第一話:獣狩りの夜
星明りで照らされた草原、そこは人や魔族のような知識を持つ生物の気配はない。その代わりに聞こえてくるのが獣の遠吠え、虫の鳴き声、風と共に揺れる樹木のせせらぎだった。夜は休息のための時間ではない。むしろ、その逆だ。夜にこそ魔獣達は獲物を狩るために領域の外へと這い出てくる。
「……」
耳を澄ませば聞こえてくる。茂みをかき分け、獣の臭いを垂れ流しながら徐々に近づいてくる唸り声。やがて、声の主は姿を現してみせた。
「グル……」
口外に露出した恐ろしい程に発達した巨大で鋭い双牙。闇夜に溶け込むための漆黒の体毛を持ち、少女の身長を数倍する程の体躯、無数の棘が剥き出しの長い尻尾、四つ足から覗かせるのは鋭利な長爪。
その獣は、口元からむせ返る臭いのする唾液を垂れ流しながら獲物を探し求めていた。
(ヒッ、お、おいゾンヲリ。魔獣だぞ魔獣! 逃げないと食われるぞっ)
少女の魂は飢えた獣を直視して狼狽していた。
その魔獣の名は暗爪獣、宵闇の狩人だ。彼の者の瞳には小さな少女の肉体は柔らかな肉にしか映らないだろう。
「大丈夫ですよ。ネクリア様。私は負けません」
大剣を中段に構えて暗爪獣を見据える。
これから先は一瞬の油断が命取りになる。獣の狩りは最初の一撃で決まる。始めに全力を出さずに獲物を逃がすような間抜けは獣の世界では生きてはいけないからだ。
暗爪獣は前足の凶爪を二層に開き、後ろ足の筋肉を収縮させる。既に互いに狩りの体勢が整っていた。間合いにしてみれば百歩程、剣は愚か、弓であっても速射で当てるには遠い距離だ。だが、それはあの獣にとって大した意味を成さない。
「ガルァ!」
草根の張った地面が抉り取られる程の跳躍。瞬きする頃には既に眼前に迫る程の勢いで暗爪獣は空から迫りくる。開かれた口腔は狩りの成功を確信している証拠だ。
「はっ」
風の流れと勢いから軌道を読み、暗爪獣の着地点を予測し、その真上に目掛けて跳躍する。暗爪獣の滑空強襲は大げさに空振り、地面を滑って勢いを殺そうとする。その硬直を狙い、空中から大剣の重みを加えた一刀両断の一撃を振り下ろす。
だが、大剣は空を切った。
暗爪獣は異様な程の脚力でサイドステップで斬撃を躱した上で、側面に回りこんでくる。
「チッ」
暗爪獣は右前足を持ち上げ、凶爪を振るって肉を引き裂かんとする。私は力任せに大剣を引き抜き、横に薙ぎ払う。
「おおっ!」「グルァ!」
魔獣の強靭な膂力から繰り出される凶爪の一撃に合わせて大剣を打ち付け合うと金属音が鳴った。私の振るった大剣は易々と跳ね返され、暗爪獣の口腔が押し広げられる。
噛みつきが来る。
獣の肉体は全てが武器となる。まともに打ち合えば手数の面では劣勢は避けられない。私は先ほど打ち合いで弾き返された勢いに任せて横に跳ぶ。噛みつきを躱すと暗爪獣の脇腹が見えた。
「その血肉をネクリア様の為に捧げろ」
渾身の力を込め、暗爪獣の脇腹に目掛けて大剣を突き出す。漆黒の体毛と硬い筋肉の表皮を貫き、筋肉の繊維を千切りながら、臓腑にまで至らしめる必殺の一撃。
獣血が顔にはねた。この獣に確かな致命傷を与えたのだとを実感する。
「ギャアアウッ!」
暗爪獣は痛みのあまりに咆哮し、赤く血走った眼を光らせる。手負いの魔獣はより狂暴になる。暗爪獣は脇腹に大剣が突き刺さったままがむしゃらに爪を振り回さんとする。悠長に大剣を引き抜いている暇もなかった。この状況で取れる手段は一つだけだ。
大剣を引き抜くのをやめて暗爪獣の背に素早く飛び乗り、黒毛を強く握りしめてしがみ付く。それが四足の魔獣に対する一番安全な対処方だった。振り落とそうと暴れまわれば暴れまわる程に大剣はより深く刺しこまれていく。
「ガルアアアア!!」
暗爪獣は苦しみに悶えながら走り始める。その行き先は大木。つまり背中を打ち付けて潰すのが目的だ。自らの肉体を対価にしてでも敵を狩らんとする闘争心の高さは見上げたものだが、それが命取りだ。
タイミングを見計らい、衝撃の直前に暗爪獣の背中から離脱する。大木に全力で背中を打ち付けた暗爪獣は横に倒れ、ジタバタともがくのみ。その隙に脇腹から大剣を引き抜く。
「今度こそ死に果てろ」
今一度、暗爪獣の心臓に目掛けて大剣を突き刺してやる。
「ギャアアアアアアウ!」
耳を劈く程の断末魔をあげた後に、暗爪獣は生命活動を停止した。死んだのだ。
「ネクリア様、終わりましたよ」
(ゾンヲリ、お前……やっぱり結構強いんだな)
「ええ、これが私の最も得意とする事ですから」
横たわる暗爪獣の亡骸を見下ろす。
魔獣との戦い。それは、飢えを満たすために強者が弱者から奪うという生命が持つ闘争本能から繰り広げられる戦いだ。互いに意思の疎通など何も必要とせず、圧倒的な力を行使して奪うか奪われるかを決めるだけの戦い。一度でも敗北すれば容赦なく死が与えられることになる。そこの魔獣のように。
「ネクリア様」
(どうしたゾンヲリ)
このまま獣狩りの夜が更けるまで戦い続けるのも悪くない。だが、それは少女の体力を限界まで使い潰す事に他ならない。少女は消耗品の私と違う。戦いで損耗させ続けるわけにはいかなかった。
「この獣の身体を頂いてもよろしいでしょうか?」
(……ゾンヲリ、お前、正気か? 人間の魂を獣の死体にいれるだなんて聞いた事ないぞ)
「私が獣となって周辺の獣を狩り続ける事が出来れば、ネクリア様は休息をとる事ができます」
この獣をそのまま【アニメート】で使役して身を守るという手もある。だが、意思なきゾンビは弱く、思考する術も持たない。少なくとも先ほどの獣は賢く、そして強い。あまり言いたくはないが、同僚の強さは信用できるものではなかった。
(……知らないからな)
身体の制御をネクリア様に明け渡し、【ネクロマンシー】を獣に発動する。久しぶりに感じる凍てついた身体と死の痛み。それは生者と死者との間にある超えられない隔たりを改めて実感させられるものだ。少女の暖かく血の通った肉体を一度知ってしまえば、もはや忘れる事ができない。
やはり、死人は死人のままで在る方がお似合いなのだろう。
「ゾンヲリ、大丈夫か?」
少女に声をかけられ、慌てて起き上がって見せようとする。しかし、ジタバタするだけで獣の身体を上手く動かせない事に気がついた。私は元々人間の身体の動かし方しか知らない。規格の違う肉体は私では十分な性能を発揮する事は出来ないのだ。
試行錯誤を交えながら何とか起き上がって見せる。
「グルルァ」(ネクリア様)
「うわっゾンヲリ。お前だよな?お前で良いんだよな?」
「ガウ」(はい)
……声を発したら唸り声になってしまった。敵意がない事を肉体言語で全力アピールしてみせる。
「おい、なんて言ってるか全然分かんないぞ。わずらわしいからそれ止めろ。」
「グルルゥ」(困りましたね)
私に出来る事と言えば、うな垂れて困ったポーズをして見せる事くらいだった。少女の困ったような表情が私を見据える。言葉が通じないのはとにかく不便だった。
「ううっ……しょうがないなぁ……お前と魂の経路も繋いでおくか。ちょっとちこう寄れ」
「ガウ」(はい)
少女の眼前でお座り待機をして見せる。さしずめお預けを喰らった愛玩犬のようなもの。少女ははにかみながら私の鼻先を撫でると、普段腰に下げている魔導書を手に持ちページを開く。
「ゾンヲリ、遠き汝の魂を近き我へと繋げんとする【ソウルコネクト】」
私の体内から伸びた一本の線がネクリア様に伸びていく。それは物体的な物ではなく、魂的なもの。完全に繋がった時、少女の身体に居た時と同じような感覚を覚えた。
「これは?」
「うむ、分かるな。これでお前と魂を通じて念話は可能だ」
「便利な魔法もあるんですね」
「便利なものか、四六時中お前の思考が頭の中に流れ込んで来るようになるんだぞ! 一種の拷問だよ」
「えっ?」
それはいともたやすく行われるプライバシーの侵害。何たる事か。この日より私の心は全てネクリア様にダダ漏れになってしまった。それはもう、丸裸にされてしまったかのように……
「つまり、お前が今感じた内容も私に分かってしまうんだよ。何が丸裸だ!」
少女と【ソウルコネクト】している間はあまり余計な事を考えない方がよさそうだ。
「これ、一生このままになるのでしょうか?」
「【ソウルディスコネクト】するか、一定以上距離を離せば勝手に切れる……はずだ」
心を読めるのは便利なのかもしれない。だが、それは諸刃の剣でもある。人は対面を取り繕って生きる。相手が強者であれば媚びへつらい、相手が弱ければ内心では侮る。嫉妬、憤怒、背信、見たくもないような感情を見せられる事は決して良い事ではない。そして、【ソウルコネクト】が対象を想定している相手は死霊。
「そうだな。分かってるじゃないか。これは本来、物言わぬ死霊と心を通じさせるために使う魔法だよ。ただ、死霊の心を覗いて良い事なんて何一つもない。分かるよな?」
「え、ええ」
無念、それが死したる者達が最期に抱く感情。理不尽な暴力、不憫な境遇、大切なモノの喪失。いずれも死の間際に経験した激情と悔恨は色濃く残る。醜悪な邪気を孕んだ歪み切った精神を覗き見た所で、見えてくるのは狂気と憤怒と憎悪だ。
「ほんと、どうしてこんな魔法があるんだろうな」
少女は手に持った魔導書を閉じ、表紙を眺めては溜息してみせた。
「ですが、今はその魔法のおかげでこうしてネクリア様と繋がる事ができます」
「そうだな」
「私が周囲の獣を喰らい尽くしましょう。ネクリア様はその間に休息をおとりください」
置きっぱなしで放置された大剣を口に咥える。
「ああ、悪いけど頼んだ。もう、魔法を使いすぎて眠くてしょうがないんだ【ソウルディスコネクト】」
平な切り株に寄りかかりながら少女は目を閉じる。火による暖はなく、時折吹く風は少女の体温を徐々に奪っていく事になる。だからせめて、少女の前で寝そべって風避けとなって待つ事にした。
次の獲物がやってくるまでの間、静かに息を潜めて待つ。ふと、空を見上げれば爛々と赤く輝く星が目に入った。獣狩りの夜はまだ始まったばかり、次の少女の目覚めには花を贈ろうと思う。
「グルァ……」
自分以外の草木を踏みしめる音。死肉を求めてやってくるのは新たな獣。少女の安眠を侵す者共の血と肉で花を飾ってやろうではないか。血の一滴すら残さず、肉の一片も残さず、贄と成り糧と成れ。
「ガルァアアア!」
設定補足
・ダルガロウ
ダルガロウさんのイメージが沸かない人は
MHWのオドガロンを黒くして毛が生えたイメージで見るといいかもしれない
・【ソウルコネクト】
交信術を開始します。
本来はネクリアさん十三歳が言った通り、死霊と心を通わせるためにあります。
つまり本来の用途で使われているわけです。
・【ソウルディスコネクト】
交信術を中断します。