第四十二話:どう転んでもいい
精神干渉への抵抗力を上げる必要がある。というヨムの発言の意図がいまいち掴めない。
「それは、例えば俺が吸血鬼の固有能力である凝視を使えるようになるという意味か?」
「や~それはどうだろうね~?」
しかし、凝視や高位吸血鬼が使うと言われるブラッドマジックのような芸当は俺には使えそうもない。今まで慣れ親しんだ肉体の制御と違い、魔力の制御方法などを口頭で説明されても全くピンとこないように、こればかりはある種の"センス"が求められる。
誰しもが魔法の使い方を教えられ努力しても魔術師になれるわけではないように。
尤も、ミラカと肉体を共有した上でゲイズやブラッドマジックを使用する事があるならば、その感覚をうっすらと掴むことはできるかもしれないが、それでも一朝一夕で会得できるようなものではなく膨大な反復練習が必要にはなるだろう。
いずれにせよ、ヨムは説明する気はないようだ。ただ、一つ気になるのは今のヨムは俺と視線を合わせるのを"避けている"。これはつまり、俺からゲイズをかけられることを警戒しての所作だろう。
その警戒心を普段から発揮してもらいたかったものだが……。
「それで、要件は終わりでいいのか?」
「まぁまぁ待ちなよゾンヲリ君。このまま遺跡の中を闇雲に進むつもりかい? それはあんまり賢い選択とは言えないよ~?」
「はぁ……どの道時間が限られている以上、戻るという選択はない。他に何の選択があると?」
「やれやれ、キミはもう少し他人を頼ることを覚えるべきだよ~? 例えばこのドブのような酷い臭いのする沼地の遺跡に咲く一輪の可憐な花のような超絶美少女天使、ヨムちゃんとかどうだい?」
「なるほど、たまにはドブネズミにでも習ってみるというのも悪くないな」
血を得て渇望から解放されたことで吸血鬼という肉体の利得を活用できる。例えば、血の臭いを鋭敏に嗅ぎ分ける嗅覚ならば、どのあたりにどの程度の量の生物が潜んでいるのかも大雑把に理解できる。
ブラッドマジックの行使には生贄の血を必要とするという。ならば、最も血の臭いが濃い場所に、血は流れているものだ。そして、この場所は湖畔の遺跡だ。薄らと漂う湖のカビの臭いを辿れば外へ出られるだろう。
迷路のように入り組んだ地形の遺跡でも、嗅覚や聴覚に優れた吸血鬼ならばまるで一本の導線に導かれるように、目的地へ辿れるというわけだ。
「あ、あれれ~…? ヨムちゃんをドブネズミ扱いは流石のボクも悲しいよ?」
「何を言っている?」
「全く、キミが寝ている間に遺跡の中を見回ってきてあげたんだから、ボクに道を聞けばすぐの話じゃないかい?」
「……随分と殊勝だな。手伝うつもりはないんじゃないのか?」
「ほら、ボクってこう見える通り可憐な美少女天使だろ? だからたまにはね、"天使らしく"哀れで愚鈍な迷える子羊を導いてあげようと思ってね」
ヨムは分かれ道を見つけると小走りで道の先に進み、振り返って手招きをしてみせる。
「当の天使本人が天使らしく、とは珍妙な事を言う」
「ではゾンヲリ君、キミは天使という言葉からどういった存在を想像するかい?」
ヨムはちょん、ちょん、と軽いステップ混じりに俺の側面に付いてくると、両腕を後ろに組んで胸部を強調させるような姿勢で横からひょっこりと覗き込んで来る。
一体どこでこんなあざとい仕草を覚えて来るのやら。
「異邦の神の奴隷だろう」
「うん……その言葉選びから大分偏った知識や先入観が入ってるようだけど間違ってはいないさ。では他にどういった印象を抱いているかい?」
「無慈悲だな、加えて下等な人間如きをゴミや資源程度にしか思っていないだろう」
「……うん、キミに所感を聞いたボクが愚かだったよ。いや、間違ってはいないんだけどね? ……全く、キミはわざとボクに意地悪な事を言っているのかい? ボクだってね~面と向かってそう言われると傷つくことはあるんだよ?」
「とてもそうは見えないが?」
ヨムはと言えば泣くような仕草をしてみせるものの、表情が無ければ涙も流れていないのだから茶番にしか見えない。
大体、人に向かって愚鈍だの愚昧だの言うような輩にかける言葉をわざわざ配慮してやる必要はないだろう。
「……では質問を変えてあげよう。キミ以外の一般的な人間は天使にどのような印象を抱いていると思うかい?」
天使か、善と悪があるならば天使は善で、悪魔は名前の通り悪と捉えられるだろう。その上で、正義の象徴、慈愛の象徴、人間を守護し、清く、美しく、規範であり、天の御使いとして地を這って生きる人間に神の言葉を届け"正しさ"へと導く存在だ。
そして、純白の翼と頭部に浮かぶエンゼルヘイローは何者にも触れがたい神聖さを感じさせるだろう。
「人間の想像する絶対的な正しさそのものを象徴にした偶像。それが天使という存在だろうな」
「うん、だからボクはそう在りたいんだよゾンヲリ君。と言ったらキミはおかしいと思うかい?」
「ヨム、お前が居るのだから、そういった天使が居ても別におかしくはないだろう。むしろ、お前達天使は人前ではそう振舞っているものではないのか?」
「そこは違っていてね、神や天使が絶対的に正しい存在であるという空想上の概念を創造し、信仰する宗教という形にまとめあげたのは人間自身さ。偶々それっぽいボク達がその場に現れたことで、天使という概念に当てはめられた、というだけの話なんだよね」
ならばそれは、偶々目の前に現れた翼と言葉を用いる知性を持った化け物を見て天使と呼んで崇めているに過ぎないということになる。
「なるほど、だから"人間の想像上の天使らしくなりたい"というわけか」
「お、分かってくれるかい? だからこうして慈悲深いボクがキミを導いてあげるのも、誉れ高き天使の職責の一つ、というわけさ~」
「で、調子のいいことを言ってくれるが実際の所はどうなんだ? お得意の位相転移とやらで姿を隠しながら遺跡の中を見回ったというのなら、ヨム、お前の目的の物は既に見つけた後なのだろう? それで何故わざわざ俺をグラーキスにけしかけるような真似をする」
「や~それはね~。キミの為を想って、あっ!」
「腹に風穴を空けられたくなければ心にも思ってないとぼけた台詞を吐かないことを勧めるぞ」
間髪入れずヨムの下腹部に人差し指で爪先を当てる。あと一押しもすれば指先はヨムの白く柔らかな皮膚を突き破り、臓腑を貫通するだろう。
「も~分かったわかった。そう睨まないでくれよゾンヲリ君。奇跡で治せはするけどボクだって痛みは感じるんだよ? そう何度も穴を空けられたらたまらないよ、なんてね。キミこそはなからそんなことするつもりないし、したところでボクに対する脅しにもならないことくらい分かっているんだろう? だから素直にボクのお腹を撫で回したいのなら最初からそう言えば幾らでも――」
そのまま指を下腹部に突き刺してやる。
「ってうぎゃああああああああ!」
「うるさいぞ。敵に位置がバレるだろうが」
尤も、バレたのならそれはそれで好都合だ。探す手間が省ける。
「本当に刺すのは酷いじゃないか! 普通こんな真似しないものだよ! てあっ、あっ、ちょっ、ボクの中こねくり回すのダメだって、内臓洩れちゃうからっ! ああでもっ、キミにいじくられるのもっ、あんっ、悪くないねっ」
腹に穴を空けられてもふざけていられるのだからやっぱり案外余裕あるな……コイツ。600年無駄に長生きしているのも伊達ではないということか。
ヨムの臓腑から指を引き抜き、付いてしまった血は勿体ないので舐めとっておく。
「……っ! はぁ……」
ヨムは一度大きく身震いしたかと思えば、深いため息を吐くと、【ヒールライト】で自身の負傷を治療してしまう。
「全く……ボクは嘘は言っていないというのに、キミは本当に酷いことをするよ」
「だが、本当の事も言わないだろう。お前は」
「そこはほら、ボクの立場上の問題だから。まぁ、まだキミとこうして触れ合っていたいという気持ちはあるけれど、しょうがないから真面目に話してあげるよ。結論を言ってあげると、吸血鬼グラーキスだっけ? 彼に阻まれて進めない場所があるものだから、キミにあの吸血鬼を排除してもらおうと思ってね。その為に案内してあげることにしたのさ」
「最初からそう言っておけば手間もないだろうが」
「こう言えばキミはボクと触れ合ってくれるだろう? 愛を育むにしても過程は大事だよ? こうして少しずつボディタッチを増やしていけば、キミの僕に対する好感度も上がろうというものさ」
「そこは余計だから要らん」
「全く……ブルメアちゃんやネクリアちゃんとボクの扱いの違いには涙が出てくるよ」
「まずは涙を流してから言え」
ああ、ダメだ。何を言ってもこの天使を悦ばせるだけだったな。
「こほん、それで本題に戻してキミが抱いているであろう疑問に答えてあげるとね、はっきり言ってボクとグラーキスではかなり相性が悪くてね。ほら、ボクって乙女なわけで、位相転移中でも彼を目視してしまうと魅了されてしまうんだよね。 そうなったらはい、彼の前でボクは無防備に全部曝け出してそのままガブっと吸血されて彼の支配下に置かれて終わり。そうなったらキミは嫌だろう?」
「そうだな、俺が実際に戦うとするならグラーキスよりも全力を出したであろうお前の方が遙かに相性が悪い。少なくとも、この身体で戦う分にはな」
俺の手の内がヨムには既にバレているのもそうだが、単純に【位相転移】で潜伏しているヨムの位置を特定するのは困難であるし、広範囲の【ディスペル】や【聖絶の光槍】を遠距離から使用されたらそれでおしまいだ。
確実に潜伏状態から奇襲で先制攻撃を受け、その上で回避も困難で一撃を耐える事も出来ず浄化される。それがヨムと全力で敵対してしまった場合に起こりうる問題だ。
その点、グラーキスが相手ならばある程度アンデッドの不死性に任せて"攻撃に耐える"ことはできるだろう。
「そういうこと。それに、既にボクの存在がグラーキス君に気取られてしまっているのもそうだけど、この場所周辺を包んでいる【宵闇の霧】はボクと大分相性が悪いみたいでね、魔力の消耗量が普段の10倍以上になって回復量も落ちるし、術のコントロールも難しくなっちゃうんだよね、だから今は飛ぶのもやめてこうしてキミの隣に立って歩いているのだってそれが理由さ」
「つまり、ヨム、お前はこの場で何の役にも立たないわけだ」
「キミにそんな事言われるとボク泣いちゃうよ?」
「実際に泣いてから言え」
「ゎぁ……ぁ……ってやっぱり涙出ないや」
一旦泣き真似をしたかと思えばこれだ。
「はぁ……お前と話しているとどっと疲れる」
「そうかい? ボクはゾンヲリ君と話していると楽しいけどね、それにボクはまだ沢山キミの役にたてるよ~?」
「例えば?」
「キミの傍でこうしてお話してあげることが出来る」
「他にないのか?」
「それじゃあ、おっぱいでも触ってみるかい?」
「お前はもう天界に帰れ」
「ふぅん? 本当に帰っちゃっていいのかい?」
「何が言いたい?」
「キミに乙女の血を与えてあげられるすご~~く都合のいい可憐な超絶美少女天使ちゃんが居なくなったら、どうやってキミは正気を保ち続けるつもりなのかな? ブルメアちゃんの血もネクリアちゃんの血もキミには毒だよ? ねぇねぇどうやって正気を保つつもりなのかな? 教えて欲しいな。それとも、ここの吸血鬼共と同じように乙女を攫って犯すのかい? クスクス……」
「チッ」
「安心しなよゾンヲリ君、ボクは何時だってキミの傍で、キミの味方で居てあげるさ。例え、地獄の底へ堕ちようともね…クスクス……」
本当に、面倒臭い天使に付きまとわれたものだ。
「ああ、それと、ゾンヲリ君。キミは純真可憐な乙女であるボクをさり気に吸血鬼をおびき寄せる為の客寄せ見世物獣にしようとしたね?」
「だったら何だというんだ」
「ただ、その意図を聞かせて欲しいなと思ってね。なんてね、キミはグラーキスと戦って負けた後、ボクをわざと戦闘の巻き添えにすることで"天界"を使うつもりだったんじゃないかい?」
無論、その案もあった。もしも俺がグラーキスと戦闘で敗北してしまった場合、事実上暴力でグラーキスと相対できる者は居ないだろう。そこのふざけた天使を除けば、だが。
当然、ヨムも敗北するという想定もあったわけだが、そこで重要になるのが大天使以上の階級を殺害した者は天界の脅威となりうる存在と認定され、それを排除する為に"掃討令"が発令される点だ。
グラーキスにヨムを殺害させることでバスターコールに巻き込めば、最低限吸血鬼と天使の共倒れに持っていくことが出来るだろう。その為に、わざと目立つようにヨムに血を流させてやったのだ。
鼻の良い吸血鬼ならば天使の血液の香りには気づくだろうからな。
「……それがどうした。作戦とは、どのように結果が転んだとしても目的だけは達成できるように立案するものだ」
だから、始めから俺の勝利を前提としている作戦は立てない。そういう作戦は大抵何か歯車がズレてしまえば頓挫するからだ。ヨムを利用した勝利を前提とした作戦も立てない。いずれにおいて失敗したとしても、いかなる犠牲を払ったとしても、ネクリア様の保全とグラーキスの排除という目的だけは達成できるようにしておくのだ。
その為に、使えるものはなんだって使う。たとえそれが、敵の敵である天界であろうとな。
「あはは、全く、神すらも畏れぬ厚顔無恥とはキミのことだよゾンヲリ君。天界の天使であるボクにそれを言うのかい?」
「だったらどうする? 先ほどの俺の味方をするという言葉を撤回し、今すぐここで俺の邪魔をするか?」
「勿論しないさ。キミのボクに対する無礼極まる数々の行いだって許してあげるよ。ボクも建前上キミを利用しているのだから、キミもボクを思う存分遠慮なく利用してくれるというのはとても嬉しく思うよ。 それだけキミはボクを必要としてくれているということだからね。ほら、ボクはとってもキミの役に立つだろう? クスクス……」
「チィッ」
このふざけた天使の掌の上で転がされているという実感から、舌打ちの一つもしたくもなる。
ゾンヲリさんはいっつも自分が負けた後のことばっか考えてトンでもプランBとCを立ててしまうのだが……獣人征伐編で黒死病無差別散布からの焦土作戦コンボとかいう最悪の置き土産をプレゼントしようとした件から未だ懲りてない模様。
その名もバスターコール巻き添え作戦だ。当然ながらユーク君の願いも最悪の形で成就されるでしょう。というクソはた迷惑なクソ野郎がゾンヲリさんである……。




