第十話:地下霊廟
帝国特務兵団は大魔公の乗っていた魔獣が残した血痕を追い続け、辿り着いたのが巨大な洞窟霊廟だった。入口のを封印するためのかんぬきは外されており、金属扉は既に開け放たれていた。
「隊長、どうやら大魔公はこの洞窟内に逃げ込んだようですが……」
開かれた大口の中からは、霊気ともいえる得体の知れない淀んだ空気が漏れ出ていた。それにあてられた隊員や馬達は怖気づいていたのだ。
「うっ……寒気が止まらない」
「頭が、痛い」
不調を訴え始める者、身体を抱えてうずくまる者、無意識に後ずさる者、それぞれが地下霊廟の中から発せられる異様な気配を前にし、士気を下げてしまっていたのだ。
周囲を観察し、事態を重く見た上官は偵察に向かおうとする先行偵察部隊を制止する。
「洞窟内部への進入は許可しない。ここから離れた場所でキャンプを張り、今夜中だけ見張るものとする」
「何故ですか? 大魔公を追い詰めるチャンスですよ」
上官に対し、先行偵察部隊の一人が異議を申し立てた。
「お前たちにこれ以上の犠牲が出ても困るのでな。それに、現状の我々は邪霊に対抗できる手段を持たない。唯一対処できるヴァイスも今はいない。大魔公の死骸回収のためだけに死人を出すつもりは毛頭ない」
アンデッドの真に恐ろしさはその不滅性にあった。ゾンビとは単なる肉の器に過ぎず、それの本体である霊体相手には物理的攻撃は通らない。暗所かつ狭い場所で銃器を使用すれば同士討ちの危険性も高まる。
故の上官の判断だった。
「ですが!」
「くどいぞ。この件は見なかったことにしておけ。仮に生きている大魔公を捕まえたとしても、帝国の暗部である我々の功績にはならない。明日の夜明け、当初からの予定通り魔族国周辺の農村を全て焼く」
「……はっ」
食い下がっていた隊員は渋々といった顔で納得して下がった。それを見送った上官は洞窟霊廟へと振り返り、睨んだ。
「かねて死を畏れたが故に、死に魅入られた者、か。下らんな」
「は……?」
隊員のうちの一人は上官の呟きを訝しむ。
「独り言だ」
上官と隊員達は洞窟霊廟に背を向け、元来た道へと戻っていった。
〇
死の臭気渦巻く地下霊廟の中を少女と共に歩み進める。等間隔に立てられた燭台には火が灯っており、石壁や崩れかけの石棺の中を照らしていた。風化寸前の白骨死体が棺の中に安置されているが、今にも動き出しそうに思えた。
「うーっうーっ」
通路の奥からは聞きなれた同胞達の呻き声が聞こえてくる。少女と私は身構え、その先を見据える。
「うっこれは……」
「ネクリア様、お下がり下さい。私が蹴散らします」
薄暗い通路の先から姿を現したのは、半分ミイラと化した獣人や劣等悪魔達の死体だった。ゆっくりと足を引き摺り、前に手を伸ばし、ゆらゆらと近づいてくる。その動きには一切の思考も感じ取る事が出来ない。
「肉と成り果てろ」
すれ違うようにして同僚達の首を大剣で刎ね飛ばし、地に落ちた頭を獣の重量で踏みつぶす。
それで本来ならば終わるはずだった。
だが、挽肉の中から現れたのは赤黒い霧の塊、邪霊だった。気配ではなく視界ではっきりと捉える事が出来る程に存在強度の高まった霊魂がそれだ。
「ニエェ……ニエェ……」
聞こえるはずのない死者の産声を発しながら、それは次なる肉の器を探し求めて漂い始め、生の気配を感じ取るや否や少女に襲い掛かろうとする。
「ネクリア様!」
「あるべき場所に還れ。魂砕【ソウルクラッシュ】」
「ニェ――」
少女は襲い掛かってきた邪霊を掴みとって握りつぶした。青白く光る小さな手の平が再び開かれた時、そこにはもう何もいなかった。
「この程度なら私は平気だ。ゾンヲリ、お前はゾンビ共の処理を頼む」
「はっ」
私がゾンビ共を肉塊に変え、少女が邪霊を滅する。その一連の作業を十数と繰り返し続け、ようやく付近のアンデッドの気配は沈黙した。周囲の安全確認を終えた後、少女は大きくため息を吐いてみせる。
「はぁ、滅しても滅してもキリがないな……」
少女は額に浮かんだ汗を拭い、愚痴を漏らす。蝙蝠の翼も垂れており、既に疲労も見えていた。
「大丈夫ですか、ネクリア様」
「ゾンヲリは心配性だな。私ならまだ、大丈夫だ。それより先を急ぐぞ」
少女はそう言って私の隣に駆け足で並んだ。少女と共に暗い地下霊廟の廊下を進み、視線を壁に向ければ、燭台の明りで照らされて壁画が浮かび上がっていた。そこには象形文字と種族を模した絵刻まれていたのだ。
「ここは、一体何なのでしょうか」
「私達魔族がこの地に降り立った頃から存在している古代遺跡の一つだな。見た所、人間の王や神を祀る墓なんだろうけどさ……」
壁際に安置されている崩れかけた棺には"人間"の白骨死体が治められている。つまり、人間によって作り出された遺跡なのだ。人の歴史は魔族よりも古いのだろう。
「ですが、この絵は、魔族の事ですよね」
壁画には人と蛇と悪魔が互いに武器や牙を向け合っている絵が描かれていた。倒れた者達からは魂が浮かび上がり、上部に描かれている赤い星に吸い込まれているように見えた。
それは、人魔の戦いの兆しを描いたものなのだろうか。
「うむ、確かにこれはリザードマンと我々魔族と人間の戦いを模した絵だな」
"リザードマン"という種族について記憶になかった。
「魔族はリザードマンとも争っているのですか?」
「ああ、そういえばゾンヲリは知らないんだったな。今もこの絵に描かれた三種族は太古の昔から互いに争っていたんだよ。まぁ、リザードマン……というより龍族はもうとっくに衰退してしまってるから、ルドラ湿地とその奥地にある霊峰に引き籠って出て来なくなってるんだ。実質人魔の二面戦争かな」
「だとすると、この絵は何を暗示しているんでしょうか」
「……魔王様なら知ってるかもしれないな。そんな事より先を急ごうか、ゾンヲリ」
「そうですね」
長い廊下の終わりが見えてくる頃、部屋の入口が見えた。その先から感じ取られたのはだだ洩れの殺気。それは、先ほど遭遇してきたゾンビや邪霊と比較にもならない程だった。
「ネクリア様、お下がり下さい」
「……分かった」
不安そうな少女を下がらせ、前に歩み出て気配の主を探る。カラカラ、カラカラと金属を地面の上に引きずっている音が聞こえる。そして、それは徐々にこちらに近づいてくるのだ。
その音の正体が朱色の明りで照らされた時、息を呑んだ。
「オオオォ……」
カラカラ、カラカラ。
それは、等身大程あるグレートソードを片手で引き摺られる音だった。持ち主の顔面は長い兜で覆われており、全身は漆黒で塗り固めた鎧に身を包んでいた。剣の握られていない方の腕の手甲は破損しており、その部位からは緑の鱗と鋭利な三本の爪を覗かせていた。
ゾンビのようにフラフラとよろめくように歩いていたソレは、こちらに気がつくと敵意を孕んだ視線をゆらりと向け、止まった。そして……。
「ォオオオオオオッオオオオオッ!」
耳を劈くような咆哮を上げながら、跳んだ。一瞬、視界から消える程の高度に達した黒鎧はグレートソードを勢いよく振り上げ、私に目掛けて上空から振り下ろさんとする。
咄嗟に横に跳んでソレを躱す。
黒鎧によって地面に叩きつけられた特大剣は石床を豪快に叩き割り、破砕した石礫をそこいら中にばら撒かれる。グレートソードを地面から引き抜くまでの間は隙だらけに見えた。
しかし、黒鎧が跳躍時に見せた異常な俊敏性が頭によぎり、攻めを躊躇してしまった。
「……っ」
黒鎧は悠々と血錆びたグレートソードをゆっくりと持ち上げる。そして、戦いの合理性の欠片もない緩慢とした動作でこちらに向き直ると、グレートソードを中段に構えた。
狂気で光る瞳を覗かせ、尋常ではない程の殺意を浴びせかけながら。
「キサマモ死ヲ捧ゲヨ。死ハ幸イナリ。イザ、約束ノ地ヘ」
「貴様は危険だな。死こそが最たる救いだと言うのならば、自らの刃を以て果てるがいい。消えろ」
口に咥えた大剣をしっかりと固定し、目の前の黒鎧と対峙する。