第二十六話:感度1億倍の吸血鬼ミラカ 涙目になる
「ん? な~ユーリカ~。今"地面が揺れた"よな? もしかして地震か?」
吸血鬼ミラカは進行方向から微かな"揺れ"を感じ取ると、道案内に同行させている元エルフの女吸血鬼ユーリカに尋ねていた。
「私は感じ取れませんでしたが……。恐らくは遠くで大型の樹霊か森の番人が移動を始めただけではないでしょうか」
「ん~そうか? でもあっち側って確か今向かってる集落だよな? "一回だけ"微かに揺れただけだからミラカはあの動く木とかバカデカクモとも違うって思うんだよな」
「私が吸血鬼になる前は150年程森で過ごしてはいましたが、地震を経験したことはありませんよ。この辺りはテラントゥスの縄張りから離れていますし、ただの気のせいではないでしょうか?」
「そうか~? ミラカもなんかそんな気がしてきたな」
感じ取れた揺れが一度きりであったのもあってか、吸血鬼ミラカはそれ以上気にするのはやめた。
「な~な~ユーリカ。道は本当にこっちで合ってるのか? さっきから同じような道ばっかでミラカはもうチンプンカンプンだぞ」
何も起こらない退屈な道中なのもあってか吸血鬼ミラカは適当な理由をつけては吸血鬼ユーリカに絡んでいた。
「集落にはもうじき着きますよミラカ様。ほら、臭いもしてきましたよ」
言われてスンスンと鼻を鳴らす吸血鬼ミラカであったが、すぐに鼻を抑えて顔をしかめてしまう。
「うげっ、この何年も放置して熟成されたヘドロとドブ水の入り混じったような非童貞臭、ミラカ死ぬほど嫌いなんだよな~」
「我々吸血鬼は純潔を保った綺麗な血しか飲めませんものね。あれらの血を好んで飲むような吸血鬼は見境なしの廃棄物くらいではないでしょうか。あの、ミラカ様?」
ユーリカがそう言って振り返ると、ミラカは後方で立ち止まっていた。鼻を抑えたまま。
「よし! それじゃあミラカはここで待つことにした。とりあえず3人くらいミラカの下僕をユーリカに貸してやるから捧げられた生贄はユーリカがここまで連れてきてくれ! お前とお前とお前はしばらくはユーリカの言う事を聞くんだぞ~」
闇に溶け込みながら無言で周囲を警戒していたミラカの眷属達のうち、指を指された者達は統制のとれた動きで吸血鬼ユーリカの前に跪いてみせた。
「あ、ハイ。では行ってまいります」
吸血鬼ミラカはユーリカを見送った後、暇つぶしに少し集落の側に踏み込んではスンスンと鼻を鳴らし、ウッと顔を背けて後戻りをするという行動をしていた。
「あ~ほんと臭い。何度嗅いでも思うけど、あの集落のエルフ共はよくこんなおぞましい臭いのする場所で生活できるよな……」
吸血鬼は純潔を保った血以外飲むことは出来ない。
だからこそ、吸血鬼は獲物が純潔かどうかを嗅ぎ分ける嗅覚においては特に優れており、純潔ではない者達が発する独特の臭気に対し生理的嫌悪感を抱くようになっている。
「って、んっ? んんっ? みょ~な所から瑞々しくてフレッシュな童貞の香りがする……?」
肥溜めの臭いがする集落の方角からやや外れたところに、清涼感溢れる童貞の香りが漂ってきていることにミラカは気づいたのだ。
「よ~し、ミラカの下僕共~、あっちの方向を出歩いてるフレッシュ童貞君をミラカの元まで攫ってくるんだ! ふん♪ ふん♪、ラッキーだな♪ 最近ず~~っと吸血にご無沙汰で貧血気味だったけど久しぶりのデザートにありつけるぞ♪」
ミラカは上機嫌な様子で命令を下すと、下僕達は統制のとれた動きで一斉に闇の中へと消えていった。、
〇
当てもなく大森林の中を一人で歩いていたウィローの目の前に突然吸血鬼が現れた。
「う、うわぁあああああああ! 来るな! 来るなぁ!!!!」
それを見て、元来た道へと一目散に逃げようとしたウィローだったが、何かにぶつかったのだ。ウィローは恐る恐る見上げると、そこには闇夜に赤い双眸を浮かび上がらせる人影、吸血鬼がいつの間にか立っていた。
「来い。童。ミラカ様がお呼びだ」
「ひっひぃ……」
死人のように冷たい手で腕を掴まれウィローは下着が生あたたかくなる感覚を覚えた。その時、突如吸血鬼が豪快に真横に吹っ飛んでいく。そして、続けざまに飛来する三本の矢が吸血鬼を襲った。
「やっとみつけたよ~大丈夫? ウィロー」
ウィローの傍に降り立って言葉をかけたのは、エルフの娘だった。瞳と同じ翠色の長髪をゆらし、弓を構えて毅然と吸血鬼に立ち向かっている。
「ぶ、ブルメア……? お前……なんで……?」
「助けにきたよ~。私の後ろに隠れて! やっつけちゃうから」
そして、ブルメアはポーチから"小瓶"を取り出すと蓋を開けた。
〇
「って臭ッ!!!!!! くさーーーーーーーっ!!!!! なんだこの臭い! 余波だけなのにヤバいってレベルじゃないぞ!!! 一体何が起こってるんだ!!!」
突如周辺に漂い始めたこの世の最悪を凝縮したような臭気に、吸血鬼ミラカはただただ悶絶していた。
「ああでもこれ嗅いだことはあるぞ。ミラカの嫌いなあのクサクサ触手共の息の臭いじゃん! うわ!? 何でこんなところにまで奴らが沸いてるんだよ! ほんとちょっと、洒落にならないぞ!」
クサクサ触手ことエクソサンソン。それがもたらす壮絶とも言える臭気は理屈抜きでヤバかったのだ。
「目から涙が止まんない。逃げ……って駄目だ。ユーリカが帰ってこないとまた森で何日も迷うじゃん! "血の繋がり"も無いから今のユーリカの状態全く分かんないし! うみゅーーーーーーーっ!!!! ミラカの鼻が馬鹿になりゅ~~~っ!! ユーリカ~生贄とかもうどうでもいいから早く戻ってきてくれ~~~~~」
吸血鬼の嗅覚は異常な程に鋭い。むしろ、あまりにも鋭すぎた。
吸血鬼の嗅覚の鋭さは人間と比較すれば1億倍は鋭敏であり、とどのつまり、エクソサンソンの臭いによるダメージも人間と比較して1億倍になってしまうのである。
嗅覚が鋭い獣の魔獣達が大森林から一匹残らず消える程に強烈な臭いハラスメント。それが、吸血鬼ミラカの感度の良すぎる鼻腔を徹底的なまでに侵していたのだ。
「はぁ……はぁ……うぶっ……気持ち悪ぃっ……。デザート回収に向かったミラカの下僕の反応が消えてるしぃ……。まぁ、あのクサクサ触手が相手じゃ仕方ないよな。 アレはほんと理屈とか冗談抜きで吸血鬼を殺せるくらいヤバい臭いだからな……うっかり至近距離で嗅ぎでもしたら頭と心臓が破裂してもおかしくないし下僕共には悪いことしたな……。ってえぇ……? ユーリカに付けさせておいたミラカの下僕達もやられてるぅ……」
立て続けに起こる不運と不幸に吸血鬼ミラカは一人で勝手に翻弄されていたのであった。
――だけどな、いくら相手があのクサクサ触手でもあいつらにあるのは下等な本能だけで大した知能なんてないはずだぞ。それで別々に送った下僕が同時期に全滅するものか? しかも臭いだってそれまで"そこに無かった"のに急にその場に沸いたように漂ってきた。これに"作為が無い"とかあり得ないよな
吸血鬼ミラカは嗅覚から得られる情報と下僕が失われたという状況から、思案を巡らせていた。涙目になりながら。
そして、一つの結論を導き出した。
「まさかな……あの集落の根性なし共、どうやったかは知らないがクサクサ触手共を飼いならしてミラカ達に嫌がらせしてやろうってつもりなのか? 舐めやがってぇ……クソ、くそぉ……臭い。臭すぎて鼻がもう馬鹿になっちゃってるけどぉ……」
吸血鬼ミラカは一度ほっぺをパンパンと叩くことで気合を入れ直すことでしかめきっている顔を元に戻す。
「この調子じゃユーリカもなんかヤバそうだし行くしかないな。愛玩奴隷のユーリカに死なれたらグラーキスに怒られるし。もしもこれでただ嫌がらせだったらあのエルフ共、全員、ハラワタ引きずり出してぶっ殺してやるからなっ」
そして、吸血鬼ミラカは鼻を抑えながら夜の森を駆けていったのであった。当然、エクソサンソンの臭いのしない方角へと。
諸事情で忙しくなって執筆作業が滞る可能性大なので、12月まで更新頻度が落ちるかもしれません。どうかご理解とご協力を(殴