第三十六話:少女の居場所
少女は殊勝な態度で宿屋のおじさんを上目遣いで見つめていた。少女曰く、こうやって可哀想な女の子のフリをしておけば、親切なおじさんなら善意で泊めてくれる。はずだった。
「その……一晩だけ泊めて欲しいんだけど」
「うちはもう満員だよ。他所にあたってくれ」
そう、現実は非情だった。
「ちょっと休憩するだけだから、ちょっとだけでいいから! 休憩したらすぐ出ていくから!」
「うちで花売りは禁止だ。さっさと出ていけ」
などと少女は多少ゴネてみたりするのだが、結局暗闇の広がる外へと追い出され、トボトボと安宿を後にする羽目になる。これは別に一度や二度ではない。手当たり次第に見つけた宿全てが同じ反応を返すのだ。
それもそのはず、現在の城塞都市ビースキンは難民であふれ返っており、安宿を探してもどこもかしこも満員御礼の状態。多少金銭を持つ者であれば、治安の悪い難民キャンプではなく宿に駆け込んで夜を過ごすという判断をするのは珍しい事でもない。
「ううっ……どいつもコイツも真心ってのが欠落してる。このままじゃ私はまた野宿で寂しんぼじゃないか……」
当てもなく彷徨い歩き、移民街へとさしかかる頃には少女はそんな愚痴を漏らしていた。
(……ネクリア様、あの高級宿でしたら泊まれるかもしれませんよ)
「でかした! ゾンヲリ」
少女の羽根がピョコっと跳ねる。そして、魔族国風のモダンな建築様式の宿へと駆け込んでいったのだ。
旅の最中で入手した余った薬草と毛皮を換金して手にしたほぼ全額の45コバルを支払い、獣人国の生活水準で比較すると相当良い部類の宿に泊まる事が出来た。
荷物を部屋に置き、飢えを凌ぐために早々に駆け込んだ食事処は閑散としており、折角の豪勢なテーブルも多くはその役目を果たせぬまま佇んでいる。
「お席はこちらでございます。ネクリア様」
綺麗な毛並の女性獣人のウェイトレスに案内されると、少女は貸し切りのテーブル席に着いた。血や獣の臭いがたっぷりとこびり付いた少女を前にしても嫌な顔一つ見せない辺り、この宿のウェイトレスは中々に訓練されている。
「うむ、苦しゅうない。これは礼だから貰っていけ」
「ありがとうございます」
少女は背伸びして、ウェイトレスになけなしの2コバルを恵んでみせる。少女曰く、これが貴族の醍醐味なのだそうだ。
「ふふん、ほぼ貸し切り同然だなっ」
獣人国で1週間は生活できる程の財産を手放した少女は、誇らしげに決して小さくはない胸を張って見せる。そう、貴族は躊躇ってはならないのだ。
(ええ、今だけはこの場所はネクリア様の為に用意された空間です)
周囲を見渡すと、遠くの席で談笑しているレッサーデーモンの行商と思わしき者達が目に付いた。魔族国西地区は焼かれ、獣人国は貧困に喘ぐこんなご時世で高級宿に泊まるような気概を見せる事ができるのは、世界広しと言えど大魔公であられる少女くらいなのだと思っていただけに、気になった。
「こちらが魔族国産ゴルゴンチーズ入りナムでございます。こちらの香草ソースを付けてお召し上がり下さい」
注文してから鏡銀のトレイに乗せて運ばれてきたのは、小麦を焼いた生地の中に、少女の大好きなゴルゴンチーズを混ぜ込んだピッザのような食べ物と、ビースキン風香草煮込み色をしたソースだった。
「あ、そっちのソースの方は要らないんで」
「……失礼しました」
そして、少女はゴルゴンチーズナムを無我夢中でハムハムし終えると、一息をついて見せた。
「ふぅ……満足満足……久しぶりのゴルゴンチーズは身に染みるよ……」
食事の虜となり、恍惚とした表情を浮かべている少女は行為の余韻に浸っていると、先ほど見かけた離れた席で談笑をしている劣等悪魔の一人が立ち上がり、こちらへと近づいてきたのだ。
「もしや、ネクリア嬢ちゃんじゃないか?」
「ん、ぁ……? ああ、私がネクリアだけど。どうかしたのか?」
「おぉ、生きてたのか。いつもニコニコネクリア嬢ちゃんのお得意様にチーズを届けているゴルゴン牧場のオーナーだよ」
「ああ! お前、ゴルゴン牧場の種付けおじさんかっ。懐かしいなぁ。あの子ゴルゴン達も元気にしているか?」
少女が『種付けおじさん』と親しみを込めて呼ぶその様子は、少女が過去にゴルゴン牧場の見学に行っていた事を示しているのかもしれない。
「その呼び方はちょっとやめないか? ……それよりも」
子ゴルゴンが元気にしているのか? という問いを受け、牧場主のデーモンおじさんは一瞬だけバツの悪そうな表情を浮かべ、すぐにはぐらかした。
家畜は食肉加工されるか、病を患えば投棄されるのが世の常。残酷な真実をあえて語る必要はないのだろう。
「あの人間達の包囲網の中を、ネクリア嬢ちゃんはよく無事だったな」
「色々あったんだよ。色々。おかげで今はこんなナリだけど、なんとかやってるよ。それより、種付けおじさんこそどうしてこんな場所に?」
「ゴルゴンチーズを売るために獣人国に立ち寄ってたんだが、それで偶々被害を免れてたってわけだ。まぁ、獣人国へと逃れて来た他の魔族達の話によれば、俺の経営している牧場もたたじゃ済んじゃいないだろうがな……」
「そっか、でも種付けおじさんだけでも無事でよかったよ」
少女は心から安堵してみせる。
魔族国西地区やその近隣の村々に住んでいる劣等階級の悪魔達の幾つかは難民として獣人国へと逃れて来ている。
「それより、ネクリア嬢ちゃんは今自分が置かれている状況を分かってるのか?」
「ん? 大方、消息不明扱いなんじゃないのか?」
「間違っちゃいねぇんだが、事態はもっと深刻だ。大魔公ベルゼブルの奴が、嬢ちゃんの事を魔族国内に敵を招き入れた裏切り者として告発し、逆賊に仕立て上げちまったんだよ」
「……まぁ、そんな風に罪を被せられるのはベルゼブルの性格から何となく分かってたよ。『メギドフレイム』で西地区ごと焼くって事はつまるところ私に対する粛清も込みって事なんだろうし……。そっか、私の帰る場所、本当に無くなっちゃったんだな……」
少女は努めて他人事のように言ってみせる。
「でさ、種付けおじさんはそれ本当だって思ってるわけ?」
「ははっ嬢ちゃんも中々の粋な冗談を言うな。西地区の連中はネウルガル様を陥れたベルゼブルの戯言なんぞ信用しちゃいねぇよ。まぁ、西地区以外に住むお上品な魔族連中の大半はあの戯言を信じちまうだろうがな。自分達以外の事なんぞ所詮は他人事だからな。真偽なんてどうでもいいのよ」
僅かでも少女の味方は居る。その事実が、少女の瞼から一筋の塩水を垂らさせたのだ。
「……ありがとう」
それから暫くして会食を終え、牧場主の種付けおじさんからお土産のゴルゴンチーズを幾つか受け取ると、少女専用のスウィートルームへと戻った。
「どうしよう。ゾンヲリ」
大魔公らしく気丈に振舞おうとするも、やっぱり少女なのだ。予め覚悟していたとしても、改めて真実を告げられて辛いのも無理もない。
いつもは上向きの蝙蝠の羽根は今となっては下向きになるほどに少女は堪えていた。
(ネクリア様の居場所は私が作ります)
「うん……」
(そのために、一先ずは獣人国に迫る火の粉を片付ける必要があります。人間に支配された土地で魔族が生き抜くのは困難ですから。何よりも宿の宿泊費が上がってしまうのは由々しき事態ですし)
少女が安眠を得るためには、難民キャンプが作り上げられる状況を解消する必要がある。そして、これから獣人国へと攻め込んで来る人間達が対話という方法を取らない以上、出来得る手段はただ一つしかない。
敵の私財、敵の労働力、敵の土地の全てを、戦って奪い取るのみ。それも圧倒的な勝利を以てだ。
「でもさ、いくらお前でも本当にそんな事出来るのか?」
(確かに、竜王の身体を用いたとしても、私一人では限りなく不可能に近いでしょう。ですが、獣人達が戦う意思を見せ、ベルクトの協力さえ得られるのならば、十分に可能です)
もっとも、ベルクトからの協力が得られない場合は、私一人で迫る敵を皆殺しにしてでも少女の居場所を作り上げるしかないのだが。こうならない事を祈る他にない。
「まぁ……私は戦いの事とかあんまりよく分からないけどさ。お前がちょっと無理しすぎないかだけは心配だよ」
(大丈夫ですよ。ネクリア様)
「ん、それじゃあ一風呂浴びたらいくか、決闘に」
そう言えば、少女は鉱山都市に向かって戻るまでの旅の最中に一度も水浴びをしてない。そろそろお風呂に入りたいお年頃である。
(では、私はその辺に生息しているゴキブリかダンゴムシの身体にでも入って待ちましょう)
少女とお風呂を同伴するのは犯罪である。なんとしてでもそのような事態は避けなくてはならない。そのために、私は手段を選ぶつもりはなかった。
「ん? わざわざそんな事しないでもいいぞ。『ソウルスティール』する魔力だって馬鹿にならないし結構疲れるんだからな?」
(え? ネクリア様、いくらなんでも流石にそれは不味いですよ!)
「ふふ~ん?」
少女がニヤニヤし始める。
これまでの傾向から、少女が小悪魔モードに変貌するのは想像に易い。案の定、ゴキブリの身体を得るためだけに少女に散々イビり倒されるハメになったのであった。
冷静に考えるとゾンヲリさんの思考は大分やべー奴なのは御愛好。
以前消滅した家畜のデーモンおじさん改め、種付けのデーモンおじさんを復活させたのであった。
別に卑猥な意味は一切ない。




