは嘘です。貴方はグールを一瞬で八つ裂きに出来る程の実力の持ち主だ。それ程の膂力は私に出す事は出来ない」 


「ベルクト殿は一つ思い違いをしている。アレは肉体の限界を超えて身体を酷使しているだけでそう何度も使えるものではない。両手で数える程度でもあれ程の出力を繰り返せば、このミイラの肉体は負荷に耐え切れずすぐに千切れ飛ぶ事になる。基礎的な身体能力に関してだけを言うならば、ミイラと化したこの竜王グルーエルの肉体はベルクト殿に劣るよ」


 人の肉体は必要以上の負荷をかけぬよう、無意識の限界を設けるある種の安全装置(セーフティー)が働いている。時に、人は窮地に瀕すると無意識的に火事場の馬鹿力を発揮する事が出来る。その出力は、何の訓練もしていない婦女が丸太を持ち上げるような事も稀に起こり得る。


 しかし、火事場の馬鹿力はメリットだけではなくデメリットもある。安全装置(セーフティー)を取り外すのだから、無理をすればするほど、その後の肉体に深刻なダメージを与える事になる。


 訓練された歴戦の戦士は、人為的に肉体のリミッターを外す事で常識外れた出力を捻出する事が出来るようになる。それが、ゾンビウォーリアーが今までゾンビの肉体でやっていた事だった。


「それでは、今のゾンヲリ殿は……」

「この肉体を"訓練"で壊すつもりはないのでな」


 いずれは癒える人の身体と違い、欠損したゾンビの肉体は二度と元には戻らない。それは竜王グルーエルという英雄の肉体であっても、消耗品でしか無い事を意味する。


 ゾンビウォーリアーは、竜王の肉体の損耗を極力抑えるように戦っていたのだ。


「ならば私には何が足りないのですか!」

「技でも肉体でもない。戦士としての心だ」


「……?」


「先ほど言ったな。全力で殺す気で来いと。それと、私を殺せる機会は二度もあったと。その時にベルクト殿は私の攻撃から"逃げた"のだよ。それが、あの時から何も変わっていない貴方の弱さだ」


 守りに徹していたゾンビウォーリアーがベルクトに放った反撃は実に甘く、遅い一撃だ。しかし、その死線を掻い潜り、致命の一撃を入れる覚悟がベルクトにはなかったのだ。


 それは、戦士の本分から程遠い所にある"臆病者"の心からくるものだった。


「強者を前にして及び腰で挑めば、万が一もなく死に果てるだけだぞ? 戦士は戦死する覚悟を持って前に出なくてはならない。それがかつての竜王グルーエルにあって、あの場から逃げたお前になかったものだ」


「……ゾンヲリ殿はまるで見て来たかのように言いますね。それに、貴方が先ほどから取っていた構えは、かつてのグルーエル様のものです。私の放った技も初見で完璧に躱しています。何故、獣人の流派をゾンヲリ殿が知っているのですか」


「前に一度見ているからな。ならば守りに徹すれば躱す事も容易い」


 ベルクトの剣技は、かつての師である竜王グルーエルの元で研いできたモノだ。そして、師の元を離れたとしても、ベルクトの中では剣の教えは息づいていた。


「……まさか。ゾンヲリ殿、貴方は……」


 ベルクトの表情は歪み、瞳に恐怖が宿る。それは、心理的な要因からなるトラウマを想起した事によるものだ。


「そうだ、俺こそが、かつての竜王を殺し、鉱山都市の獣人を殺戮し尽した"オウガ"だ」


 訓練場内は静まり返った。


 と思われた矢先、入口の方角からミイラに目掛けて二本の短刀が来襲する。完全な殺意の宿ったその刃を、ミイラは一振りで弾き落としてみせた。


「そういえば、墓地からここに来るまでの間、ずっと背後を付けていたな?」

 戦士が戦死する! 


 グルーエルボディのゾンヲリさんの性能はファイ〇ーエ〇ブレム的に言うとガラスの剣。もしくは銀の剣。使用回数は少ないけど強力なアレです。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] どうのつるぎ・・。某名ゲームでみるけど、多分これ銅じゃないよ・・・打ち合うとか
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