第十二話:吸血鬼の特性
ユークというエルフの守り人に案内されながら暗闇の森の中を進んでいる最中、ふと、ユークが時折ちらちらと私に視線を向けていたのだ。なので、こちらも目を合わせ怖くないように精一杯の作り笑顔を浮かべて見せるわけだが、ユークはあわせて視線を外し、偶々周囲を見回しているような素振りを見せている。
まぁ、なんというか、明らかに挙動不審だった。ブルメアが美人であるせいか、彼女の身体で鉱山都市を歩けば嫌というほど感じてきた視線なので、流石の私でもこの反応がどういうものか一発で理解してしまう。
「ユークさん、傷の方は大丈夫ですか?」
「あ、いえ、"おかげさま"で私はだ、大丈夫ですので」
ユークはちらりと私の胸に吸い寄せられるように視線を移した後に、赤面してあわてて目を背けてしまったのだ。尤も、ユークがここまで挙動不審になってしまった原因についても心当たりある。
彼が吸血鬼から受けた傷を止血するために、私の胸に巻いていたサラシを一部切り取って止血帯代わりにしてまいてやったのだ。
その際、隠している奴隷の烙印を見せないようにするために切り取った部位が不味かったか……? ギチギチだったサラシも少しばかり緩んで形が分かるようになってしまっているしな。
……私もこのブルメアの魔性にはついつい視線を吸われてしまうので、ユークに対し奇妙な共感を覚えてしまうのだが、つまり、"童貞の絆"を感じるのだ。
「なぁ、ゾンヲリ、ゾンヲリ」
ネクリア様が何か言いたげにつんつんしてきたので、耳がネクリア様の口の高さになるようにしゃがむ。
「お前さぁ、何で私より男にもモテるんだよ」
「多分、彼女がモテてるだけだと思うのですが……」
至極どうでもいい事を言うために耳打ちしてきたので、すぐに立ち上がってユークの後ろに付いていく。
「それよりも、ユークさん。この森に一体何が起こっているのかご存じでしょうか?」
「私にも詳しいことは分かりません。ですが、半年程前から森の中で"夜"に出歩いていた者たちが行方不明になる事件が起こるようになったのです。最初はオルグ共が我々エルフの民を拉致しているのを疑い、森の各地から精鋭の守り人達を集めて討伐隊を結成して捜索にあたったそうなのですが……皆行方不明になってしまったのです……。それから程なくして、"湖畔の遺跡"周辺から"宵闇の霧"が森を覆い始め、その霧の中で吸血鬼となり果ててしまった者達が現れるようになり、近くの集落を襲うようになったのです」
「ところで、湖畔の遺跡とは何でしょうか?」
「森の奥地にある大きな湖に囲まれているとても古い建物で、なんでも二千年以上前に鬼の始祖が現れ始めた時よりもさらに古い時代から存在しているそうです。私も中は見たことはないので詳しいことは何もわかりません。千年以上生きている中央の長老ならば何か存じているかもしれませんが……」
「二千年以上前から存在する古い建物……ネクリア様、もしや湖畔の遺跡が?」
「うむ、恐らくそこにアビスゲートがあるんだろうな。で、ゲートから貴族クラス以上の吸血鬼が出てきたのが事件の発端で、宵闇の霧の発生の原因も十中八九は返り討ちにされた討伐隊辺りを血の生贄にして発動した"ブラッドマジック"の儀式によるものだろうなっ」
ネクリア様は今の話を聞いただけで事の真相を看破してしまった。いや、"吸血鬼が発生した"という状況でおおよそアタリを付けてしまっていたのかもしれない。
「生……贄……? 生贄にされてしまったらどうなるのですか!?」
一方でユークはといえば、生贄という言葉を聞いてから狼狽していた。そして、ネクリア様につかみかかろうとしてしたところを、私が腕を捻り上げた。
「わわっ、急につかみかかるのはセクハラだぞっ」
「落ち着け。一先ずネクリア様の話を聞け」
「ぐっ……」
「こほん、で、とりあえず宵闇の霧だっけ? この手の儀式魔法ってさ、大抵発動し続けるためには常に魔力を"供給し続けなくてはならない"の。で、ブラッドマジックという黒魔術の性質上、媒体が魔力を含んだ"生き血"でないと効力を上手く発揮できないわけ。つまり、術の発動媒体として生贄になってる奴らは生物学的な意味では"死んではいない"可能性はかなり高いぞ。殺してこの規模の霧を維持するとなると膨大な数の犠牲が必要になるからなっ」
生物学的には死んではいない。ともったいつけた言い回しをするというのは、つまり生きたまま贄として魔力を絞られ続けていることを意味するのだろう。
「で、では、討伐隊の方々は生きているんですか?」
「……う、うむ。多分な」
ユークは死んではいないという言葉に僅かに希望を見出したようだが、ネクリア様はバツが悪そうにしていた。
「では、貴女達はここで待っていてください。私は集落の者達と一度連絡を取ってまいりますので」
「分かりました。気を付けてくださいね」
その後、ユークがエルフの集落と連絡を取るために一旦私達の元を離れたのを見計らって、ネクリア様と話をしなくてはならない。
「なぁ、ゾンヲリ。お前は薄々分かってると思うけどさ」
「ネクリア様がああいう言い方をするというのは……つまり、守り人の討伐隊は皆吸血鬼になっているのではありませんか?」
「……うむ」
「それで、一度吸血鬼になってしまった者を元に戻す方法は」
「ない。既に生物としてエルフ以外の別のモノになってしまっているからな。例えるなら両生類のカエルが一瞬で進化して哺乳類のコウモリになるような話だぞ。身体の異常を治す薬や奇跡の類でも吸血鬼という生物の状態で回復するわけだから、あらゆる生物の身体を問答無用でエルフという種族に改造する手段がないと元には戻せないってわけ。ま、仮に身体は戻せたとしても、"吸血鬼と化してしまった精神"の方がさらに問題になるんだけどな」
錬金術や魔術の知識に長けたネクリア様が匙を放り投げる。そんな状態になり果ててしまっているというわけだ。
「ヨム。聞いているか?」
「なんだいゾンヲリ君、ボクは聞いているよ~」
近くの切り株に座っているヨムが出現した。
「お前の意見を聞きたい。奇跡に吸血鬼から戻す手段はあるのか?」
「面白いことを言うね。ボク達天使にとっては"アビスの魔物"は問答無用で殲滅対象だよ? そんなものを元に戻すだなんて発想すらしないものさ」
吸血鬼の身体を殺して復活の奇跡を使ったらどうなるのかというものを期待しての質問だったわけだが、この場合ネクリア様の説に倣えば吸血鬼として復活するだけなのだろう。
「分かった。もう消えていいぞ」
「キミはさ~、もう少しボクにも優しくしてくれてもよくないかい? 邪険に扱われてボクは悲しいよ……よよよ……」
つまり、それこそ"本物の奇跡"が起こりでもしない限り、吸血鬼という状態を治す手段は無いということだ。ブルメアやネクリア様には絶対に近づけてはいけない相手であるということだけは確信した。
「それで、ネクリア様、吸血鬼とは一体何なのでしょうか?」
「それを細かく説明すると大分長くなるぞ。なんせ、吸血鬼というテーマだけで分厚い魔族法全書10冊分以上のボリュームになるからなっ。まっ、おおざっぱにカテゴライズすると先天的あるいは後天的に吸血鬼としての特性を獲得した人種を吸血鬼と呼ぶんだ」
「吸血鬼の特性、ですか。例えるなら血を吸うとか、ニンニクや十字架が嫌いとかでしょうか?」
「厳密な吸血鬼の特性は大まかに三つ、抗いがたい渇きと吸血衝動、太陽の光や銀に弱く、血を操る能力を持つ者。ま、他にも吸血鬼になった要因次第で弱点が増えたり変な力が増えたりすることもあるかな。例えば、吸血鬼の同族を増やすとか、強靭な再生能力や身体能力は血が薄まるにつれて劣化するし、渇きに耐え切れず理性が無くなる傾向にあるな。ちなみに、ニンニクが嫌いというのは嗅覚が常人の何百倍も鋭いから強烈な臭いが嫌いな吸血鬼が"いたこともあった"というだけの話で。教会の十字架に弱い云々は教会の権威を示すために作り上げられたただの俗説だぞ」
「なるほど……そういえば、ネクリア様は劣等や貴族といった吸血鬼の階級を言っていましたが、それは……?」
「吸血鬼の強さや権力の大まかな指標だな。レッサー、ドミニオン、ノーブルで、ノーブルクラスの吸血鬼を頂点として社会が作られ、その支配下にある忠実な兵や臣下や奴隷の吸血鬼をドミニオン、ただの"資源"として扱われていたり理性の存在しない吸血鬼をレッサーと呼ぶんだぞ。さらに区分を詳しく言うと――」
ネクリア様の説明によれば、吸血鬼の階級は10段階まであるそうだ。
ノーブル階級は支配者層であり、吸血鬼を使役する立場にある者達を指す。
ランクⅠ:君
多数の吸血鬼貴族社会の頂点に立つヴァンパイアのロード。
比類なき力を持つ絶対者を〇〇の君と呼ぶ。
ランクⅡ:純血
始祖や真祖とも呼ぶ。
何らかの要因で吸血鬼として覚醒し、
特に強い力を持つ始まりの吸血鬼。
ランクⅢ:エルダー ノーブル
始祖や真祖の血を最も色濃く受け継ぎ、寵愛をうけている者たち。
女性を寵姫、男性を主人とも呼ぶ。
吸血鬼社会における特権を牛耳ることを許された者たちの総称。
ドミニオン階級はノーブル階級以上の吸血鬼に血の掌握によって支配を受けている者達を指す。
ランクⅣ:使途
ノーブルクラスによって眷属化された吸血鬼の中でも、
特に濃い血を分け与えられ信頼されている者たちで、
"血の掌握"による絶対服従を条件に、
最低限の自由意志と裁量権を持つことが許されている
ランクⅤ:ドミニオン
ノーブルクラスの吸血鬼の手足となって使役される者達。
自由意志は一切なく、ノーブルの命令通りに動く忠実な手駒。
ただし、思考能力や理性自体は持ち合わせており、
吸血鬼という種族が持つ強大な力や不死性も失われていない。
ランクⅥ:愛玩奴隷
愛玩動物として蒐集されている者達。
主に奉仕活動や吸血目的に吸血鬼にされた者達。
レッサー階級は吸血鬼化した際に吸血鬼としての特性が欠落している個体を指す。
ランクⅦ:餌
吸血鬼達の飢えを満たすための"食事"に使われる処女や童貞の吸血鬼達。
吸血され続けることで血が失われていき、
渇きに耐え切れずに自我や理性をいずれ完全に喪失する。
餌に選ばれる個体は能力の劣る者が優先される。
ランクⅧ:劣等
吸血鬼した際に、拒絶反応などで完全な吸血鬼になれなかった者達。
肉体的にも劣り、眷属を作る能力や血を操る能力を喪失している。
ランクⅨ:廃棄物
理性を完全に喪失した吸血鬼。能力的にも最も低い。
血を求めて無差別に襲って暴れる。
吸血鬼が非童貞や非処女の血を吸血すると廃棄物化する。
非童貞や非処女が吸血鬼化すると廃棄物化する。
吸血鬼が非処女や非童貞になった場合は廃棄物化しないものの、
非童貞や非処女の吸血鬼の血を食料として吸った場合は廃棄物化する。
ランクⅩ:混血
吸血鬼とそれ以外との性行為によって生まれた混血。
吸血鬼が処女性を極端に重視する生物である以上、
存在そのものが罪で唾棄すべき存在とされている。
「それで、先ほど私が倒したのが、最も弱い個体、廃棄物……というわけですか」
「そ~いうこと。吸血鬼はアビスゲートの先の住人なだけあって、純血は単純な"肉体的な強さだけでも"オウガとか龍とか天使とも劣らないからな」
「天使にも劣らないとは心外だね~。あんな魔物よりボクの方が圧倒的に可愛い美少女じゃないか」
とりあえずコレは放っておくことにして。
「ネクリア様、肉体的な強さより問題になる何かが吸血鬼にはあるのですか?」
「うむ、主に奴らの"増え方"がひじょ~~~に厄介でな~。吸血されると吸血鬼になるって言われているけどさ、厳密には奴らに"血をたった一滴でも体内に送り込まれてしまったら"それだけで吸血鬼にされて支配されてしまうんだよな」
「それが、吸血鬼の血は毒だから絶対触れるな、と言った理由……ですか」
「まっ、血の薄い劣等相手ならそこまでじゃないかもしれないけどさ。吸血鬼の血には触れないに越したことはないぞ。だから、そろそろお前が言い出すと思うから予め言っておくぞ、お前にはヴァンパイアの身体は貸せない。私がこう言った理由はさっきの説明で分かるよな? ゾンヲリ」
「眷属化された吸血鬼は上位者の血を操る能力によって支配されてしまうから、でしょうか」
「うむ、それに加えて吸血鬼の身体にお前を入れたら"吸血鬼の精神性"つまり、抗い難い渇きと吸血衝動も獲得してしまう可能性が高いわけなの、だから絶対にお前に吸血鬼の身体は貸せない。いいな? 絶対だからなっ」
「分かりましたネクリア様。……しかし、吸血鬼とは実に厄介な相手ですね」
血をたった一滴送り込まれるだけで支配される。さらに、単純な肉体的能力だけでもオウガクラス、なのにこちらは吸血鬼の身体も使えないともなれば、今の状況では勝ち筋がまるで見えない。
質ですらどうにもならないのに加えて、血をたった一滴ねじ込まれるだけで強力な吸血鬼が増殖するのだ。質の低い兵を多数揃えても全て相手の手駒にされてしまうのではお話にもならない。
明らかに戦うべき相手ではない。
だが、疑問も浮かんだ。吸血鬼がここまで強力な存在なのだと言うのならば……。
「ネクリア様。なぜ、それだけ強力な吸血鬼が半年近くもエルフの森を掌握しきれていないのでしょうか? 単純に考えれば吸血鬼はネズミ算式に際限なく増えそうなものですが……」
「ん、いい質問だなゾンヲリ。吸血鬼の強さは"血の濃さ"に依存してる。それで眷属を増やすには一定量の血を分けなきゃいけないわけだけど、多くの血を分けるとそれだけ"与えた本人の血が薄まって弱体化"してしまうと言われているんだよな。だから、劣等や廃棄物は大量に作れても強力な吸血鬼はそれほど増やせないし、増やそうとはしないわけ。多くの吸血鬼を飼うとなるとそれだけ"維持に必要な食事"も指数関数的に増えるしなっ」
同族であるにも拘らず"餌"や"愛玩奴隷"という吸血鬼階級が存在するのは、血の濃さを集約するために生贄を用意しなくてはならないからとも考えられる。
だからこそ始祖や貴族を頂点とし、ドミニオン以下には絶対的な隷属や搾取を強いるという、病的とも言える絶対王政社会が形成されるようになるわけか。
「ならば、頭となる貴族吸血鬼さえ潰せれば希望はあるというわけですか」
「まっ、そうなるな。それが一番大変なんだけどさ」
困ったらネクリエモンに頼めば割と何でも教えてくれる……ごま塩程度に覚えておいて欲しいのさ……
なお、守り人討伐隊は触れたら吸血鬼になってしまう血しぶきマシンガンで一瞬で吸血鬼化されてしまった模様。そのうち非童貞や非処女がロスト化して無差別に襲いまくってるというのがエルフの森の現状であったりなかったりする。




