第二十五話:自由の代償
市長の頭の皿に乗りながら、少女が捕らえられている地下室までたどり着いた。牢の中に捕らえられた少女と、翠色の髪と長い耳を持つ女性が居た。
「市長、こちらが捕らえたサキュバスです」
熱していない焼きごてを持った半裸の男は、鉄格子の中を指さした。
「ほぉ……これがサキュバスか。これは中々……」
市長は少女の肢体を舐め回すように凝視し、鼻息を荒げている。少女はそれを見て、嫌悪と緊張の表情を隠さない。少女の後ろに隠れた翠髪の女性は、己の身体を抱いて震えていた。
少女は私を視界に捉えたので、ブブブブっと背羽根を広げて帰還の合図をする。すると、少女の表情に余裕が戻った。
「……『ソウルコネクト』」
少女は誰にも聞こえないように小さくそう呟いたのと同時に、私は少女との繋がりを感じた。
「ふん、遅いぞ。私を待たせるとはな」
「ブブッ(遅れて申し訳ございません。ネクリア様)」
急に不敵な笑みを浮かべた少女を見て、市長は苛立ったのか威圧的な目を少女に向けた。
「今回は随分と気が強い女だな。今から自分がどうなるのか知らないわけでもあるまい?」
市長は下卑た嗤いを浮かべ、火鉢にくべられた熱した焼きごてを手に取る。
「そんな事知ってるよ。お前のその貧相で汚い逸物を無理矢理ねじ込まれるハメになったここの人達に同情してた所だし? 流石の私だってお前の腐った精液だけは飲みたくはないしなっ」
プププっと少女は口元に手を当てて笑い、市長を煽り始める。
「家畜の分際でよく吠えおるわ」
市長は眉間に青筋を浮かべ、ギリっと歯噛みしていた。それと対照的に少女は呆れかえったかのように、溜息をついて見せる。
「はぁ……家畜ってお前人の事を何だと思ってるんだよ」
「家畜は家畜よ。なんの存在価値もない貴様ら"亜人"に対し、私は奉仕と労働という存在理由と悦びを与えてやっているのだぞ? 支配者として貴様のような愚鈍な便器の使い道を一つ考えるのに、私が一体どれ程の苦労をし、頭を悩ませ知恵を振り絞ってきたものか……。全く、少しは労ってもらいたいものだな」
奉仕の悦びも満足に知らぬ性根の腐った市長を切り殺してやりたい衝動に駆られるが、今はじっと牢が開け放たれる機会を待つ他にない。敵が侮っている間こそが最大の好機であり、これを態々逃す手もないのだから。
少女は私の意図を感じ取ると、小さく頷いて見せた。
「なるほど……グールパウダーを使う外道らしい言葉だな」
「ほう、どこでその話を聞いたのかね?」
「お前に人生を狂わされた奴らにだよ。何処からそれを手に入れた。帝国か?」
「ふむ、そこまで知ってるなら、便器にして娼館に売り渡すよりも、帝国の魔術人体実験施設にでも送った方が有意義かもしれないな」
市長はニチャリとした笑みを浮かべる。
「人体を素体にする魔術実験だと?……まさかお前ら!」
『精霊魔法』であれば、あえて人体を媒体に魔法実験をする必要はない。肉体を媒介にして行使する魔法、それは少女の使う『死霊術』に準ずる何かだ。『邪術』あるいは『呪術』などの『禁術』に分類される魔法だろう。
加えて、グールという化物との関わりは、深淵の影をちらつかせる。
「幾分愚民を相手に人体実験をすると世間がうるさいからの。貴様らのような"亜人"なら後腐れもないというわけだ」
亜人、即ち、人で無いならば、どのような仕打ちにしても問題はないというわけだ。人間の国で亜人を保護するような法はない。人道などと、それは人間を対象にした道理にすぎないのだから。
もっとも、何処までを"人間"に含めるのかは知った事ではないが。
「丁度ここに新薬のゾンビパウダーもある事だ。コレを貴様で試してみるのも一興かもしれないな」
市長は懐から小瓶を取り出して見せる。中には毒々しい黒の粉末で満たされている。
「ゾンビパウダーだと? それの作り方は秘匿されているはずだ。何故、"人間"のお前らがソレを知っているんだ!」
以前、少女はゾンビパウダーという実用段階に至らない失敗作について話してくれた事がある。強力な催淫と鎮静作用のある薬剤を家畜向けに開発したというものだ。
投与された家畜は闘争本能を失い、薬を求め、命令を受け入れるだけの従順な奴隷と成り果てる。まさしくゾンビのような生物に変えてしまう事から、ゾンビパウダーと命名されている物だ。錬金術と死霊術を知る少女だからこそ作り得たはずの知識が、何故か"人間の国"に流出していた。
「これから便器になる貴様に教えてやる必要もない。この場でたっぷりと慰みモノにした後で薬の効果を確かめてくれる。おい、鍵を開けろ」
「はっ」
しびれを切らした市長は、横の拷問官に鉄格子の扉を開くように指示する。市長は先端が赤く熱された焼きごてを少女に押し付けるのを今か今かと興奮した様子で待ちわびていた。
それを見て、流石の少女も物怖じしていた。
「うっ……大丈夫だよな? ゾンヲリ」
大丈夫。と少女に念を送る。この場に戦い慣れた者はいない。ただ腕力と人数だけでしか有意性を保てぬ相手など、相手にもならない。
「そっか、本当に頼んだからな」
「何をごちゃごちゃ言っている」
「うっ……」
やがて、鉄格子の鍵は開錠され、開かれる。屈強な男達と市長は牢屋の中へと侵入してくる。少女は後ずさる。市長は少女の後ろに隠れた女性に気付くと、興味の対象をそちらに向けた。
「そういえばお前もいたなぁブルメア、ついでだからお前も一緒に楽しませてやろう。今回こそ孕んでしまうかもなぁ!ハーハッハッハッ」
「ひぃ……いや……」
唐突に悪意を向けられたブルメアと呼ばれた女性は、ただ己の身体を抱いて震えていた。勝ち誇った禿頭は大口を開き高笑いしている。
……ならばいいだろう。その減らず口を閉じてやる。
「カサカサッ」
禿頭の上から口の中へと滑り込ませる。
「ゴバッオゲッオオッゲェッ」
「市長!」
この器の役目はもう終わった。全身に絡みつく唾液、歯で砕き割られる感触は初めてだ。だが、実の所それ程痛くはない。闘争と逃走の果てにしか生きる事を許されない蟲には、痛みなど不要だった。
市長の口蓋垂を噛みちぎってやる。薄い粘膜に牙を突き立ててやる。この肉体が完全に滅ぶまでの間、内部からありとあらゆる部位に重苦を味あわせてやろう。それが、少女に暴力を振るおうとした罪の罰と知るがいい。
「!? オゴッオオオオッオゴ!? オオッ!! オオオオオッ!!」
喉の奥を引っ掻き回し、胃に穴を開け、多くの病原体を体内に放ち、私の肉体は滅んだ。死霊魂として、私は地下室の空間を漂う存在となった。
「こい、ゾンヲリ」
少女の呼び声に応え、肉体に入り込むと制御権を受け取った。
「お待たせして申し訳ございません。ネクリア様」
(ま、今回は遅刻しなかったから許してやる」
「ありがとうございます」
体の感触を確かめる。足枷は枷となり得ない。それ程までに少女の肉体は恵まれている。
「ゲェ、ヘェ、クソ、このゴキブリが、何で急に」
半裸の屈強な男達に助け起こされ、市長は起き上がる。
「覚悟は良いか貴様ら」
「はぁ? 何を言って……」
地を蹴り、空中へ跳び、身体を縦に回転させる。使えるモノは全て使え、己の肉体であっても武器となる。
「おおおおおっ」
遠心力で加速した鉄球を半裸の頭蓋に目掛けて振り下ろす。
「ひっ」
破砕された頭蓋からは血の雨と肉片が降り注ぐ。
「ひぃいいいっ」
死人が出てからようやく自らの立場を悟ったのか、市長は脱兎の如く逃げだした。遅れて息を呑む半裸の男。もちろん容赦してやるつもりは毛頭もない。
「死に果てろ」
残った半裸の男の前へと踏み込み、腰を据え、腕を引き、一閃。
鍛えらし少女の拳は鉄のハンマーを砕き、研がれた鋼の刃をも寸断する。
「ゴハッ」
男の体内からハラワタを引き抜ぬいて捨てさる。人間はそれだけで簡単に絶命する。この方法は少々血と汚物を被り過ぎるのが難点だが。
次の獲物の気配を探るが、市長は既に追いつける距離ではなかった。……案外逃げ足だけは早い。類稀な危機管理能力が市長を市長たらしめているのだろう。
「終わりましたよ。ネクリア様」
(……相変わらずお前って凄いよな)
「それ程でもありませんよ。それより申し訳ございません。大事な服を血で汚してしまいました」
少女のドレスはすっかりと血で染められてしまっていた。
(いや、それは洗えばいいよ。もう私だっていい加減慣れたし)
……少女は戦士の戦いを見過ぎていた。今となっては私の作り上げる凄惨な死体を見ても、眉一つ動かす事がない。
それは、あまり良い事ではないのだ。本来は。
「ネクリア……なの?」
牢獄の奥で震えている女性はよろよろと立ち上がり、私に恐る恐ると言った風に声をかける。
「私はゾンヲリだ」
「貴女が……ゾンヲリ?」
ブルメアは私について多少は知っている様子だったが、関わるつもりは毛頭もない。最も優先すべきは少女の安全であり、鉱山都市からの脱出だ。
だから、一言こう返す。
「そうだ。ではな」
私が背を向けて歩き始めると、ブルメアは鉄球を引き摺りながらも後ろについて来ようとする。
(ゾンヲリ、牢で知り合ったんだけどさ、この際だから助けてやろうよ)
「ネクリア様……私は反対ですよ。今はそんな事をしている余裕はありません。それに、この者は足手まといです」
(そこを承知で頼むよ。ゾンヲリ)
少女と念話を続けていると、ブルメアに肩をそっと触れられる……そして、震える手で、縋るようにドレスを指で掴まれる。
実に、困った。
十分過ぎる程にモタモタしすぎた。今、少女の肉体は周囲のあらゆる視線を釘付けにしていた。牢の中に囚われた獣人奴隷は鉄格子を両手でつかみ、血走った目で凝視してくる。
「お願いだ! 助けてくれ」
「もう、ここにいるのは嫌なの!」
「助けて!」
地下の廊下に広がるのは、救いを乞う者共の叫びと混乱だった。少年、少女、女、そして、背後のエルフ。利用価値など、皆無にも等しい。
大人数を連れて歩けば目立つ、少女の身体で身をていして弱者を守るなど言語道断だ。鉱山都市の脱出後を考慮しても、この者達は放っておく事が最善だ。
「助けないと大声で人を呼ぶぞ!」
「お願い……助けて」
"自由"という餌を目の前にぶら下げられた者共は好き勝手に叫ぶ。安穏とそこで支配を受け入れていれば即座に死ぬ事はないというのに。
(……それでもさ、お前なら助けられるんじゃないのか?)
「ネクリア様、後できっと後悔しますよ」
それでも尚も"自由"を望むというのならば、くれてやる。
逃げる意思のある者が捕らえられている牢の鉄格子を、足枷の鉄球で次々と破壊して回る。
「後は好きにしろ」
後は自分の身は自分で勝手に守ればいい。そう思った。
「やった、これで自由だ!」
「やっと帰れるんだ……」
獣人達は牢の中から一斉に溢れ出し、周囲を物色し始める。枷の鍵を探し、武器を探し、出口を探し、雪崩のように外の世界を目指して行った。自由の代償の事など何も知らずに。
(礼も言わずに行っちゃったな……大丈夫かな。あいつら)
「それが彼らの選択ですよ。それ以上の面倒を見る気はありません」
幸い、鏡銀の大剣は物置部屋に置かれていた。恐らく少女から押収したものがそのまま置かれていたのだろう。それを手に取り、自身の足枷の付け根に力を入れて突き刺し、破壊する。
楔から解き放たれた少女を縛る物はもうない。
「ネクリア様、これより脱出します」
「待って……よ」
翠色の長髪を揺らし、絞り出すような声をかけてくるのはブルメアだった。その後ろに並んでいるのは獣人の少女や女、そして、衰弱している少年だ。じっとこちらを見ていた。背を向けて歩きだすと、後を付いて来る。
……これだから、やりにくい。
「何度も言うが、付いて来るなら勝手にしろ。だが、私はお前達を助ける気はない」
エルフの女性や獣人の少年少女達は無言で頷いた。
地下室の外へと出た時に空を見上げれば、赤い星が爛々と夜の鉱山都市を照らしていた。以前に見かけた時よりも、美しい死の色が濃くなっている。
こんな空の時は死の気配が濃くなる。確かな予感があった。
「わたしが市長です」
などと作者は意味不明な供述をしており……。