第一話:城塞都市ビースキンへようこそ
茜色が空を染め上げる頃、三方が岩山で囲まれた城塞都市の門前に辿り着いた。
そこは、門がある方面を除けば天然の堅牢な防壁で守られており、石造りの高層建造物は外壁の外からでも仰ぎ見れば圧倒される程に雄大だった。
門からは獣人達が出入りしており、その様子を衛兵達が見守っていた。
「そこのサキュバス。止まれ」
都市を出入りしている獣人達と同様に、少女は何食わぬ顔で都市内へと入り込もうとしたのを衛兵に呼び止められる。
「ちょっと待て、わ、私は怪しい者じゃないぞ」
しどろもどろに応対する少女、私は少女の中から事の成り行きを見守る事しかできない。恐ろしい暗爪獣の身では人と対話するのは不可能だからだ。
「うっ……」
近づいてきた兵士の一人は少女の顔を見るや否や顔を顰め、距離をとる。
次の言葉を吐かなかったのは兵士なりに少女に配慮したのだと思われた。
少女には地下霊廟での戦いや長旅の名残、不死隊の腐液や暗爪獣の獣臭がたっぷりと染みついている。それらが混ざり、溶けあい、混沌とした悪臭を周囲に放っているのだ。
私も少女も、臭いに対する感覚が麻痺しきっていた。
「女性の顔を見るや否やいきなり失礼な奴だな」
「失礼を……うっ……す、すみ……うぐっ……」
嘔吐いている獣人はとても鼻が良いらしく、腐りきった死肉の臭いは耐え難い苦痛をもたらすのかもしれない。
「お前は下がってろ。それにしてもひでぇ臭いだな」
「はっ」
見かねたもう一人の兵士が近寄り、二本の指で鼻先を抑えながら応対を始めた。少女もしかめっ面で応対する。
「何だよ。入国させてくれないのか」
「魔族サマは基本的に出入り自由にはしているんですが、生憎最近は少しばかし物騒になりましてね。一応念のため入国理由をお聞かせ願っても?」
「ま、魔族国からの旅行かな」
獣人の視線は少女の持ち物の方に向いた。
「その背中の大剣は? それと他にお仲間は?」
べっとりと乾いた血のついた大剣は、
少女が持つにはあまりにも不相応で禍々しいものだった。
「えっと、ほら、魔獣に襲われた時に困るから護身用だよ、私一人だ」
「見た所一人で旅が出来るようには全く見えないが、まぁいい、入ってもいいぞ。ようこそ城塞都市ビースキンへ、くれぐれも変な事だけはするなよ」
皮肉交じりに少女を歓迎する衛兵。
「わ、分かってるよ」
衛兵のお墨付きをもらった事で通行が許可される。
後ろを振り向いて衛兵が見えなくなった辺りで少女は悪態をつくのであった。
「ほんっと失礼な奴らだなっ」
(全くですね)
市街を見渡すと、石造りの集合住宅が所狭しと並んでいた。建物の入り口や窓には白いカーテンが張り巡らされており、魔族国にあったガラス張りの窓や扉の代わりなのだろうと思われた。照りつける日光の熱さを風を室内に受け入れる事で涼しくしているのだろうか。
少女は辺りをキョロキョロと見渡しながら街の大通りを進んでいく。道すがらにすれ違う獣人達は皆、少女を見るや否や即座に顔を顰める。だが、少女はソレを気にする事はない。
「う~ん、何処もかしこもガイアントの巣みたいな建物ばっかで代わり映えしないな」
(魔族国と比べると住みにくそうな土地ですね)
「まぁ、仕方ないか。さっさと寝床探さないとな」
しかし、重要な事を忘れている気がする。
(ネクリア様、宿賃の代わりになるモノは持ってましたか?)
「……う~ん、ちょっとだけなら小銭はあるけど。どうしようか。ゾンヲリ」
このまま無一文のままでは少女は野宿を避けられない。ディモールが使えるとも限らない。これまでの経験から頭を働かせて一つの考えに思い至る。
(ネクリア様、正面にある露店を見てください。そこで取引に使われる貨幣について聞いてみましょう)
「わかった」
土産品の果実や野菜を売っている露店、そこには体格の大きな獣人が威勢のいい声を張り上げていた。
「いらっしゃい! どうぞみていってください!」
客呼びをしている中年獣人店員の元まで近寄り、並べられた品々についている値札を見る。その単位はCだった。
「おじさん」
「くさっ。小汚いガキが、近寄ってくるんじゃねぇよ」
店員は身なりを見るや否や嫌悪の視線を少女に向けて来た。凄みを感じさせる店員の怒気を前にし、少女は打ち震えながらポーチから黒い貨幣を取り出して見せた。
「……あのさ、このお金でそのコバルって銀貨と交換してもらえるかな」
「アアン?ディモールなんてうち等じゃ扱っちゃいねぇよ。魔族との取引は基本物々交換だ。物乞いのクソガキはさっさと帰んな!」
「ううっ……そこまで言う事ないじゃないか」
「チッ」
少女は捨てられた子犬のようにしょんぼりした様子で露店を後にし、大通りの道へと戻った。
(この街からは優しさというモノが感じられませんね)
「まぁ、魔族国も似たようなモノだと思うけどさ……」
普段は明るい少女も流石にちょっと堪えている。これ程にまでいわれのない敵意を浴びせられる言われがあるのだろうか。だが、そうなる原因はただ一つ。私のせいだった。
少女が獣人達に嫌われている理由、それは死臭を纏わざるを得ない事だ。魔族国では大魔公という地位があったため、辛うじて少女は保護されてきたのだ。だが、今の少女は地位も家もお金もない。単なる無一文の家無き子なのだ。
(困りましたね……)
この状況、まともな手段で即座にコバルを手に入れる方法が思いつかない。身体に纏わりつく死臭を取り除かない限り、獣人達はまともに取り合ってなどくれない。そうなると手っ取り早く考えられる手段は物乞いか、盗み、強盗、あるいは……。
少女は決心した様子で、大きく息を吐いた。
「ゾンヲリ、アレをやる事にする」
(……ネクリア様、まさか、娼婦をやるつもりですか)
「うむ」
少女は堂々と強く頷いて見せる。
(大丈夫ですか? 見ず知らずの土地では危険です。何が起こるか……)
「大丈夫さゾンヲリ。それに私は淫魔だから食事代だって浮くし、困ったときはやっぱりこれだよなっ」
(ですが……)
「ふふん、ゾンヲリ、お前もしかして、私が他の男に抱かれるのが嫌だったりするか?」
少女はニヤりと小悪魔っぽく笑う。
(えっ? どういうことでしょうか)
魔族国でも少女はピザの入手のために時折ネーアとして活動してきている。その事について今さら何も言う事もないはずだ。だから、少女の意図が掴めなかった。
「えっ? 嫌じゃないのか?」
(ネクリア様がソレを望むのであれば、やぶさかではありませんが……)
以前、ネーアとして崩れ落ちるネクリア様を見かけた時、居た堪れない気持ちに苛まれた。サキュバスとしての致命的なハンデを背負いながらも必死に笑顔を作る様子があまりにも痛々しかったからだ。だから、出来れば少女にはネーアとして傷ついては欲しくない。
しかし、私には少女を救える手段がない事も、事実だった。私は殺す事しか知らない。奪う事でしか糧を得る術を知らない。少女にCを与えてあげる事が出来ないのだ。
「……まぁいい。それじゃさっさと金を巻き上げにいくぞ」
(頑張ってください。ネクリア様)
「うるさい」
些細な応援に対して、少女から返されたのは冷たい声だった。何が原因で機嫌を損ねてしまったのかは分からない。しかし、するべき事は一つだ。
(も、申し訳ございません)
「ふんっ」
少女は暫くの間不機嫌のままだった。街を彷徨い歩くとやがてスラム街へと辿り着いた。そこは一言で言ってしまえば不潔な街並みだ。老朽化した建物には亀裂が入っており、ロクに整備や修繕もされていない。
周辺に居る人々を見渡す。
路地裏には既に倒れ死に果てた少年の獣人。ボロ切れを着た物乞いの少年や少女達は道行く人々に声をかけ続けている。如何わしい恰好で誘惑する獣人の女性。魔族国でも見てきた光景ではあるが、飢えた者達が集う場は大体同じような状態になるのだろう。
そこは生きるために必死な者達が集う場所だった。
少女もその者達と一緒の空間へと混ざった。周囲の雄を選別し、特に異性に飢えていそうなギラついた目をした雄を見つけては駆け寄る。そして、手を取り、抱きかかえ、笑顔を作った。
「ねぇ、そこのパーパ♡私と良い事しない?」
「くさっ近寄るな」
腕を掴んだ少女を振りほどいて足早に立ち去る雄。
ビシッと少女の顔に亀裂が入った瞬間だった。
やはり、こうなるのだ。
「あ、あれ……なんで……」
(ネクリア様……)
少女の瞳からは涙が零れていた。
他種族から淫魔の矜持を踏みにじられる。
それは酷く屈辱的に感じるのだと思う。
少女は目をごしごしと擦り、再び立ち上がる。
精一杯の作り笑顔を浮かべ、次の獲物に目掛けて駆け寄るのだ。
「ねぇ」
声をかけようとした瞬間、獲物は鼻を抑えて立ち去っていった。
肉食獣の狩りとは最初の一撃で全てが決まる。
相手に逃げる間も与えぬまま喉笛に食らいつくのだ。
「ねぇパパ♡お願いがあるの♡」
「何だい嬢ちゃん」
「宿別で一回100コバルでどうかな?」
果実一つで2コバルが相場だ。
「たけぇよ。身の程を弁えろや」
「ああ、待って!」
またしても少女は伸ばした手を振り払われる。
その様子を見ている外野からはクスクスという冷笑が贈られる。
(頑張れ……頑張れ……ネクリア様)
冷笑が少女に届かないよう、とにかく応援をすることにした。気休め程度でしかないが、それでもしないよりはマシだと思ったのだ。だが、少女はもう既に笑顔を作れなくなってしまっていた。ふるふると震え、拳を握りしめていたのだ。
「あああああっうるさいうるさいうるさい! ゾンヲリ、お前まで私の事馬鹿にしてるのか!」
少女は周囲の視線の事など全く気にせず、私を叱り上げてみせた。理不尽な境遇に晒され、八つ当たりできる存在も私しかいない。少女の涙が散っていく様に胸が痛んだ。
(ち、違いますネクリア様、何を)
「もう知らない!ゾンヲリなんかそこのホームレスゾンビにでもなってろ!」
(あ、ネクリア様、まっ……)
少女は私を体内から引きずりだし、そこいらで餓死して果てた少年の獣人に【ネクロマンシー】を実行する。私は小さな身体を得た後、すぐに少女に弁解しようと起き上がる。
「ネク……」
だが、手で制止された。それは拒絶を意味していた。
「ゾンヲリ、お前は私が戻ってくるまでの間、暫くそこで反省してろ。いいな?」
「はい……」
私は少女を怒らせてしまった。
私は、少女に対して何が出来たのだろうか。
応援するのでは駄目だったのだろうか。
「ねぇお兄ちゃん♡私とデートしよっ♡」
「いくらだ」
「ひゃ……45コバルでいいよ♡」
「へへ、ついて来いよ」
「うん♡」
少女は飢えた目つきの獣人の男と腕を組みながら路地裏の奥へと消えていく。
私は少女に嫌われてしまった。
唯一、私の事を、受け入れてくれる少女に嫌われたのだ。
先が暗い。
何を間違えたのか。
身体を動かす気も起きない。
私はもはや、死体も同然だった。
日も沈みかけたその頃、私の気持ちもすっかりと沈み込んでいた。
「そこの君。大丈夫?」
地面に不貞寝する私の肩に手を置き、優しげな女性の声が聞こえた。
嫉妬して欲しいお年頃だったりする。ネクリアさん十三歳なのであった。