第二十七話:闇のマゾ犬奴隷の盲者
「グゲェエエエエ! ゲェエエエエエ!」
声にならない声をあげては地べたをのた打ち回っている3体の吸血鬼。その様子を拍子抜けしたよう眺めているのはエルフの娘、ブルメアだった。
「うわぁ……ゾンヲリの言った通り、本当に効いちゃった……」
〇
「ねぇゾンヲリ。もし吸血鬼と出会っちゃったらこのものすご~くくさ~い瓶の蓋を開けちゃえばいいんだよね?」
「そうだ」
「う~ん……。でも本当に効くの?」
ブルメアにはこの瓶が吸血鬼に効くという実感が持てずにいたのであった。
「それは少なくとも私には効く。仮に効かなかったとしても、強烈すぎる臭気は奴らの鋭敏な嗅覚に対する煙幕となり得る。それで追手を差し向けられたとしても吸血鬼から追跡される危険性を劇的に減らすことが出来るだろう」
嗅覚感知に対する対策は二通りあった。一つは臭い自体を完全に無くしてしまう事、もう一つは強烈な臭いによって些細な臭いを目立たなくさせることである。
エクソサンソンの臭い液は後者の方法によって吸血鬼の嗅覚を無力化するのにうってつけであった。
「天使であるボクにも効いたね」
「そっか、それならきっと効くよね!」
〇
「ゲホッゲホッ、なんなんだよそのビン! あまりにも臭すぎるだろ!」
ウィローは鼻をつまみながら凄まじい異臭を放つ小瓶の中身に対し激怒していた。
「そうかな~~? でも慣れてくるとクセになるし。私はちょっと好きだけどな~。ほらっちょっぴりだけど"腐ってる時のゾンヲリっぽい臭い"もするしっ」
悪臭の源泉に最も至近距離に居るであろうブルメアがこの場に居る者の中で誰よりも平常を保っていたのだ。それどころか、スンスンと鼻を鳴らして自ら匂いを嗅ぐ素振りさえして笑顔まで浮かべて見せている始末である。
「は?」
恋はヒトを盲目にするというが、あの戦士っぽい臭いが"少し混じってる"という理由一つだけでエクソサンソンの常軌を逸した悪臭すらも真正面からねじ伏せて好きになってしまう。
その名状しがたいまでのブルメアの度し難い盲者っぷりにウィローは思わず絶句していた。
「ブルメア……お前……やっぱすげー気持ち悪いよ」
「ううっ……イジワル言わないで欲しいよウィロー。えっと、それじゃあ吸血鬼たちにちゃんとトドメささないとダメだよね」
そう言ってブルメアはコバルトクレイモアを引き抜き、のたうち回っている吸血鬼の元へとおもむろに近づいていく。
「お、おい。ブルメア。お前何をして――」
「えいっ」
ブルメアはおぼつかない様子で銀の剣を構えると、躊躇いもなく吸血鬼の心臓を一突きにしたのだ。
刺し貫くその瞬間だけは、一切の淀みもなく冷淡さすら感じさせる程の技の冴えを見せて。
「グギャアアアアアッ!!!!」
吸血鬼はおびただしい量の血飛沫と壮絶な断末魔をあげて身動き一つしなくなった。 されどブルメアは続けざまに吸血鬼の首を切り落としにかかるために再び剣を振りかぶり、振り下ろす。
「どうしたの? ウィロー」
血塗れの銀の剣を手にしながらきょとんとした笑顔を浮かべて振り返る。
そのすぐ真下には地獄を見て来たかのような苦悶の表情を浮かべて死に絶えている"元はエルフであった"吸血鬼の生首が転がっている。
ウィローには、一瞬どちらが"鬼"であるのか見分けがつかなかった。
「ヒッヒィ……」
ウィローは腰を抜かして動けなくなってしまっていた。
「あっ、そうだよね。早く残りの吸血鬼の息の根も止めておかないと怖いよね。待っててね」
軽い足取りで吸血鬼の元へと駆け寄るブルメア。そして、二度の壮絶な断末魔が鳴り響く。
「なんだよ…これ……何なんだよ……これは……」
今度は守ってやる。などと言ってやった女が、何食わぬ顔で守り人でさえ恐れる3体の吸血鬼を殺して見せたのだ。
吸血鬼の容姿はエルフだ。見た目はエルフそのものだ。顔は知らなくても、今は吸血鬼でも、かつては同族であった者なのだ。それを、ブルメアは殺した。かつては虫も殺せそうになかった弱そうな女が、まるで虫を潰すようにエルフを殺したのだ。
そして、ウィローに対し、記憶にあったあの頃と全く同じ無邪気な笑顔を向けている。 それが、ウィローにはたまらなく気持ち悪かった。
「うげっ……ゲェエエエエ……」
「大丈夫? ウィロー? 死体見るの初めてだよね? おちついて」
ブルメアのあまりにもズレきった気遣いが、ウィローをより腹立たせた。
「おちついて……られるかよぉおお!」
「キャッ」
ウィローは背中をさすろうとするブルメアを振り払った。
「なんだよお前! なんでそんな平然としてられるんだよ。そいつらだって元はエルフだったんだぞ……そんな酷い殺し方しておいて……なんでそうやっていられるんだよ!」
「でも今は吸血鬼だよね? ただの敵だし魔獣と変わらないよ? ほっといたらすっごく危ないし。ちゃんと心臓潰して首を切り落としておかないと起き上がってまた襲い掛かって来るかもしれないからここまでやった方がいいってゾンヲリが言ってたし」
「言葉だって言ってた! 話せばわかる奴かもしれないだろ!」
「ん‥…? "魔獣"だって言葉を理解してたり話したりもするし、怒ったり悲しんだりする感情だってちゃんとあるよ? ゾンヲリもたまに魔獣と会話してたりするけど、やっぱり襲ってくるならやっつけちゃうけど……」
言葉を使う。知能がある。だから話せば分かるというウィローの言葉に対し。ブルメアは元エルフの吸血鬼を"ヒトの形をしているただの魔獣"と切り捨てた。
魔獣だって言葉を使うし、知能もあるのだから。ヒトと獣を隔てる要素になり得ないと。
その悲しいまでに合理的で一切の温情をかけない冷徹な精神性を会得してしまったのは、今まで戦士から受けて来た教育の賜物である。
素手で泣き叫ぶ魔獣の首を絞め殺してきた。逃げ惑う魔獣の頭部を握りつぶしてきた。襲い掛かって来る魔獣を短刀で刺し殺した。ただそこに居ただけの魔獣を狩るように弓矢で射殺した。
その殺してきた魔獣全て、心があって、社会があって、様々な感情を見せて来た。時には家族を守るために、愛する者を殺された復讐のために、飢えて困るに困って、ヒトを襲うのにやむを得ない事情もあった、そんな魔獣もいた。
だが、皆殺してきた。そんな事情など知った事かと。
何度も、何度も、何度も、ブルメアがこれまでに殺傷してきた命の数は百などとっくに超えている。そして、戦士はもっと凄惨な殺し方をブルメアに見せ続けてきた。
毎晩のように、夥しい量の魔獣の死体を山のように積み重ねて。
その"経験"と"環境"が、ブルメアを一人の戦士にしてしまったのだ。
その一方で、ウィローは戦いを何一つ知らない、純粋な一般人だった。敵を殺した経験が無ければ敵から強烈な殺意を向けられた経験も無い。敵が居たとしても、代わりにどこぞの誰かが守ってくれる。誰かを殺さなくても糧を得て生きていくのにも困ることもない。
それが当たり前という環境の中で生きて来た。だからこそ、今の変わり果ててしまったブルメアが気持ち悪くてたまらない。
「……そっか、ごめんね。多分私、きっとまた考えなしにウィローを怒らせちゃったんだよね。でもね……今は本当に危ないから……安全な場所につくまででいいから、私を信じてついてきて欲しいな。それまではウィローのことは私が"守ってあげる"から」
ブルメアを見て怯え怒っているウィロー。それを見て、ブルメアはようやくウィローの恐怖の対象が自分であったのだと自覚した。
ブルメアには落胆はあった。しかし……。
――きっと私も……"最初"はゾンヲリのことをこういう風に見てしまってたのかな……。
ブルメアが最初、牢獄の中であの戦士の服の裾を掴むしかなかったあの時を思い出し、思いに耽っていた。ブルメアにとっては、あの戦士に"近づけた"のだという嬉しさと高揚感の方が勝っていたのだから。
「くそ……くそぉ……」
ブルメアは目の前のウィローではなく、どこかの"遠い誰か"を見ているのが明らかだった。
それが、ウィローにとってたまらなく屈辱だった。
守ると誓ったはずの女に逆に守られる。子供の頃のお遊びでしかなかったとはいえ、将来結婚を誓ったはずの女に見向きもされない。どれだけ悪態をついても、もはや彼女の感情を揺らす事すらも出来ない。
ウィローの腸はあまりの屈辱に煮えくりかえっていた。
そして何よりも、こうやって無様で惨めに震えながら女の手に追い縋るしかない、己の無力さに腹が立っていたのであった。
またウィロー君の脳みそが破壊されてる……
今のウィロー君の心情を例えるなら
久しぶりに地元に帰ってきた好きだった幼馴染が間男のことばっかり喋ってたり
髪とか言葉遣とか性格も全部間男好みに染められていた……
という中々にいたたまれない状態なわけですが
一方当の間男ことゾンヲリさんは
ゾ「ウィロー少年とブルメアをくっつけたろ! ウィロー少年の恋路を応援するぞ! がんばれがんばれ少年♡」
ゾ「ブルメア、俺のように誰も幸せにできない塵屑よりももっと相応しい男がいるはずだ! そう、例えば飛竜狩りのようなイイ男とかな!」
という特大の煽りと地獄めいたノリで寝取らせを推奨する有様である
同時にブルメアさんのヤバさも露わになってきたわけです。はい。イサラちゃんもそうですが、エルフの女の子は基本的に何百年も一緒に過ごすという覚悟を決める関係上、一度決めた相手にはとことんグラビディになる気質があるため……
誰かが折れない限り誰も幸せになれない地獄の三角関係が爆誕してしまった……というお話なのさ……