第十三話: ブルメアさんの故郷(仮)
(ふわぁ……。あ、おはよ~ゾンヲリ)
エルフの集落に連絡に向かったユークの帰りを待っていると、呑気な声が脳裏に響いてきた。
「目が覚めたかブルメア。気絶している間身体を借りていたから返すぞ。それと、貴女が気絶していた間の出来事についても共有して――」
吸血鬼の事、ユークというエルフの守り人とのやり取りの際には念のため名前は隠しておいた事、そして、これからエルフの集落で恐らくエルフ達と会うであろう事を共有した辺りからだった。
ブルメアの様子に陰りが見えたことに気づいた。
(どうかしたのか?)
「え? ええっとね、なんでもないよ? えへへ」
ブルメアは言葉では平静を装って作り笑顔で誤魔化そうとしているが、肉体が極度に緊張していてぎこちなく、喉がやたらと渇き呼吸も乱れている。身体を共有している以上これらの反応からブルメアが今抱いている感情は推察できる。
不安と恐怖だ。そして、その対象は恐らく……。
(半端な嘘をつくつもりなら感情を表情や態度には出すな。同郷に会うのが辛いのならば私が表に出ておこうか?)
「ごめん……ゾンヲリ。やっぱりお願いするね?」
ブルメアに刻まれているであろう心的外傷は相当根深い。悪夢という人格を生み出すに至る程の強烈な迫害を受けているくらいなのだ。
彼女の状態を配慮するならば連れてくるべきではなかったのは明らかだ。
「一つ、今のうちに確認しておくが、この近くの地形に見覚えはあるか? あるいは、貴女を知るエルフと遭遇する可能性はあるのか?」
(……ここ、覚えてるんだ。 多分、私が前に居た"アイゼネ"の森だと思う)
「そうか、別の集落があるならばこの辺りは避けておくか?」
(ううん、森の奥には多分"結界"が張られてるから、樹民や守り人の資格を持ってるハイエルフじゃないと通してくれないと思う)
……ユークは自身を"守り人"であると名乗っていたな。つまり、彼の紹介や案内が無ければ奥へ進むのは難しいというわけか。
ならば、彼の心情はなるべく損ねない方がいいだろう。幸い、彼はブルメアに対しあからさまな敵意を抱いてはいないどころか、異性として意識してしまうような純朴さすらある。
最悪、飛竜狩りに使ったような"色仕掛け"という手も使えるわけだ。まぁ……ブルメアにはまた怒られるだろうが。
(ねぇゾンヲリ。もしかして変な事考えてない?)
「いや……今後の戦略目標についてちょっとな……。なんにせよ、案内が来たようだ。覚悟を決めておけ」
気配を感じた方角に向き直ると、ユークが姿を現したのだ。
「皆さん、お待たせしました。どうやらアイゼネの方々も受け入れて下さるそうです。ただ……」
ユークは心境としては複雑なのか、ネクリア様の方に伏し目がちに目線を配ると少々バツの悪い表情をしていた。
「ん、なんか問題でもあるのか?」
「いえ、その……アイゼネは昨今現れた吸血鬼からの被害を大分受けているので、気が立っていて気難しい方々も少なくはないのです。特に、他種族のネクリアさんの事については……一応言い含めてはおきましたがやはりよく思われていない方々も多いのです」
「それを教えてくれるだけでも助かるよユークさん。心には留ておくよ」
「あ、いえ……」
こうやってさり気無くユークの傍へ近づき作り笑顔を浮かべながら手をとり、ボディタッチするという形で好意を全面に出しておくことでユークからの好印象を稼いでおくというのも大人の醍醐味だ。
これをやられると私も内心ドキドキするのでかなり効くはずだ。尤も、これはいつもブルメアがさり気無くやってることなんだが。
「なぁ、お前さぁ、実はホモの気でもあるのか? 私は悲しいぞ」
「そんなものありませんよ……」
ユークに集落まで案内されている途中、ネクリア様に小突かれた後に小声で耳打ちされた言葉がこれだった。少し露骨で下品すぎたのかもしれない。
だが、最近長く女性の身体でいることが多いせいか、考えがそっちに寄ってきている気がしないでも……ああ駄目だやめよう。考えるな。私はまだ男だ。男なはずなんだ。
「ここがアイゼネの集落です」
そこは一言で言ってしまえば"原始的"な空間だった。まず見えるのが折れた木の枝や丸太をかき集めて作ったような竪穴式住居だろう。まさに自然の物を自然そのまま利用しているというべきか、壁や柱も丸太そのままで、"加工"されている様子が殆どない。
周囲は宵闇の霧に包まれて夜のように真っ暗闇になっているというのに、火の明かりすら灯っていない。火が使われていないということは"金属"もない。つまり、刃物や工具を使って精密に加工する技術もないのだろう。
衛兵と思わしきエルフが所持している弓や槍だが、矢には矢じりもついておらず、槍には穂先がついていない。つまり、枝先を削って尖らせているだけであるし、防具も動物性の皮鎧に樹皮を鱗状に加工したものをつなぎ合わせて張り付けているような状態だ。
巨木の洞を家屋代わりにしている者もいるのか、洞を塞ぐ垂れ幕の奥には調度品らしき物が見えるし、巨木の主枝の上に鳥の巣のように枝をかき集めて作った寝床と思わしき物まである。
「これが集落か?」
文明に慣れ過ぎたネクリア様がそんな感想を浮かべるくらいには、集落というにはあまりにも原始的過ぎた。
「し、自然的な場所でいいところですね」
正直、私も一瞬言葉を失うくらいには大自然そのままだった。まだ牢獄の中の方が雨風を凌げて住みやすいんじゃないだろうかとすら思ってしまうくらいなのだから。
まぁ、集落というより野宿するのだと思えばマシだろう。
という感想が浮かんだ辺りで、入り口まで出迎えにやってきたエルフが3人、そして一目見ようとやってきたであろう野次馬エルフ達が集まってくる。
いずれも美男ばかりだが、奇妙な事に"女性が一人もいない"。野次馬だけがそうなのかと思い、見える範囲村の中を見回してみても、誰一人女性が見つからない。
「ようこそお嬢さん方、我々は貴方達を歓迎しま……お前は!ブルメア!」
出迎えが歓迎の挨拶を言いかけた辺りで、私と目を合わせた瞬間に形相を変えた。
「ブルメアだと!?」
「半鬼だ!半鬼だぞ!」
誰かが私を指してそう叫びだす。
(ひっ)
「お、落ち着いてください皆さん。この方々は」
ユークが事態の収拾を図ろうとするも、野次馬の声にかき消されてしまう。これは、不味いな。
「ブルメアとは誰の事を言っているんだ? 私の名前はゾンヲリ。ただの人違いだ」
こういった状況に陥る可能性があったことは予想は出来た。そして、こうなってしまっては到底落ち着いた話などできやしない。だからこそ、ユークには正しい名前を名乗っておかなかったのだ。
人間探せば他人の空似などと10人くらいは見つかる。1年もすれば髪は伸びるし身体も成長する。何よりも、今のブルメアは"鍛えられている"。つまり、体つきも戦士として成熟し始めているのだ。長時間滞在するわけでもないならいくらでも誤魔化しようはある。
ブルメアはもう、無力な少女であった頃とは違うのだから。
「別人なのか……?」
「だが、あまりにも似すぎている」
「いや、最後に揉んだ時はあそこまで胸が大きくなかったぞ」
「それもそうだな」
あの連中の顔は一応覚えておこう。
「ゾンヲリさん、先ほどの非礼を詫びましょう。ほら、皆も見世物ではないぞ。早く去りなさい」
出迎えがそう言って人払いすると、野次馬達は口々に何かを言いながら解散していった。
いきなり人を見るなり敵意むき出しで罵詈雑言を浴びせかけてくるような真似をしてくれたあげく、一言非礼を詫びましょうで済ませようするように、本当に無礼千万であるのはどうでもいいとして。
……まだいくつか気になる視線を感じる。例えば、物陰からこちらを見ている少年エルフ、彼に視線を送ると隠れて逃げて行ってしまった。
「構わないよ。吸血鬼騒動で皆も気が立っているのだろう? 良ければその件について詳しい話を教えてもらえると助かるよ。それと、集落に女性が一人も居ないことについてもね」
「では、空き家に案内しますので歩きながら話しましょう」
(はぁ……はぁ……うぅ……)
先ほどからブルメアは何かに対し必死に堪えていた。あれだけの害意を一斉に浴びせかけられれば無理もない。所詮他人事でしかない私ですら、多少胸糞が悪く感じられるくらいなのだから。
当事者が受ける衝撃はその比ではない。
「――それで、週に一度集落に現れるようになった吸血鬼は、生贄に"生娘"を要求するようになったのです」
「なるほど? それで集落の女性を吸血鬼に全員差し出した、と」
我が身の可愛さのために、な。
「仕方がなかったのです! 吸血鬼には集落の守り人も敵いませんでした。中央は結界の内側に閉じこもるばかりで我々を見捨てた! だから、我々にはどうしようもなかった!」
それも言い訳でしかない。誰かに助けてもらうことを期待して自ら戦おうとすらしないためのな。
尤も、こんなことを言ったところで何の益にもなりはしない。
この者の言い分と同じ、"仕方がない"話だからだ。そして、仮にこの者達が中央から見捨てられたのだとしても、また、仕方がない話だ。何の同情心も湧きはしない。
「我々は見捨ててなどいません。だからこそアネモネから私を含めて3名のシュタムラートが派遣されてきたのです」
「実際に来られた守り人はユークリッド殿一人だけではないですか。しかも明らかに若い。守り人としての経験も不足しておられるようだ」
「それは……複数の吸血鬼と遭遇してしまって……ゾンヲリさんが丁度通りがかっていなければ私も恐らく命を落としていました。それに、既に多くの熟練のシュタムラート達も吸血鬼の毒牙にかかってしまい、数も少なくなっていて……もはや中央の結界を守るだけで手一杯で……」
「吸血鬼は増える一方なんですよ! そんな悠長に待ってられないんです! 集落の女たちだってもう殆どが攫われてしまって"用意できる生贄"だって残っていないんだ。日が当たらず作物は皆枯れる、吸血鬼に怯えながら狩りに出ても獣は見つからない。集落の食料備蓄ももう残り僅かです。中央は我々に死ねとでも言うのですか?」
中央から新しく派遣されても、移動中に森を徘徊する理性を失った吸血鬼に見つかって噛み殺されてしまった。そんな悲劇の事例がごまんとあるのだろう。
何より、銀という金属を使わないエルフの武装では吸血鬼を相手するにも相性が悪すぎる。宵闇の霧の中ではエルフの視力は制限される一方で、吸血鬼の嗅覚は容赦なく遠距離から察知してくる。しかも、心臓を破壊すれば吸血鬼を倒せるという知識があってようやく五分五分の状況に持って行けるのだから。
「吸血鬼がそれだけ厄介な相手なのですよ。ユークさんにあたっても仕方がないでしょう?」
「ゾンヲリさん……」
「すみません。私も少しばかり熱くなり過ぎました。ただ、我々もほぼ限界であるというのはご理解して頂きたいのです。どうか中央にもこのことを伝え、新しく守り人を派遣してもらいたいのです」
貴族クラスの吸血鬼の強さがオウガ相当かそれ以上なのだとすれば、仮に中央とやらから援軍を絞り出して送られたとしても、到底事態が好転するようには思えない。
むしろ、無策で吸血鬼に挑めばそっくりそのまま吸血鬼が増える。感情論で戦いに臨んだところで不毛な犠牲が無駄に増えるだけだ。
「一つ気になったのですが、集落を放棄する。森の外に活路を見出す、例えば獣人に助けを求めるという考えはないのですか? それなりに親交だってあったのではないですか」
「放棄してどこに行けというのですか。獣臭いコボルトなどと獣と変わりありません。とても会話が通じるとは思えません。しかも、森の外には野蛮な鬼共が跋扈し同胞を捕まえては奴隷にしています。我々が生きる場所はここしかないのですよ!」
余裕が無いとはいえ、あまりにも排他的で視野狭窄だとしか言いようがない。
「……私が今使っている武器は獣人が鍛えてくれたものですし、吸血鬼にも有効ですが……。彼らには私達エルフに協力する用意だってあります。それでも?」
「ははぁ……なるほど。通りで鬼が使うような武器を使っているわけですか。ゾンヲリさんは獣人の情婦にでもなっていたのですかな?」
「……はぁ。ならばそれで構わないよ。私から言う事はもう何もない」
以降、取り繕って会話をする気すらも失せた。何を言ったところで無駄な者達というのも居るものだ。
目的の空き家へたどり着いた頃には場の空気も最悪そのもの。あのネクリア様が、一言も浮ついた発言をしないくらいなのだから相当だろう。
しかし、こんなものはまだまだ序の口。この集落を訪れた新人に対する洗礼はまだ始まったばかりでしかないのだと、目の前空き家を見て思い知らされることになるのであった。
こんなにもエルフに対する認識が違うとは思わなかった!
これじゃ俺……エルフを助けたくなくなっちまうよ……と思わせる今日のこの頃。
なお、何かを言われても本当に気にしていない人間は「気にしていない」などとわざわざ言ったりしないものである。相手に接する"態度が変化"している時、それは既に危険信号なのだ。
ごま塩程度に覚えておいて欲しいのさ……
人間余裕がなくなれば視野も狭くなって差別的になるのは必然……大人になるって悲しいことなの……。