第四十六話:超過走行<エクシードドライブ>
グラーキスは不可解であった。
――何故、俺が地に膝をつけている?
相手はただの無能力の劣等吸血鬼。高位の貴族や始祖に近い者達のように特別強い力や魔力を持っているようには見えない。
実際見る限り動きは鈍間で力も強くはない。血剣で人撫でしてやればそれだけで事足りる相手、のはずだった。
しかし、それでも地に膝を付けていたのはグラーキスだった。それが、グラーキスには許せなかった。
「劣等風情が、今すぐ斬刑に処してやろう」
怒りに任せて奮い立ったグラーキスは、地を蹴り音を置き去りにしながら血刃を大きく振りかぶり、繰り出されるのは絶死の一閃。
それで、貴族を足蹴にした劣等な無礼者の胴体は、まるで空気を薙ぐように肉も骨も抵抗無く真っ二つに引き裂かれる。先ほど使われたような紙一重の回避など通用しない。後ろに退いて避ける暇も与えない。文字通りの必殺。避けられるはずなど無かった。はずだった。
「温い」
対する劣等吸血鬼は退くのでは横薙ぎは躱せないと見るや否や、逆に一歩前に踏み込んで見せたのだ。目にも止まらぬ速度で振るわれる絶死の血刃に対し、臆せず前に出るというのはもはや狂気の沙汰だ。
だが、それだけでグラーキスの必殺の間合いは崩れた。
ほんの一歩分間合いがズレたということは、血刃の内側にある死間、完全なゼロ距離に潜り込まれる事を意味する。
「なぁ、にぃ……」
グラーキスの腹部には拳が深くめり込んでいた。勢いよく潰された臓腑が身体の内部で弾け、行き場を失った血液が勢いよく口から飛び出る。
――何が、起きた? 何故、俺は殴られている?
グラーキスが抱いたのは困惑だった。劣等吸血鬼の程度の底は先ほどの一合で見破った。その上で、絶対に躱せない速度で踏み込み、薙ぎ払って捨てる攻撃を加えたのだから。
しかし、グラーキスが血刃で薙ぎ払う動作に移るほんの一瞬の間、今までスローモーションのように鈍間に動いていた劣等吸血鬼の動きを見失ったのだ。
「この距離なら無手の方が早い」
潰れた臓腑も折れた骨も貴族吸血鬼ならば一瞬で再生する。しかし、吸血鬼と言えど痛みを全く感じないわけではない。むしろ、痛みとは吸血鬼を支配する為によく用いられてきた手法だ。
上位吸血鬼の血の支配に逆らえば、死よりも辛い激痛に苛まれ、拷問としても成立してしまうように。
だから、グラーキスは思いがけない痛みを前にして、ほんの一瞬だけ怯んだ。怯んでしまった。戦いにおいて、その一瞬の時間は致命的な隙になるとも知らずに。
グラーキスは続けざまに空中へと勢いよく蹴り上げられる。かと思えば頭上から鋭いかかと落としが振り下ろされ、頭蓋を叩き割られながら地面に激突している。【地上天下】、それは上空に蹴り飛ばした対象に対し、跳躍で自力で追いつき続けざまに追撃を加えるという常軌を逸した連撃技だ。
「覚悟はいいか」
無論、劣等吸血鬼の追撃はそれで終わらない。グラーキスが遺跡の天井を見上げれば何らかの衝撃の余波で天井に亀裂が走っていたのだ。そして空から降る彗星の如く衝撃波を伴った凄まじい速度で襲来するそれは咆哮をあげ、自分自身すらも灼熱の摩擦熱で焼き尽くしながらグラーキスの心臓に目掛けて滅殺の【楔】を打ち込まんとしていた。
――あれは、不味い。とにかく、距離を取らねば
グラーキスもここにきて冷静さを取り戻した。このままされるがままでは延々と"滅多打ち"にされ続ける、と。
「ぐおおおっ!?」
故に、貴族として無様と誹られようとも、これ以上攻撃を食い続けてはならないという本能が勝ったことで、グラーキスは全力で転げまわって【楔】への直撃だけは免れてみせたのだ。
【楔】の爆心地跡に生じたのは巨大なクレーターと大の字の地割れ、爆風の余波によって吹きすさぶ瓦礫の嵐、崩落していく遺跡の天井が、その破壊力の凄まじさを物語っていた。
吹き飛ばされたグラーキスは起き上がり様に咄嗟に距離を取り、体勢と呼吸を整える。
「その力……もはや劣等の域ではない。貴様、最初から力を隠しわざと手を抜いていたな。吸血鬼としての誇りは無いのか、恥を知れ」
力を誇示し、他者から畏れられることこそが吸血鬼の誇りであり格を示す事になる。だからこそ、グラーキスは明らかに自身の力を隠し、自らの格を貶めようとしている劣等吸血鬼を恥知らずと罵ったのだ。
「いいや、俺は最初から本気だ。俺を劣等と侮り手を抜いていたのはお前だ。グラーキス」
劣等吸血鬼は最初から本気の全力だった。
ただし、自身の肉体に負荷をかけずに戦える"平常時"における限界かつ全力だ。優れた戦士ならば、自身の肉体への負荷を省みず、戦技を繰り出す極短時間の瞬間だけは"超過走行"状態となり、程度の差こそあれ身体能力を何倍、何十倍と引き上げて行動することができる。
しかし、その代償として、技を放った側当人の全身の筋肉繊維や臓腑をズタズタに引き裂かれ、楔に使った肘はあらぬ方向へと折れ曲がり、ありとあらゆる部位が出血と火傷によって見るも無残な状態へと成り果てている。
それはもはや吸血鬼の再生能力と頑丈さがあるからこそ何とか辛うじて立っていられるようなものだ。そのような状態に成り果ててもなお、劣等吸血鬼の戦意に衰えはなく、赤く輝く純粋な殺意の眼光はグラーキスを睨みつけている。
一方のグラーキスは、前に踏み出せないでいた。
「どうした。ご自慢の血の剣は飾りか? もう来てはくれないのか?」
劣等吸血鬼は嘲るように手招きし、戦闘の続きを催促する。
――見え透いた挑発を。明らかに先ほどと同様の"返し技"をするつもりであろうが
先ほど剣を交えて二度動きを狩られたのだから。グラーキスには"アレ"とはまともに近接戦闘が出来るとは到底思えなくなっていた。
平常時のスローな動きをグラーキスに"慣れさせて"無意識に手を抜かせた辺りで、いきなり超過走行を使い、そのでたらめな落差の不意打ちによって動きを見失わせ殺しにかかるという戦闘技術の一端を垣間見てしまった。故に、下手に仕掛ければまた狩られるのは目に見えているのだから。
冷静になって警戒し、観察すればするほどグラーキスにはアレが不可解な存在になっていく。
――血の臭いや肉体が周囲に発する魔力の質から感じとれる強さは明らかに劣等相当のグズだ。だが……纏ってる気配や立ち振る舞いは明らかに劣等のグズのそれとはかけ離れている。それどころか俺より高位の始祖が放つような威圧感すらも感じる。いや、そもそも何故、劣等が始祖の一族の俺と対峙して平然として戦えている? いや、これ以上アレに時間を与えるのは……
そう、"超過走行"状態で奥義を使用したことで損傷している肉体が吸血鬼の特性で徐々に再生していく。今時間を与えて不利になるのはグラーキスの方なのだ。
――しかし、それで攻めを焦ることさえもアレの術中の内だとすれば?
吸血鬼の常識では測れぬ得体の知れない未知の敵。それと対峙したことで生じる判断の迷いや戸惑いが、グラーキスに二の足を踏ませたのだ。
「なるほど、理解した。お前は、剣士でもなければ"戦い"も知らないな。まだ戦士としての技術と経験を見るならミラカからは努力の形跡が見られたが、お前には、それが無い」
そのグラーキスの戸惑いを劣等吸血鬼は指摘する。今この状況を正しく理解し、即刻やるべき行動をとるべきである中、"行動をしない"という相手に時間を与える行動をしてしまうこと。
それは、戦士としてはもはや落第であると。
――挑発だ。
それはグラーキスも重々理解している。だが、脳髄が焼き切れる音がした。
よりにもよって今までずっと下に見て来たミラカと比較され、それ以下だと小馬鹿にされているのだから。
「なんだと、貴様ァ! 吸血鬼が! 生まれもって高貴の血縁で強者たる俺が! 努力などという女々しい事をするわけがないだろうが! 努力をする者などもはや吸血鬼ではない! 誇りを忘れた恥知らずで劣っているグズがすることだ」
「では、その劣っているゴミクズ如きを畏れ、そこで二の足を踏んで絶好の好機を逃しているお前は何だ? 今、ここで、前にも出れない臆病者の持つ誇りとやらはさぞ大層なものなのだろうな?」
「はぁ……はぁ……。血装すらもロクに使えぬ貴様を、俺が畏れるだと……? ふざけるな! ならばいいだろう。貴様を敵と認めてやる。劣等吸血鬼如きに使うには過ぎた力だが、吸血鬼の真の力を思い知らせてやろう」
はい、実は食らってるダメージ量自体は即再生のグラーキス君よりもゾンヲリさんの楔発動の自傷ダメージの方が遙かにデカいです。
本来エクシードドライブとは英雄級の戦士が最期に命をかけて行う自爆技みたいな奥義であり、使った時点で肉体は全身破損、生き残っても寿命を削り恒久的な障害を肉体に抱えるリスクのある攻撃であり、おいそれとぽこじゃか使うようなものではないのですね(この世界、一部の神の加護持ちやイリス教徒以外ロクな回復手段も無いし)。故にゾンヲリさんは死の扉を開くと呼んでいるものです。
戦士が肉体の強化と過負荷を与える段階は4段階あり、平常時→ドライブ(火事場の馬鹿力)→オーバードライブ(皆伝技)→エクシードドライブ(奥義)と段階を上げていきますが、ゾンヲリさんがネクリアさんやブルメアさんの肉体を使う際にはドライブ状態以降の段階は基本的に封印しています。(弱者の肉体ではオーバードライブですら肉体全損しますので)
大雑把にレベル上昇補正が入るとした場合、ドライブで+2、オーバードライブで+3~4、エクシードドライブで+5つきます。が、ゾン天界隈では基本人間の英雄でも22レベル以上の存在は滅多に居らず、レベル差が3もあればマイナス3レベル以下相手なら複数同時に相手しても対等以上に戦える程度には戦力差が付き、10レベル差があれば1億人束になってもまともに戦っては絶対に勝てないくらい絶望的な戦力差があります。
また、【楔】に関しても色々なものを犠牲にグラーキス君の再生能力を突破するための火力全振りのクソでかモーションから繰り出される隙だらけの攻撃であるため、ダウン時の追撃でもなければ普通はまず当たらず、飛竜狩りのハルバ君とかなら見てからでも平然と反撃して切り落としてしまいます。
能力値的にそれは出来るはずなのにやって来ないということは、つまるところグラーキス君に戦闘経験や技術があんまり無いということになるわけです。
ゾンヲリさんがカウンターガン待ちしているのは基本的に自分からグラーキス君い殴りに行っても絶対に当たらないからで、ゾンビスーパーアーマーに任せた同士討ち覚悟でなければ触れることすら困難であるためです。
だから実の所ゾンヲリさんはもう虚勢張って煽り飛ばすくらいしか出来なくなってるんですよね! が、グラーキス君はゾンヲリさんにビビって前に出なかった……という図が今回のお話だったりするらしい……。