第十六話:暴力はいいぞ!
ユークとも別れ、荒れ果てている借宿の掃除と修繕を軽く済ませて一息を付いた頃合いだ。
「やれやれ、まさか野営地のみすぼらしいテントと藁のお布団が恋しくなる日が来るなんてなぁ……、うっ、カビ臭っ、というか布団の裏に変な虫の卵がビッシリくっついてるんだけど!? こんなもんかぶって寝られるか!馬鹿っ」
ネクリア様はぼやきながら寝所を整えていたものの、枯れ葉をつなぎ合わせて作った布団の惨状を目の当たりにして蹴とばしてしまった。
「ネクリア様、それも一応借り物ですから……」
宵闇の霧の影響下では天日が届くことはなく湿気もかなり溜まっている。手入れもされていない枯れ葉の布団などもはやナメクジとカビの苗床だ。つまり、歯に衣を着せずに一言で表現すればゴミそのものなのは間違いない。
「エルフってさぁ、あまりにも大自然一体型な生活しすぎだろ……」
「天井で雨だけは凌げる分野営よりはマシと思うしかありませんね」
「で、実際の所ここって誰の家だったんだ? な、ブルメア」
ここに来てからのブルメアはずっと暗い様子で一言も発さずに黙り続けていることから、私も既に察してはいたが、恐らくは……。
いや、残りの説明は本人に任せ、私は裏側へと引っ込むことにしよう。
(肉体の制御を返そう。事情の説明を頼む)
「アイゼネに居た時に私が住んでた所だよ。だ、大丈夫だよ? 私ね、全然、気にしてないから」
「ボロボロ泣きながら言われてもなぁ……大体、気にしてない奴は気にしてないって言わないからな」
「あ……あれ……なんで……? なんでぇ……。グスっ……さっきまで全然泣いてなんかなかったのにぃ……」
先ほどまで表に出ていたのが私だ。それにより、私の精神状態に合わせた形でブルメアの肉体の状態も保たれていたのだ。だが、今はブルメアの精神状態に合わせて肉体に反応が出てしまっている。
私にとっては集落の者達からの悪意などと他人事で流せば済む話、だが、当事者であるブルメアにとってはそうではない。
「まっ、ブルメアが泣きたくなる気持ちは分からないでもないぞ。私だって魔族国の私の屋敷に帰ったら多分泣いちゃうからな。まぁ、その前に領民から石……というか火の玉ストレートとか大量に投げつけられて泣きそうだけどさ」
ネクリア様のジョークは悲惨過ぎて全く笑えないから困る。久々に故郷に戻ったとしても、返って来るのが悪意だけになるというのはやるせない。
「ふぇ、ふぇええええええん。やっぱり私にもう帰る場所なんて無いんだよぉ」
私の場合もはや故郷は既に消滅してるし、アンデッドと成り果てた私を待ってくれているような奇特な人間も居やしない。むしろ問答無用で嫌悪され火の玉ストレートをぶつけられるくらいの方がゾンビとして自然でさえあるだろう。ここまで来るとある意味では清々しく気楽なものだ。
なんせ、全てを諦めきれる。
何も持たないからこそ何も失わない。所詮は死人でしかない私には、うっすら残っている過去の記憶に照らし合わせてブルメアに同情するような素振りはできても、泣きじゃくるブルメアの悲しみや孤独を理解も共感もすることはできやしないのだ。
言葉をかけたところで、どこまでも他人事で薄っぺらいものにしかならない。
(慰めにもならないかもしれないが、居場所は新しく作ることは出来る。そして、ブルメアは既に自力でそれを成せるだけの力を持っているはずだ)
私が全力でネクリア様に媚びて歯向かう敵を暴力で蹴散らして何とかしたように、ネクリア様が無差別に周囲に媚びまくって何とかしたように、大体のことは媚びるか暴力で何とかなる。
「無理だよ……。だって私、半鬼だもん。皆私を嫌ってる」
「ま、ぶっちゃけ私ら全員嫌われ者みたいなもんだし? 今更気にするとこでもないよな」
ブルメアはエルフに嫌われる混血。ネクリア様は人間の敵である魔族でありながら公的な立場では魔族の反逆者。そして、私は生きとし生ける者全ての敵であるゾンビ……と、ここまで酷い面子になるとある意味壮観だ。
「失敬だねぇ、ボクは皆から好かれているけどね? あ、ちなみにボクは皆のことがだ~い好きだよ~?」
ヨムが突如【フェーズシフト】を解除して出現し、話に割り込んできた。
「私はブルメアのことは嫌いじゃないけど痴女天使、お前の事は大っ嫌いだけどな、それと一々出てくるなよ、私の前からさっさと消え失せろよな」
「や~、ここは皆でブルメアちゃんだ~い好きっておだてる場面じゃないのかい?」
「私はな、空気読んだフリして無粋に空気ぶっ壊す。お前のそういうとこも大っ嫌いなんだよ」
「やれやれ、神の御心、子供はつゆ知らずだねぇ」
「あ? 誰がガキだって!? ちょっと表でろやコラッ」
ブルメアそっちのけで口論を始める小悪魔と天使。人は何故、争いをやめられないのだろうな……。正直、ネクリア様も大概人の事を言えない気もするのだが……恐らく同族嫌悪なのだろうな。
あの二人はもうそっとしておこう……。
(今この場において、貴女を嫌う者など誰一人として居ないわけだ)
「でも私、半鬼なんだよ……?醜いんだよ?」
(はぁ……。ならば私は身も心も醜く腐って汚らわしく歪んでいる。暴力や人殺しくらいしかロクな取り柄もない。ああ、まごうことなく、どうしようもない塵屑のような男でしかない。それで、世間一般の人様と同じように、貴女も汚物や廃棄物同然のゾンビである私を嫌ってくれるのか?)
「嫌わないよ! ゾンヲリを嫌えるわけがないよ。だって……いいところだっていっぱい――」
周り全てが敵である方が単純で何も考えなくていい分気が楽なのだから。天使が言った通り、闇ばかりを見つめて不幸や絶望に酔うのも気が楽になる。
だから、嫌ってくれるというのなら、私もこうも悩みはしなかっただろう。
(ならば貴女も同じ話。そう思ってくれると言うのなら、過度な自虐もやめておけ。癖になる)
「うん……。でもね、もし私が半鬼だってエルフの人たちに知られちゃったらどうしよう……」
(その時はその時、構うものか。もしも私達の敵となり道を阻みたいと言うのなら、その代償を支払わせるのみ。だから、"細かい事"は気にするな)
どうせ行き当たりばったりだ。今までもそうだったし、これからもそうだ。
どの道、私とネクリア様の立場はどう見繕っても"世界の敵"だ。しかも、人間だけに飽き足らず、イリスの神とやらまで敵視してくれるのだから結構なことだ。
つまり、私達の味方など世界中を探し回ってもゼロであっても当然の事でしかなく、そこにエルフが敵として加わった所で最初から既定路線、些事でしかない。
「そっか……。やっぱりゾンヲリはすごいよね」
(いいや。今も私自身は誰かの身体を借りねば何も出来ない無能者だ。そして、貴女が危険性を承知で私に身体を貸し続けてくれているからこそこうしていられる。だからもしも、私に功績があるのだとすれば、それは貴女の意思と判断によるものだろう)
私を身に宿せば体内の魔素を私の維持の為に消費し続けることになり、その間魔素を回復するための睡眠も一切取れなくなる。そして、無理な体内魔素の酷使と憑依を繰り返せば肉体の寿命を削る。
なんせ、毎晩百頭魔獣を切り殺し魂を糧にしなければ捻出できない量の魔力を日々消費し続けることになるのだから。あのネクリア様ですら一見気丈には振舞っているが、近頃は疲労と焦りが見えている。
それを承知の上で、私に身体を貸しているのだ。私達も大分ブルメアに助けられているのは本当だ。
「もう……ゾンヲリはそうやっておだててくるのずるいよ!」
(それも処世術だろう? 尤も、貴女も自覚はしてないが普段やっている事だろうが)
「む~。私そんなに器用じゃないもん」
全くどの口が言うものかと言いたくなる。
生まれたての赤子のように、無邪気に人懐っこく微笑みかける。こんなことをされてしまえば振り上げた拳も降ろしたくなるというもの。何も持たざる者が持てる最後の抵抗手段、哀れさから同情を誘うか媚びへつらい気を良くしてもらって相手の良心につけ入るというもの。
案外、それだけで敵を減らしてしまえるのだ。人間さえも一部味方に引き入れてしまったネクリア様を見ているとそう思えてならない。
だが、分かっていても私にはそれが出来ない。上っ面だけを整えておだてるくらいしか出来ないのだから。表情を見せなくていい分、肉体が無いというのは気楽なものだ。
(なんにせよ、気が済んだようだな。もう慰めは要らないな? ブルメア)
もうブルメアには他人に気を配れる程度の余裕がある。涙も流し終えた。ならばもう、大丈夫だろう。
「うん。平気かも。でも……もしかしたらまた挫けちゃうかもしれないし……もうちょっと慰めて欲しいかな~、なんて。えへへ……」
ちょっと気を許すとすぐこれだ。
この庇護欲を絶妙に掻き立てるような仕草と声音。ネクリア様のようにいかにも腹の中に一物がありますと感じられるようなゴテゴテな作意が特にあるわけでもなく、自然体そのままに無邪気に甘えてくる。
今は身体を共有していて視覚情報が無いから何とかなってるようだが、男の身で美少女エルフに上目遣いで甘えられてみろ。耐えられるわけがない。
(調子に乗って甘えるな)
「うう、ゾンヲリのいじわる……」
(それより、そろそろ私が貴女に入ってから半日以上経過している。体内魔力の欠乏が近いのは気づいているな? だから私は別の身体を使って集落を調べようと思う)
「ちょっと眠い気がするけど……まだ大丈夫だよ?」
(いや、駄目だ。"状況が悪い"。今のうちにちゃんと休息をとっておくんだ)
「それってどういう意味?」
(いいか? 少し前に集落のエルフ達が言っていただろう? 吸血鬼に差し出す"女性の生贄"が必要だとな。そして、今集落に居る女性とはつまり、ブルメア、貴女とネクリア様だけだ。だから、何か食べ物や飲み物を差し出されても絶対に口にはするなよ。あと、このことは声にも出すな。誰かが"聞いている"可能性がある)
エルフの聴覚は常人の何倍も優れている。そして、おあつらえ向きに建物には穴も開いていて防音性は最悪だ。おまけに暗闇で視覚は役には立たない。
もし、視線を向けられずに黙って聞き耳を立てられでもすれば私も気づけない可能性は十分ある。
正直、さっきの会話内容も大分危ない。が、まだ致命的ではない。聞いていたエルフがブルメアが半鬼であることをネタに脅迫してくる可能性が増えた程度で済んでいる。
だが、反意が悟られていることをバレたとなれば最悪だ。最悪、集落の連中に今すぐ囲まれるということもありうる。
(だから、私が"別の身体"を使って集落の連中の動きを調べてくる。その間、ネクリア様の護衛は頼んだぞブルメア。分かったら頷いてくれ)
「……」
ブルメアは黙ったまま頷かない。
(ブルメア)
「べ、別に、調べなくてもいいんじゃないかな? ほら、ゾンヲリだったらきっと大丈……」
(もし、私が居ない時に集落の者達と顔を合わせてしまったら不安か?)
「うん……ゾンヲリは私の事、なんだって分かっちゃうんだね」
(同じ身体を共有していれば分かりもする)
身体の反応、動揺、震え、冷や汗が伝う感触、心臓の鼓動の高鳴り、息遣い。私はどれもブルメアと共有している。故に、私の身体制御を外れたブルメアの精神や肉体の状態が極度に疲労し乱れているのも分かるのだ。
私が"別の身体に移る"と言った瞬間、その乱れが一気に強くなったところも。
つまり、いざとなったら代わりに私に表に出てもらう。という手段が使えなくなることをブルメアはひどく恐れている。それだけ、ブルメアの抱えているトラウマというのは根深いのだ。
一朝一夕ではどうにもならず、根治には時間がそのうち解決するのを待つしかない。だが、その時間は今はない。ならば、痛みを伴う荒療治がいる。
「ねぇ、ゾンヲリ。やっぱり一緒にいよ? 私って、器用じゃないし絶対何か問題起こしちゃうよ?」
(構わんさ。いくらでも問題を起こせばいい)
「えぇ……?」
(そうだな、例えばだが……、暴力はいいぞ。ブルメア。無礼で腹の立つ奴を一発殴ってやると気分がスカっとするだろう)
「ダメだよ、集落の人たちとか守り人のユークさんに怒られちゃうよ?」
(構うものか、全部殴って黙らせれてやればいい。実は私も集落の連中にはほとほと頭にきていてな。向こうの出方次第では貴女がやらなくても私がやるだろう。だから小難しいことや細かい事は貴女は何も気にしなくていい。気が向くままにやりたいようにやって構わない)
「ねぇ……本気で言ってるの? ゾンヲリ」
(私は常に本気だ。なに、なるようになる。 ネクリア様やヨムを見てみろ。常に問題しか起こしていないだろう? それでも私達は何とかやってきているんだ)
「あっ……うん。そうだよね」
(むしろ貴方は戦闘面も含めてよくやってくれているし、私の頼みを良く聞こうともしてくれる。だが、少々"いい子過ぎる"きらいがある。だから少しくらい"ワル"になるくらいで丁度いい)
ネクリア様は戦闘は全くのからっきしであるし、ヨムは例の慢心癖で足を引っ張る。控えめにいってこの二人に戦闘は一切期待してはいけない。その点、ブルメアは鍛えてきただけあって戦力としては十分に数えられる水準だ。
そして、ブルメアは私がどんな無茶ぶりを言ったとしても何とか応えようする。応えてしまう。それは、今のブルメアの保護者的立場にいる私達に嫌われて見放されたくないという一心からか、なるべく"従順"……言い換えれば過剰に"いい子"でいようとしてしまう節がある。
「でも……ゾンヲリは……私が悪い子だったら嫌じゃない?」
(傍から見れば私は大量殺人鬼、悪そのものだぞ? ネクリア様にしても一般的な人類の価値観からして見れば墓を暴いたりと悪い事をそれなりにしてきている。あの天使は善とは言い難いどころか人を玩具やムシケラか何かとしか思っていない邪悪そのものだ。それと比べれば貴女が少しばかし我儘に振舞ったくらいならむしろ可愛げがあるというもの)
「クシュンッ。むっ、誰かボクの噂でもしているのかな?」
「本当に……いいの?」
(くどいぞ、構わないと言っている。だから、貴女がやりたいようにやって構わない)
スポーツはいいぞなノリで暴力はいいぞぉと言い出す今日のこの頃