第二十九話:イサラとハルバ
※イサラちゃん視点です。
カーテンの隙間から差し込んでくる日の光で目が覚めた。
「ん……んん……」
瞼をこすり、身体を覆っているシーツをめくり、ベッドから身体を起こす。
「グゴゴゴゴッゴゴッ!」
これはいつも通り。慣れてしまうと案外この音は気にならない。
隣には大きな口を開けていびきをしているご主人様がいた。今だけは無防備なご主人様の顔をじっくり見下ろす事が出来る。これはご主人様の一番奴隷である私だけの特権だ。
「ハルバ様……んっ」
ご主人様の頬に目覚めのキスをする。
「ガァゴゴゴゴゴッ、ガァゴゴゴッ」
でも起きてはくれないし、激しいいびきは収まる事なんて知らない。シーツを寝ているままのご主人様にそっとかけ直し、奴隷用の衣服に袖を通していく。ご主人様が起きるまでに服を着てしまわないと二回目が始まっちゃうから。
「ん、ふふ~」
ベッドに腰をかけて、寝ているご主人様の頬をツンツンと突いて遊んでみる。ご主人様は敵意を感知すると寝ていてもすぐに起きてしまう。こうやって触れる事が許されるのも私だけ。
「ゴガガガ……んあ……?」
そのうち激しいいびきが止まり、ご主人様の瞼がそっと開かれていく。
「おはようございますっハルバ様」
「ああ、イサラか。起きてたなら起こせよ」
「はわわ……」
ご主人様がむくっと起き上がると、はらりとシーツが落ち、逞しい胸板が目に入ってしまう。……今でもご主人様の裸を見ると少しドキっとしてしまう。
ご主人様はベッドの下に投げ捨ててある下着を着た後、慣れた様子で竜麟製の武具を身に付けていく。
「それじゃ、さっさと飯食ったら奴隷市場に出発だ。今日は記念すべき俺様のハーレムにまた一人仲間が増える日だからなっ」
「はいっ」
正直に言うと、それはちょっと嫌だったりする。でも、私はご主人様の奴隷だからちょっと我慢する。宿屋で軽い食事を済ませると、歓楽都市の外れにある奴隷市場へ向かった。
「相変わらずココは辛気臭え場所だな。あーこっちまで気分が滅入ってくるぁ」
格子付きの馬車から降ろされ、獣人奴隷や人間の奴隷達が鎖に繋がれていく様子を見かけた。獣人は鉱山都市から輸出された者達で、人間は身寄りのない人達なのだとご主人様は言っていた。
「そうですね……」
ご主人様は慣れた様子で裏路地の奥地に踏み込んでいくので、私はその後ろにピッタリと付いていく。ここは一人で歩くには怖い場所だから、出来ればあんまり離れていたくない。
「さて、キープしてたエルフちゃんが居る店はっと……」
ご主人様は私に飽きた時、新しい刺激を求めてたまに一人で夜の店にふらふらと出かける事がある。そこは、以前私が居た所だった。
「……っ」
古い妖しげな娼館、それが目の前にそびえ立った時、思わず身体が震えて動けなくなった。私が売られた時のままの風景と重なって見えてしまったせいだ。
「イサラ、どうした?」
「いえ、なんでも、ない、です」
「ならさっさといくぞ~」
「はい」
娼館の中は桃色で統一された悪趣味な内装に加え、気分が浮ついてくる得体の知れない香が焚かれていた。まだ営業時間外の昼間だというのに、仮面をかぶった金の刺繍入りの服を着ている人間達が出入りしている。
あの人達は怖いし嫌い。目はなるべく合わせたくないのでご主人様の顔だけを見る事にした。だけど、以前のお客様の一人が、近づいてきた。鼻を背けたくなるほどの臭いを身体に纏わせながら。
「おお、これはこれはお久しぶりです。ハルバ殿」
嫌味たっぷりといった風に挨拶を始めてみせる。
「ああ、誰だよおめ~は」
鼻の穴を指でほじりながらご主人様は挨拶を聞いている。お客様はそれを見て、一瞬歯を噛みしめて感情を滲ませた。
「もしやそのエルフ奴隷には飽きられましたかな? でしたらここだけの話、聖白金硬貨5枚でお譲り頂けないでしょうか?」
だけど、再び気持ち悪い愛想笑いを浮かべながら、ご主人様に交渉を切り出して来た。その値段は当時の5倍にもなる金額だった。あの気味の悪い人間にとって、エルフの身請けは"嗜み"だ。
だから、怖い。ご主人様の顔を見る事もできなかった。
「さっさと失せな。後、香水の臭いがキツイ上に加齢臭とウ〇コ臭を隠せてねぇぞ。こちとら鼻がひん曲がりそうなんだわ」
見上げると、ご主人様は鼻をつまみながら私の前に割って入ってくれる。帝国貴族の仮面の奥に覗かせた瞳が、一瞬引きつったように見えた。
「つれない御方ですねぇ。ま、いいでしょう」
以前のお客様はお辞儀を見せた後、背を向けて娼館の出口へ向かっていく。そして、ご主人様に聞こえなくなるくらいに離れた後、一言恨み節を呟いた。
今、ご主人様が追い返した相手は帝国の貴族だ。本来ならば今のご主人様のように暴言を放ったりすればただでは済まされない。でも、ご主人様は自由だから。
「あ~やだやだ。あ~はなりたくないもんだねぇ」
「ううっハルバ様……」
「ああ? イサラ、お前な~に泣きそうな顔してんだよ」
「だって……私を売ったら新しい子を5人は買えるじゃないですか……」
「売るワケねぇだろう。誰がお前をここまで食わせて太らせてやったと思ってんだか、俺様が苦労して調教した一番奴隷を高々聖白金貨5枚如きで買い叩かれちゃたまんねぇよ」
「ハルバ様……」
頭を撫でられて安心したら涙が出てきたので指で拭う。
聖白金硬貨一枚ともなれば、ご主人様であっても稼ぐのに苦労する。冒険者が何十人も集まってようやく倒せるような飛竜を一人で頑張って倒して素材と報酬を独占したり、昨日やった闘技場で行われた殺し合いで優秀したりするくらいに危険な事をやらないといけない。
ご主人様は顔の見えない受付の前まで進んでいった。
「おや、ハルバ様、通常の営業時間はまだ早いですよ。昼間の特別コースになると料金が割り増しになっていまいますが……」
「今回は別件だ。サンカちゃんを身請けに来たぞ」
「そういえば闘技場で優勝なされたのでしたね。おめでとうございます。ですが、残念なお知らせが一つございます」
「ああ、どういう事だよ?」
「丁度先ほど来られた御方が相場の3倍のお値段で、唯一残ったエルフ奴隷のサンカを身請けしたいと申されまして……。値段にして聖白金貨3枚程になります」
ご主人様の今の手持ちは聖白金貨一枚と帝国金貨30枚相当だった。
「はぁ~~!? あのクソ狸、俺に当てつけで身請けしやがったな!」
「それと、帝国金貨の現在相場は下落傾向にあり、60枚で聖白金貨一枚に相当しますので、今のハルバ様の手持ちでは恐らく買い戻すのは無理かと存じます」
あの帝国貴族は以前に私を買おうとしていた。その時、ご主人様は私を買うために有り金を全てかなぐり捨ててしまった。それ以降、帝国貴族に睨まれるようになってしまった。しばらくは無一文でひもじい生活だってしていた。
「ウガーッ! 期限は何時まであるんだ? このままだと俺のサンカちゃんがあの豚男に寝取られてしまうじゃないか」
「一度本国に戻られてからまた来るそうですので、大よそ一月程になる見込みです」
一月、そんな短期間で人里付近にやってくるはぐれワイバーンを2体狩って回るのは不可能だ。仮に運よく遭遇できたとしても、竜族の住まうルドラ地方まで旅をして、素材を換金していられる程の時間も残ってない。
「なら、それまでに聖白金貨4枚相当の金を用意してきてやる」
でも、ご主人様は無理を平然とやってのけようとする。そこが、少しカッコいい。
「ええ、ハルバ様が再びコチラに戻られる事を楽しみにお待ちしております。是非、今後とも当店を御贔屓頂けると――」
「こうしちゃいられん。稼ぎにいくぞ。イサラ」
「はいっ」
ご主人様は受付の言葉を最後まで聞かずに娼館の出口目掛けて走り出してしまった。遅れないように私も駆け足で付いていく。
そして、お金を求めて噂を聞き集め、鉱山都市に向かった。コボルト征伐の傭兵。それが最もお金を稼げる仕事だったから。
という事で、飛竜狩りのハルバさんがゾンヲリさんと邂逅するフラグが立つのであった。
・設定補足
ルドラ地方はリザードマンや竜族の住まう土地であり、知性を失ったはぐれワイバーンが時たま人里に降りてくる事がある。また、ルドラ山脈からは貴重な鉱山資源も手に入るため、冒険者は一攫千金を求めて山を登る事がある。
が、そこはワイバーンや凶悪な魔獣の巣なので大抵の人間は素材を持ち帰る事が出来ない。相当の実力者でもなければ歩く事すらもままならない魔窟である。
希少資源の入手は困難なのである。
次回からはゾンヲリさんに戻るよ!




