第二十話:魔獣の長とゼファー
元来、エルフという長命種族は非常に子を成しにくい体質を有しており、アイゼネ=ブルーメイルに住む者達の男女比は事情により男性が9割以上を占めていた。
それもあってか、アイゼネ=ブルーメイルにブルメアと同年代のエルフの子供はウィローしかいなかった。
ウィローは同じくらいの背格好のブルメアに興味を持ったし、ブルメアも外から来たという偏見も無しに接してくれるウィローに対して親しみを抱いていた。だから互いによく遊ぶようになり、時には喧嘩したりもするくらいには仲が良かった。
「よっ、ブルメア」
子供用の練習用弓矢を使って矢を射る練習をしているブルメアに対し、ウィローは後ろから軽い調子で声をかけたのだ。
「わっ、ああっ! 外しちゃった……」
背後からウィローに声をかけられた事で、驚いた拍子にブルメアが放った矢は的にしていた丸太にも届かず地面にべたっと落ちてしまう。
「や~い下手糞~」
「も~、ウィローが急に後ろから話しかけるから驚いちゃったよ~」
「それよりブルメアは何で弓の練習なんかしてるんだ?」
「えっとね~。私ね、早く昔のおと~さんみたいに狩りが出来るようになりたいんだ。そうしたらもうウィローのお父さんとか、村の皆に迷惑かけなくてよくなるもん」
ブルメアとその父であるゼファーは集落の者達からのおすそ分けで生活している。これを快く思わない者達はゼファーやブルメアに対して直接何かを言ったりはしないものの、不快感をあからさまに表情に出すといった形で抗議することも珍しくはない。
少し耳を澄ませば聞こえてくる声も、ごく潰しであるゼファーやブルメアを悪く言う噂話ばかり、子供心ながらもブルメアは自分たちが集落の者達からよく思われていないことは分かっていたのもあって、閉塞感や息苦しさを感じていた。
「いや、矢が的まで全然届いてないし女の子のブルメアに狩りは無理だろ。木の実拾いはともかく、森の魔獣は大の大人達が集まっても全く歯が立たないくらいすっごく強いから、見つかったら危ないんだぞ」
「ん~……そうかな? そんなに危ないのかな?」
大森林に住んでいる魔獣は極めて強力だった。だからこそ、エルフ達は魔獣のテリトリーを侵さない場所に集落を築き、魔獣のテリトリーに踏み込まずに迷いの森を安全に進める"風の道"を通って細々と暮らしている。
「俺さ、ちょっと前に集落の近くに魔獣がうろついてたの見たんだ。凄く怖かったぞ」
「あ、それ私も見たよ~。すっごくおっきくて可愛かったよね~。頭撫でさせてもらっちゃった。えへへ」
「ブルメア、お前何言ってんの?」
「え?」
「え?」
それでも時折魔獣が集落の近くへと姿を現すことがある。その場合に戦うのが守り人の仕事の一つだった。そして、多くの集落の者達はゼファ―が守り人の仕事をしていないことに憤りを感じているのだ。
あのように片足を失っている守り人には集落の安全は守れない、と。
だが、ゼファーは守り人の仕事をしていたのだ。魔獣の長と時折会っては森の資源の取り分を取り決めあい、お互い領域に踏み込まないように協定を結ぶという形で。
ゼファーが長年守り人として魔獣を狩り続けて力を示して来たからこそ、魔獣の長はゼファーを畏れた。そして、ゼファーもまた必要以上に魔獣の領域を侵して来なかったからこそ、互いに"争わない"という合意が得られたのだ。
ブルメアはそんなゼファーの姿を見てきたのもあって魔獣に対する恐れが薄く、集落の者達はゼファーの仕事の様子を知らないがために、時折ゼファーに会いに来る魔獣の長を見かけては騒ぎ立てたのだ。
集落に魔獣が近づいている、と。なのにあの守り人は一体何をやっているのだ、と。
「まぁまぁ皆さん、魔獣達には集落に近づかないように私から言っておきましたので、どうか落ち着いてくださいよ」
ゼファーの自宅には武器を持った集落の男たちが詰め寄っていた。もはや暴徒寸前といった剣幕の男たちをゼファーはなだめようとしている。
「元に、先日近づいてきたではないか! 多くの者達が見ているんだぞ!」
「あ~……見られていたのか……。あれはですね~~、私の古~~い知り合いでして。足を悪くした私の為にわざわざ会いに来て森の様子を教えてくれたのであって、まぁ、ともかく話が通じる奴なんですよ。ですから心配は要らないんですよ」
「魔獣に言葉など通じるわけないだろうが! 出鱈目をいうな! 皆、退治しに行くぞ。こんな守り人に集落の安全は任せられない」
「そうだそうだ!」
「待て、待つんだ。それはダメだ。今は"外来種"が森の中に現れたことで魔獣達もかなり気が立ってるんだ。そんな時に領域に踏み込んだらただじゃ済まない。皆、頼むからやめてくれ」
「うるさい、黙れ。狩りも満足に出来ないごく潰しが!」
そして、集落の男たちはゼファーの制止を無視し、大勢で森の中へと踏み込んでいったのだ。その結果は散々たるものとなったのだ。
男たちは森の中で見かけた"勝てそう"な魔獣に対し手当たり次第に攻撃を始め、そして魔獣達からの報復を受けた。戦いにはならなかった。最近武器を手にしたばかりの暴徒程度に戦えるわけがなかったのだ。
何故なら魔獣は魔獣なのだ。人よりも圧倒的に優れた暴力を持っている。彼らに食われていなかったのは、彼らなりの"慈悲"や"社会"があったからだという事を、人は時折忘れてしまう。
ゼファーが現場に駆け付けた時には、生き残りは僅かで、周囲は魔獣達に取り囲まれていたのだ。
「なぁ、友よ。どうかあの馬鹿者共を許してやって欲しい」
ゼファーに友と呼ばれた魔獣の長は静かに首を左右に振った。
「……そうだな。この馬鹿者共はお前たちの領域に勝手に踏み込んで、あまつさえお前たちの子を殺し過ぎた。このままではおさまりなどつくわけがないか」
子の亡骸の近くで鳴き声を上げる親と思わしき魔獣が居れば、怒りに狂って歯をむき出しにして遠吠えを上げる魔獣も居る。その魔獣達の前に居たのが、友と呼ばれた長だった。
魔獣の長は悲しげな瞳でゼファーを見つめていた。長の命令でこの場をおさめることは出来なくはない。だが、ここで無理やり魔獣達を抑えつけてしまえば、子を殺された魔獣達は長を長と認めなくなる。
そして、それまで長の元で保たれていた魔獣達の秩序は崩壊し、各々が好き勝手にやりだすようになる。集落を襲わないという協定も無視されるようになる。ゼファーも、長も、そこは承知していたのだ。
故に、長は協定を土足で破った馬鹿共を許すわけにはいかなかった。両足があった全盛期のゼファーであったのならば、ここで暴走した魔獣達を力で抑えつける事も出来ただろう。だが、今のゼファーには集落を守れるだけの力が無かった。
「この件での責任を問わねばならないのは馬鹿者共の暴走を抑えきれなかった私だ。だから、どうか私の首で手打ちにして欲しい。それで、どうか、集落の者達を襲うのはやめてくれないか?」
頭を下げるゼファーと、静かに目を伏せる魔獣の長。そして、長が魔獣達に遠吠えで指示を出すと、エルフ達の退路は開かれた。ゼファーの懇願は了承されたのだ。
男たちはそれを好機と見て、脱兎の如く逃げ出していったのだ。窮地を救ったゼファーに対し一瞥もくれることもなく。
「そうか、感謝する」
――これでブルメアが居る集落が魔獣達の報復で襲われることはない。あの者達がいくら愚かでも再び魔獣の領域を侵そうなどと考えることもあるまい。ああ、これでよかったのだ。だが……心残りが一つある。
「友よ。もう一つだけ個人的に頼んでも構わないか?」
魔獣の長は静かに次の言葉を待った。
「どうか、もしもの時は、娘を頼む」
――既にあやつの居らぬ現世に未練など無く、森へと還る時を待つばかりだと思っていたというのにな。娘の花嫁姿を見るまで待てぬことを後悔するとは、全く……父になるというのも難儀なものだ。先に還る父を許せ、そして、幸せでいてくれ、ブルメア
長は一瞥すると、ゼファーは静かに目を閉じる。そして、ゼファーの首を一瞬にして一撃で引き裂いた。痛みを感じる間もなく、ゼファーは絶命したのだ。
その日、長の地鳴りを伴う咆哮が、絶えることなく鳴り響いていた。
₍ᐢ⸝⸝· ᴥ ·⸝⸝ᐢ₎<ゼファーが死んだ!
普段ニート同然で何やってるか分からない奴なのに居なくなると急に困った事になるゼファーおじさんなのであった。
ゼファーバリアが無くなった事で、既に決まってる事とはいえ今後ブルメアさんは緑髪エロフの法則で不幸に見舞われることになるという……悲しいね。
ということで既に賢い皆さまならお察し済みかと思われるが次回はブルメアさん村八分回という名の胸糞展開なんだ、すまない。