第二十四話:地下牢のエルフ
日の光が差し込まぬ地下の回廊。そこは、鉱山都市市長の秘蔵のコレクション置き場、地下牢だった。鉄格子の内側には、獣人の少年と少女達があられもない恰好で傷だらけの肌を晒していた。
地上への出口へと繋がる鉄扉が開かれる重々しい音が鳴る。
この扉が開かれる理由と言えば、餌の運び入れか、市長の今晩のお愉しみか、新しい住人が運ばれてくるかのいずれかである。地下牢の住人達は耳を立て、静かに事の起こりを待っていた。
「おい、馬鹿、放せ! 無礼者め、私を誰だと思ってるんだ」
地下牢に響いたのは、威勢のある少女の怒声。屈強な男に首輪の鎖を引っ張られながら、淫魔少女のネクリアはそれでも尚もジタバタと虚しい抵抗を続けていた。
それを聞き、見た地下の住人達は一斉に少女に対する興味を失った。
「今度からはここがお前の新しい家だ。市長には感謝するんだな」
「はぁ? ふざけるなよ!」
「黙れ」
反抗的な態度をとり続ける少女に対し、見張りは首輪の鎖をキリリと引っ張り上げる。少女の小さな身体はいとも容易く空中に浮かんでしまった。
「はぐっく、くるし……やめっ」
宙吊りのまま無様に藻掻く少女を見て、見張りは満足げな表情を浮かべる。そして、少女が苦悶する表情をたっぷりと堪能した後に、雑に地面に下ろしたのだ。
「ふん、懲りたら少しは大人しくするんだな」
「ぐぅ……うぇ……はぁ……はぁ……」
少女は地面に這いつくばって精一杯に息を整えようとする。その間に見張りは鉄格子の扉を開け、牢屋の一室の中でじっとしている娘に対して威圧的な視線を向けた。
「おい、ブルメア、コイツがお前の部屋の新しい住人だ。仲良くしろ」
ブルメアと呼ばれた女性は無言で頷いて翠色の長い長髪を揺らす。ここにいる奴隷達に最初から選択肢などない。支配を受け入れ、服従する他に道はなかった。
ブルメアは新しい同居人を言われた通りに歓迎する姿勢を見せる。
「おら、お前はとっとと入れ」
屈強な男は、少女ネクリアの首根っこを掴んだ上で牢屋の中に無理矢理蹴飛ばした。
「はぐっ。いたぃ……」
少女は地面に顔面から倒れ込み、打ち身した部分を撫でている。その間に男は鉄格子の扉を閉めて鍵をかけた。そして、満面の愉悦を浮かべる。
「へへっお前は市長が味見した後で、俺達もたっぷり可愛がってやるからな」
男は鉄格子に背を向け、地下牢の出口へと続く角を曲がって行った。牢屋の中に取り残された少女は、慌てた様子で起き上がり、鉄格子を掴む。
「あ、おい、開けろ!」
少女は悪態をつきながら叫び続けるが、地下牢の住人達は誰も少女に声をかけようとはしない。ただ、耳を塞いで煩わしそうにしている。
「……」
ブルメアは濁った翠色の瞳で騒ぎ続ける少女をじっと見ていた。そのうち、叫び疲れた少女は、石壁に寄りかかりながら茣蓙に座り、大きく溜息をつき、ブルメアに目を向ける。
少女は、さり気なく親し気に声をかけたのだ。
「私はネクリア、エルフがこんな所に居るだなんて珍しいな」
ブルメアと呼ばれたエルフの娘は無言のままだった。
ブルメアはボロ布で局部を隠したような恰好であり、鎖付きの首輪と鉄球付きの足枷が取り付けられていた。四肢の至る所には赤痣が浮かんでおり、その虐待の跡は痛々しく映る。
「……はぁ、まぁ何となく察するけどさ」
少女は周囲を見渡す、別室には獣人の少年や少女達が生気のない瞳で虚空を見つめていた。それが、ココに捕らえられた者達の運命だった。中には汚濁に塗れたまま放置されている者もいる。
「ま、サキュバスの私にとっちゃエッチな事はどうって事でもないし、嫌いだけど一応そういう"プレイ"もやらない事もないけど……」
常日頃、童貞達を救済してきた少女にとってはSMプレイでさえも日常茶飯事である。故に、少女にとってはまだ悲観するほどの状況ではなかった。
そう、少女は強かった。
「なぁ……ブルメアだっけ? うんとも寸とも言ってくれないと流石に寂しくなるぞ」
「……目立つと看守に酷い目に遭わされるから、静かにして」
少女の執拗な絡みに堪えきれず、ブルメアは反応を返してしまった。
「何だ、喋れるじゃないか」
「……」
再びブルメアは口を噤んでしまった。先ほどの警告こそが、今のブルメアに出来うる精一杯の対話だったのだと、少女は察する。
「あまり長居したくないな……さっさとこの牢獄から出ないとな」
「無理だよ。私達は一生このまま。人間の男達に酷い目に遭わされ続けるの」
ブルメアは着ているボロ布をめくりあげると、下腹部に押された奴隷の烙印を見せる。黒く灼けた紋様が、ブルメアの白く美しい肌に消えない傷を刻みこんでしまっていたのだ。
少女はそれを見て、憤る。
「これは酷いな。ドイツもコイツも悪趣味を拗らせた雄のやる事は同じだよな……やんなるよ」
浅ましい雄が引き起こした情動の跡を見て、少女は呆れた様子で嘆息してみせると、ブルメアは小さく頷いた。
「ネクリアは、平気そうだね」
ここに連れて来られた者達は、自身を取り巻く状況を理解した時、涙を流し、絶望し、時には狂い、時には感情を捨ててしまう。そういった散々たる有様を見届けて来たブルメアにとって、未だ余裕を見せる少女の態度が不思議だったのだ。
「ま、そのうちゾンヲリがきっと助けに来るからな」
少女は鳩に食われそうになったゴキブリの魂の声を『ソウルコネクト』で聞き、居ても立っても居られなくなって鉱山都市に忍び込もうとした。しかしながら、ゴキブリは自らの力で窮地を脱出し、逆に少女は警備に見つかって捕らえられてしまったのであった。
そのような経緯があったにも関わらず、少女は清々しい程に胸を張って答える。あのゴキブリゾンビならばきっと自分を助けに来てくれると。
「ゾンヲリ?」
その少女の自信の在り様を見て、ブルメアの瞳に興味の光が宿った。
「私の味方だよ。危ない時にはいっつも助けてくれるんだぞ」
「どんな人?」
少女は思案し、そして言葉を選び始める。
「う~ん、そうだな~」
少女はゾンヲリを奴隷と表現すると同じ境遇であるエルフを落胆させてしまう事を気にした。次に、ゾンビと表現すると色々と説明がややこしくなる事に気がついた。最後に、ゴキブリと言うわけにもいかなかった。
マイナス要因だらけなゾンヲリという戦士であったが、彼にも長所がある事を少女は思い出したのだ。
「一言で言うと、ロリコンだ。それにムッツリスケベだ」
この瞬間を以て、件のゾンビ戦士の評判は地獄の底に落ちた。一瞬、場の時が止まる程である。小さなサキュバスにとって評価される人間の長所とは、必ずしも称賛されるべき特徴ではなかった。
「そう」
ブルメアはゾンヲリに対する興味を失い、不貞寝を始めていた。
「おい、寝るなって」
「いい、一瞬でも期待した私が馬鹿だったの」
「本当に大丈夫だって」
少女はゆさゆさとブルメアを揺する。
「ねぇ、ネクリアのその根拠のない信頼ってどこから出てくるの? そもそも牢から出れたって街の外に出るまでに見つかるし、外に出れたって魔獣の餌になるのよ」
牢から脱走を考え、実際に行動に移した者は珍しくはない。だが、それに成功した者はいない。装備もなく、足枷をはめられた状態では追っ手から逃げきる事は困難だからだ。
ブルメアもそんな先人達の虚しい努力を見届けて来た者の一人だった。
「確かに、言われてみれば……でもさ、私達は帝国軍の包囲網を相手に逃げ延びて来たんだぞ。このくらいどうって事ないさっ」
少女は自信ありげに明るく言い切って見せた。魔獣が跋扈するような場所で平然と野宿してきた少女にとって、外の世界はそれ程怖いものではなかった。
「帝国……? ネクリアは一体何してきたの?」
「ふふん、聞いて驚いてくれていいんだぞっ。何を隠そう私は――」
それから、少女の自慢話という名の苦労話が暗い地下牢に響いていったのだった。その最中、ブルメアは久しぶりに小さく笑った。
鳩に食われそうになったゾンヲリさんを追って単身鉱山都市に潜入したネクリアさん十三歳なのであった。




