第三十五話:ニア殺してでも奪い取る
移動の痕跡を消しながらエクソサンソンの体液の雫を等間隔に散布し、臭いの壁を構築し終えた頃合いだった。
僅かに聞こえる疾風の音。無論、今の風の森に風など吹いていない。凄まじい速度で何かが近づいてきている。
そして、音よりもそれは速い。つまり、聞こえてる時点で既に――
「ふぅん、"こっち"に来てからミラカに背後に立たれる前に気づけたエルフは。お前が初めてだぞ」
咄嗟にコバルトナイフを抜き打ちながら背後を振り返ると、それは至近距離に居た。
深紅の長髪をたなびかせ、血のように赤い瞳で好奇を眼差しを向けているのは、夜の闇に溶けこむ漆黒の装束を身に纏った女吸血鬼。
一方で、どこかあどけなさを感じさせる健康的で可憐な少女らしい姿に思わず目を奪われそうになるだろう。それが吸血鬼でなければ、の話だが。
「……」
音を超える速度で動ける相手に逃走は不可能だろう。
改めてネクリア様達と別れておいてよかったと確信する。もし、コレと出会っていたら1秒も持たずに皆殺しにされていてもおかしくなかったのだから。
そして、今ここにこうして立ってられるのは、目の前の存在が興味本位で会話を持ちかけてきているからにすぎない。
「お~い、聞いてるか~? ミラカが話しかけてやってるんだぞ。何か言ったらどうだ」
女吸血鬼は首を捻っていた。
「何の用だ?」
「何って決まってるだろ。このくっさい臭い手当たり次第にばら撒いてミラカに嫌がらせしてるのお前だろ。なんでこんな酷いことするんだ。 おかげでまたミラカのお鼻がバカになっちゃっただろ」
鼻を摘まんでしかめっ面を浮かべて見せる女吸血鬼。それまで見かけて来た吸血鬼と違って殺気を纏ったり剣呑な雰囲気は特にない。無いからこそ、危険すぎる。
ようするに、コレは私を脅威と認識していない。
「旅の道中、そちらの同胞と思わしき存在に何度も襲われてな。こうも襲われては旅どころではなくなってしまうからな。こうして臭いで避けられると思っていたのだが、どうも宛てが外れたようだ」
「ふぅん、じゃあやっぱりミラカの眷属とユーリカを壊したのはお前か?」
「そうだと言ったら?」
背から引き抜いたダインソラウスの切っ先をミラカに向け、戦闘態勢を整える。
「う~ん? う~ん……でもなぁ~」
一方で吸血鬼ミラカはと言えば、何やらうんうんと唸り始めた。
「本当に? 本当にお前がユーリカをやったのか? いや、だってお前明らかに見た感じ弱っ……でもミラカに気づけたし、でもな~……う~ん。な~んか変なんだよな~……明らかに弱そうなのになんかこう弱くないというか。 でも流石にいくら何でも"お前なんか"にユーリカを壊すの無理じゃないか?」
歯に衣を着せぬとはこのこと。だが、吸血鬼ミラカは私の発する違和感と実力を正確に認識している。
肉体の強さと経験の不一致。それは、ネクリア様が強力な肉体を持っているが、その肉体を持て余した結果運動が苦手になってしまっているように。
その肉体が本来持ちうるはずの無い、持ってはいけない技術と経験を持ってしまっているからこそ生じる違和感を言語化しようとしているのだろう。
「私がユーリカという吸血鬼を倒したのは事実だ」
「ん、よし分かった。じゃあお前ミラカを攻撃してみろ。ちょっとだけミラカが遊んでやる」
強者特有の傲慢さとでも言うべきか、吸血鬼ミラカは胸を張った姿勢で仁王立ちしている。言わばもの珍しい昆虫か何かを見かけて採取するような感覚でいるつもりなのだろう。
「ああ、ならその余興、乗ってやる」
ダインソラウスを下段に置き、地に引く。
大地の抵抗で無理やり力の行き場を抑えつけ続け、それを解放する一瞬の合間だけ爆発的な加速力と破壊力を得る戦技。
【地衝裂斬】
の本来の力の1割にも満たないような紛い物でしかない。欠点として、敵前で力の行き場を大地を使って無理やり抑えつけるという予備動作自体が致命的なまでの隙を晒しているといっても過言ではない。だが、それをわざわざ見送ってくれるというのだから、使わない手はない。
戦技として放ってさえしまえば、今この身体で使える最も強く、最も鋭く、最も速い必殺の一撃となるのだから。
「お~い、お前、ずっとその剣を地面に擦りつけてるけど大丈夫か?」
この後に及んでも油断し続けている。ならば――
「オォオオオオッ!」
「お~?」
女吸血鬼ミラカの懐へと潜り込み、大地との摩擦熱で赤熱化し火花を散らすダインソラウスを喉元目掛けて一気に振り上げる。
油断か、余裕かは知らないが吸血鬼ミラカは微動だにしていない。その刃が喉元まで届き、首を刎ね飛ばす寸前に――
手ごたえがない。勢いを完全に殺された。
たった二本の指で、まるで羽虫を優しく摘まむように、必殺の一撃を止められた。幾ら力を籠めようともダインソラウスは微動だにしない。
そして、女吸血鬼から向けられていた好奇の眼差しは落胆と共に失われていく瞬間を捉えた。
これで終わりか? とでも言いたげな失望の感情を。
「こ――」
女吸血鬼が何か口を開こうとした。その瞬間を待っていた。勝利を確信し、完全に油断しきったその瞬間をな。
「ああ、まだだ――」
二本の指にせき止められてはいるが、ダインソラウスを振りぬこうとした力自体は残っている。ハンマーを壁に強く叩きつければ叩きつける程、その反動はより強く返って来るように。
ならば、その反動の衝撃さえも利用する。
「おっ?」
理屈は戦技【飛龍断ち】と変わらない。
一度目の斬撃で骨を断てないのならば、返って来る反動の衝撃を地に足を付けて受け止めるのではなく、宙へと跳んで衝撃と勢いを流し、それを全身の回転速度に転用するのだ。
そうすれば、衝撃の反動と全身の筋肉、そして回転で生じる遠心力を加えたことによって生じる龍鱗すらも切り裂く二撃目こそが本命であり、本質だ。
尤も、このままダインソラウスは摘ままれて動かせない以上、【飛竜断ち】へは派生できない。
ならば、反動が生じる瞬間にダインソラウスを捨て、代わりに【ローリングソバット】を顔面にくれてやえばいい。
本当の狙いである聖銀の短刀を引き抜きながら、な。
「オオオオオオッ!」
ああ、邪魔だろう。そのダインソラウス。なんせ無駄に大きい。そんなものを二本の指で摘まんでしまっては足元の動きだって見えにくい。何よりも、武器を掴んだことで無力化した気になってしまっている。
だから一瞬反応にも遅れる。とはいえ、それでもこの【ローリングソバット】では決定打とはなりえない。
ミラカは一瞬だけ驚いたような顔をしたものの、顔面を蹴られるという"屈辱"を嫌って足蹴をもう片方の手で受け止めようとする。だが、これで二つ腕を使ったな? そして、今さら摘まんでるダインソラウスを手放そうと意識を向けた時点で遅い。
【ローリングソバット】も囮だ。本命はソバットを繰り出す際の回転速度とソバットを当てた際の反動をさらに転用し、間髪入れずに別の角度からの捻りを加えて繰り出される二刀の聖銀の短刀から繰り出される回転双斬。
大剣術からの格闘、格闘からの短剣術、二度にも渡るブレードスイッチからなる不意打ち。これに初見で対応出来る者はそういない。
何故なら、大剣を見せれば当然大剣の動きを警戒し、こちらを大剣使いであると見て対策をとろうとする。その意識の間隙を狙うのが体術格闘へのスイッチだ。だが、ここまでなら大剣を振るった後特有の隙を補う動きとしてありがちだ。むしろ、それなりに戦闘経験を積んでいる者ならば間違いなく即興で対応してくる。
だからこそ、体術格闘へのスイッチをも囮とし、それに対応してくる動き自体を狙った"初見殺し"を仕掛ける。
「ッ!」
吸血鬼ミラカは咄嗟に後ろに飛び退いた。
「チィ……」
振りぬかれた聖銀の短刀には僅かに鮮血が付着していた。一方でミラカは短刀を掠めて傷がついて流れたであろう血液を舐めとってみせると、傷など全く無かったものになっている。高位の吸血鬼には銀による再生阻害も通用しにくい、というわけだ。
これだけの油断に乗じて、決定的な機会を手にし、連撃を加えてやってもかすり傷、それも全くダメージにすらなっていないというのだから、たまらない。
「ん、認めてやる。お前、機転が利くし、確かにちょっとはやれる奴みたいだな。それに、ミラカが強いって分かりきってるくせに立ち向かってくる根性もある。うん、いいな。欲しくなってきたぞ」
背筋に寒気が走った。対象が"ムシケラ以下"から"餌"にでも代わったとでもいうのか。捕食者然とした、されど色艶を感じさせる表情をミラカは浮かべている。
「そうか、それで、遊びが終わればどうするつもりだ?」
遊びが終わった以上、どこまで抗えるかは知らない。だが、ああ、そうだ。往くとこまで往くしかないのだろう。
「そうだ、あのくっさい臭いのせいで今はミラカのお鼻がバカになってるから聞くけど、お前って童貞か?」
「さてな、生憎最近物忘れがひどくて過去の話については思い出せない事も多くてな。実はとっかえひっかえやっているかもしれないぞ?」
馬鹿正直に答えてやる必要などない。童貞かどうかを聞くということは、その逆である可能性を示唆してやればいい。
「ああ、いいや。どうせ"後で確認すればいい"し。それで丁度ミラカは眷属の下僕をつい先ほど"全員無くしちゃって"な~。新しい下僕が欲しいと思ってたんだよな。だから、お前をミラカの新しい下僕にしてやってもいいぞ」
「そうか、他所を当たってくれ」
「むぅ……ミラカがここまで言ってやってるのに分からずやな奴だな……。ミラカはグラーキスと違ってケチケチしたりしないぞ? 欲しかったら下僕にもちゃんと血を分けてやるし……"吸血はダメ"だけど。お前が心からミラカの下僕になることに同意してくれるなら人格だって無理やり捻じ曲げなくて済むし、吸血鬼になったらお前はきっとすっごく強くなれる。だから悪いことなんて何にもないんだぞ」
このやり取り、ちょっと前に"天使気取り"ともやったような気がする。
「では、一つ聞きたいことがある」
「なんだ?」
「そちらはグラーキスという吸血鬼とはどういった関係にいる」
「う~……」
ミラカはどこかバツが悪そうに言葉を濁そうとしている。
「一応、下僕だ。ミラカはグラーキスに負けてるから従ってる」
つまり、少なくともグラーキスという吸血鬼はこのミラカよりも高い実力を有していることになる。とすれば、まともな手段で勝つのは限りなく困難、だろうな。無論、ネクリア様の身体を使っても困難だろう。
では、まともではない手段が必要になる。例えば、目の前の吸血鬼の死体があればどうだ? 多少は勝算が生まれる。
これでは一足飛びで捕らぬ狸の皮算用でしかない。だが、例えばミラカより一段劣る吸血鬼を殺し、その身体を手に入れれば、ミラカに対し戦いに持ち込むくらいは出来るだろう。
ただ、この場合問題となるのが、吸血鬼と成り果てた場合の代償だ。
「では、そちらの下僕となった時、俺はグラーキスとは戦うことは出来るのか?」
ミラカはグラーキスの下僕である。つまり、吸血鬼ミラカはグラーキスには逆らえない。だが、ミラカの下僕となった俺が間接的にグラーキスの下僕という従属関係になるかどうかは不透明だ。もし、グラーキスとの間に間接的な従属関係が生じないというのであれば、それは吸血鬼としての力を存分に利用できる。
という可能性があるのだ。
「……お前、頭大丈夫か? ミラカに勝てないくせにグラーキスに勝てるわけないだろ。ま~確かに、戦おうと思えば戦えるだろうけど、ミラカはそれをさせるつもりはないぞ。グラーキスは男を絶対に許さないし、ものっ凄く不機嫌になってミラカが怒られるからな」
つまり、吸血鬼ミラカの下僕となった身体の場合は吸血鬼グラーキスとの間に従属関係が生じずに戦えるということだ。
「あと、吸血鬼は血の力が絶対だ。直接の下僕じゃなくても血の強さに決定的な優劣が生じている場合は"本能的"に逆らえないようになってる。何というか、見たり近づいただけでも無条件に好きになったり、従いたくなる気持ちが強くなるんだよな。だから仮にお前が戦おうと思っていてもその気持ちなんて失せてしまうのがオチだな」
「では、何故貴女はグラーキスに不利になり得るような情報をこうして私に言うことが出来る?」
「それは、ミラカはちょっと特殊だし、グラーキスの血族では無いからな」
このやり取りで分かった事は、支配の強さには程度があるということだ。グラーキスの直属の眷属であるユーリカはグラーキスに対し"絶対的に逆らえない"ようになっている。
だが、ミラカの場合は別だ。こうして、情報を他者へ話すという利敵行為に対し特に苦痛を感じている様子がない。恐らく、血の優劣によって"本能的に逆らえない状態"にあるのだろう。
「ん、それでそろそろミラカの下僕になる決心はついたか?」
「ああ、理解した。それで決心もついた。やはりお前は殺さねばならない。とな」
「はぁ?」
私の答えに対し、吸血鬼ミラカは呆けたように口を開けていた。この答えに対する理解をミラカに求めるつもりはない。
ミラカは既にこう言っている。眷属を全員無くしたと。つまり、ミラカの眷属の身体は既に全員"首"にしてしまっている以上使えない。ミラカの下僕になった場合も、ミラカ自身がグラーキスと戦うことを止めるので使えない。
ならば第三案、ミラカの身体を殺してでも奪い取るしかグラーキスに対抗できる方法が無い以上。殺しに行くしかないのだ。
某サガ系の物語じゃHP30しかない遊牧民ロリが聖騎士ガラハドから殺してでも奪い取ってただでアイスソード手に入れられてたのに
いつの間にかガラハゲが吹雪で抵抗してくるようになっていて面を食らったことがあるらしいぞ。
ちなみにHP30のままガラハドからアイスソードを殺してでも奪い取った後に、デス様に頼んでガラハドを生き返らせるとHPがマイナス50されて負のオーバーフローを引き起こした結果、最大HP999のゲームでHP65000超のガチムチロリに転生するのだ……
という割とどうでもいいバグがあるらしい……ごま塩程度に覚えておいて欲しいのさ……