第二話:しゅごく美味しいれしゅ♡
どういった意図で女性は声をかけて来たのか分からない。最も、深く関わるつもりはなかった。
「私の事は放っておいてくれ。死ぬほど疲れている」
「それなら猶更放っておけません。このままでは衰弱して死んじゃいます」
……時既に時間切れというものだ。
私がこの肉体を借りているという事は、既に肉体の持ち主も死んでいるのだから。しかし、獣人の女性はそんな事もお構いなしに寝ている私をゆすり起そうとする。
「何故私に関わろうとする」
「まだ助けられそうな子供の命を救うのに理由がいるんですか」
……今の私は痩せこけた子供獣人の姿をしている。
スラムで子供が餓死する理由、親に捨てられたか、物乞いで糧が得られなかったか、あるいは……まぁどうでもよい事だ。
「既に死んでいるのだから放っておけ」等と言っては余計に話が拗れるのは想像に易い。この女性は恐らく、非常にお人よしなのだろう。
「私は人を待っているのです。ですから貴女の助けは不要だ」
起き上がり、女性の姿を拝む。獣人の女性だ。獣人国に住むの獣人達の姿は犬のような顔と耳をしている。
毛並みの色は個体によって様々だが、女性の服の袖やスカートの下から覗かせる毛並みは雪のように透き通る白色。薄紫色で肩口にまで伸びた長い頭髪、額から伸びた一角。白い動物の毛皮で作られた服は胸のラインを強調しており、女性らしさをより引き立たせていた。
控えめに言って美人と言っても差し支えない。私がそのように感じ取れるのは、獣人の肉体に魂を宿したせいなのかもしれないが。
「なら、どうしてそんな悲しそうな目をしているの」
どうやら私は顔芸が苦手なようだ。
少女に嫌われた事、少女に捨てられた事。私にとって少女とは生の全てだ。だから、悲しいのだ。私の存在、価値全てが否定されたような気分になる。
「待ち人に嫌われてしまったのかもしれないのです」
「なら一緒に行きましょう? 少なくともここより安全な場所を知ってるわ」
「いえ、ここでよいのです。ここで待ってれば帰ってくると言っておりましたので」
「そのまま死体になってから再開しても悲しいだけよ。せめて食事だけでも取りましょう。ね?」
白一角獣人の女性は手を差し出してくる。これ程までの善意と厚意を踏みにじるのは気が引けた。
手を取ってしまいたくなるのだ。縋ってしまいたくなるのだ。この女性が私を救える可能性は万が一もないというのに。
私は無言のまま手を差し出してしまった。
「一緒に、行きましょう?」
温もりが手を包む。私の手は驚く程に冷たい。白一角獣人の女性はそんな事を気にする素振りを見せない。
「はい……」
「私の名前はサフィ。ねぇ、君の名前は?」
名前、今答えられる名前はただ一つ。唯一私に与えられた名前だ。少女によって与えられた名前。
「ゾンヲリ」
「クスッ変な名前ね」
女性に連れられるまま、スラム街を後にする。身長はサフィの方が高い。傍から見れば姉と手を繋ぐ弟に見える。通行人はすれ違う度に一度視線をサフィに向ける。振り返る者もいる。
かつて少女に向けられたオルゴーモンを見るかのような視線とは真逆の感情を孕んだものだ。
「着いたわ」
やがて、街の外れにある少し大きめな建物の前にたどり着く。窓からは食欲をそそる香ばしい臭いと共に煙が立ち上っており、庭には子供の遊び場、砂場や小さな滑り台が置かれていた。
「ここは?」
「私達が住んでる孤児院かな。ちょっとオンボロだけどいい所よ?」
サフィ私の手を引いて孤児院の中に招き入れる。
何かを祭る礼拝堂、複数人が一緒に食事するための部屋があり、そこに置かれている長椅子や長机は傷だらけでボロボロ。何度も舗装された壁や設備は歴史を感じさせる程のものだ。
孤児院の中を進むと、数名の孤児らしき獣人の少年少女とすれ違った。活気はなく、表情にはどこか陰が射している者達。
調理場まで進むと、年老いた獣人の女性が背中を見せていた。
「おばあちゃん。新しい子を連れて来たの」
「なんだいサフィ。また連れて来たんかい」
サフィに対して呆れたような表情を見せる老婆。老婆と目を合わせた際に軽く会釈する。
「でも放っておけなくって。あ、これ。今回の仕事の分」
そう言ってサフィは老婆にCを差し出す。金額にして100コバル。ネーアの仕事に換算して二倍の金額だ。
「悪いね。でもあんたもいい加減に"そんな仕事"さっさとやめて、どこかイイ男でも捕まえて身を固める事だね。それといつまでもこんな所に顔出すんじゃないよ」
そんな仕事とは、何故サフィがスラム街をうろついていたのかを考えれば想像に易い。実入りの良い仕事とは大抵限られている。
サフィの服装は露出の多い白いスカート、半袖、強調された胸元。つまりはそういう事なのだろう。
そして、この女性は孤児院の運営のため、己の幸福を放棄しているのだ。それを老婆は嘆いている。呆れる程にお人よしなのだろう。サフィという女性は。
「もう、お世話になったんだからそんなに邪険にしないでよ」
挨拶を済ませた後、孤児達と一緒に食事の席に座った。老婆は大鍋を長机の中央に置いた。
「さぁ召し上がれ」
鼻孔を刺激する芳ばしい香辛料の香りと湯気が立ち上る。焦げ茶色のドロドロとした液体の中には、煮込まれた根菜や豆が入っていた。
「うわぁ」「頂きまーす」
孤児たちは煮込み汁を皿に盛り、口の中へと運んでいく。私は食べるという行為に強い欲求を覚える事が無い。だから食事の様子をただ見ていた。
「食べないの? それともビースキン風香草煮込みは嫌い?」
ゾンビの肉体の状態で食事する事を無意識に躊躇していた。
腐った舌は味覚を狂わし、口の中から分泌される腐汁は食べ物と混ざり溶けあう。控えめに言って酸っぱいヘドロを口の中に運ぶようなものだ。
下手をすれば盛大に吐瀉物をぶちまけかねない。戦闘の興奮と高揚感に浸りきった状態で喰らうのとはわけが違う。
「いえ、頂きます」
だが、出された食事を食べないわけにもいくまい。意を決し、こげ茶色のドロドロの液体を大さじですくって口の中に流し込む。
第一に感じられたのは灼けるような熱。痛みだ。この感覚は覚えがある。レッドスティンガーだ。液体そのものが持つ熱量に加え、別の性質の熱。辛さが口の中一杯に広がる。
舌が、喉が灼熱で焼かれるかのように燃えるのだ。むせる。
「ごっほっ♡」
思わず変な声をあげてしまった。そのせいか一斉に注目を浴びる事になってしまった。
「大丈夫? おばあちゃんは結構辛めの味付けにするから君にはきつかったかな?」
「だ、大丈夫れすぅ……しゅごく美味しいれしゅ……♡」
舌が上手く回らない。ああ、だがこれは、私でも食べられる食事だ。強烈な香辛料と複雑な味は腐ったヘドロの味をかき消してくれる。腐った味覚を焼き尽くしてくれるのだ。痛みと辛さで。
これなら、いくらでも食べられる。大さじが止まらないのだ。
「ふふ、やっぱりお腹減ってるんじゃない」
ゾンビの肉体での食事でこれ程の幸福感が得られたのは生まれて初めてだ。私は無我夢中でビースキン風香草煮込みを食らった。
やがて、至福の時は終わりを迎え、孤児たちは解散しそれぞれの割り当てた部屋へと帰っていく。長机に置かれた食器の片付ける作業に入った。
「君、口の周りにもいっぱいついてるよ」
「し、しゅつれいを……」
サフィに口周りをお手拭きで拭かれる。正直に言ってしまえば相当に気恥ずかしくなる。身体が子供のせいなのかもしれない。
「ね、ここなら君の居場所になれるかもしれないんじゃないかな?」
サフィの囁き一瞬、胸が高鳴った。ここでの甘い生活を期待した。してしまった。だが、遅い。何もかも遅いのだ。
本来の肉体の持ち主の魂も、私自身も、ここに住む事はできない。死人が生者と混ざって卓を囲む事などあり得ない。数日もすれば綻びの出る生活を続ける事など出来はしない。
「貴女の厚意には大変感謝しています。ですが私の居場所は此処にはありません。戻ります」
ゾンビは人と交わる事はない。疎まれ、切り捨てられ、腐り果てるが定め。魔物に生者の温もりなど不要……だ。
私という存在に価値を与えてくれるのは少女しかいないのだ。
「そっか……」
拒絶され落胆するサフィ。
孤児院での一時も終わりを迎えるのかと思ったその頃。突如、孤児院の入り口のカーテンが勢いよく宙に舞った。駈け込んで来たのは獣人の青年だった。
「大変だサフィ義姉さん! 薬草採りに向かったクルタ達が獣人狩りに掴まったんだ!」
「何ですって! とりあえず状況を教えて」
獣人の青年はしどろもどろな様子で状況を説明しだすのであった。
クルタと呼ばれた者達は孤児院の孤児の中でも働ける者達だ。城塞都市ビースキンより南に薬草の群生地があり、その薬草を売る事で孤児院の運営費の足しにしていた。
だが、孤立する獣人を狙って誘拐し、鉱山労働や性奴隷として売り捌く者達がいる。それが獣人狩りなのだそうだ。
獣人国より南は人間の領域。そして、獣人は魔族との交友がある。逆に言ってしまえば人間とは敵対している。
「どうしようサフィ義姉さん……」
「助けに行かなきゃっ」
呆れる程、サフィという女性はお人よしだった。見る限り、それなりには武器の扱いに関する心得はあるようだが、人を売って身銭を稼ぐ連中と対峙するにはそれだけでは不十分だ。
そういう連中は殺しも平然とやっている。私と同類だ。
「待て」
一食分の恩義程度は返さねばなるまい。幸い、私の最も得意とする分野が役立つ事になるだろう。
ビースキン風香草煮込みって何?→ダル豆カレーです。
いい加減処女出せやオラァンっていう読者の怒りの声が届いてきそうですが、
サフィさんもお仕事の都合上、非処女です。
美人だし優しいのでモテます。しょうがないね
イメージが沸かない人は〇剣〇説L〇Mのシエラが近いかもしれない。