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第二十話:少女は安息を求めた


 宵闇の平原、星明りを除けば見る物は何もない。幸い、付近に魔獣の類や追っ手となる人間の気配もなかった。


「ネクリア様」


 少女からの返事はない。ただ、すすり泣く声だけが頭の中に響いていた。


「ネクリア様」


 先ほどからずっと、少女は伏せってしまっている。住居を焼かれ、地位を無くし、あまつさえ命すら失いかけたのだ。少女の感じたであろう失意と絶望は私には計り知れない。


「ネクリア様」


(なんだよ、さっきから煩いな。私の事はもう放っておけよ)


 不貞腐れながらではあるが、ようやく反応してくれた。


「そういうわけにもいきません」


(お前は私の親か何かのつもりか?)


「違います」


(なら、いいだろ。私にはもう、何もないんだからさ)


 何もない。少女はそう言い切った。私はそれを酷く悲しく感じる。


「ネクリア様……」


(ああ、そういえばこの身体だけは残ってたっけ。ならゾンヲリ。私の身体をお前にやる。それでお前は自由だ。私はなるべくお前の邪魔はしないからさ、好きに生きてみればいいよ)


 自由になれと。これ程無責任な話があったものだろうか。今の私に残った唯一の人間性とは、少女に対し誠心誠意尽す事。

  

「それは、ダメですよ。ネクリア様」


(何がダメなんだ? ああ、そうか。ゾンヲリだってこんなちんちくりんで腐臭のする身体は嫌だよな。悪かったな、こんなものしか渡せなくってさ)


 少女の取った行動は自虐だった。


 理不尽によって何もかもを奪われた者が取り得る行動は二種類ある。自暴自棄になって全てを諦めるか、憎悪で心を塗りつぶして復讐に浸るか。少女は前者だった。


「しっかりしてください!」


(なんだよ)


「この命はネクリア様の物です。私が成り代わってよいものではないのです」


(じゃあ、何にもない私に何が出来るって言うんだ! 頭の中だってもうグチャグチャで、何をしたらいいのかも、誰に頼ったらいいのかもわかんないんだよ)


 終始、私は少女に頼りにされていないだろうか。それがとても悲しい。


「私では何のお役にも立てませんか? 貴女が望むならば、私は何だって致します。それではいけませんか」


(は? なんでゾンヲリがそこまで私に尽くすんだ。義理なんて何もないだろ)


「義理ならあります。ネクリア様は私に光を与えて下さりました」


 あの零の虚空から、偽りとはいえ色と生を再び与えてもらった。生き甲斐を見出す事が出来たのは他でもない少女のおかげだ。


 この手に宿る血濡れの業は少女が為に、最初からそう決めていた。死体を積み上げ続ける事でしか己の価値を証明できぬ(ゾンビ)に、笑いかけてくれる者は少女しかいないのだ。


 だからこそ、少女が為に捧げるのだ。


(またそれか……、それはお前がおかしいだけだよ。ちょっと普通に生きてみれば色々楽しみとかあるだろ? それで私がどれ程のクソ野郎だって事だって……)


 少女は自らの行為(ネクロマンシー)を邪悪であると感じている。持てる者には選択する自由があり、死でさえも己の領分で定める事が出来る。それらの権利を全てを奪い尽くす死霊術とは残酷な魔術だといえるだろう。


 だが、持たざる者である私には。痛みでさえも恵みでしかない。


「ネクリア様、私は貴女のゾンビです。貴女の味方でありたいのです」


(……ゾンヲリ、お前、やっぱり馬鹿だろ)


「そうかもしれません。ですが、私はネクリア様の笑顔がみたいのです」


(もう、私の身体で臆面もなく恥ずかしいセリフ連発するのやめろ。こっちが段々恥ずかしくなってきた)


「はい」


 冷たい夜風でスカートと草木がたなびいた。少女のすすり泣く声はもう聞こえない。

 

(ゾンヲリ)


「なんでしょうか?」


(そういえば、礼、言い損ねてたな。ありがとな)


「いえ、勿体無いお言葉です」


 それから、暫くは舗装された車道を歩き続けた。


(なあ。ゾンヲリ、私はこれからどうすればいいかな)


「ネクリア様は何がしたいでしょうか? 今の欲求を正直に話して頂ければ、私はそれを叶えましょう」


 私の望みは少女の望む事を全身全霊をかけて叶える事。富と地位を求め、憎むべき敵に対する復讐、どれでもいい。死体を積み上げて叶えられる手段であれば、何だっていい。


 何だって、殺してやる。それが私が少女に報いる事が出来る唯一の方法だ。


(とりあえず、安全な所に行きたいな)


 少女の望みは、安息だった。ならば邪魔する者を切り捨てるのみ。


「畏まりました」


 ありとあらゆる意味で魔族国に今戻るのは危険だ。先ほどの騎士もそうだが、ベルゼブルの勢力に会うのもよくない。ほとぼりが冷めるまではどこかに身を潜める必要がある。


「ネクリア様、付近に村はありませんか?」


(一応場所を知ってる農村はあるけど、ここからちょっと遠いぞ。ナイトメアで数刻かかる距離だし)


 ナイトメア、紫電のたてがみを持つ馬の生物。魔族国では荷馬車用の家畜として門を出入りしているのを以前見かけた。


「ネクリア様、野宿になってしまいますが、大丈夫でしょうか」

(え~、やだなぁ)


 最低でも野宿が必要な距離だった。この闇の世界で、一人で野宿するのは血に飢えた獣の餌になるのと等しい。あくまでそれは、少女単独であれば。の話だが。


「でしたら私が夜通しで歩き続けましょう」


 幸い、この偽りの生を受けてから私は一度も眠った事がない。


(なぁ、ゾンヲリ。言い忘れたんだけどさ。私はお前と感覚も共有してるからな。その、身体の節々がすごーく痛いんだけど)


「軽い筋肉痛ですよ」


 少女は淫魔であるからか基礎的な身体能力はそれなりにある。しかしながら、戦士としての経験が一切ない身体だ。


 それを私が無理矢理動かして大剣を振るっているからか、腕には軽い肉離れを起こしていた。


(お前って凄いよな。私はこの痛みの中であんなに剣ブンブン振り回して走れないぞ)


「それ程でもありませんよ」


 戦士であれば普通の事だ。痛い事を言い訳に武器が振るえないのならば、戦死するのが定め。だが、私が少女の肉体で戦い続けるのは、あまりよくない。


 それは少女の身体に多大な負担をかける事になるからだ。暫くの間、土を踏みしめる音が続く。


(なぁ、ゾンヲリ)


 夜道を歩き続けると、時折退屈を紛らわすために幾度も少女は語りかけてくる。少女は意外と寂しがり屋なのである。


 だが、それは私も同じ事。だから私は毎回こう返す。


「何でしょうか。ネクリア様」


(ちょぴっと疲れたな)

「そうですね」


 実の所、そこまで時間は経っていない。たが、魔族国内では色々あった。


(なぁ、ゾンヲリ)

「何でしょうか。ネクリア様」


(ちょぴっと眠いな)

「そうでしょうか」


 眠った事がないのだから、その感覚が分からない。目を閉じると、またあの虚空に引き戻されそうに思えた。だから試そうと思った事すらもない。


(なぁ、ゾンヲリ)

「何でしょうか。ネクリア様」


(お腹、減ったな)

「そうでしょうか」


 私の食事は頂いたピザを最後に、それ以降何も口にしていない。別に不便に感じる事がなかったからだ。腹が痛くなって、全身ひび割れるような痛みを感じるだけだ。


 腐った臓物を抱え、剣で貫かれる快楽に比べれば、無視できる。

 

(なぁ、ゾンヲリ)

「何でしょうか。ネクリア様」


(お前さ、やっぱり変な奴だよな)

「そうですね」


 少女と私は、同じ身体であっても、何もかもが違った。


 私は魔法の唱え方を知らない。少女は剣の振るい方を知らない。私は食欲を知らない。少女は眠りを知っている。私は死んでいる。少女は生きている。


 ただ、一つだけ確かな事はある。私は変な奴なのだろう。


(ゾンヲリ、お前がいてくれて良かったよ)

「勿体ないお言葉です」

 

 私には少女のその言葉があれば十分だった。

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