第五十四話:本気の努力を始めよう
始祖との謁見も終え、己には自由を与えられることになった。己に限らず始祖の子達や高位の吸血鬼はテネントゥールの城に住み貴族として自由に振舞うことを許されているが、一つだけ暗黙のルールが存在する。
下位の序列は高位の序列に対して絶対服従であることだ。最悪序列上位から"死ね"と命じられれば面白半分で殺されることになる。実際には復活するので簡単に死ぬ事はできぬがな。
実際の所、このルールがあるから序列下位は城の中を不用意に歩き回ったりはせず、その時間の大半を己の棺の中で"寝て過ごす"か、あるいは城外に出ることになるのだ。
序列上位と目を合わせなければ無茶苦茶な命令を下されることはないし、城外でなら下位の吸血鬼を相手に貴族の特権を振りかざすことが出来るのだが。
今の己には、そんな吸血鬼の常識などどうでもいい。
「おや、グラーキス君が訓練場なんかに来るとは珍しいね」
「イグヌァークか。奇遇だな。そういう貴様はこのような場所に用向きなどないはずだが?」
訓練場。無駄に馬鹿広く破壊を防ぐための厳重な結界が施されており、訓練施設も非常に充実している。しかし、訓練場の中は音も無く静まり返っていた。
当然の話だ。努力は醜いを国是とする吸血鬼達がこのような施設を使うわけがない。最後に使用したのは恐らくミラカくらいだと思っていたが、意外な顔を見かけた。
「はははっ、こんな場所には吸血鬼は寄り付かないものだろう?」
「確かに、違いないな」
恐らく、イグヌァークが追手から身を隠す際の避暑地の一つとして使われているのだろうな。訓練場は無駄に馬鹿広くて遮蔽物も豊富だ。【錯誤の硝子】といった隠遁術の一つでもかけておけば目視でイグヌァークを見つけるのは困難だろう。
そんな中、訓練場内をドタドタと走り回ってイグヌァークを一々探し回るなどと馬鹿馬鹿しい上に何よりも美しくない。この城の吸血鬼ならばやりたがらないだろうな。
「しかし、"あの"始祖サマの真似事ばかりしていたグラーキス君が今さら真面目に"醜い努力"を始めるとはね。一体どういった心境の変化なんだい?」
「ククッ、イグヌァーク。貴様は"本気"を出したことはあるか?」
「ないね、出す必要もない。何故ならボクの回りは弱者で溢れている」
「では、貴様は始祖に対しても本気を出すまでもない弱者と言い張るつもりか?」
「ははは、あのお方は別だよ。特別さ。それより、グラーキス君の今の発言は始祖に対する"叛意"と捉えられてもおかしくないよ?」
そう、これだ。イグヌァークでさえも始祖は"特別視"している。
自分以外の始祖の子達を本気を出すまでもない弱者と蔑み、敗北を知りたいなどと嘯いておきながら、いざ自分が本気を出しても到底敵わないと分かりきってる者に対しては戦うという選択肢そのものを排除しようとする。負ける、というのは無様で醜いことだからな。
結局、相手が強かろうが弱かろうが決して本気を出さない。それが吸血鬼という生き方だ。
「ククッ、構わんさ。俺の腹の内など始祖ならばとっくに把握している。本気で裏切者として俺を処断する気があるならば始祖は既に俺を抹消しているだろうよ。今もなお、俺がこうして生かされているというのは、つまるところ俺にはまだ"利用価値がある"と始祖が判断しているに他ならない。ならば何処までも道化として踊り続けてやるまでの話よ、本気でな」
それに、イグヌァークが態々始祖に告げ口をするような男ではない。こやつは"不良"だからな。始祖に対する忠誠心が無い。ましてや、俺のような序列下位を相手するのに始祖に泣きつくというのは、誇りが許さないだろう。
「なるほど、本気、でねぇ。やはりボクには理解できないね」
「ああ、理解できまいよ。魂まで冷めきった貴様等にはな」
それからイグヌァークのことなど無視し、復活で鈍った身体を慣らす為に吸血鬼の血剣を作り、素振りを始める。勿論、本気でだ。
「なるほど、こうして素振り一つするのも中々奥が深いわけだ」
一振に全力をこめる。ただ力任せに早く振う。だが、これはゾンビウォーリアの見せた動きのソレからかけ離れている。
奴と己の身体能力自体は己の方が上だったはず。なのに、何故奴にあのような動きが出来て、己には出来ない。己をまるで鋭利な剣のように振り回し、竜巻すらも発生させたあの流れるような舞踏を、己には全く再現できない。
真似をしてもどこか稚拙でギクシャクしている。とにかく動きに無駄が多いのだけは理解できる。
「これが、技術、か。俺に無くて、奴にあったモノ」
奴はどれだけの素振りを重ねてあの領域にまで上り詰めたのだろうか。いや、確か一晩で"軽めに一千万"と言っていたな。今の己では、この動きでは仮に一晩時間をかけても百万すらも振えぬだろう。
それだけ愚直に同じことを繰り返し、極限まで無駄を排除し続けたのだろう。
「美しいな……」
奴、ゾンビウォーリアならば、己と同じ肉体を持っていたならば、本気を出せば"1億"は一晩を通して振えるはずだ。ああ、奴ならばやると言ったら必ずやる。己には分かる。
「やれやれ……何が面白いのやらね…」
途中で飽きたのか、イグヌァークはそのうちどこかへ消えて行った。
実際には素振りを始めて10万回を超えた辺りで既に疲労で身体が重くなってきた。全力だったころの半分の速度も出せていない。
息が切れる。身体の関節の節々が痛い。集中力もどこか散漫になっている。そして何より、素振りというのは単調でつまらない。成長しているという実感も皆無という徒労感、虚しさ。
実際のところ千回も振ったらもういい、ウンザリだ。と"やめたくなってくる"のだ。
だが、奴は、ゾンビウォーリアは"鋼の意志"でそれら全てをねじ伏せ素振りし続けているのだろう。そして、己を10万回以上を振っておきながら、衰えるどころかなおも一振りの度に威力と速度を"増し続けた"のだ。
どうすればこの境地に至れるというのだ? 皆目見当すらもつかぬ。
「ククッ…ああ、素晴らしいな……」
これが、本気だ。常人がやらないことを続けなければ常人を超えることなど到底出来ない。だから己は吸血鬼であることを止める。吸血鬼の下らぬプライドなど何の役にも立たぬのだと理解したのだからな。
そのような弱点、わざわざ残しておく意味も理由もない。ギアスや痛みに対しても、どこかで"慣れておく"べきだろう。
思い立ったら吉日だ。己は素振りの疲労を残したままスラム街へと向かった。
「そんな……貴族様を殴り続けるだなんて」
「命令だ。俺を殺すつもりで殴り続けろ。安心しろ、反撃はせん」
「あ、ああ、ヒィ」
スラムで適当に劣等吸血鬼を10人程集めて、ギアスで己を殺すように命じる。やはり相手が居なければ防御術を学ぶことは出来ない。質の問題は量で誤魔化す。
ゾンビウォーリア、奴は未来予知とも言える程に己の攻撃を完全に見切っていた。恐らく、何千万回という本気の殺意をその身に受け続けて捌き方を体得したのだろう。
ゴッ、と背後から後頭部を殴られる。やはり多勢に無勢だ。量を用意すればこういうことも起こる。
「お許しください。どうかお許しください」
だが、こうも恐縮されては本気の訓練にならん。飴も要るか。
「ククッ、いいぞ。よく当てた。俺に攻撃を当てた者には褒美をくれてやるぞ。ほれ、血だ」
こうして褒美をちらつかせてやれば常日頃飢えてる愚物共の目の色が変わった。本気の欲望を感じるぞ。やはり、こうでなくてつまらぬ。
ゾンビウォーリアの殺意と比べれば肩透かしもいいところだが、今は贅沢は言わん。
気が付けば20人に囲まれていた。30人。40人、と。飢えた吸血鬼共は無抵抗の貴族の血が吸えると分かれば幾らでも集まって来るものだ。
「さぁ、もっと、もっとだ! 貴様等の本気を! 可能性を! もっと俺に見せてくれ! そうだ! 貴様等劣等吸血鬼は本気を出せば出来る奴らだ! さぁゾンビウォーリアのように! 限界を越えて見せてくれ! 俺に本気を出させてくれ! もっと、もっとだ!」
四方八方、ランダムに発生する烏合の衆共の襲撃。正面は止まって見える程鈍い。が、いくら鈍くても油断していれば被弾は免れない。この、避ける、受け流すという方法に絞る形で手加減をするというのも案外難しい。
不必要な動きは次の回避と防御に後れを生じさせる。無駄な動きは極限まで削れ、一動作を最適化しろ。そして、学べ。同じミスは二度起こすな。油断もするな。ゾンビウォーリア、奴ならきっとそうする。だから、己もそうしなければならない。
でなければ、己は奴と同じ場に立てない。
痛みだ。痛みが足りん。ゾンビウォーリアとの戦いで受けた痛みと苦しみが欲しい。奴ならどれだけ傷つき、痛みと苦しみの中でもきっと起き上がる。だから、あの時のように、本気の殺意、本気の痛み、本気の苦しみの中で、己は立ち上がれなくてはならない。
「もう、無理です……動けません」
結局、百集まった劣等吸血鬼共の方が先に疲れ果ててしまった。
「ふん、終わりか。やはり、ゾンビウォーリアのように、とはいかないな」
それなりに殴られもしたが、やはり雑魚相手では少々物足りんな。多少光るモノが見えた奴らもいたが、そもそも己と劣等吸血鬼の奴らでは格が違いすぎる。そしてなにより、奴らには"意志"が無い。俺を殺して見せるという心からの本気の意志が無い。
だから手ぬるい。何もかもを今この瞬間にかなぐり捨てて何が何でも絶対に殺すという本気の覚悟が足りない。ギアスで無理矢理"意志を捻じ曲げる"のではこれが限界なのだ。
では奴らに本気の殺意を引き出してもらうためには、どうすればいい?
奴らの大切だと思っているモノを目の前で砕いてみせるか? 徹底的に肉体と精神を凌辱し、屈辱を与えてみせるというのはどうだ? それとも己を殺した者には城への永住権や名誉、奴隷の女を与えてやるというのはどうだ?
まぁいい、これは恐らく、奴ら、劣等吸血鬼共一人一人と本気で向き合って決めねばならない課題だろうからな。また後の機会としておこう。
血も程々に失ったのでそろそろ喉も渇いてきた。
「邪妖を狩るか」
この世界、シュグラヘイムは、無間の混沌に浮かぶ星の残骸をかき集めて作られた領域に位置している。既に滅び堕ちた死の星であり、飲み水は一滴すらも存在せず、太陽の光も無く、気候も肌を突き刺す極寒と焼き焦がす焦熱の両極端に変動し続けている。
植物はおろかまともな生物が到底生育できる環境ではなく、陽の光による浄化も受けられない。仮に一見水があったとしてもそれは、水のような何かであり、到底飲めるものではない。
されど喉は渇く。潤いを求めてしまう。狂おしい程の飢餓の苦しみに苛まれ続けることになる。そんな中、喉の渇きを唯一潤すことの出来るのは他者の"血"しかなかった。
ああ、そんなどうしようもない環境に"適応"してしまったのが、吸血鬼という生き物だ。
そして、吸血鬼以外にもこの世界に適応し、吸血鬼の容姿に酷似したような獣がいる。見た目は吸血鬼に見えても言葉を介さず、知能もない、ただ本能のままに血を貪るしか脳がない。
言ってしまえば、廃棄物化し理性すらも無くした吸血鬼のような下等生物を総じて邪妖や邪鬼と呼ぶ。腕の代わりに鳥羽が生えていて呪歌を歌うセイレーン、石化の魔眼を持ち足が蛇になってるメドゥーサのような異形種、とでもいえばいいか。
見てくれは女で美しい個体もいるのだから、それらの血を吸うというのも悪くない。一般的な吸血鬼の価値観から言えば、邪妖の血はゲテモノ扱いだがな。
廃棄物化した吸血鬼をワイン樽に詰め込んで血のワインにしてありがたがって飲んでるようなのが吸血鬼だ。ならば、本気で飲もうと思えば邪妖の血は十分飲める。
ならば思い立ったら吉日だ。己は疲労困憊の身体を無理矢理動かし、テネントゥールの外にある近場のメドゥーサの巣へと向かった。
「キィエエエエエエ!!!!? キィエェエエ!?」
所詮メドゥーサなど知能の無い獣同然の邪妖だ。石化の魔眼など硝子鏡の盾で視線を跳ね返して石にしてやればそれだけで片がつく。が、そんな手間すらも必要ない。
ただ一滴、血矢を一発飛ばせばそれだけで呆気なく眷属化して支配できる。所詮、雑魚だ。
「貴様の力、貰うぞ」
眷属化して無防備になったメドゥーサの首筋に噛みつき、吸血する。獣に遠慮などしてやる必要はない。カラカラに干からびるまで吸ってやる。
始祖が異世界から女を攫ってその特異な能力を集めているように、魅惑の君主、始祖の血脈の吸血鬼は血を吸った相手から"能力を簒奪"することができるのだ。
メドゥーサならば、石化の能力を血装に付与して保存することが出来る。眷属化に抵抗してくる者に対してはこっちの搦め手の方が効くこともあるだろう。
だが、所詮始祖の能力と比べれば、己や始祖の子達が使うことの出来る"能力の簒奪"は大きく劣化している。まず、始祖の子であっても吸血によって保存できる能力は精々三つまでだ。それも、吸血武器、吸血具足、吸血装衣の3種にそれぞれの能力を保存しておく形でしか保持できない。
武器ならば血剣の斬撃に石化能力付与、装衣ならばメドゥーサの保持する身体的防御能力や魔術耐性、具足ならば石化爪や腕力や脚力の強化と言った形だ。
大抵の場合、始祖の子達は母体から奪った固有能力をずっと血装に保管しておく形でその力を引き継いでいる。なにせ、始祖が選んだ女の能力だ。基本的にはそれが一番強力だ。
それと比べれば、石化しか脳の無いメドゥーサの能力などゴミだろう。どうせ元々持ってる吸血による眷属化も石化も一度決まってしまえば勝負の決まり手だ。どう考えても眷属化した方が使い勝手がいいし、弱者の血で吸血装備を作ると逆に装備の強度を大きく弱体化してしまうこともある。
そして、得た能力は魔法のように任意発動も出来ない、基本的に駄々洩れだ。うっかり血剣で自分を切る、自分の爪が自分に触れようものなら自分が石化してしまうのだからリスクも大きい。だから習熟の出来てない慣れない血能にむやみに変更する者はまず居ない。
だが、少なくとも、ゾンビウォーリアと戦う時に石化能力を持っていたならば勝利できていた。だから、吸血装備は能力と強さのバランスはよく考える必要はある。
「ククッ、ゾンビウォーリア。奴ならば吸血鬼の血装すらもいずれ習得し、この"能力の簒奪"にもそのうち辿り着く。そして、きっと本気で使いこなそうとするだろうな」
吸血鬼は努力をしない。何故ならば、その努力の成果は吸血によって"一方的に搾取される"ものだからだ。だが、こんな借り物の力ばかりに頼ってその力の上に胡坐をかいているからこそ、吸血鬼は成長しない。出来ない。
いつまでも誰かの"劣化コピー"のままなのだ。
「俺は、必ず始祖を超えてみせる。そして、今度こそ、キサマと本気の殺し合いをしてみせるぞ。ゾンビウォーリアよ。ハァーハッハッハッハッァ!」
今度再び奴と相まみえた時、奴が以前と同じままなどとは思うまい。序列七位を下し、さらなる不条理を轢殺し、その力は始祖や五代君、あるいは無間の混沌に鎮座する外なる魔神共にさえ届くだろう。
ああ、そうだ。ゾンビウォーリア、奴ならば決して止まらない。ならば己も止まるわけにはいくまい。だからこそ力が要る。奴と戦うのに恥じぬような絶対的な力が。
能力の簒奪……使えるなら何で使わなかったんだ? という疑問が浮かぶ方も多いだろうが
グラーキス君のデフォルトデッキが
血剣:ミラカ(魅力がアップ)
装衣:ミラカ(魅力がアップ)
具足:ミラカ(魅力がアップ)
というミラカさん大好きクソ雑デッキで統一されているからだ
これはヨムちゃんの発言からも分かるように、ヨムちゃんも無防備だと見ただけで魅了されてしまうくらいには本来は非常に強力な能力である。
男でしかも鋼の意志で精神系状態異常をねじ伏せて来るゾンヲリさんとは死ぬ程相性が悪かっただけで……。そして、賢い読者ならお分かりかもしれないが、ゾンヲリさんはミラカの血を吸血しているということは即ち、この能力を吸血装備デッキ上に保存してしまっているわけである。う~ん、この……。。
なお、この吸血鬼の仕様はほぼサ〇フロ風に言えば妖魔と同じシステムをパク……採用しておりま(殴