第三話:はじめてのゾンビのお仕事
ひんやりしていてジメジメした空気と共に匂い立つのは死と腐肉の臭い。その中では多くの同僚達は口々に「うーっうーっ」と呻き、特に何をするでもなく彷徨い歩いていた。私もその列に並びながら一緒に「うーっうーっ」と呻いてみる。別に誰も反応はしてくれなかった。
同僚達は持ち場に着くと、ゆらゆらと蠢きながらその場に立ち止まってしまった。ここは魔族国西地区から南に行った所にある鍾乳洞窟、ネクリア様から警備を任された場所だ。少女曰く、人間の国と繋がる重要拠点であり、ゾンビ投棄所でもある。
つまるところ、私は棄てられたのだ。
「……ふぅ」
背負っている大剣を地面に突き刺して一息つく。この血錆びた大剣はネクリア様から借り受けた物だ。無骨で長くて切れ味がなく、ただの重い鉄板と形容してもいい程に使い勝手は良くない。だが、不思議と手に馴染むのだ。
改めて洞窟内を見渡すと、光るキノコや小さな光蟲が光源として壁や床に点在していた。最も、今の私には光源をそれ程必要としない。死して変質しているのか、生と死の気配から他者を何となく知覚する事が出来る。
「うーっうーっ」「うーっうーっ」「うーっうーっ」
意思なき同僚達はただひたすらに呻き続ける。
「どうも、新しくここの警備に配属されましたゾンヲリです。今後ともよろしく」
少し寂しくなったので会話を試みてみた。しかし、「うーっうーっ」とゾンビらしい返答しかなかった。何もなければ、私は同僚達と一緒に「うーっうーっ」と呻き続けながらここで一生を終えるのだろうな。
そう、何もなければ。
「……ッ」
洞窟の曲がり角から朱色の光が漏れた。暗い洞窟で火の光を発しながら進むのはお客様以外にはあり得ない。気配を殺し、光の主の視界に入らぬように鍾乳石の影に隠れる。
「オラァッ」
活気ある青年の怒声が響き、前線で蠢いていた同僚の一人がなぎ倒された。
「ほんっとゾンビばかりいやがるなここは!鬱陶しい」
「カイル、早く町に帰って水浴びしたいです」
「くさいー!」
「我慢しろよ二人とも。魔族国へと続く通路を発見さえすれば大金がもらえるんだから」
会話と声の内容から判断すると人間の男一人と女二人、いずれもネクリア様に仇なす存在であると確信する。
「うわっ沢山いやがる! 俺が引き付けるからシィザがまとめて浄化してくれ」
「わかったわ。任せて」
じっと息を潜めて様子を伺う。相手の実力は未知数、少しでも多くの手札を見てから動いた方が良い。
翠玉の長剣を手に持ち、勇み出る革鎧の男が単身で突っ込みながら同僚達をなぎ倒していく。多少荒さは残るが、戦士としての才能を十分に感じさせる程の猛々しさがある。
実力を察するに、今私が一人であの戦士と真正面から討ち合っていては間違いなく敗北する。
「神よ。邪悪なる者達を闇に還し給え【ディスペル】」
遅れて姿を見せたのは神官服の女。それが『奇跡』と呼ばれる魔法の詠唱を終えると、眩い光に同僚達は包まれていく。
「うーっ……」
奇跡の光が失われた時、同僚達は傀儡を操る糸が切れたかのように次々と倒れていった。もはやそこに残っているのは単なる動かぬ躯でしかない。
それは、解呪の呪文【ディスペル】の効果によるもの。アレを受ければゾンビにかけられた【アニメート】は解除され、還る場所を失った霊魂は太陽の光で滅される事になる。つまり、この場において最も危険な存在は神官服の女シィザであることを確信する。
戦いにおいて魔法の使用者を放置するのは愚策。
「おらおら、数が多いだけかお前らは」
戦士が同僚達を集め、神官服がまとめて浄化する。単純だが、思考する術を持たない同僚達相手には呆れる程に有効な戦術だ。もう一人の魔女帽をかぶった女の力は未知数だが、背格好から判断すると魔法使いだと思われた。
「私は見ているだけでよさそうだね~。でもそれだけじゃつまんないし、そろそろお仕事しましょっか」
魔女の掌の上には火の粉が集い始め、それは次第に燃え盛る火球と化していく。
「それ、【ファイアーボール】」
魔女の手から放たれた火球は加速し、同僚の群れの中心へと弾着する。刹那、朱色の炎が勢いよく膨れ上がり、爆裂した。その場所に残っていたのは、黒ずんだ燃え滓と飛び散って焼け焦げた肉片のみ。
それが【ファイアーボール】と呼ばれる魔法だ。直撃するのは愚か、爆発の余波ですらも再起不能となりかねない。放っておけば同僚達は一瞬で焼き払われていく事になるだろう。
「……」
ゆっくりと地に刺した大剣を引き抜き、気配を殺す。見つからないように敵の死角となる壁沿いを歩み進めていく。ボロボロの金属鎧は擦れ、歩けば肉が潰れる音が微かに鳴り響いてしまう。だが、幸い数だけは大量にいる同僚達の「うーっうーっ」という唸り声が、私の立てる音を完全にかき消してくれた。
目の前の戦いに集中し、同僚達の注目を集めてはひたすら薙ぎ倒していく戦士。【ディスペル】の詠唱に夢中で背後の警戒が疎かな神官服。緊張感も無ければ危機感も持たない魔女を眺めながら、勝利するにせよ全滅するにせよ、遠からずこの戦いに決着がつく事を予感する。
今、完全に神官服の背後を取った。血錆びた大剣の剣先を横に寝かせる。
「神よ。邪悪な……あ……? ……へ?」
自身の身体に起こった異変に気がつくのが随分と遅い。結構な事だ。
「どうした。シィザ!」
突き出た鉄塔からは血が滴り落ち、女の腹部から広がる赤い染みが純白の神官服を汚していた。
「えっ……」
神官服の女はようやく貫かれた事に気づいたのか、視線を一度下に落とした。そして、恐怖で引きつった表情でこちらに首を回してみせたのだ。苦痛に歪んだ口元からは血が垂れていた。
痛みとは幸福なモノだ。あるだけで生きている事を実感できる。私の知る快楽を、この女にも与えてやる。より深く、根本にまで届くように力を込めてやる。
「な…ん……で? カハッ」
吐血した女はやがて力尽き、後ろにもたれかかるように体重を預け、手をだらりと下に垂らした。
「あの御方に仇名す者共には死んで頂く」
異変に気付き、振り向いた魔女と目が合った。恐怖に震える美しい女の顔が見える。
「い、いやああああああ!」
「シィザ! くそ! 邪魔だ雑魚どもが!」
同僚達に囲まれて満足に動けない戦士の男、身に降りかかる悪意を前にして錯乱する魔女。当然次の獲物は決まった。目の前の邪魔な女の尻を蹴飛ばし、両手で大剣を引き抜く。無造作に地面に蹴り捨てた神官服の女はうつ伏せのままピクリとも動かない。
剣を構え、魔女を見据える。
「ひっ来ないでぇえええ」
魔女は慌てて掌に火の粉をかき集め始めたが、その判断はあまりにも遅すぎる。
魔法の詠唱から発動までには時間を要する。【ファイアーボール】であれば大よそ15秒から30秒が必要だ。5秒、それだけあれば目の前の魔女を肉塊にするには十分だった。
腐った身体は動きが鈍い上に脆い。だが贅沢は言ってられない。ここは無理をしてでも走る。千切れゆく脚の筋肉繊維が、潰れた足の指先が、戦いと痛みという快楽を俺に教えてくれた。
俺は……戦い方を知っている。何故?
だが、そんな事はどうだっていい。重要な事じゃない。それに何だっていい。目の前の女を刺し貫ける好機だ。
突進の勢いに任せ、魔女の腸に目掛けて大剣を突き刺す。ズブリと、女の柔らかな肉は呆気なく大剣を受け入れてくれた。
「ひぎっ!」
痛みによって魔女は集中を切らした。掌に集い始めた火の粉は零れ落ち、霧散していく。
「あ、ああああああっ!!!! 痛い! 痛いよぉおおお」
魔女は半狂乱になりながら、耳障りな悲鳴をあげる。
「死ね。我らの血肉と成り、糧と成れ」
両手を強く握りしめ、刺してある大剣を横に動かす。
「ひぎゃああああ!」
ブチブチと肉の繊維を裂き、臓物を潰していく手ごたえを感じる。やがて、剣の向きに抵抗を感じなくなった頃、地面にはくの字に折れ曲がった醜い死体だけが残った。
いくら恵まれた生を謳歌していても、こうなってしまえばただの肉だ。
「サラダァアアアア! てめぇ!」
周辺の同僚達を全て薙ぎ倒し終えた代わりに、後衛を守るという責務を怠った戦士の青年は激昂しながら肉薄してくる。装備、身体能力、いずれも目の前の青年の方が優れている。まともに討ち合えば現時点でも俺の敗北は必至。故に、一度きりの賭けをする事にした。
「ヒュッ」
戦士の男はゾンビの弱点である首を刎ねようと、翠玉の長剣を大きく振りかぶる。それに合わせて姿勢を低くし、首を屈める。寸での所で長剣は頭上を通り抜け、掠めた兜は頭から脱げて吹き飛んだ。
そう、ゾンビを一撃で殺すのであれば首討ちは正解だ。
ゾンビにはまともな自我など存在しないので回避行動をとろうとはしない。が、中途半端な攻撃をしようものならば、肉の鎧で攻撃を受け止められてそのまま反撃に転じられる。それを防止するために一撃必殺にかけるのは実に基本に忠実な戦い方だ。だからこそ、それを逆手にとれる。
手に持った大剣を捨て、全体重をかけたタックルを仕掛けて戦士の男を押し倒す。
「うおわっ」
「死に果てろ」
腰から引き抜いた錆びた鎧通しを心臓に突き立てる。
「ガァアアアアアッ!!!!」
戦士の断末魔と共に派手に撒き散らされた鮮血が、まるで勝利を祝福してくれるかのように頭上に降り注いだ。匂い立つ血の臭いに酔いしれながら、勝利の余韻に浸る。
戦いは"いつも"こうだ。大抵の事は思い出せなくても、敵を殺した時に得られる高揚感だけは忘れられない。次第に思考が冴えて来たので辺りを見渡すと、戦場に残っていたのは大量の動かない死体と僅かに動ける同僚達だけだった。
「一度、ネクリア様に報告するために戻らなければ……」
私がネクリア様から受けた命令は鍾乳洞の警備。だが、既に同僚達は残り少なく、次の襲撃が来てしまえば私だけで此処を守りきる事は出来ない。少女の命令に反してでも、この状況を伝えなくてはならない。それは、奴隷として生きるゾンビにあるまじき背信行為だ。
だが、例え謗られたとしても、恩人である少女に害が及ぶ事は避けなければならなかった。
改定したせいでマゾ感が薄れてる。ちょっと寂しい。