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第三十一話:岩蜥蜴がシュッシュと舌先を伸ばす時


 そのトカゲはザラザラとした土気色の鱗皮で覆われていた。


 獲物を狩るために発達した前足の爪、二足歩行での跳躍すらも可能にする程に強靭な後ろ足、刃を弾く硬い頭骨で守られた頭蓋、その太くしなる尻尾で殴打されようものならばスレッジハンマーで叩き割られる程の衝撃を受ける事になる。


 小さな恐竜。そう言っても過言ではない程の威圧感を放つそのトカゲの名は、岩蜥蜴ロックリジーと人々の間では呼ばれ、親しまれていた。


 地を這う岩蜥蜴はつぶらな瞳でブルメアを見据えると、二足歩行で立ち上がり、桃色の舌を口の中からシュッシュと出し入れしている。手頃で弱そうな獲物を見つけ、ご機嫌の様子を隠さない。


 ブルメアは血塗れのゾンビ戦士と地面に突き刺さった鮮血の大剣と岩蜥蜴の間を何度も目配せしていた。


「ま、待って。あんなの、私には無理……」


 強くなりたい。


 エルフの娘は先ほどまではそう叫んでいた。利用され、奪われるだけだった自分を変えたいと願っていた。だが、実際に目の前に暴力が現れてしまえば、風吹けば折れる木の枝のように決意は簡単に揺らいでしまう。


 岩蜥蜴はジリジリとブルメアの元へとにじり寄ると、エルフの娘は後ずさりしていく。血塗れのゾンビ戦士は成り行きを見守ったまま動かない。


「どうした、強くなる方法を知りたかったのではなかったのか? その剣を手に取り、目の前の敵を引き裂いてみせろ」


「言ったけど……でも……」


 岩蜥蜴は決して強い魔獣ではない。駆け出しの戦士であれば死力を尽くして戦えば一人でも殺せる程度には弱い。しかし、戦う覚悟を持たぬ者にとっては暴力の権化、魔獣だった。


 その魔獣を前にしたブルメアは、単なる小娘でしかなかった。


「ならば剣を捨て、私にそのトカゲを押し付けて村まで逃げ帰ればよいだろう。そうすれば命は助かるぞ? 敵と戦う決意すらも満足に持てぬ者に、"復讐"などと到底出来るわけもなし。元より分かりきっている話だ」


 鮮血のゾンビ戦士は冷たく言い放つ。戦えない者や抗う事を放棄した者に取り得る選択肢はただ一つ、逃げて他の者に縋るだけであるのだと。


「……っ! 馬鹿にして!」


 痛烈な煽りを受けてブルメアに僅かな戦意が灯る。勢いに任せて勇み出て、地面に突き刺さった大剣の柄を握りしめた。


 次の瞬間、ブルメアの全身に鳥肌が立った。


「ひっ」

 

 粘性のある液体がブルメアの手を包み込む。嫌悪感からブルメアは思わず大剣を手離してしまい、自身の手を覗いてしまう。


「血……」


 ブルメアの手は、赤黒い汚れで染まっていた。


「シャァー……」


 尚も岩蜥蜴はジリジリとブルメアとの距離を詰めていく。一刻の猶予もない事を理解したブルメアは意を決し、地に突き立つ紅の大剣の柄を握りしめ、力いっぱいに引き抜いた。


 星明りに照らされて淡く光る紅い刀身はボロボロで、とっくに切れ味は落ち切っていた。


「うっ重い……」


 ブルメアは大剣を両手で支えるだけで精一杯だった。単なるエルフの娘でしかないブルメアが振るうには、鏡銀製の両手剣は単純に重すぎた。それに加え、二十五もの狼の命によってもたらされた血の穢れが重みとなり、ブルメアに圧し掛かっていたのだ。


 その隙を岩蜥蜴は見逃さない。


「シャーッ!」


 岩蜥蜴は大口を開けて牙を見せびらかしながら、ブルメアの足首をかみ砕かんと加速する。


「牙を恐れず突き刺してみせろ」


 岩蜥蜴の毒牙が肉に突き立てば、獲物は猛毒に侵され死に至る。それを承知の上でゾンビ戦士は言った。


 硬い岩鱗を切り裂く術も、堅牢な頭骨を砕く技も今のブルメアにはない。非力なブルメアにも成し得る致命の一撃、それは、柔らかな口内に大剣を突き立ててやる他になかった。


「うわああああああ!」


 ブルメアは半狂乱に叫びながら、がむしゃらに大剣を前に突き出した。相手の事など見ておらず、自分に迫りくる脅威も理解をしていない。


 ただ、必死だった。


「ギシャーーー!」


 岩蜥蜴は断末魔を上げ、口内から血と吐瀉物をブルメアにぶちまけると、死に絶えた。ブルメアの白い肌も、翠玉色の美しい髪色も、今は紅に染まる。


「あ……あぇ?」


 ブルメアは数十秒の間放心し続けていたが、やがて意識を取り戻し、自身の行った行動を理解すると、大剣から手を離し、地面にもたれこむ。


「初めて敵を殺した気分はどうだ?」


 ゾンビ戦士はブルメアを見下ろした。


「分からない。もう全部ガムシャラだったもの。でも……馬鹿みたい……こんな簡単な事だったなら、もっと早くからやっておけば良かった」


「……そうか」


 通常の人間の反応であれば、殺した動物の血を顔面に浴びれば悲鳴の一つでも上げる。しかし、ブルメアは恐怖に怯えるでもなく、内に宿る力を知った事に感動していたのだ。


 ゾンビ戦士は静かに歯噛みする。


「どうしたの? 敵を殺してみせたよ? 私って何かおかしかった?」


 きょとんとした表情でブルメアはゾンビ戦士を見上げていた。


「いや、そうだな……続けていけば直に楽しくなってくる」


 ゾンビ戦士は何かを諦めた様子で、ブルメアを見つめている。ブルメアにはその表情の真意などお構いも無しである。


「うん! 次に来る敵だってやっつけちゃうんだからっ」


 ブルメアは立ち上がると、岩蜥蜴に突き刺さっている大剣の柄を握り、引き抜いた。刃から伝って滴る血は零れ落ち、地面に血の水玉模様を描いていった。


「あはっ綺麗……」


 ブルメアは花が咲き誇るかのような満面の笑顔だった。慣れない様子で大剣を両手に構えると、そのまま前に崩れ落ちていく。


「あ、あれ……」


 そして、地面に倒れ込んでしまったブルメアは死体のように動かなくなる。


 〇


「……気絶したのか。世話を焼かせる」


 鉱山都市では奴隷としての生活を強いられ、二日に渡る逃走の旅路は過酷とも言っていい。奴隷獣人達もロクに走れない者達ばかりだ、ブルメアは自身の体力などとっくに限界を迎えているはずだった。


 単なる小娘であれば、敵を前にすれば泣き叫ぶか、恐怖に震えて動けなくなるか、逃走するはずだった。だが、ブルメアは憎悪と狂気だけで身体を動かし、戦闘までこなしてしまった。


「……」


 この場にブルメアを放置しておけば、次にやってくる魔獣から守りつつ戦わねばならなくなる。少女の事ならいざ知らず、単なる解放奴隷一人の為にそこまで神経質に戦う気にはなれない。


 ブルメアを抱え上げ、一先ず村まで運び入れる事にした。


「おっゾンヲリじゃないか! 探したぞ」


 廃村の中心辺りで寝ているはずの少女と出くわしてしまった。少女は小動物のようにピョコピョコと駆け寄ってくる。


「ネ、ネクリア様。どうしてここに……」


「どうしても何も、久しぶりに思い出したくもない最悪な悪夢を見て目が覚めちゃったんだよ。周り探してもお前居ないし、置いてかれたと思ったぞ」


 私が獣狩りに出かける直前、少女は悪夢にうなされていた。


「申し訳ございません。仕事を手短に済ませるはずが、思いの外魔獣の数が多くて遅れてしまいました」


「いや、それよりお前の抱えてるソレ、ブルメアだろ。何やってるんだよ。まさか、お前……」


 じと目で少女に疑われてしまった。理路整然と弁解しなくてはいけない。


「誤解ですネクリア様。確かにこの暖かで柔らかな太ももに触れていると少し良からぬ感情が沸き立つ思いではありますが、誓ってそういった目的でこの娘を運んでるわけではありません」


「いや、単なる冗談に本気になって弁解しようとするな。それに、【ソウルコネクト】使ってるんだから、お前が婦女の肢体に触れて若干欲情していることも、不可抗力で運んでる事もとっくにお見通しだよ」


「……申し訳ございません」


「はぁ……毎度の事ながら、お前って少し目を離せばすぐに新しい女と関わってるよな……」


「面目ございません」


「いいよ。それより早くブルメアをどっかに休ませてやれ」


「はっ」

 岩蜥蜴さんのイメージが沸かない人はおススメのMMOに出てくるリーピングリジーさんそのままを想像してみるといいかもしれない。そうじゃなければコモドオオトカゲくらいのイメージ。尚、大蜥蜴の口内は凄まじい雑菌塗れなので噛みつかれたら毒死するらしい。



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