第五話:血に飢えた獣
※視点コロコロ変わります。
一食分の労働義務は果たした。私がこの場に留まる理由はなくなったようだ。
「バ、化物ッ!サフィ義姉さんに近寄るなっ」
虚勢を張りながら半裸のサフィの前に割って入り、私に対して嫌悪と敵視を孕んだ睨みを利かせるのは獣人の少年クルタだった。
私の腹部から漏れ出る大量の血は目立つ。隠さなければビースキンへの再入国の際に衛兵に怪しまれる。
私は先ほど肉にした無頼漢から衣類を剥ぎ、患部を隠すように巻いていく。だが、血は滲み、布はすぐに深紅に染まる。黒を基調とした色の布で誤魔化すしかない。
「クルタ、やめなさい」
「サフィ義姉さん。アイツどう見てもおかしいよ。アレだけ血を流して生きてるし、ニンゲン殺して笑ってる」
「いいからやめなさい!」
背に投げかけられた言葉を一つ訂正するならば。私はもう、死んでいる。
尤も、返す言葉もない。こうなるのは端から知れていた。真っ先に殺しにかかって来られないだけ十二分にマシだろう。やはり人の住処にゾンビの居場所はどこにもない。
「1食分、世話になったな」
「あっ……」
黒の森を突っ切る。既に赤い星と黄色い星は真上にまで登っている。思いの外時間をかけすぎたのだ。
〇
血塗れの何かが消えていった森を獣人の少年は睨んでいた。最低限の武具の修繕を終えたサフィは立ち上がる。
「サフィ義姉さん。大丈夫?」
「私は大丈夫、何もされなかったから」
改めてサフィは自身の身体を見渡す。無頼漢に押し倒された事を思い出して身震いし、何事もなかった理由を悟り、己の未熟さを思い知ったのだ。
「義姉さん。アイツ、一体何だったんだろうね」
アイツとはハラワタを周辺にぶちまけていった血に飢えた獣の事だ。ソレは少年とは思えぬ程に残忍で、一切の恩情をも持たぬ程に冷徹に、突如現れては瞬く間の内に無頼漢3人を殺害した。
「分からない」
獣人達が抱いた印象。それは恐怖。
敵と己の血で全身は血濡れ、ぬらりと獲物を見据える血走った眼。殺戮という行為の最中にも薄ら笑うソレは、無頼漢とは異なる種のおぞましい獣だった。
アレに睨まれてしまえば、身を竦める事しかできない。だが、獣が残した最後の言葉はサフィの良心を痛めた。
「さ、サフィねえ、クルタ」
か細い声で名を呼んだのは獣人の少女だった。少女は玄関口の方から二人の元へと駆け寄る。かつて、獣が着ていた上着を羽織りながら。
「メイラ、良かった。無事だったんだな」
「おにーさんが助けてくれたんだ」
「その上着をくれた子が助けてくれたの?」
「うん、窓から外に逃げろって、でも怖かったからそのまま後ろに付いていって静かになるまで隠れてたの。ねぇ、おにーさんはどこ行っちゃったの?」
気まずそうにするサフィとクルタ。
少女は獣の正体を知らない。戦いの様子を知らない。だからこそ、獣に対する嫌悪感を持たなかった。
「私、助けてもらったお礼を言いそびれちゃったの」
少女は至極当然であるかのように言ったのだ。
「そうだね、お礼言いそびれちゃったね……。ねぇクルタ、あの子はあなた達を助けるのを手伝ってくれたの」
「うっ……」
罰の悪そうに目を背ける少年。彼が言った言葉は多かれ少なかれ、獣を傷つけたに違いないなかった。
「とりあえず帰ろっか。明日、改めてお礼言いに行きましょう?」
サフィには彼の行き場に心当たりがあった。彼は戻ると言っていた。それはつまり、あのスラム街に行けばまた会えるという事を意味する。はずだった。
〇
目が覚める。今夜は妙に静かな夜だ。普段はガキ共や売物の泣声やら暑苦しいおっさん共の喚き声がするってのに、驚く程に静かな夜だった。
「んあ、寝すぎたか……」
屋根裏で寝るのは俺の趣味だ。俺は快眠を愛する。
寝る時はな、誰にも邪魔されず、自由で、なんというか救われてなきゃあダメなんだ。一人で、静かで、豊かで……。
だから煩いおっさん共と同じ部屋で眠るのなんて死んでもごめんだね。だが、誰も起こしに来ないのはおかしい。不審に思って天窓を開け、眼下を見下ろす。
「なんなんだよ……これは……」
4人死んでる。まさかと思い、1階の部屋へと降りる。
煩いガキ共ももぬけの空、開いたままの木窓の外にも死体。俺以外の連中が全滅していたのだ。
「一体、何が起こったんだ……」
馬鹿でゴミクズな連中ばかりだが、それでも獣人如きには普通やられない。
獣人共は馬鹿で間抜けで弱い上に腰抜けだ。だから堂々と奴隷狩りなんてアコギな真似をやっていられるわけだが。
「さて……帰ったら"上"にどう言い訳したらいいものかね……」
奴隷狩りもノルマがきつい。こんな風に呆気なく死ぬ事もままある。人外相手には何をしようが治外法権だが、当然守られるべき人権もない。殺しもすりゃあ殺されもする。それが、冒険者って仕事だ。
「まぁいい、寝るか」
死んだ連中とも別に大した縁があるわけでもない。所詮は金だけの関係だ。大黒鴉の餌にしてやるくらいで丁度いい。
〇
少女と別れたスラム街へと戻る。多少血に塗れていた所で衛兵に見咎められる事はなかった。外での刃傷沙汰や面倒事は割とよくあるのだろう。
星も既に傾いており、間もなく夜が明ける。未明の刻。
「結局、私は何がしたかったのだろうな」
所詮は死人の身である事を痛感しただけだった。ゾンビの本性を目の当たりにすれば誰もが掌を返す。
そう、少女を除いて。
「ひぐっ……うっ……うっ……」
嗚咽を漏らす聞き覚えのある声。膝を抱えて座り、蝙蝠の羽根を垂らしている少女(ネクリア様)だった。
「ネクリア様」
「うえ?」
少女は顔をあげる。
涙を拭い、目を凝らしている。
「お前……、ゾンヲリか。今の今までどこほっつき歩いてたんだよ……グスっ」
少女の涙が、私の気まぐれを咎める。私は間違っていたのだ。
少女の為に剣を振るうと誓っておきながら、私は自ら少女を置き去りにしたのだ。目先の温もりに騙されて。自分勝手に。
「申し訳……ございません」
私の血が滲んだ腹に少女は触れた。
「その傷、どうせまた下らない理由で死体作って来たんだろ?」
「はい。取るに足らない下らない理由です。私の万死に値する勝手をどうか、お許しください」
義理や人情など、そこには何の意味もない。空虚なだけだ。ゾンビには過ぎた感情だった。
「いいよ、お前は風除けになれ、それで許してやる」
「はい、ありがとうございます」
これ程勝手な行動をし尽くした私に対し、少女はご褒美を下さる。その優しさが身に染みる。
「それとな、ゾンヲリ。金輪際、私に黙って勝手にどっか行くの禁止」
「はい、もう二度と、私はネクリア様の許可なしに離れる事は致しません」
「ならいい」
……夜風が吹く、少女はずっとこの風に当てられていたのだろう。私の事など放っておいて、宿に泊まるという選択もあったというのに。
「なぁ、ゾンヲリ」
「何でございましょうか。ネクリア様」
「何と戦ってきたんだ。教えてくれよ。ゾンヲリ」
小女性愛者を一人、強姦魔を一人、人さらいを一人、帰りがてらに死肉に釣られた野良狼数匹、大蜥蜴、黒大猫、裂傷や噛み傷は絶えず、左腕は実の所満足に動かせない。
「――そんな所でしょうか」
「相変わらずだよな。というかよく帰って来れたな。お前って毎度死にかけすぎて、いつか私の知らないうちに勝手にくたばったりしないか心配だぞ」
一瞬の油断が命取り。この身体ではどれも楽な戦闘ではなかった。何かを間違えれば私の方が死に果て、屍を晒していた。
「それで? お前を戦闘に連れ出したのは誰だ? どうせ女だろ」
言われて心臓を掴まれたような感覚を覚える。
「そ、それは……」
「まぁ、お前の事だし、どーせたまたま偶然通りすがったお人よしに撫でられていい気になってコロっと堕とされかけたんだろ?」
「面目ございません」
「本当かよ! 少しは否定しろよ!」
「申し訳ございません。ネクリア様」
「はぁ、やっぱり泥棒猫対策に手綱つけとかないとダメかもな……」
それはそれで、中々興奮する。
「着けますか?」
「いらんわっ!」
少女の涙は止まっていた。
普段通りの陽気で呑気な表情の少女。
私は少女のこの顔が一番好きだ。
「ふぁ……安心したら眠くなってきた。寝る。という事で後は頼んだぞ。ゾンヲリ」
「はい、ネクリア様」
少女は前の先約が使っていた茣蓙に横たわり、目を閉じる。よほど眠かったのか、すぐ無防備に寝息を立て始める。
「すーっすーっ」
何でモヒカンFさんの視点入れたのってツッコミがあると思う。
「どこなんだよ……ここは……」
「孤独の睡眠」がやりたかっただけなんだ。他意はない。




