第四十五話:スラムの汚らしい浮浪者に尻の穴を掘られる貴族の気持ち
グラーキスの発する殺気で辺りの空気が一層に凍てつき、依然として強制支配の影響で鉛のように重い肉体にさらなる重圧がのしかかってくる。
意思の力で無理矢理立ち続けてはいるが、少しでも気を抜けば再び地面に磔にされかねない。このような状態ではこちらから攻めには出れない。
こちらが強制支配の影響下にあることを気取られるだけだろう。
「どうした、来ないの――」
視界からグラーキスの姿が消えた。いや――。
「ガハッ」
既に手刀で肺を刺し貫かれていた。
「フン。他愛もな――」
動きに何の反応も出来なかった愚鈍な敵を一瞬で刺し貫いた。ならば勝ち口上の一つでも上げたくなる気持ちは理解できなくはない。
「ククッ、"間抜け"が」
ああ、もしも油断も隙も無くゾンビである俺を殺すというのなら、決して"肉薄"だけはするべきでは無かった。何故なら、先ほどまではあれだけ距離が遠かったというのに、こうして真っすぐ手を伸ばすだけであっさりと攻撃が届くのだから。
「な、に、ギサマぁ……」
差し違えるようにグラーキスの心臓を手刀で刺し貫く。互いに互いの腕で胸をくし刺しにする。この状況になってくれたのは僥倖だ。
もしも刺突ではなく、切断や打撃という攻撃手段を択ばれていたのなら、こちらはロクな反撃もできず厳しい状況に立たされていただろう。
だが、あえてグラーキスは俺をいたぶる為にそうしなかった。冷静に考えれば、このような攻撃手段を取ること自体、俺を劣等如きと完全に格下だと"ナメきっていて”反撃されるなどと微塵も思っていなかった証拠だ。
ミラカもそうだったように、相手が格下だと分かるや否や弄ぶのは貴族の悪い癖だろう。だからこそ、あえてミラカに血を返し、必要最低限まで戦闘能力を落とし、あからさまにナメられる程度の強さになるように抑えたのだ。
こうして一度きりの致命的な不意をうつためにな。そして、今、互いにゼロ距離で胸を貫きあった状況で、防御も回避も困難な状況にある。
「なっ、にぃ!」
俺の意図に気が付いたグラーキスは、すぐ様に残った腕で俺の腕を切断しながら後ろに飛び抜くと、グラーキスの首の皮一枚を俺の牙が掠めた。
吸血鬼にとっての致命的な弱点とは、心臓を貫くことでも頭を刎ねられることでもない。"吸血"されることだ。
「貴様、よりにもよって俺の首筋に牙を立て、この高貴な血を穢そうとしたな!」
嫌悪と怒りに満ちた眼光でグラーキスに睨まれる。
「ああ。貴族として生まれ持った高貴な血統。それが俺の薄汚い血で穢された時、お前は一体どういう顔をするのか、と思ってな。少し惜しかったな。ククッ」
ミラカ曰く、吸血鬼は同性から吸血することは滅多に無いのだそうだ。吸血鬼にとっての生殖行動が吸血だと言うのなら、人間的な感覚で言えば同性からの吸血とは"尻の穴を掘られる"ようなものなのだろう。ならば、その生理的嫌悪感は計り知れない。
穢れなき血統を持つ高貴な貴族が、どこぞのスラム街に住んでいる薄汚い浮浪者によって尻の穴を掘られるような屈辱を味わった時、それでもなお吸血鬼の誇りを保てるか、試してみるつもりではあったが、効果はそれなりにあった。
「もはや余興はやめだ。すぐに殺してやる」
始めからそうしていれば、文字通り俺は殺されていただろう。だが、今はもう状況が違う。
「ククッ、お前は今、吸血を避けるために、"俺から逃げる"ように飛び退いていったな?」
「何が言いたい……」
「お前は今、"俺を恐れた"のだろう? 感じるぞ? お前の恐怖をな」
地面に落ちた腕を拾い切断面にくっ付けると、腕は元通りに動く。それまで肉体に重くのしかかっていた強制支配も消え、もはや俺を縛る枷はなくなった。
吸血鬼の掟とは、常に美しく優雅に振舞い、絶対者として力と畏怖を示し、誰にも屈せぬよう誇りを保つこと。だが、"敵から逃げる"という行為はそのいずれにも違反する。
つまり、グラーキスは何が何でも"俺から絶対に逃げてはいけなかった"のだ。こうして、逃げた事を指摘し、明確に"自覚させる"という攻撃手段を得ることに繋がるのだから。
「俺が劣等如きを恐れるだと……? ふざけた減らず口を叩くな!」
グラーキスは自らの指を噛み、"流した自身の血"で紅い剣を作り上げる。恐らく、血装と呼ばれる貴族のみが使えると言われる吸血鬼の血闘武器だ。
岩石をバターのように切り裂く恐ろしい程の切れ味のみならず、それに触れてしまっただけで血は穢され、吸血されるのと同等の支配状態に陥る。それゆえに、心臓や頭を潰されても意に介さない程の強大な肉体再生能力を持つ貴族吸血鬼同士の戦いに決着をつける為に用いられるのだとか。
当然だが、俺には血液を自由自在に操り武器にするような芸当など出来ない。ダインソラウスも今手持ちに無い以上、触れては終わりの武器を相手に無手で相対しなくてはならない、か。
「貴様、何が可笑しい」
ああ、全くもって馬鹿馬鹿しい話だ。戦いになれば敵の振るった刃に触れれば死ぬのは当たり前でしかない。ならば、血の剣など普通の剣を扱うのとなんら変わりはしないだろう。
「いいや、その玩具を使うなら最初から使っていれば良かったものを、と思ってな」
獅子は兎を狩ることにも全力を尽くすというが、ヒトは明らかに些細な対象に対してまで大きな情熱を持てないものだ。例えるなら、愚鈍な兎一匹殺すのに大規模爆発魔法を放つ者は居ないように。
もしも俺が、兎ではなくミラカの血液の大半を吸血しきった高位の吸血鬼としてグラーキスと相対していたら、グラーキスは俺をここまでナメきってはくれず、最初から血剣や奥義を用いて一撃で仕留めに来ただろう。
「俺の動きに反応すらも出来なかった分際で」
再びグラーキスは視界から消える。そして繰り出されるのは目にも止まらぬ一閃突きだ。一瞬でも触れればおしまいの剣なのだから、最も早く鋭い攻撃である突きを繰り出すというのは合理的だろう。
なんせ、先ほどは全く反応してみせなかった攻撃だ。当たり前のように考えれば、次も当たると考えるのが妥当だろう。それ自体が油断や慢心から来る考えであるとも知らず。
「一つ、その思い違いを正そう」
確かにグラーキスは驚くべき身体能力を持つ。この肉体とグラーキスとの間にはとてつもない身体能力の格差があり、この吸血鬼の動体視力でも動きを目視することさえも困難であるのは事実だ。
だが、血剣は所詮ただの武器だ。手にしたからと言って基礎的な身体能力が劇的に向上するわけではなく、武器の正しい価値を発揮できるかどうかは結局のところ武器を持つ者の"技量"次第でしかない。
そして何より、ヨムの聖絶の光槍程は疾くもなければ威力も無く、飛竜狩りのハルバや黒騎士ヴァイスのような変幻自在の剣技も無く、身体能力に任せて直情的で工夫が無い。そして、既にその軌道も一度見切っている。ならば……躱す事は容易い。
「躱す必要が無かっただけだ」
刺突を紙一重で避けながらグラーキスの腹部に掌底を見舞う。
「グホッ」
この掌打自体はグラーキスと比べれば大した力は込めているわけではない。だが、カウンターであるがゆえに、グラーキス自身の突進力がそのまま掌打の威力に加算されている。
「オオッ!」
そして、一度体幹がくの字に折れ曲がり地面から浮いてしまえば、ヒトというのは出来ることが大分限られている。魔法の助けが無ければ、もう一度地や壁に足が付くまでの間、ただ重力に身を任せるしかないのだから。
無防備な顔面に、追撃のソバットをくれてやるくらいは出来る。そうして、吹き飛ばされ壁に激突したグラーキスは崩落に巻き込まれていく。
「……無傷、か」
ガレキを吹き飛ばして現れたグラーキスに肉体的な損傷は無かった。
「……貴様……よくも……よくもここまで俺をコケにしてくれたな」
最初に刺し貫いた心臓も、カウンターで入れた掌打も、頭を引き千切るつもりで繰り出したソバットも、瓦礫に下敷きになっても、グラーキスの再生能力を以ってすれば全くの無傷、元通りだ。
結局のところ、勝ち筋は直接"吸血"するしかないのだろう。あるいは……。
「なるほど、ではここからは不死身の吸血鬼同士、どちらかが降参するまでの"我慢比べ"といこうか」
無尽蔵の再生能力が尽きるまで、痛みと苦痛によって魂が悲鳴を上げて心が完全に潰れるまで、何度でも、何度でも、何度でも徹底的に叩きのめし続ける。
それが、以前不死隊との不死身の化け物同士の戦いで得られた教訓だ。
「俺の知る痛みを教えてやる」
既に強者の油断に乗じた不意打ちの"初見殺し"という手札は切り尽くした。そろそろグラーキスも俺の底を見切り始め、冷静に対処してくるようになれば戦闘の主導権を奪われてしまうだろう。
だが、それでも、俺が出来るのは愚直にやるべきことを成すことのみ。
もはやどっちが悪役か分からな(殴。
千回ボコボコにしても再生して立ち上がって来るというのなら、1万回でも千万回でもボコボコにしてやるぞ。という脳筋的短絡思考で心折りにくる辺り、ハルバ君の剣を一晩中受け続けてへし折りに来たいつものゾンヲリさんよねって思う今日のこの頃。




