第十七話:少女のマゾ犬奴隷を始めました
少女を背に乗せながら大地を蹴り、疾風を切る。時折、少女の食事のために休憩を挟みながら獣人国を目指してきた。
途中、幾つか見慣れぬ魔獣に遭遇するが、全て見送ってきた。昼に魔獣に遭遇したとしても戦闘を行う事はない。何故ならば、魔獣は糧を得るために狩りを行う。そして、獲物を狩るには全力で喰らいつかなくてはならない。全力で走れば筋力はそれだけで悲鳴をあげる。さらに無理をすれば燃え尽きる。
私は四六時中全力で走り続け、身体の筋力を限界まで燃やし続けている。そんな私は魔獣にとって割に合わない得物なのだ。
「ゾンヲリ、見てみろ。ゴリラだぞゴリラ。可愛いな!」
少女はモシャモシャと葉っぱを貪る筋肉の獣を興奮した様子で指さす。
その威容はまさしく獣の王。筋肉のプレートメイルと見まがうが如くぶ厚い大胸筋、丸太を膨らませたかのような剛腕。人を3倍する体躯を持ち、強者の肉体を持ちながらも温厚さが滲み出てくる素朴な表情をしている。だが、一度彼の存在の怒りに触れ、体当たりをされでもすれば並の人間では粉微塵になるのがオチだろう。
そんな魔獣を可愛いと言ってのける少女が一番可愛いのではないだろうか。
「凄い獣ですね」「ウホッ」
私は彼の存在について一言だけ述べる。それ以上に言い表す言葉が思いつかなかった。ゴリラと呼ばれし百獣の王は私の事など全く歯牙にもかけていなかったが、私は軽く一瞥をしてその場を足早に過ぎ去る事にした。
「獣人国が近いのでしょうか。生息している魔獣達の毛色が変わってきましたね」
大黒鳥や猪の類といった魔獣達が度々顔をちらつかせる。ゴリラと呼ばれし偉大なる獣と比べればそれらの危険性は微々たるものだ。
道の脇に生い茂る草花は減り、露出した肌色の土や岩が目立つ。魔族国付近の気候と比べるとやや乾燥しているといった印象だ。
「うむ、ゴリラが居るって事はもうじき獣人国だ。もしかしたらヴァンダも見られるかもな! 楽しみだな~」
少女は無邪気にまだ見ぬ魔獣達の姿に期待を膨らませる。差し詰め、少女にとっては天然の魔獣博物館なのかもしれない。私が走り続ける限りはいかなる魔獣も無害なのだから。
「あんまりはしゃぐと危ないですよ」
私は元々騎乗に適した獣ではない。それに、騎乗用の器具が取り付けられてもいない。少女はガッシリと毛皮にしがみ付いているだけだ。
うっかり落下してしまえば地面に叩きつけられて大怪我をしてしまう。
「ゾンヲリ、お前は最近小言を結構言うよな」
言われて気がついた。最近気が緩んできている。
「差し出がましい真似をしました。申し訳ございません」
「いや、いい。構わないぞ。むしろお前は小言を言うくらいがいい。今度からそうしろ。なっ」
ネクリア様の私に対する距離感が近いような気がする。僅かな違和感が募る。心を許してくれる事は私にとっては嬉しい事だ。
だが、死者に情が移るのはあまりよい傾向とは言えない。死者に対しては冷淡に接するべきなのだ。それは少女が一番よく知っているはず。
だが、そうと分かっていても。温もりは甘い毒のように、徐々に、徐々に、染み渡る。境界を曖昧にしていく。私もソレを拒めずにいる。
「……ネクリア様」
「何だよ。ゾンヲリ」
「私はゾンビです」
「それがどうかしたか?」
「私は本来、ネクリア様と会話する事すら許されない存在です」
それが、私が少女と最初に対話した時に放たれた言葉だ。
「ゾンヲリ、一々前の事を掘り返すなよ。そういう考えはあんまりよくない」
「そうでしょうか」
「そうだよ。お前ももっと人生くらいは楽しめ」
「そう、ですね」
うわべだけの返事を返してしまった。ゾン生の楽しみ方を考えた時、なにも、浮かんで来ないのだ。
人は衣食住を求め、金や異性、時には名誉を求める。ゾンビである私には、どれも過ぎたる物だった。腐った身体は衣食住をも腐らせ、金は使う意味を成さず。少女以外の異性からは拒絶される。名誉など。あったモノではない。
「そ、そうだ、ゾンヲリ。お前生前は何してたんだ」
「分かりません。ただ、人殺しだけは間違いなくしていたでしょうね」
生前の記憶は未だ戻らない。その残滓は度々掘り起こされてはいる。そして、魂に最も色濃く残った記憶とは、殺しの技術。この手に染みついた血の匂いだけは色濃く、鮮明に匂い立ってくるのだ。
人の殺し方、魔族の切り刻み方、魔獣を駆逐する方法。そんな殺戮の記憶だけが今の私を構成していた。
「なぁゾンヲリ。私が思うに、多分お前は人間の英雄の魂なんだと思うぞ」
「英雄、ですか」
「うむ、そう考えると未だに正気を保ってるお前のでたらめな精神力の強さも納得できる。だからそう思っとけばいいさ」
少女は誇らしげな様子で言ってみせる。英雄、それは今となっては皆目見当もつかない前世の候補だった。
「それとな、ゾンヲリ。淫魔にとって英雄を精液奴隷にする事は大変名誉な事なんだからなっ。お前が英雄だったなら私は大金星なんだぞ」
フンスっと興奮した様子で鼻息を荒げる少女。
……なるほど。ならば私は少女の名誉が為に少女の英雄になろう。結局、私は少女から生きる理由と生き甲斐を貰った。血塗れの前世も、少女のおかげで救われたのだ。
「ならば前世に恥じぬよう、精進しましょう」
「うむ、それで良いぞ。ああ、それとゾンヲリ。お前って前世は美形だったりするのかな」
唐突に繰り出される少女の質問の意図が掴めなかった。
「それは、分かりません」
「まぁ英雄なんだ。きっと美形だなっ。イケメンのお兄ちゃん風でも渋いおじ様風でもどっちでもいいぞ」
少女はまだ見ぬ私の幻影に目を輝かせている。私の前世が次々と美化されていく。偉大過ぎた前世を背負うと気が重くなってくるのだ。
「あの、流石に容姿については……」
人は生まれてから選ぶ事の出来ないどうにもならない運命がある。家柄、才能、境遇、そして、その中でも最も残酷な運命とは容姿。
生まれ持った姿だけはどれだけ努力しても変える事はできない。
「何を言ってるんだゾンヲリ。一番重要な所だろ? 正直他はどうでもいいくらいだぞ」
やっぱり少女は淫魔だった。今の少女の価値観からすれば、私という存在は落第点になるのではないだろうか。
「ネクリア様は、私が醜かったら必要ありませんか」
「あっ……いや、やっぱり前世なんて気にしないのが一番だなっ。私はお前が冴えないおじさんだったとしても気にしないぞ。はっはははは……」
少女に対し、少々意地悪な質問をしてしまった。
少女は口では容姿の事を気にするが、少女は誰とでも分け隔てもなく接する聖女のような御方だ。ただ、やはり年頃の少女らしく夢見るものなのだろうな。と思う。
私の前世が少女のお眼鏡に叶う容姿である事を祈ろう。……最も、既に身体は残っていないか腐っているのだけれども。
「ネクリア様」
「な、なんだよ」
「ありがとうございます」
結局私はいつも少女に救われている。だから感謝を述べたかったのだ。
「うむ、苦しゅうないぞ」
そんなやりとりが終える頃、遠くに薄っすらと石作りの城と城下町が見えた。
周囲が切り立った崖で囲まれた天然の要塞。獣人国。そこで少女を待ち構えているモノは何があるのだろうか。
「ゾンヲリ、獣人国が見えて来たぞ! これでようやく夜にぐっすり眠れるな」
少女は野宿でも割とぐっすり寝ているように思うのだが。気のせいだろうか。気のせいなんだろう。きっと。
「はい。ここまで大変な旅路でしたが、ようやくネクリア様が羽を休める事ができますね」
長距離移動に続き、地下霊廟での戦闘の一件、訓練された兵であっても下手をすれば命を落とす旅だ。少女はこのような過酷な環境であっても明るさを失わないでいられる。
それが少女の強さなのだと私は思うのだ。
「獣人国のグルメや特産品も色々と気になるなっ。直接他国に行く事なんて滅多にない事だし」
獣人国の特産品と言えば香辛料。私も一切ない胸が膨らんできそうなほど期待している。ゾンビの身体でも美味しく食べられる食品は貴重だ。
「楽しみですね」
「うむ」
少女はよじよじと私の背中の上を進んでくる。そして、首回りの付近にそっと片手を回してくる。
「あのな、ゾンヲリ。ありがとうな」
いきなりだったのでビクッと身体が跳ねそうになる。一旦足を止めて少女の意図を探る。
「ネクリア様?」
「お前がいなきゃ私はここまで来れなかったからさ。だから一応礼を言っておくだけだからなっ」
少女はよじよじと元のポジションに戻って行った。胸から熱いモノがこみ上げてくるが堪える。
「勿体ないお言葉です」
「まっこれからもガンガンマゾ犬奴隷としてこき使ってやるから覚悟しろよゾンヲリ」
「はい」
マゾ犬奴隷というゾン生は悪くない。ゾンビは誰にも必要とされないのならば、少女に必要とされるマゾ犬奴隷になろう。そうしよう。
次回からはようやく獣人国内に密入国というギャグフェーズに突入する。
設定補足
・五里羅
全長5mにもなる巨大猿人。
そのムキムキマッチョなボディから繰り出される鉄拳は岩を砕く。
圧倒的な広背筋は10tもの重量のデッドリフトを可能にする。
その握力は2t、掴まれてしまえば絶対に助からない。
並の刃ではその圧倒的な大胸筋の鎧に対し傷一つ付ける事すら叶わない。
「ウホッ」という愛嬌のある鳴き声がチャームポイント。比較的温厚なのだ。
圧倒的なサイズなのに草だけモシャモシャ食ってるせいで、
その周辺は枯れ地となってしまう。食糧事情の関係で個体数は少ない。
彼と対峙した場合、ネクリアさんモードのゾンヲリさんであっても苦戦は免れない。
不死隊モードでは一撃でペチャンコにされておしまいである。
ちなみにリアルゴリラは2tのデッドリフトが可能ならしい。
所謂生態系の頂点の存在であり、デスエンカのポジション。