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第六十七話:司祭死す!


 イリス教会は平和だった。そこで祈りを捧げ、働く者達にとって昨日も今日も何も変わらない日々が続いていた。


 朝の礼拝を終えた後に、教会で働く子供達は元気に床の雑巾がけをしていた。一生懸命にひたむきに、だからこそ少しくらい前を見ていない事もあった。


 子供は何かに勢いよくぶつかってしまった。そして、それを見上げた時、笑顔が崩れた。


「し、……司祭様。ご、ごめんなさい……ごめんなさい」


 子供の声は震えていた。


 ソレの死人のように青ざめた表情を見てしまったからか。ソレが備えた凶気の宿った眼光を見てしまったからか。あるいは、その"司祭"そのものに怯えていたか。


 傍から見る者には分からない。


「ど……どうか、折檻だけは……」


 ソレの白い手袋が、静かに子供の頭を撫でた。


「いいのですよ。神はきっとお赦しになるでしょう」


「司祭……様? で、でも、衣服が汚れて……」


 雑巾に付着したゴミが司祭服にこびりつき、ぶつかった拍子に少し裂けてしまっていたのだ。


「形あるモノはいずれ滅び天に召されます。一度汚れても洗えば元に戻ります。なに、神が偶々一人分の司祭服をお求めになったのでしょう。だからあなたが気にすることではありませんよ」


「……司祭、様?」


 子供は違和感を覚えていた。優し気に語り掛けるような口調、あまりにも教会の司祭らしい物言い、それはまるで普段、何かを間違えば"体罰"を与えて来た司祭とは別人のようで。


 ただ、身体に染みついている"血や汗や体液を腐らせたような嫌な臭い"はいつも通りだった。


「ただ、掃除の際に前を見ないのはあまり感心しませんね。誰かにぶつかったらもしかしたら怪我をさせてしまうかもしれない。それであまりシスター達を困らせてはいけませんよ?」


「はい!」


 司祭はそう言って子供を諭すと、教会の廊下を進む。


「司祭様、おはようございます」


 シスターの一人が司祭と目が合うと、緊張した様子で挨拶したのだ。


「おはようございます」


 司祭は努めて自然に挨拶を返した。


「ああ、そうでした。一つ連絡がありますので貴女も他のシスターや教徒達に周知しておいてくださりますか?」


「はい、なんでしょうか?」


「私はこれより所要でイリス教の総本山に帰還致しますので、教会の運営や私の司祭としてのお勤めに関しましては"私が戻るまで"はシスターアンジェに一任致しますので、何かありましたら彼女を頼ってください。では、私はこれで失礼致します」


「は、はい。了承致しました」


 司祭はそう言い残すと、教会の外へと出ていってしまった。その様子をシスター達が集まって訝し気に見ていた。


「どうしたのでしょうか……最近の司祭様」


「今日は私が司祭様の部屋で二人きりで、その、説法の約束が先週してあったはずなのですが……忘れてしまったのでしょうか。ですが、体にも触れてこないのは珍しいですね……それに、外に出られるのにシスターアンジェを傍に連れないだなんて……明日火の雨でも降るのでしょうか……」


 本日の司祭の動きが、あまりにも普通の司祭らしすぎて逆に不審だった。しかし、特に害もないのでそれ以上は誰も気にしない。


 司祭はその後、郵便局へと向かった。


「この手紙をイリス神権国の司教グラウベェンゼン様に宛てて送って頂けますか?」


「イリス神権国まで送るなら……銀貨1枚だな。早くても届くまでに4,5日程かかると思うが」


「構いませんよ」


 司祭はその後、馬車の待機所に向かった。


「ここからイリス神権国へと向かう馬車を一つ手配して頂きたいのですが」


「イリス神権国ですかぁ? 随分と遠い所に向かうんですね。途中魔獣も出るし、護衛もなしじゃ御者は行きたがらないと思いますけどねぇ」


 受付は難色を示したが、司祭は貨幣袋を見せびらかしながら中から金貨を取り出してみせた。


「では前払いで金貨を1枚出しましょう。到着後払いで3枚まで出します。これでいかがです?」


「金貨4枚とは随分弾んでくれるな、ワケアリか?」


「ええ、出来れば急ぎたいので"近道"を通りたいのですよ。そのための屈強な護衛と食糧もこちらから用意しましょう」


「分かった。俺が馬車を手配しよう。昼過ぎに門前で構わないか?」


「ええ、構いませんよ」


 イリス神権国へと向かう馬車の中には物言わぬ護衛3人と司祭が一人いた。旅路の最中、まるで死人のように一言も発しない。


 御者は何とも言えない不気味さを覚えていた。


「そろそろ昼にするけど、アンタは食べないのかい?」


「ええ、お構いなく」


 会話はそれで終わった。その日、司祭と護衛達は何も口にしなかった。眠りもせずに夜番を続けている。その次の日も、その次の日も。その次の日も、司祭達は何も口にせず、眠りもせず、会話もしなかった。


 その明らかに異常な様子に御者は一抹の不安覚えたが、だからといって"ワケアリ"の案件に首を突っ込む気にもなれなかった。


「なぁ、アンタ。本当に街道じゃなくてこっちの峠道を通るのかい? "魔獣も出る"んだぞ?」


 本来、旅をするなら魔獣の出ない人に"整備された"街道を通るのが常識だ。


 魔獣を迎撃出来ても馬車を引く馬をやられでもすれば荷物は全てその場に投棄しなくてはならないように、大荷物を運びながら魔獣と遭遇する危険性のある道を通るというのは正気の沙汰ではないのだ。


「ええ、急ぎますので」


 峠道を通ったところで大した時短にはならないし、積み荷にはおあつらえ向きにチーズや燻製肉のような保存食が積み込まれている。


 比較的安全とはいえ、鼻の利く飢えた魔獣が街道に降りて来る可能性はゼロではないし、野盗が現れる可能性もゼロではなかった。


 そして、御者が感じていた嫌な予感が、的中してしまった。峠道の半ばに差し掛かった辺りで、突如狼の遠吠えが聞こえてきたのだから。


「夜狼が!? 何故こんなところに!」


「私達が相手しましょう。あなたは馬車に隠れていなさい」


 狼狽える御者を後目に、護衛達と司祭はのろのろとやる気のない動きで馬車の外へと出てくる。そして……狼達に貪り食われていった。


 ロクに抵抗もせずに、悲鳴もあげずに。


「ひ、ひいいいいいい!」


 グチャグチャと肉を食らい血を啜る狼達を前にして、御者はパニックになりながらも、馬車から馬を切り離し、それに乗って逃げ出していってしまった。


 狼達は逃げる御者には一切興味を示さず、物言わぬ護衛と司祭の死体を貪り続けていた。


 そして、暫くしてから、狼の背に乗ったコウモリの羽が生えた少女とエルフの娘が物陰から現れたのだ。狼達は二人の娘を前にして頭を垂れていた。


「なぁゾンヲリ、こんな回りくどい方法で司祭の死体遺棄なんかしなくても、森かなんかに埋めれば良くないか?」


「も~……私も夜通しで魔獣やっつけるの大変だったんだよ~」


 狼にハラワタを食いちぎられていたはずの司祭が突如むくりと起き上がった。


「これなら合法的に死ねますし"イリス教会には手紙で証拠"も残しておりますので、仮に死体が見つかったとしても2,3日もすれば飢えた魔獣が骨まで食い散らかします。仮に捜査が馬車の御者まで回ったとしても"動いている司祭"達を御者は見ていますから証言してくれるでしょう。よって、魔獣に襲われた"事故"としてみなされ、シスターや私達に司祭殺害の嫌疑がかかる可能性は限りなく低くなると思います。尤も、幾つかまだ"懸念点"はありますが」


 ゾンビウォーリアの狙いは司祭の"事故死"であった。聖職者を殺せば間違いなく大事になるが、聖職者が自分で勝手に死んだのならば全く問題にならなくなる。


 その為の"布石"を打って回っていたのだ。


「ゾンヲリ、懸念点ってなんだよ~」


「……いえ。通常殆ど旅人が通らないであろうこの道に、すぐに偶々人が通りがかって死体を早期に発見し、死因を詳細に調べられなければいいのですが……と。一応可能な限り"偽装"はしましたし、手紙がイリス神権国に着いてから最速でここまで調査隊を送ったとしても最短でも5日はかかるはずではあるのですが……。"あの視線"は――」


「ん~……まぁ、そんなのど~でもいいから早く帰るぞ~」


「はっ。その前にヨム。羽が落ちてるぞ」


 司祭は目聡く周囲を見渡し、地面に落ちてる天使の羽を指差してみせた。


「や~……そこはほら、生理現象だから許して欲しいよ。それにボクの羽なんて別に誰も気にしないと思うんだよね~」


「この周辺には白い羽を持つ鳥の魔獣は生息していない。ならば少なくとも私は気にする。足跡も偽装しておくべきだ。それと髪の毛も落ちていないな? "緑"や"金"は特に目立つからな」


「や~……ゾンヲリ君、毎回こうなのかい?」


「ま、ゾンヲリのビョーキみたいなものだぞっ」


「うん。いつものだね~」


「やれやれ、神をも恐れぬと豪語してくれたゾンヲリ君が、まさか高々ボクの羽根や髪の毛一つ如きに怯えてしまうノミのように小さな心臓の持ち主だったなんてねぇ」


 偏執病(パラノイア)とも言える程のゾンビウォーリアーの用心深さに、ヨムは呆れ混じりに苦笑していた。


「天命に縋り幸運を祈る暇があるならその前に人事を尽さないのは怠惰だろう。ヨム、お前のその傲慢さと短慮が俺に串刺しにされるという結果をもたらしたのを忘れたのか?」


「や~……確かに正論だね。だけどそんなゾンヲリ君に向けてボクからこの言葉を贈るよ。驕りに驕って愛に飢え、自由気ままに振舞ってこそ天使じゃないのかい? 第一、ボクからその要素を取り去ってしまったらいくら見た目は完璧美少女のボクでも全く可愛げがなくなっちゃうじゃないか。なんてね」


「……はぁ、天使に付けられる薬はなさそうだな。だったらせめて邪魔だけはやめてくれ。先に鉱山都市に転移でもして待っていてくれないか?」


「嫌だよ。そう言ってもしキミが鉱山都市に戻って来なかったらボクが一人はぐれて寂しさを覚えて枕を濡らしてしまうじゃないか。転移出来るとといっても長距離は損耗も多くなって疲れるし、世界中を廻ってキミ一人を探すのだって楽じゃないんだよ? だからボクはね、キミの傍を片時も離れるつもりはないよ」


 そんなヨムの言葉に対し、今度はゾンビウォーリアーが呆れ返した見せた。


「はぁ……天使(これ)はもう放っておきましょう。ネクリア様、ネクロマンシーをお願いします」


「んっ」


 司祭は死霊術で夜狼に肉体を乗り換えると、エルフの娘と淫魔少女を背に乗せ、彼女達がつけた足跡を消してまわり、髪の毛や羽を食べて回ったのだ。


「では、森の奥地へ向かってゾンビ夜狼を投棄した後に来た道を大きく迂回して半日以内に鉱山都市まで戻るぞ」


 そして、狼に跨った少女達がこの場を去った。


「やれやれ……半日って軽く言ってくれるよね……行きは馬車の上に腰かけてるだけで良かったのに、帰りは5日かけて進んできた道を休憩なしで鉱山都市までずっと飛びっぱなしかぁ……。飛ぶのだって案外楽じゃあないし、渡り鳥だって軽い休憩くらいはするものなのにね? あ~ボクもゾンヲリ君の背中に乗って帰りたいな……。なんてね」


 一人その場に取り残された天使がそんな言葉をぼやきながら空に飛び立ってから丸一日が経過すると、白い修道服を身に纏ったシスターや白いフード姿の男達を率いた純白のサーコートを基調とした騎士風の女性が訪れた。


「……執行者ヴェンジェシカ様、間違いありません。この死体が"例の司祭"です」


 シスターにヴェンジェシカと呼ばれた栗毛の長髪が特徴的な女騎士は、司祭をあからさまに憎悪と侮蔑を込めたような目で見下ろし、歯を軋ませている。


「獣にハラワタを貪られて朽ちるとは……私達が直接裁きの銀槌を振り下ろすまでもありませんでしたね。尤も、教会最大の汚点にして最悪の異端"神の証人派"のクソムシの末路としては実にお似合いですが」


 修道服の女性シスターの一人が司祭の死体を物色する前に十字を切ろうとした。


「……フン、その汚物の為に祈るのはやめなさい。それより、身元は確認できましたか? 報告しなさい」


「は、はい。獣に貪られて死体の損傷が激しいですが、身体的特徴と所持している"ペクトラルクロス"の形状から例の司祭本人で間違いないと思います」


 ペクトラルクロスは正式な聖職者として認定された者に与えられる。


 形状から身分と所属している教会が分かるようになっており、司教以上になると金やミスリルといった高価な貴金属や宝石などを用いた特徴的で豪華な装飾が彫られるようになるため、身元証明に使われることもある。


「……近くに執行者アンジェの姿は?」


「……ありません。護衛の死体も全て公式の聖職者ではありません。恐らく聖歌隊と呼ばれる司祭の私兵……ならず者か傭兵です」


「それは妙ですね。あの汚物(クソムシ)がアンジェを傍に連れずにこのような場所に不用心に入り込むなどと、それこそ神の奇跡でも起こらない限りあり得ない話です。もっと死体や周囲を詳しく調べなさい!」


「はい!」


 白服のシスター達が慌ただしい様子で地面から周囲の草むらから探し回っていた。その最中、執行者ヴェンジェシカは司祭の屍の服を剥ぎだす。


「チッ、なんて汚くて醜い。それに臭い……」


 ヴェンジェシカはしかめっ面と舌打ちも隠さず司祭の法衣を裏返した時だった。


「……これは……"古い血"が固まって染みになっている? それに、腹部や臓腑の損傷は激しいですが背部の傷は噛み傷や裂傷ではない……貫通傷ね。例えば……"巨大な大剣"やバリスタに近い剛弓の矢にでも貫かれない限り、このような大きな傷がつくことなどありえない」


 一度不審に思ってしまえば、不審な点は次々と浮かび上がってくる。


「それに、周囲に戦闘跡らしき形跡もない。まるで無抵抗のまま殺されているような……。そして何よりも不自然なのは……明らかに死体の腐敗が進みすぎている。少なくとも直近には殺されていない」


 腹には大きな風穴が開いていたからこそ腐敗ガスは溜まってはいなかったが、肌が赤黒く変色し始めていた。つまり、司祭の腐敗はおよそ一週間程常温のまま放置された状態で進んでいるのだ。


「おい、新しく鉱山都市に派遣した"目"の証言では、確かに司祭は1週間前には生きていたんだな?」


「は、はい。鉱山都市を出た時や、"先日"も村で物資を補給をしている姿を確認している報告を受けていますし、その間"目"に気付いた様子も特になかった……と」


 教会の目とは、教会に対する明確な背信行為が無いかどうかを監視するための裁きの銀槌に所属している密偵達である。各地の都市や村々に潜みながら、何か問題があればその情報は直属の"執行者"へと報告される。


 そして、教会騎士ヴェンジェシカは司祭を異端として断定した上で、教会の目を彼の近くに忍ばせていたのだ。


「ならば何故、この蛆虫(クソムシ)は我々の待ち伏せを事前に察知できた? このように迂回路を通った挙句、一週間以上も前に死んでいる? 挙句の果てに検閲した手紙すらも我々を欺くための偽装(ダミー)だと? 全く訳が分からない。一体どうなっている?」


 ヴェンジェシカは司祭を断罪する為の計画を立てていた。


 "教会の目"から司祭が"馬車を手配"したという証言を得て、検閲で押収した手紙から導き出したイリス神権国行きの"安全なルート"に2日前から待ち伏せを仕掛けていた。


 だが、通り過ぎる頃合いになっても司祭はいつまでも現れなかった。必ず馬車が通りがかるであろう村々に潜ませておいた"教会の目"からの報告も先日を境に消えた。


 だから、ヴェンジェシカは不審に思って迂回路となりえる道を手あたり次第に探し始めた。そうして見つかったのが、1週間以上も前に既に死んで腐っている司祭と護衛達である。


「わ、分かりません」


「……そういえば、蛆虫(クソムシ)の聖歌隊の中に潜入させておいた"教会の目(ジョンドゥ)"からの報告も、"女エルフ捕獲計画"とやらの実行部隊となったのを最後に途絶えているが、ヤツは生きているのか?」


「少なくとも、新しく鉱山都市に派遣した"目"からの報告ではジョンドゥの所在を未だに確認できていません。恐らく、内偵を見破られ拷問された後にどこかに拘束されたか始末されてしまったのかと……」


 内偵をしていた者が拷問を受けたということは、誰の手によって派遣されたのかはとっくに把握されていることを意味する。そして、司祭はすぐに本国へと帰還しようとした。


 その意図をヴェンジェシカはこのように解釈した。


「神の証人派の"怪しげな機関"で洗脳を受けてしまった被害者達のように、拉致されてしまう前に救出するつもりだった」


 異端の証拠を隠滅した上で、ジョンドゥを拷問あるいは洗脳して引き出した"証言"を元に、逆にヴェンジェシカを異端審問に告発するために動き始めたのではないか、と考えたのだ。


 ヴェンジェシカによる聖職者に対する過剰な内偵や越権行為は、異端審問に持ち込まれてしまえば証言次第では十分に罪として立証されてしまう。薬物(ゾンビパウダー)による洗脳で証言を自在に操作してしまえる司祭を相手に隙を晒してしまった形になっていたのが今のヴェンジェシカの立場だった。


「だが、実際には蛆虫(クソムシ)は既に死んでいるし、置き捨てにされた馬車には"被害者達"が乗せられていた形跡もない。だからこそ不可解なのだ。何のためにイリス神権国に向かおうとしたのだ。全く読めない……いや、待て、この状況を企んだのがそもそも蛆虫(クソムシ)ではないというのか……?」


 ヴェンジェシカにそう思わせる決定的な証拠となったのが、背中の貫通傷と死体の腐敗だった。


「おい、お前! もう一度検閲で押収した蛆虫の手紙を持って来なさい」


「はいっ」


 ヴェンジェシカは押収した手紙を凝視する。7日後に"イリス神権国に到着する"という同教派閥で事前に面会の約束を取り付けるという趣旨だけが記された他愛もない普通の手紙だった。


 単なる手紙としてだけ見るなら、不審な点など何一つとしてない。そこでヴェンジェシカはもう一つ"古い手紙"を取り出してそれと相互に見比べ始めた。


「……筆跡は……やはり蛆虫(クソムシ)のものだろう。表記の細部には微細な揺れはあるが、筆癖は限りなく本人そのものにしか見えない。もし、他人がこれを真似ようとしたのならば、少なくとも蛆虫(クソムシ)の書いた文書を見た上で相当に練習を重ね丁寧に筆跡を真似ようとしなければ再現できない。"こんな手紙"一つの為だけに、そこまで"こだわる"奴などいない」


 手紙に書かれた文章は間違いなく司祭本人のものだった。本人の手でなければ再現できない力の入り、筆圧、ハネ、はらい、揺れ、文字同士の間隔や大きさ、斜めに少しずつズレていくクセや、文末になると雑になっていくクセでさえも、ほぼ完ぺきに本人そのものなのだ。


 いや、司祭本人が書いた文字以上に司祭本人っぽくすらヴェンジェシカには見えていた。


「……そういえば一つ、見落としていた。よく"罪を犯した"王族や上級貴族が名前や身分を捨てるために"死亡を偽装"するという手を使うことがあったな。おい、この蛆虫は本当に蛆虫本人か? "他人の空似"ではなくて」


「本人……だと思われますが……。"目"も先日までは存在を確認していますし……」


「だが、偶々蛆虫(クソムシ)に似ている死体がクソムシと一緒に馬車に乗っていて、この場所に来た時に身分証の十字架や法衣と一緒にぶちまけられたとしたらどうだ? そして、本人(クソムシ)は我々が来る前に馬車馬にでも乗ってどこかに失踪したとしたら? これならば戦闘の形跡がないことと、死体の腐敗が進んでいることと、この場に馬の死体がないことと、執行者アンジェが傍にいない理由にも筋が通る」


 無理矢理のこじつけだが、ヴェンジェシカにはこれ以上にしっくりくる"筋書き"を導き出せなかった。そして、たった一つだけ見落としてしまった。


 司祭の背中まで貫かれた傷痕について、最もそれらしい理由を付けられなかったことに。


「では、ヴェンジェシカ様、この死体はどうなさるのですか?」


「一先ず本国に送って正式に埋葬し、クソムシは表向きには事故で死んだことにする。その方が私にとっても"面倒な手順"を踏む必要がなくなるのだから好都合だ」


 教会に認められた聖職者は"異端審問"にかけなければ処断出来ない。執行者であっても独断で処断するのは越権行為として咎められてしまうからだ。


 しかし、司祭は異端審問では裁けないのはヴェンジェシカも理解していた。


 司祭は法を巧みに解釈して利用することに長けているし、怪しげな洗脳によって証言を捏造して告発を躱してきたのだから。


 だからこそヴェンジェシカは多少"強硬な手段"で司祭を裁こうとした。拉致を現行犯で捕まえて完全に言い逃れ出来なくするか、その場で"事故死"してもらうという形で。


「上手く逃げおおせてたつもりなのだろうが、ようやく追い詰めたぞクソムシが」


 聖職者の司祭はここで完全に死んだ。もしも名前も身分もない男と成り果てたのなら、賊として堂々と殺したとしても全く問題にはならない。


 何故ならば、司祭は既に死んでいるのだから。


「大変です。ヴェンジェシカ様! これを」


「なっ、これは……」


 白服の一人が慌てた様子で持ってきたのは、一枚の天使の羽だった。


 〇


「クシュン……」

 

「なぁ、痴女天使、急に耳元でクシャみするのやめてくれないか?」


「や~何だろうね~、誰かがボクの噂でもしてるのかな?」


「縁起でもないことは言うな!」


「ま~ま~そんな事より、ゾンヲリ君もマメだよね~。走ってる最中も昼夜問わずでずっと骨を動かす練習してるんだなんてさ~。最初より大分マシになったよね~」


「ワォウ」


 今は骨を口に咥えて両端に二本の骨を接着させつつクルクルと高速回転させ続ける練習をしている。


 回転とは非常に単純な動作だが案外奥が深い。例えば、回転速度を際限なく上げ続けることで肉体を素早く遠隔制御するための俊敏性を養う事が出来るし、遠心力などの外的な力が作用することで回転速度や骨の位置がブレないようにするための精密制御技術を高めていけるように。


 己の身体と一体となる領域まで骨の操作精度を高めるには、己の身体と同じように常に使い続け、それが自然の域となるまで修練するしかない。


 そして、昨日の私よりも今日の私がより最高の状態であり続けるために、より早く、より精密に、より無駄を省き、より柔軟に、より難しくしていくのだ。漫然と同じ修練を続けていても意味はないのだから。

 

 人はどれだけ修練のために時間を費やそうとしても、一日の間に使える時間は精々たったの"一日分"しかない。逆立ちしても一日の間に二日分の修練などできやしないのだ。


 一日分の修練で十日分は前に進める者がいるのも事実だ。だが、私はそうではない。私が一日で前に進める距離はたったの一日分だけしかない。一瞬でも歩みを止めれば止まった分だけ前に進むのが遅れる。そして、一度の遅らせてしまった歩みは、未来永劫二度と取り返せはしない。


 だから、私は止まらない。数限りある一日のために、全力を尽くすのだ。


「や~そこまでして生き急ぐ必要もないだろうにねぇ。でもそんなキミだからこそ見ていて飽きないんだろうねぇ……ボクは、なんてね。は~なでなでさわさわ~」


「ウゥ、ワォウ!(おい、ベタベタ私に触るな)」


「おい、痴女天使、お前はゾンヲリに触るな」


 ネクリア様がパシっとヨムの手を払いのけてくれたのだろうか。首を後ろに回してみると、子犬のようにプリプリとヨムに対し威嚇しているネクリア様と、私の体毛で遊んでるブルメアが見えた。


「うう、ひどい」

 教会の目とかいう畜生が密かに全国各地に配置されているので、ゾンヲリさんが完全犯罪を目論まなければ即詰んでいた疑惑がある。そんなお話なのさ。


 なお、ゾンヲリさんは一日に一日分しか進めないとか言ってるが、ゾンヲリさんは24時間眠らずに訓練するので、一日に10日分進める天才が毎日2時間努力するよりは経験値稼いでたりするらしいぞ? 馬車の中でもずっと密かに骨動かしてたらしいぞ?


 つまり5日×24時間=120時間ぶっ通しである。 一日8時間労働×20日(一月分)でも160時間(実際戦闘訓練を8時間どころか半分もやれるわけない)と考えると……。う~ん、この脳筋

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