第六話:完 全 降 伏
ぴょこぴょこと蝙蝠の羽根が動きだす。少女のお目覚めの時間がやってきたようだ。
「ん、おはよ。ゾンヲリ」
「おはようございます。ネクリア様」
寝ぼけ眼をこすりながらちょこんと座る少女。通りがかりの獣人も増え、スラム街は騒めいていた。その原因は私の負っている怪我だろう。
多くの視線が私とネクリア様に集まっている状態になっている。
「ヒソヒソ」
野次馬同士で何かを囁き合うものの、行動に移すような真似はしてこない。しかし、見ていて気分の良いものでもない。
「ゾンヲリ、何か嫌な感じだからさっさと移動するぞ。あと、その身体はもう要らないだろうから私の中に戻れ」
「はい」
人目の触れない路地の中で【ソウルスティール】を受け、私は少女の中へと還る。
「んっ」
抜け殻となった腐肉の塊は地面へと崩れ落ちる。獣人の少年だったモノは二度と言葉を発する事もなく、路地裏の闇でひっそりと幕を閉じる事になる。
「よし、じゃあ今日はどうするかなっゾンヲリ」
一つの肉体の終わりを見届けた少女は、陽気そうに未来について聞いてくる。
(一先ず、今日こそは寝床を抑えませんといけませんね)
「うむっ」
少女は一旦思考を巡らせ、答えがでたようだ。
「あのさ、ゾンヲリ」
(何でしょうか?)
「私はもうネーアはやらない事にしたよ」
(どうしてでしょうか?)
「いや、何かもう色々ダメだろうアレ。正直に言うと、お前に置いて行かれた時なんて、本気で幻滅されて見捨てられたのだと思ってたからな……」
……私は少女に捨てられたのではないかと思っていた。離れて分かったのは、私は少女抜きでは生きられないと言う事だけだった。
(いえ、私がネクリア様に対して幻滅するようなことはありえません)
「それは分かってる。でも何より、お前を置いてくにせよ、一緒に行くにせよ。どっちも嫌なんだよ」
(何故私が一緒ではダメなのでしょうか?)
「ゾンヲリ、お前本気でそれ言ってるか?」
少女はそう言うと、おもむろに直接自分の肌を触りだす。途端、快楽の激流が押し寄せてくるのだ。
(はぅ♡、ネク、リア、様、それ、はぁ♡♡)
「お前、この程度でアンアン喘いでどうするんだよ。汚いおっさんに色々アレな事されるんだぞ?」
駄目かもしれない。
正直、正気を保てる自信がない。
しかし、これでは少女の足を引っ張ってしまう。
(……いや、何とか耐えて……)
「おい、ゾンヲリ。淫魔にとって、好きでもない格下のおっさんに無理矢理絶頂させらるのはこの上ない屈辱なんだぞ。お前が私の身体に入ってる時点でそういう行為はもはや論外だ」
少女の口から戦力外通告を受ける。人間、努力だけではどうにもならない事は、ある。
私は、快楽を受けると致命的な致命傷を負ってしまう。痛みは慣れても、温かさには慣れないのだ。
(そう……ですね)
「それに汚いおっさん如きにお前が喘がされるのは正直不愉快だぞ」
そう言って、少女は再び肌にしっとりと触れ、肩口までゆっくりと撫でていく。その手つきは流石淫魔としか言いようのない熟練の技巧。
不味い、これは……
(やぁ……♡ネク、リア、様、やめっ……♡はうっ♡)
「ふふん、ゾンヲリ。お前はそうやって私の前でだけだらしない声をあげてろっ」
少女はしたり顔で悪戯っぽく笑い、肌に触れるのを中断する。……私は少女に完全降伏する他なかったのだ。
(はい……ネクリア様)
「うむ、苦しゅうない。気分が良いから今日一日の間は私の身体を使う事を許可してやる」
(よろしいのですか?)
「ま、ゾンヲリもたまには私の身体で羽根でも伸ばしてみろ」
(ありがとうございます)
少女の身体は大切に使わなければならない。"いつも"のように筋力を限界以上に使わないよう、繊細に、優しく、包み込むような動作を心掛けねば。
指先から踵に至るまで神経を集中し、優雅にゆっくりと、歩くようにする。
(……ゾンヲリ、お前なんか私より女らしい歩き方してないか?)
「えっ? そうでしょうか?」
(まぁいいや。面白いからそのままでいいよ)
「はい」
路地裏からスラム街にかけて優雅に移動する。少女の気品を崩さないように、少女の名誉を傷つけないように、灰色の脳細胞全てを駆使して淑女の振る舞いをするのだ。
しかし、困った事になった。
私が知るのは孤児院に続く道くらいで目的が一切ない。金銭が稼げなければ少女は今日も野宿になってしまう。それだけは避けなくてはいけない。
まずは人に話を聞く所から始めなくてはいけない。
「あの……少しお時間頂いてもよろしいでしょうか?」
筋肉質で爽やかな風貌の獣人の好青年に声をかける。
「何だい。お嬢さん」
上目遣いをしながら、敵意のない笑顔をしてみせる。少女の顔はこんな感じだっただろうか。
「私、お金がなくて困ってるんです。だからすぐにお金になるような仕事を探しているんですが、中々見つからなくって……」
(おいっゾンヲリ。何言ってるんだ! ネーアはやらないって言っただろ!)
流れるように少女のツッコミが入った。
好青年の獣人は私を一度なめるように見渡すと、納得いった風に涙をこぼしてみせた。少女の服は長旅のせいですっかりボロボロである。臭いは……昨日身体を洗ってあるのかあんまりしない。
「……君、今まで大変だっただろう……? 分かった。お兄様って呼んでくれたら一肌脱ごう」
「はいっお兄様っ」
少女の声を思い出し、精一杯に媚びた声で呼んでみる。ちょっと恥ずかしい。
「もう一回呼んでもらっていいかい?」
もう一度御所望とあらば致し方あるまい。今一度食らうがいい。少女の可愛さの前に平伏せ。
「お兄様っ♡」
「はうっ……分かった。付いてきなさい。良い所に連れて行ってあげるから」
「ありがとうっお兄様っ♡」
(なに、これ……)
好青年の獣人と手を繋いで獣人国を歩きだす。途中、見覚えのある顔と一度すれ違った。緊張しているのか、この好青年の獣人は手が汗ばんでいた。気がつく度に、一度手を放して布で汗を拭きとってたりする。結構マメな人なようだ。
そして、好青年に連れられた先にあったのは、高級菓子店だった。獣人国の建物は大体無骨で石造りなのだが、一戸建てで看板があり、ガラスが張ってある店だった。外のテラスに置かれている長椅子やテーブルは魔族国の物と大差ない品質だ。
「いらっしゃいませ~」
店内に入ると獣人娘のウェイトレスによる活気のある挨拶で出迎えられ、テーブル席まで案内された。
席にかけられた洒落たテーブルクロス、花や植木で飾られた内装、エキゾチックな香油の香りが室内広がっていた。
「あの……私、こういう所に入れるだけのお金なんて……」
「良いんだよ。ここにあるものは全部私の奢りだ。好きなだけ頼むといい」
彼はとても良い人なのだろう。やがて、ウェイトレスは細工施されたガラスのコップを2つ持ってくる。中に浸された液体は水ではない。
「ハーブティをお持ちしました」
(なんなんだよ……これは……おかしいだろ。私はこんな所に連れて行ってもらった事一度もないぞ)
少女は心の声を幾度となく呟き続ける。
店内に入り、ボードに書かれた品書きを何気なく眺める。
ゴルフィーユ(ゴルゴン半乳の砂糖菓子)12コバル
キィーフィ(香辛料とハーブ入りアイスクリーム)14コバル
マスマライ(ゴルゴンチーズとハーブミルクのお浸し)9コバル
……他にも色々ある。中には50コバル以上するものもあるようだ。
やがて、獣人の好青年はウェイトレスを手招きする。
「ご注文はいかがでしょうか?」
「まぁ手始めに、ゴルフィーユとキィーフィとマスマライとジャジャムーンをお願いするよ」
それは、少女の一日の稼ぎが全て吹っ飛ぶ金額だった。
「かしこまりました」
ゾンヲリさんが本気を出せばネクリアさんより女子力が高くなる。かもしれない。
ネクリアさん十三歳がキャバ嬢ムーブだとするならゾンヲリさんは清純派ムーブ()
そこに違いがある事にネクリアさん十三歳は知る由もないのだ……
本題に入ると長くなるので一旦ここで区切りに……