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第三十二話:サキュバスは一人寂しくなると死んじゃうらしい


 まだ倒壊していない廃屋の一室に気絶しているブルメアを運び込み、備え付けられた枯草の敷布団にブルメアを寝かせた。すると、少女はブルメアの身体に付着した獣血を濡らした布で丁寧にふき取って行った。


 先ほどまでは狂気に染まっていたとは思えない程にブルメアの寝顔は綺麗な顔をしていた。


「復讐、か」


 一言呟くと、少女は私に向き直る。


「……なぁゾンヲリ、エルフって本来はかなり呑気な部族らしいんだよ。寿命が無駄に長いから、全体的におっとりした性格しているって聞いてるんだ。でも……」


 戦闘後のブルメアの様子を見てしまえば、そうは思えない。


「苦痛や憎しみは、時に人を悪鬼に変える事もありますから」


「そうだな……。そういった悪い感情は魂そのものを汚染するし、波のように共振して次々と広がっていくんだ。『冥い波動』って言うのかな」


「確かに、"恐怖"のような強い感情は戦場では伝播していくのはよく見かけます」


 集団戦闘では、"恐怖"を用いた戦術を用いる事もある。一人が怯えれば、それを見た別の者達も怯え始める。一人は二人に、二人は四人に、四人から隊に、隊から軍へと伝播していき、恐慌と成る。


 そして、恐怖に怯えた者達はとても脆く崩れやすい。


「ゾンヲリ、お前のその物騒なモノの考え方は……嫌いだ。 でも、大体合ってる。特に深淵の連中と関わった者達の大半は強い『冥い波動』に当てられているから正常な判断ができなくなるんだよ。そして、それに関わって狂った連中に関わっても『冥い波動』は伝播していく。分かるか? これの危険性がさ」


 市長及び、市長の背後に居る者達は禁術の類に手を出すのだから、まともではない。


「ええ、地下霊廟の一件で痛感しております」


 深淵の者共や死者と邂逅すれば、それだけで狂気の一端に触れる事になる。私もまた、そういった者達に近しい性質を帯びている。


 ブルメアに近づかれてしまった事自体、大きな失態だった。


「分かってるなら良いんだ」


 ただ、この話を聞いて思い至る事がある。


「私はネクリア様にも"影響"を及ぼしてしまっているのでしょうか?」


「私はお前なんかよりよっほど性質の悪い連中を見慣れてるから平気だよ。だからあんまり気にするな」


 少女は努めて明るく答えを返してくれた。


「ありがとうございます」


「ん」


 ブルメアの眠る廃屋を後にし、私は掃除の続きをするために村の外に向かおうとすると、少女に手を引かれた。


「ネクリア様、どうかなさいましたか? 朝までまだまだ時間があります。もうしばらく休まれた方が……」


「二度寝したらまたあの夢を見そうだから、付いてく」


 いじらしい仕草で、ぎゅっと指を掴んで見上げてくる少女の表情。実に危険すぎる。


「ネクリア様、ですが危険ですよ」


「夜中にサキュバスを一人にするなよ。サキュバスは一人寂しくなると死んじゃうんだからな」


 ああ、駄目だ。こんな幼気な少女を一人にしておけない。


「わ……分かりました」


「ん、分かれば良いんだよ分かれば」


 結局、少女を連れたまま群狼の死体が投棄された村はずれの林まで向かった。


「相変わらず、酷い有様だな……。お前って毎晩一人でこれを掃除しているのか?」


「ええ」


 以前に少女から狩りの不始末を咎められてからは、遭遇して殺した魔獣は時間が許す限り全て埋める事にしている。単純に退屈を紛らわらすためでもあるし、死肉に釣られてやってくる新しい魔獣を減らすためでもある。


「大変だろ? まだ付近に魂も残ってるし、何だったらゾンビ化して墓を掘って自分で入るようにしてやろっか?」


「いえ、大丈夫です。それに今回はこの死体にも用がありますから」


「用って?」


「これから彼女達を獣人国に連れていくにせよ。服装をそのままにしておくわけには行きませんので」


「ああ、そっか」


 元奴隷の獣人やブルメアの服装は、局部を辛うじて隠せる程度の布面積しかない。そんな状態で人前に連れて行った場合、多様なトラブルが起こり得る。婦女が一人で治安の悪い難民キャンプを出歩けば、ロクな事にはならない。


 だから、服になり得る魔獣の皮を剥ぐ必要があった。


 廃村で予め入手しておいた短刀で、丁寧に狼の皮を剥がして行くと、少女は私の作業の様子をじっとみていた。


「ネクリア様、そんなに面白いモノでもないと思いますが……」


「お前って器用で何でも出来るよなって思ってさ。私はそんな手際よくやれないからさ」


 少女は好奇心を隠さない。黒くて長い尻尾をフリフリ振っていたりする。


「……ネクリア様にも皮剥ぎのやり方を教えましょうか?」


「うん。それじゃ一旦私の身体に戻ってくれ」


 【ソウルスティール】によって少女の身体へと還り、身体の制御権を取り戻したので狼の皮剥ぎを再開する。


(こうしてさ、お前に身体を使わせてると色々な発見があるんだよ)


「発見、ですか」


(お前の歩き方って凄くビシっとしてるし、周囲への目の配り方って私と全然違うんだよ。魔獣に出会った時なんか大剣ビュンビュン振り回すし、何か凄いジャンプしたりするし)


 私に残る戦士としての記憶が、無意識にそういった動作に結びついてしまっているのだろう。


(同じ身体なのに、確かにそう動けるはずなのに、どうして私には出来ないんだろうな……)


 時折、少女は休憩中に私が使っている大剣を引っ張り出してブンブン振るおうとしていたりする。その様子がとても愛くるしいのだが、危険なのでやめさせたい。


「ネクリア様も、そのうち出来るようになりますよ。ほらっ。やってみて下さい」


 一匹目の狼の毛皮を完全に剥いだ所まで実践してみせたので、少女に身体の制御権を返した。


「ん、やってみる」


 おずおずと不慣れな調子で狼の死骸を触り始める少女には、導線を引いてあげる必要があった。


(まず、四肢の膝関節の付け根に沿うようにナイフで切り込みを入れてみてください。ゆっくりで大丈夫ですので――)


「……難しいよ。ゾンヲリ」


 少女は真剣な表情で、ゆっくり丁寧にもたつきながら作業を進めていく。結局、毛皮を破ってダメにしてしまったので、蝙蝠の翼を垂らしてしょんぼりしてしまったのだが。


(ネクリア様、何事も始めは上手くいかないモノですよ。何度も続けて行けばそのうち出来るようになります)


「お前、時折私の親父みたいなこと言うのな」


(……そうでしょうか)


 一瞬、言葉に詰まった。私は踏み込んではいけない部分に入り込んではいないだろうかと。


「ん、もうちょっと頑張ってみるよ」


 その後、毛皮を6頭分ほどダメにした少女だが、ついに商品変えられそうな品質の毛皮を剥ぎ取ってみせたのであった。

 少女は太陽のような満面の笑顔と、元気いっぱい胸いっぱいな様子で胸を張っていた。


(流石です。ネクリア様)


「ふふんっ」


 時折、この居心地の良さに溺れてしまいたいと思う事がある。所詮私は単なる死にぞこない。そんな事は許されないはずだというのに。だ。


「どうした? ゾンヲリ」

(いえ、気になさらないでください)


「変なゾンヲリだな。残りは頼むよ。私が全部やるとアイツらの分無くなっちゃうからさ」


(はっお任せ下さい)


 少女から身体の制御権を再び受け取ると、残る狼の死骸と岩蜥蜴の死体から皮を剥ぎ取って行く。その最中、少女は声をかけてくる。


(なぁ、ゾンヲリ)

「どうかしましたか? ネクリア様」


(皮の剥ぎ方を教えてもらったからさ、お前にも何か教えてやる。死霊術なんてどうだ)


「ネクリア様……それは禁忌の術法ではないのですか……」


(悪用したり、深淵の連中に接触しようとする馬鹿じゃなければいいの!)


「そもそも、私は魔法の使い方を知りませんし……」


 私には戦士としての記憶しかない。魔法に対する対処法ならばある程度知っているが、直接魔法自体を活用するのは魔法剣(ソウルイーター)などの魔法属性付与(エンチャント)を施された武器を前提とした戦技くらいだろう。


(実はもう、お前は死霊術を使ってるんだぞ)


「えっ?」


(私とこうして魂で会話している事自体、【霊的接触(ゴーストタッチ)】と呼ばれるれっきとした死霊術なのさ。それがわかれば、他の霊体と会話する事も一応可能なんだ)


「そうだったのですか……」


(うむ)


 空が白む頃には、少女の手伝いもあってか、死体の処理を完全に終える事が出来た。そして、一匹だけ残した状態の良い狼の肉体を拝借し、私達は獣人国の難民キャンプを目指した。

設定補足

 実の所、ネクリアさん十三歳は寝る前には"ネーア"になっていたりする。未だに一人で眠るのは怖いお年頃なのである。



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