第二話:ピッザを貪るネクリアちゃん
地下の暗室から出ると、そこにはレッドカーペットの敷かれた広大な廊下が広がっていた。壁に目を向けると金縁の絵画や魔獣の剥製などが掛けられており、台座の上には大きな壺が置かれ、窓ガラスの外を覗けば広い庭園があった。
周囲の様子をうかがっていると、それを不審に思ったのか少女は足を止めてこちらに向き直った。
「どうしたゾンヲリ、何か変な物でも見たか?」
「いえ、人の気配が全くないと思いまして」
「それはそうさ、この屋敷には私以外には誰も住んでないからな」
人が一人で住むにはこの屋敷はあまりにも広い。それに、ネクリア様の肩書は大魔公、その名の通り非常に地位の高い存在なのだと思われた。だからこそ不可思議だった。
「どうしてネクリア様以外に住まわれてないのですか?」
「はぁ、ゾンヲリお前、こんな汚らしい屋敷に住みたがる奴が居ると思うのか」
ネクリア様はやれやれと言った風に嘆息してみせた。改めて周囲を見渡す。
「これは……」
割れた壺、餌を求めて這いまわる虫、ヘドロのこびり付いたカーペット、破損した家具の数々が地べたにうち捨てられていた。
本来ならば、ここに置かれている工芸品の一つ一つが名のある名工によって作られていたのかもしれない。しかし、汚肉や腐った血が所々にこびり付いてしまっているソレらは、今となっては一文の価値すら無いも同然だった。
この場を表現するならば、『汚屋敷』と称するべきなのだろう。
「ああ、こうなったのも全部"ゾンビ"のせいだよ。奴らが通った後はこうなるのがオチなのさ」
私の足元からも腐った汁が垂れてきており、それが床を汚してしまっていた。自意識で止める事は叶わない。私もまた、この屋敷を汚す存在の一人だった。
「申し訳ございません」
「いいよ。私はもう"コレに慣れてる"し。ゾンビを嫌がった薄情な召使い共はみ~んな暇を貰ってどこかにいってしまったけどな。はぁ……」
ネクリア様は深い溜息を吐いて見せた。それが、ゾンビを操る死霊術師としてやっていく苦悩なのだろう。
そうして、少女に連れられた先はシャンデリア付きの応接間だった。中央には十数人が同時に食事をとる事を可能とする上座だけが白いテーブルが見えた。
当然の如く他の部分は汚れていた。人の手が加えられないまま、それなりの時が経過していたのだ。
「お前はここでちょっと待ってろ。今ゴルゴンチーズピザを用意するから」
ゴルゴンとは何か、深く考えない事にした。
「分かりました」
ネクリア様が部屋を出てから暫くすると、紙皿の上で湯気を立てる二つのピザを持ってきたのだ。
「これ、やるよ。私が血と汗と涙を流して買った貴重な食糧だからな。感謝しながら食うんだぞ。それと、お前はこの汚い方の椅子に座れよ。汚れるし死臭凄いからな」
ネクリア様は綺麗な上座から4席くらい離れた場所に丸いピザを一つおいた後、上座に座った。
「よろしいのでしょうか?」
「うむ、ゾンビとはいえ、久しぶりに他の奴と一緒に飯を食べるんだ」
さり気なく、ネクリア様は悲しい事を言ったような気がするが聞き流す事にする。
「ありがとうございます」
お互い席に着いた時、異変が起こった。ネクリア様は電光石火の如くピザをその手に取り、食らったのだ。
「ハム、ハフハフ、ハフッ!!」
ネクリア様はひたすらに貪っていた。
私の視線など一切の意にも介さず、溶けたチーズを頬っぺたにくっつけながら、一心不乱にピザを頬張っているのだ。控えめに言って行儀が悪い。だが、それも年頃の少女らしい愛嬌に見える。
やがて、私の視線に気がついた少女は、舌で口元についたチーズを愛らしく舐めとってみせた。
「なんだゾンヲリ、食べないのか?」
「いえ、そういうわけでは……どうも食欲が沸かないようです」
少女らしい無邪気な仕草に見惚れていた。などと言うわけにもいかないので適当に誤魔化した。実際に食欲が沸かないのも事実なのだ。
何故ならば、私の口内は腐った汁で満たされており、ヘドロのような味で満たされていた。
「むぅ、美味しいのに、勿体ない」
ネクリア様は再びピザを口の中へと頬張り始める。……据え膳食わぬはゾンビの恥。意を決し、私も口の中へとピザを運んだ。
濃厚なとろけるチーズと塩気の効いたベーコンの旨みに加え、吐き気を催す程の酸味とえぐみがトッピングされていたのだ。脳が腐りそうな程に不味い。涙が出てきそうだが、溢れ出てくるのは腐った汁だけだった。
「うぐ……」
私にとって、食事とは辛いものだった。
「辛いなら別に無理して食わなくていいぞ」
「いえ、頂きます」
それから、食事は進んだ。ネクリア様の紙皿の上が空になった頃、未だに私の紙皿の上には半分以上のピザが残っていた。
少女は少し退屈そうにしながら、私がピザを食べる様子を観察し続けていた。
「なぁ、ゾンビって味覚あるのか?」
「ええ、自分の体液が混じって酷い味がします。ですがどうしてそのような事を聞かれたのでしょうか?」
「自我のあるゾンビとこうして普通に対話するのは私も初めてだからな。ちょっと気になったんだ」
「ゾンビが"自我"を持つ事は珍しいのでしょうか」
「持たせる必要性は皆無だからな。だから【アニメート】で魂を縛るんだが、その理由は分かるか?」
ゾンビとは死者を従順な奴隷として操るのが目的なのだろう。ならば、自由意思を縛って命令で動く人形にしてしまった方が合理的なのだと思われた。
「労働の作業効率を高めるためでしょうか、ゾンビ全てが一人の意思で統一して動けるならば、無駄のない作業を推し進めるように指揮する事も可能です」
「いやいや、なんでそんな発想になるんだよ。もっと単純な話があるだろ?」
「……どういう事なのでしょうか?」
理解できなかった。首を捻っても答えは浮かばない。
「なぁ、ゾンヲリ、ゾンビとして生きててどう思う?」
「分かりません。私にはゾンビとしての記憶しか残っておりませんので……」
肉体の内部まで腐り果て、身体の動きは鈍く、歩くだけで床を穢す汚物が私だ。生前がどうだったのかも記憶にない。今の私に残った唯一の繋がりとは、目の前の可愛らしい少女だけなのだ。
「ここで"分かりません"と返せる辺り、やっぱりお前って妙な奴だよなぁ。一昔前じゃ【ネクロマンシー】は拷問として使われてたくらいだし。ゾンビ化するって事はな、英雄程の強靭な精神力を以てしても数日とかからずに発狂するか、絶望から自らの意思で魂を滅してくれと願う程に苦しい事なんだぞ」
「拷問ですか」
私にとってはご褒美です。などと言ったら話が拗れそうなので胸の内に秘めておく事にした。
「気の狂った奴を野放しにして逆恨みされると危険だろ? それが魂を縛る理由だよ」
「やはり、私には理解し難い気持ちですね」
自らの意思で滅びたいと願う。それは随分と贅沢な悩みだ。ピザを千切って口の中へ放り込み、あまり噛まず一気に飲み干す。こうすれば味を感じる時間を減らせる
そうして、初めての食事を終えると、少女は困ったような表情を見せた。
「しかし、お前の扱いをどうしたものかな……下手に会話してしまったせいで、拠点防衛という名目のゾンビ投棄場に捨てるのは忍びなくなってきたぞ」
「……ゾンビを捨てているのですか?」
「うむ、正直ゾンビなんて作っても"何の役にも立たない"からな」
「私はネクリア様のお役に立てないのでしょうか。何だってしてみせます」
「だって汚すだろ? その時点で労働力としてのお前の価値なんてゼロだよゼロ」
物を触れば腐らせ、周囲に居るだけで汚肉と腐臭をまき散らし、身体は動かしにくい。奴隷としての利用価値すらもないゾンビの肉体に救いは無いというのだろうか。そうなのだとすれば、ネクリア様の行動は不自然だった。
「ではどうしてネクリア様はゾンビを作られるのですか? 作らなければ御屋敷も汚れずに済むのではないでしょうか」
「まぁ、私の家の事情みたいなモノかな。いずれ来る『日蝕』の為に死霊術を研究し、継承していかないといけないんだよ。それに、今となっては私が死霊術を受け継ぐ最後の一人だから、今さら止めるにも止められないんだよ」
「日蝕?」
「ああ、いや。久しぶりの"まともな会話"だったからついお喋りが過ぎたな。気にしないでくれ」
「詮索が過ぎました。申し訳ございません」
ネクリア様は家の事を考えている。年齢の割にはかなりしっかりとした女の子だった。だがそれだけに、この汚屋敷と大魔公という地位を背負うにはあまりにも小さすぎた。
「今した話を踏まえ、お前が取り得る今後の選択は二つある。一つ目は私がこの場でお前の魂を滅してやる事だ。二つ目はその肉体のままどこにでも好きな所に行けばいい」
私に偽りの生を与えてくれたネクリア様は、最後に選択する自由までも与えてくれた。
ならば答えは一つ、もう一度問うまでだ。
「ネクリア様のお役に立たせては頂けないでしょうか?」
「はぁ……ゾンヲリ、お前正気か? なら他のゾンビ共と同じ仕事をしてもらうだけだぞ」
「それでも構いません」
「知らないぞ。じゃあ別のゾンビに案内させるからそれに付いて行ってその場所の警備を頼むよ」
「はっお任せ下さい」
ネクリアさんのヘイトが高まりすぎてたようなので再々改稿。