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第十七話:仕方がなかったんだって奴だ


 ブルメアから肉体の制御権譲り受けた後に、今私達が置かれている状況をネクリア様とも共有した。


「――というわけで、集落の者達の真意を探るためにゴキブリ辺りの身体を使って偵察をしておきたいのですが」


「え~~……やなんだけど。だってお前がムシケラの身体使ってなんかする時って大体私にロクなこと起こんないし。というかさぁ、また前みたいにお前が鳥とかムシに食われそうになっても困るんだからなっ」


 以前鉱山都市の市長邸宅に潜入する際、私はゴキブリと化してネクリア様と別れてすぐに腹を空かせた鳥から襲撃を受けたのだ。


 ……どうやらその様子をネクリア様が見ていたのか、私を追って警備の衛兵に見つかって捕まった。というのがあの日ネクリア様が牢屋送りになった経緯だった。


 それもあってか、ネクリア様は私がゴキブリの身体を使うことに難色を示しているのだ。


「し、しかしですね。今回はブルメアを警備に残しますので」


「いやさ、急に道端に生えてる幻覚キノコ食べてアヘアへになってたような奴を警備に残されて安心しろって言われても無理あるだろ……」


 ……実にごもっともな話だった。


「ふむふむ、お困りかな? ならボクが人肌脱いで――」


「却下だ」


 おもむろに衣服のボタンを外そうとする痴女天使(ヨム)に目掛け、ネクリア様はポーチに潜り込んでいたゴキブリの死骸を投げつけたのだ。


 それをヨムは両手ですくい上げるようにして受け止めると、慈愛を込めるように優しく撫で愛でていた。


「や~これもゾンヲリ君の身体なんだろう? ちゃんと"こうやって"大事にしてあげないとダメだよ~? ネクリアちゃん。それと、こうして見てみるとムシケラにも中々愛嬌があるものだね」


「ああ!? 私には挟めるだけの胸が無いって言いたいのか? ああん!?」 


 ヨムはゴキブリの死骸を襟元から覗かせる豊かな胸の合間に挟めた後にこちらに向けて微笑みかけてくる

一方で、ネクリア様は眉間に青筋が走っている。


 今二人の間に行われた肉体言語的会話のやり取りが何を意味しているなどと考えるのは……やめよう。藪を突いてドラゴンに噛みつかれるのは勘弁だ。


 本音を言えば、少し、いやほんの僅かだけあのゴキブリが羨ましくはあるが、とにかく鉄面皮を維持だ。


「ネクリア様、落ち着いてください。ヨムの挑発には乗らないでください。話がまた拗れますから」


「ぐっ……。はぁ…はぁ…。くそぉ……あのデカい駄肉を見せつけられるとどうしても惨めで負けた気分になるんだよ……どいつもこいつも"胸を使ったプレイ"ばかり要求しやがってぇ……」


 魔族国で"パパ活"をしていた頃のネクリア様は"幼児体形"と身体的コンプレックスを周囲の悪魔たちに煽られては、他の豊満な淫魔達に客を横取りされていた。恐らく、あの一件だけではなく何度も何度も淫魔として屈辱的な敗北を味わってきたのだろう。


「ヨム、お前は少し黙っていろ。これ以上ネクリア様の古傷を抉って話をややこしくするようなら……」


「悪かったよ。ほら、ボクとしては"外敵に襲われないようにゾンヲリ君を安全に運んであげる"真面目な提案をしたつもりではあったんだけどね? キミに嫌われてまではやりたいとは思わないさ」


 確かに天使の谷間以上に安全な空間など限られている。さらにヨムの飛翔速度ならばゴキブリでカサカサ動き回るよりは圧倒的に早いし、遠くからでも目的の対象を見つけることも出来るだろう。


 ある意味合理的ではある。が、短期的には合理的であるからと言って感情を考慮せず軋轢を生む方法を選ぶのは長期的に見て合理的ではない。天使(ヨム)にはそれが理解できないのだろう。


 人としての感情が欠落しているがゆえに、他者の感情にも共感しようもないのだから。


「なんにせよ、ゾンヲリ君の事はボクが傍で見守っててあげるから安心してくれて構わないよ?」


「私にとっての一番の不安材料は痴女天使、お前なんだよ」


「ネクリア様、ともかくブルメアから私を切り離しませんと魔力欠乏症になってしまいます。そうなってからでは一日身動きできなくなってしまいますから……」


「んぐっ……お前が倒した吸血鬼を【アニメ―ト】する際に略式で魂呼びまでしちゃってるからさ、正直私も今はちょっとお前を長時間受け入れるだけの魔力が足りてないんだよな……仕方ない、私が"魔力を補充する"までの間だけ、ゴキブリになって偵察するのも許可してやる」


「ははっ」


 〇


 ゾンビウォーリアがゴキブリの身体に憑依し、集落の偵察に向かってからほどなくしての頃だった。


「あれ、ネクリア。どこにいくの?」


 そそくさと外に出ていこうとする淫魔少女ネクリアをブルメアは呼び止めた。


「ちょこっとお花摘んでくるだけだぞ。すぐ戻るから気にしなくていいからな」


「え、でも、ゾンヲリからネクリアを守るようにって言われてるからついていくよ」


「ダメダメ、"おこちゃまには見せられない"の。というかブルメアさぁ、お前人が排泄物垂れ流す所見る趣味でもあるのか?」


「うっ……嫌かも」


「なっ? ま、すぐに戻るから心配しなくても大丈夫だぞ」


 淫魔少女がそう言い残すと、ブルメアは一人自宅に取り残されてしまった。


 ――あれ、お花摘むなら裏庭に肥料置き場があるのに、ネクリアってば何処に行くんだろ……?



 前々から淫魔少女ネクリアはゾンビウォーリアがその場に居なくなると、何処かに消えてしまう事が度々あるのはブルメアは知っていた。


 そして、淫魔少女がコソコソと一人で何かする時とは、錬金術の素材集めの為に墓を暴くといった、誰かに見られたくはない"うしろめがたい"事をやっている時だ。それを裏付けるかのように、小さな足跡は裏庭ではなく集落の方角へと遠ざかっていくのをブルメアは聞いていた。


 ――ゾンヲリは知ってるみたいだけど……だったらやっぱりネクリアを追わなきゃ……でも……


 足が動かなかった。否、動かしたくはなかった。何故なら、淫魔少女を探して深夜の集落を歩き回れば、必然的にエルフ達と顔を合わせやすくなってしまう。


 そして、顔を合わせてしまったら、と考えるだけでブルメアは身震いが止まらなくなってしまう。


「こ、怖い。怖いよ……」


 今は一人になるのが怖かった。だが、エルフに会うのはブルメアにとってもっと怖かった。染み付いた奴隷根性からか、エルフ達から向けられる憎悪の感情からか、あるいは、自身の内側に渦巻く"どす黒い何か"に対してか。


 宵闇の霧の闇の中で、視覚の代わりに鋭敏になったブルメア聴覚が聞きなれない足音を捉えた。


 それは徐々に、確かにブルメアの方へと近づいてくる。


「は~っ…は~っ…お、落ち着かなきゃ、落ち着かなきゃ」


 気配を全く隠す気のない素人同然の足音はゾンビウォーリアならば絶対にやらない。一方で、淫魔少女の歩き方とも違う。明らかに"男の歩き方"だ。ただし、体格は子供だ。


 などと、ブルメアは冷静に思考してしまえるように訓練されてしまっている。


「誰、なの?」


 家の入口に入ろうとするのを制止するように、ブルメアは見知らぬ誰かに声をかけた。


「その声、やっぱりだ。お前、また大きくなってるけどブルメア、ブルメアだよな? 俺だよ、ウィローだよ。仲良かったの覚えてるだろ?」


 ウィローと親しげに名乗ったのは少年のエルフだった。


「ウィロー……? あっ、違う、違うよ。私はゾンヲリだもん。ウィローなんて人知らない」


「そうか……そうだよな。無理ないよな。最後酷い別れ方したし、ブルメアは集落の連中にすげーイジメられてたもんな。でもさ、俺はあいつらと違うから」


「……信じられないよ」


「でもこれだけは本当だから信じてくれ。ここはヤバいんだ。此処に居たらブルメアが吸血鬼の生贄にされちゃうんだよ」


「うん、もう知ってる。ゾンヲリが教えてくれたもん」


「だから、俺がお前を助けてやる。それで俺と一緒に此処から逃げようぜ」


 少年のエルフはブルメアの手を引こうとするが、ブルメアはその手を振り払った。


「え…、ブルメア……?」

 

 明確に拒絶された事でウィローは困惑を隠せなかった。


「ねぇ、ウィロー。逃げるって何処に逃げるつもりなの?」


「どこって……ここ以外ならどこだっていいさ」


 まるでここより最低最悪な場所などどこにも存在せず、外には希望で満ち溢れていると言いたげなウィローの口ぶり。


「それじゃあ無理だよ」


「別に無理じゃないだろ? あの"どんくさい"お前だって一人でも森の外でやっていけたんだ。だったらどこでだって大丈夫さ」


「……そっか、そうだよね。私ってどんくさいもんね。ウィローは……子供の頃のからずっと、何も変わらないよね」


 ブルメアはウィローの言葉に相槌をうつ一方で、自身の心が徐々に冷えていく感覚を自覚してしまっていた。


 ――私がどんな目に遭ったのかも何も知らないクセに


 とはブルメアは言葉にはしなかった。ただの子供に対して本気で怒鳴っても大人気がないのは分かりきっていたから。監禁と凌辱の記憶を無神経にほじくり返された感情(いかり)を、ただただ必死に殺し続けた。


「そうそう、そういうブルメアはおっぱいすげー大きくなったよな」


 何も知らず仲が良かった頃は全く気にならなかった軽口。ウィローには悪気が無い。ひと昔前と比べるとより女らしい身体になってしまった変化を指摘されるのも当然。


 ブルメアは自分にそう言い聞かせた。だが、こみ上げる吐き気を抑えることはできなかった。


「う、うぇぇ……」


「お、おい……大丈夫か? ブルメア」


 うずくまるブルメアに触れようとしたウィローの手は再び強く振り払われる。


「ごめん、お願いだから、私に触らないで……」


 有象無象の暴漢たちから欲望を孕んだ視線と悪意に延々と晒され続けてきた。だからこそ、他者から好奇の目で見られていることについては人一倍に敏感になってしまっていた。


 そして、差別され、暴力で屈服を強いられ続けてきた事でブルメアの心にはヒビが入っていた。


「あ、ああ。ごめん……。でもどうしたんだよ?」


「ねぇ、ウィローは……どうして今さらになって私にまた声をかけようと思ったの?」


「なんでって……俺さ、ブルメアの事が好きなんだ。今度こそお前を守ってやるって決めたんだ。だから――」


「ウィローだって集落の皆と一緒になって私を(オルグ)って呼んで追い出したくせに、私が一番つらくて苦しかった時に何もしてくれなかったくせに、どうして今さらそんな事言うの?」


 ブルメアからの痛烈な批判を受けて、ウィローは一瞬言葉を失った。


「だ、だってあの時は……仕方なかったんだ。 そうしないと俺も大人達に何をされるか分かんなくて……怖かったんだ」


「うん、そうだよね。"仕方なかった"んだよね。今なら馬鹿な私にだって分かるよ」


「俺さ、お前が集落を出てって沢山後悔もしたんだ。だからもう一回だけでいいから、俺を信じてくれよブルメア。今度こそ絶対にお前の事を守ってやるから」


 ウィローは再び情熱的な言葉をブルメアに投げかける。


「無理だよ……。ウィローに私を守ることなんて無理だよ」


 されど、ブルメアの心にはまるで届かない。ウィローの言葉を信じることなど到底できなかった。何故なら、ブルメアは知っている。


 何度もいざとなったら見捨てると言っておきながら、いざとなったら己の身を投げ捨てでも助けてくれるウソツキのことを。絶対に守るなどと口にしておきながら、いざとなったらあっさり見捨てたウソツキのことも。


 言葉なんてウソばかりで信用できないということを、ブルメアは知っている。"ただの子供"が見栄を張りたがるのも当然で自然なことなのだとブルメアは知っている。


「……え?」


「だって、"仕方が無かったら"、ウィローはまた私を見捨てるもん。それにね、私はもうウィローに守られなきゃいけないくらい、弱くはないんだよ?」


 監禁と凌辱の日々が、それ以上に辛い修練の日々が、子供のままだったブルメアに歪でねじくれた成長を促してしまったのだ。

ウィロー君、ゾンヲリさんのせいで脳を破壊されて可哀そう……でもないか。

セクハラ大好きハルバ君の方がウィロー君よりブルメアさんの好感度が高いってどういうことなの? って思うひとが全員だろうけれど。


言葉ではオラついてても、何だかんだでハルバ君はイサラちゃん一筋な所は行動と態度でバレバレだからね……仕方ないね。

ほら、ゾンヲリさんがツンデレで回りくどい言い方ばっかりしてるから……。そこんところで言葉より行動で裏を読む癖がブルメアさんについちゃってるんだよね……というお話。

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