第七話:見守る天使
※ゾンヲリさんの記憶がトんでいる間のお話です
触手に絡みつかれて四肢の自由を奪われ、喉の奥に触手を強引にねじ込まれ得体の知れない汚液を胃の中に直接流し込まれる。
「オブッ、ゴボッ」
エクソサンソンの太くて強靭な触手を、天使の身体が勝手に吐き出そうと反応する。しかし、悲しいことに逞しい触手を肺活量だけで押し返すというのは、流石の天使にも無理があった。
自身の内側がおぞましい何かで穢されていく。ぶよついた触手が肌を撫でる度に、刺胞が肌を抉り削いでいく痛み、痺れて鈍くなっていく手足、肺と鼻腔を焼き焦がすような凄まじい悪臭で瞳を焼かれ、闇一色の景色の中で、無理やり与えられる強烈な刺激の数々に、ヨムは悶え続けることしかできなかった。
――やれやれ……これはまいったね。目が見えないんじゃ"転移も使えない"し身体も動かせないや。神様おたすけを~~ってとこかな、なんてね……。そんな神頼みするだけで助けてくれる都合のいい神なんて居るわけないのにね。ああ、苦しい。苦しいなぁ。それに気持ち悪い。
天使ヨムはどこか他人事のように自嘲しながら、これから訪れるであろう運命を抵抗もせずにただただ受け入れ始めていた。
――しかし、ボクは一体どうしてこんなことをしてしまったんだろうね?
ヨムは身体に与えられる刺激を無視し、唐突に浮かんだ疑問について思案をし始める。
本来、傍観者として見下ろしているだけなら姿を現す意味などなく、透明のままずっと隠れて成り行きを見守っていればこんな目に遭わずに済んだはずだった。
にも関わらず、ヨムは姿を晒し、地に足を付けることを選んでしまった。その理由が、ヨムには不思議と理解できなかったのだ。
――まぁいいか。どうでもいいことさ
どこまでも他人事のまま、すべての感覚を閉ざそうとした瞬間、四肢に巻き付く触手が緩み、喉奥にねじ込まれた触手が引っ込んでいく。
そして、重力に任せるがままに自由落下するヨムの身体を受け止めてくれるのは"ふさふさした何か"だった。
「カハッ、ゲホッ、ゴホッ、うげぇえええ」
触手によって塞がれていた口が、ヨムの意思に関係なく体内に空気を取り入れようとして勝手に動き出し始めていた。そして、体内に流し込まれた汚い液体を吐き出そうとする。
「キャウッ! ウウッ!ウォウ!」
ヨムを受け止めた矢先に凄まじい臭いのする吐物を勢いよくぶちまけられたことで、それは吠えてあからさまな不快感を表してみせた。
闇一色しか見えていないヨムには、それが何かを理解するまで少々時間を要した。
――ああ、そうか。なるほど、コレはゾンヲリ君だね。
夜狼が地面を蹴って走り出してから一息つく間もなく、鞭のようにしなる触手が風を切る勢いで迫っていたのだ。
ヨムという重荷を背負いながらでは、触手から逃げ切ることは――
「援護するよ!」
3度の風切り音がヨムの耳元をかすめると、間近に迫っていた触手は汚い液体をまき散らしながら大きく後退していった。
「お、よく当てるなぁ」
と、触手を迎撃してみせるという達人芸に対する素朴な感想を述べる淫魔の少女。
「えへへ、そうかな?」
と、はにかむエルフ。
「いやいや、ブルメア。照れてる場合じゃないだろ、さっさと次、次」
夜狼とヨムに目掛けて立て続けに迫りくる無数の触手は、3本の矢で追い払うにはあまりにも多すぎた。
「あっ、ごめん。あの触手全部はちょっと無理かも、ていうか皆こっちに来てるよね!」
大量の小さな触手と大きな触手の群れをトレインする天使を背負った夜狼。それらが猛追してくることで生まれた臭気の壁の威圧感はもはや見るからに圧倒的で。
「げ、私はもう逃げるからなっ。あっ、ぷぎゅっ」
と、淫魔少女は颯爽と敵前逃亡を図ろうとするも、粘菌でぬめる足場に滑って豪快に頭から転んでしまった。そう、淫魔少女は戦闘がからっきしの運動音痴だったのだ。
「えっ!? ネクリアッ!? えっと、えっと……ネクリアの安全が最優先だから、ごめん! もう援護できない!」
困惑するエルフは射撃援護を中断し、淫魔少女を片腕で抱きかかえると触手の群れからの逃走を開始したのであった。
――まったく、ゾンヲリ君、キミも愚かで苦労人だよねぇ。あの愉快な彼女達やボク如きを助けるために、ただでさえそのボロボロの身体を張ってしまったのだからね。ああ、でも、だからなのかな、そんな愚かな事をしてしまうキミだからこそ、ボクはキミに対する興味が尽きないのかもしれないね。
天使ヨムは夜狼に身体を預けきっていた。
その間、一方の夜狼はといえば、無数に迫る触手を何度も紙一重で躱し、ときには前方を塞ごうとする触手や天使を狙う躱しきれない触手を嚙みちぎって包囲を抜け、枯れた木々の合間を縫うように移動することで触手絡ませて渋滞を引き起こそうとするなど、四苦八苦しながらも健闘していたのだ。
背中に乗せた天使を振り落とさないようにしながら。
しかし、触れただけで相手を侵すエクソサンソンの触手から注入される麻痺毒と、目を焼き尽くす悍ましいくさい臭いは、少しずつ、確かに夜狼を蝕んでいく。
そして――
「キャウッ」
ついに夜狼の足に触手が絡みついた。なおも、夜狼は最後の力を振り絞り背負っていたヨムを空中に投げ飛ばしたのだ。触手の巻き添えにならないようにするために。
そして、ヨムは、一人地べたに投げ落とされる。
「【浄化】」
一言ヨムがそう発すると、それまでヨム体内に注入されてきたありとあらゆる病毒素が光と共に取り除かれていく。
そして、ヨムは起き上がって体制を整えると、バサリと翼をはためかせて体内にまとわりついた汚液を払いながら、再び宙へと浮かび始める。
「やれやれ、キミ達は本当に無粋な下等生物だよね。まぁ、無粋であることすら理解できないのだから下等なままなのかもしれないけれどね。ここはね、ゾンヲリ君がかっこよくボクを助け出して、お互いに親密になるきっかけが生まれる場面にしてくれるものじゃないのかい? あっ」
夜狼は懸命にもがいていたが、既に四肢が触手で拘束され宙づり状態である。そして、成体のエクソサンソンは大きく口を開けていた。
そして――
「はぁぁああああ~~~~~~」
くさい息を夜狼に吐き掛けたのだ。
「ギャウ! キャウン! キュウン!」
夜狼は悲痛な叫びをあげながら悶絶していた。
「ゾンヲリぃいい!!!!」
そのあまり余る悲惨な光景を目の当たりにして淫魔少女は夜狼の名を叫んでいた。
「うわぁ……ゾンヲリがあそこまで苦しそうにするって相当だよね……あの臭い」
「や~……わかるよ。あの息吐きかけられるの、本当に辛いんだよね。でも何故なんだろうね? ゾンヲリ君がああやってもがき苦しんでる姿を見ていると、おなかのあたりがこう、じわじわと熱くなってくるんだよね。あっ」
「あっ」
夜狼は体液を垂れ流さないと見られるや否や、成体エクソサンソンのおぞましい臭いのする口の中へと放り込まれてしまったのだ。
そして、バリ、ゴリ、ブチィ、ゴキ、と骨ごと噛み砕かれる咀嚼音が鳴り響く。口元から垂れてくる血だまりにエクソサンソンの幼体達が集り、好き放題に啜り貪っているのだ。
「ゾ、ゾンヲリぃいいいいいいいいい!」
淫魔少女は再び吠えた。
「どどどどうしよう! ゾンヲリが食べられちゃったよ!」
「どうしてくれるんだよ痴女天使! お前な! お前なぁ!」
エルフに方腕で抱きかかえながらジタバタしている淫魔少女は、もはや呂律も回らずただ勢いと感情のままにこの状況を作り上げたであろう痴女天使ことヨムに対し怒りをぶちまけていた。
「や~、少しは落ち着きなよネクリアちゃん。悪かったよ。こんな結果になってしまうのはボクだって非常に不本意さ。だからね、"今回だけ"はキミたちのためにサービスをしてあげるよ。そうだね、【チェインライトニング】の使用を申請する理由は正当防衛ってところでどうかな?」
――申請を棄却。はAA-WH3型46号、貴官に原生生物に対し許可なく"戦闘"を行う権限は認められていない。
ヨムの脳裏に機械的な言葉が響くとともに、酷い頭痛に襲われる。
――やれやれ、対象の原生生物は深淵門の影響下にあるようだからね。周囲の生命体の霊魂をも汚染する可能性が高いんだよね。それに、戦闘離脱を図ろうにも周囲の特異なフィールドの中では転移は誤差による事故の可能性が高く、浮遊も困難な状況下にある。近くにある未知の門を円滑に調査するために、特例で駆除をする許可をもらいたいね。全ては我らが神のために、ね
――申請を棄却。事実関係の"調査"が終わり真偽の確認がとれるまで例外は一切認められない。警告する。警告する。警告する。ただちに攻撃魔法の使用を中止し、戦闘区域を離脱せよ。
今度は頭が割れるのかようにひどい頭痛にヨムは襲われていた。自身を内側からかき乱し精神の集中を乱す強烈な痛みに堪えながら、ヨムは魔力を練りあげ迸る雷を作りあげ、手元へと集めていく。
「や~……本当に、不便な上に、分からずやな規則にはまいったね。まぁ、いいさ。一度空へ飛び立ってしまった蝋細工の偽物の翼はいずれ焼け落ちてしまうものだからね」
――ほんと、つくづくボクも愚かだよね。長らく待って折角やっとの思いで地上に降りてこられたというのに、こんな下らないことのためにイレギュラーの疑いをかけられ"天界に目を付けられる"ような真似をしてしまうだなんてさ。ああ、でも、だからこそ実感出来るんだ。
ヨムの中で何かがひび割れた。
「ボクはね、まだ見守っていたいのさ。彼の物語をね。だから君たちは少し邪魔だから消えてもらうよ。【チェインライトニング】」
ただの雑魚バトルでドジ踏んだ上にこんな重要そうな切り札を切ってしまうポンコツ天使……う~んこの。しかし、エリクサー症候群で切り札を抱え落ちしてゲームオーバーになるよりはよっほどマシともいえる。
なお、ただの雑魚とはいえ某天国に一番近い島にいる個体はラスボスやオ〇ガウエポンより強いと言われてるからね……。いや、そもそもそんな島近寄らなければ無害なんだけどね……。というお話。




