第六十二話:ダーク♂エロフ
「……ブルメア……なのか?」
状況証拠的に、この場に居合わせる可能性のあるエルフと言えばブルメアくらいしかいるはずがない。だが、目の前にいるエルフがブルメアであるとは到底思えなかった。
それ程までに纏っている気配が異質で別人なのだ。
まず目につくのが全身から放たれている"冥い波動"。これは、力を持ち力に溺れた者が放つ特有のオーラ。見る者に恐怖の感情を与え萎縮させる、あるいは激情を呼び覚まし戦いの狂気に駆り立てようとするものだ。
最近これと同じ気配を放った存在が"オウガ"だ。
「うん、そうだよ? "久しぶり"、ゾンヲリ」
久しぶり……どういう意味だ。さっき分かれたばかりなのに使う言葉ではない。
きょとんと首をかしげながら近づいてくるブルメアの仕草は一見いつも通りだ。
だが、鋭くかつ妖しく光る黒曜の瞳に孕むのは暗い感情、灰を被ったように緑の色素が抜け落ちてしまった長髪、白かった肌にも闇が差し、結っていた髪も降ろしている。
それに、どこか蠱惑的な雰囲気を醸し出していて、目が離せなくなる。例えるなら魔族に近い……いや、闇のエルフ……とでも呼ぶべきだろうか。体型を除けば、私の知るブルメアとはあまりにも違っていた。
「待て、それ以上近づくな」
「急にどうしたの? 変なゾンヲリ」
「一体、貴女に何があった? 何故戻って来たんだブルメア」
「何って? 何にもないよ? ゾンヲリに会いたいから戻って来たんだよ……?」
口調や言い回しは普段のブルメアに似せようとしているが、根本的な部分では感情がこもっていない。ある意味では私と同じ匂いを感じさせる。
つまり、"嘘つき"だ。
「ほら、ゾンヲリってばすごーく怪我してるし、よろよろって歩きにくそうにしてる。だから一緒に帰ろ? ね?」
既に足が二本と腕が一本折れかけてるし、天使ヨムの【チェインライトニング】で全身が炭化してしまっている。正直に言えば今はダインソラウスを運ぶだけでも辛い、ゴキブリの触覚にも縋りつきたいくらいの満身創痍の状態にあるのは事実だ。だが……。
「とぼけるのはもう止めろ。……さては死霊に憑りつかれたな? お前の中からもう一人分の気配を感じるぞ」
普段のブルメアならば絶対にみせないような歪んだ笑いを浮かべて見せたのだ。
「あはっ、バレちゃった? やっぱりゾンヲリは凄いね。私のことは何でも分かっちゃうんだ」
「っ!?」
死霊に憑りつかれて操られているにしては、ブルメアの意識があまりにもはっきりしている。本来、死霊に憑りつかれている者は"嘘をついたり、立ち振る舞いで隙を作らない"なんて器用な真似を出来ない。
天然モノのゾンビは「う~う~」喚きながらふらふらと動くし、死霊共は訳の分からない言葉をひたすら繰り返す。つまり、まともな理性などなく、会話も一切成立しないのが当たり前だ。
だが、ブルメアとは意思疎通が出来ている。
「ねぇゾンヲリ、さっきからどうしてそんなに怖い顔して身構えるの?」
「ならば少しはその駄々洩れの殺気を隠す努力くらいはしてみせろ」
冥い波動とは、周囲に無差別に振り撒く悪意と殺意の塊のようなもの。これを放っている相手と相対して警戒するな、などと出来るわけがないだろう。
「ああ、そっか。難しいね、じゃあ――」
来る。ブルメアが地面を蹴った。
「グッ!」
目で追えない、速すぎる。一瞬で肉薄された。剣や短刀での反撃はブルメアを傷つける。ここは体術で。
「はい、捕まえたっ」
腕を掴みどろうとするが、逆に掴まれた。すぐ様にもう片方の手で腕を掴み返し、無理矢理ブルメアの懐に潜り込みながら背負い投げようとするが、ブルメアは投げられてる最中に掴みを解き宙返りする。
そして、行き着く暇も与えず後ろ回し蹴りが繰り出される。
「ガッ」
今のやり取りで無事だった方の腕が潰された。単純な"握力"だけで骨まで砕かれてしまった。無理矢理投げた際に片方の腕が折れた。後ろ回し蹴りを受けた脚も砕かれた。
そして、私が崩れ落ちそうになった矢先に両手を掴まれ前に押し倒される。
「馬鹿な、何だ……この力は」
私がブルメアの身体を操作したとしてもこうはならない。普段のブルメアとは身体の性能があまりにも違い過ぎている。
「あははっ、どうしたの? ゾンヲリ。なんか痛そうだね?」
馬乗りにされ、両手と両手同士を絡め合うように組まれ押さえつけられてしまう。
骨の繋がりが途切れてしまい、両腕にはロクに力を入れられない。足も砕かれてしまっては立てない。幾ら力を振り絞ろうと、ブルメアの拘束を引き剥がせそうにない。
いや、例え身体に一切の損傷が無かったとしても、全く動かせそうにない。それくらい異常な膂力で押さえつけられている。
「えへへ、女の子みたいになっちゃったね? ゾンヲリ」
ブルメアは自身の腕の血管が裂けて血が噴き出てしまっている事を全く気にしていない。
「……まさか、肉体の限界を超える扉を……死門まで開いているだと? 自分の腕をへし折るつもりか!? ブルメア!」
肉体の限界以上の力を引き出す事を私は"扉を開く"と呼んでいる。この力を引き出す段階は私が知る限り4つ段階がある。始門に始まり修門を修め、鬼門に至り……そして死門を超える。
私がブルメアの身体で開いた門は始門から修門までだ。先の門を開けば肉体に少なからず負担を強いる事になる。弱者の肉体ではそもそも力の引き出しに耐えきれないし、そうでなくても重い負荷がかかり続けるので修門以降は常用すれば身体を壊し始める。
弱者の身体で修門まで解放し、ダインソラウスを長時間無理矢理振るえば筋肉が裂けてしまうように。
そして、私が死体の身体を使って後先を考えずに戦う時には死門を開いている。ここまで行けば最後、"肉体の損傷"を代償にして一瞬だけ爆発的な力を発揮して"奥義"とも言える戦技を放てる。
例えば、【獣躙払車輪剣】を一度使用しただけで手足の骨が折れて使い物にならなくなってしまうように。故に、奥義は使用すれば一撃必殺で仕留めなければならない。
「えへへ、こうしてゾンヲリを捕まえていられるなら腕くらい折っちゃってもいいかなって」
……鍛えられた"強者の肉体"であれば、死門を解放してもなお複数回の"奥義"の使用にも耐えられる。だが、ブルメアは違う。実際に私はブルメアの身体を使っていたのだから分かるのだ。
修門でさえも、戦技として振るう一瞬だけならまだしも、長時間の使用には耐えられない……はずだ。
「分かった。抵抗はしない。だからそれ以上悪ふざけするのはもうやめろ」
「やっぱり、ゾンヲリは優しいね……? それより気付いてる? "この前"と逆になっちゃったね?」
この前、というのはブルメアと模擬戦をした時の事を言っているのだろう。私が体術でブルメアを拘束して押し倒した時の形をまんま意趣返しされているというわけだ。
「……なるほど。ここから返してみろとでも言いたいわけか?」
「ううん? 違うよ? あの時、私が何を考えてたかゾンヲリってば知ってる?」
ブルメアは、得物を前にして舌舐めずりする魔獣のような妖しさを含ませた笑みを浮かべて私を見下ろしている。そして、徐々に体重を前に倒してくる。
身体と身体が密着する。下腹部、胸、そして――
「っ!? 待て、何を――」
いきなり口の中に舌をねじ込まれた。貪るように口内を蹂躙され、唾液を喉の奥に送り込まれてしまう。訳が分からない。思考が定まらない。頭の中が溶かされる。
あまりにも気持ちが良すぎて、抵抗したいと思えなかった。私は、なすがままにされていた。
「んっ、はぁ……ゾンヲリの初めてのキス、もらっちゃった」
「うっあっ……」
唇と唇が離れた時、とてつもない喪失感を味わった。
「"あの子"にもネクリアにもあげない。これは、私だけのモノなんだから」
普段のブルメアなら絶対に見せない女の武器を全面に押し出した妖艶な仕草。そして、言葉の一つ一つに込められているのは、私に向けられた独占欲にも似た偏愛。
このまま何もかもを忘れて肉欲に溺れてしまいたくなる。例えるなら、淫魔と対峙してしまった"餌"が最期に抱くような気持ちだろうか。
「こ……これが答えだと……?」
「うん、そうだよ? ねぇ、続き、しよ? ゾンヲリ……私をもっと見て、抱きしめてよ」
ブルメアは私の手を引っ張ると、豊満な胸に触れさせようとする。
「やめろ……お前は……男嫌いだろう? 触れられることすら嫌だったはずだ」
ブルメアは"男から触れられる"事をことあるごとに拒絶していた。嫌悪の表情を向けて来た。そこには嘘はなかった。
胸から引き剥がそうにも、既に腕の半分から先は私の意思では全く動かせなくなっていた。なのに、痛覚。暖かで柔らかな肉の感触だけは伝わってくる。
「ううん。違うよ? 私ね、本当は触られるのは大好きだよ? だって私って今のキスとかそれ以上の気持ちイイこと、ゾンヲリ以外の沢山の男の人達といっぱいい~~っぱいしてきたんだよ?」
だが、最近のブルメアはことある事に意図的かつ露骨に私に"接触"しようとしてきたのは知っている。無論、その意図に関して未だに気づいていない程に私は鈍いわけではない。
だから私は、あえて素知らぬフリをし、はぐらかしながら拒絶してきた。私がブルメアを受け入れるわけにはいかないのだから。私がもしもブルメアに溺れてしまえば、ブルメアに"呪い"をかけるという結果にしかもたらさない。
死者風情が彼女の未来に呪いをかける。そんなことは"絶対"にあってはならないのだから。
「ねぇ、ゾンヲリは知ってる? こうやってね? 首を絞められながら犯されると頭が真っ白になるくらいすご~~く気持ちいいんだよ」
ブルメアは私の首を絞める。指が肉に食い込み、首の骨が軋む程の力が籠められる。
「ガッ!ァッアッ! やめろ。ブルメア。正気に戻れ」
気道を圧迫され上手く声を出せない。
「あははっ、私は正気だよ? "あの子"がおかしいだけだもん」
「がっ! あっ、"あの子"だと? なら"お前"は一体何なんだ?」
「ねぇ、ゾンヲリ。あの子ってば何にも"知らなくて"純真で良い子だよね。でもね、私はあの子が知らないって思う事をぜ~~んぶ知ってるんだよ? えへへ」
ブルメアはビースキルズパンサーを私が殺した時は随分とショックを受けていた。そして、多くの元奴隷の獣人が市長に対し苛烈な復讐を行ったのに対し、ブルメアは市長に対してビンタ一発だけで手打ちにしていた。それは、彼女の天然お花畑な性格が起因しているのだとばかり思っていた。
だが、今でも時折思うのだ。ブルメアが初めて自分の手で土蜥蜴を串刺しにした時に見せた冥い笑顔。人間への強い憎悪。あれは何だったのかと。今のブルメアの様相はその時にそっくりで。
「"お前"と"良い子"のブルメアは別人だとでも言うのか?」
「うん、そうだよ? 私ね、本当はと~~~~ても悪い子なんだよ? ほら、あの子が汚いっ臭いっ醜いって思ってるこ~んな事も男の人達にやったりやられたりしたんだよ? んちゅ」
ブルメアは私の上着を引きちぎりその上に舌を這わせてくる。ビチャビチャと卑猥な音を立てるようにして。
「うあっ……よせ! やりたくない事はやらなくていいんだ」
「違うよ? 私はやりたいからやってるんだよ? だってゾンヲリの事大好きだもん。それともゾンヲリはこんな汚らわしくて淫売なエルフとえっちなことするのは嫌? やっぱり嫌だよね……ごめんね? でも止めない。止められないもんね。だって私淫売エルフだもん。そういう風になっちゃったんだもん」
「違う。死体を舐めるのは汚いだろう。病気になるぞ」
「……いいよ? ゾンヲリから貰える病気だったらなんだって欲しいもん。ゾンヲリで私の事をぜ~~んぶ染めあげてほしいな。えへへ」
ブルメアの返した答えに思わず戦慄した。
なんだ……、何なんだ……この歪んだ好意は。一体どうすればいい? 分からない。いや、思考は止めるな、目の前のブルメアを知らなければ何も出来ない。
「ぐ……お前は、"あの子"がどういう状態になったら出てくるんだ?」
「前はね、あの子が嫌だっ! 汚い! って泣き出す度に私が呼ばれてきたんだよ? 私がどんなに嫌だ! お願いやめて! って泣いて叫んでもぜ~~~んぶ"私にだけ"押し付けられてきたの。でもね、最近のあの子ってば私をあんまり呼ばなくなっちゃって寂しかったんだよ? ゾンヲリ」
「つまり、お前は……あの子が逃避した"惨劇の記憶"から生まれた別の人格だとでも言うのか……」
「うん、そうだよ? だから私の事は悪夢って呼んで、ゾンヲリ」
メアとは、"鬼"や霊、悪魔を示す言葉だ。そして、うなされるような"悪夢"、傷つける、痛み、死と快楽、淫乱な牝という意味も持ち合わせている。
そして、人はこういった存在を、淫魔、あるいは夢魔と呼ぶのだろう。それを、知ってか知らずかあえて自称……いや、自嘲するのか。ブルメアから半分の名前、メアという文字をとって。
「メア……か、それでお前は、どうしたいんだ?」
「全部壊してやりたいよ。あの子も、あの子の大切にするものも、人間もエルフも、全部壊したいよ。だから、ゾンヲリ。もっと私に壊し方を教えてよ。 私全部、覚えるから。それでゾンヲリも一緒に壊そ? ね?」
メアは、ブルメアの痛みと憎悪の化身だ。自分に痛みを与え続けてきた世界を憎み、自身に痛みを押し付けたあの子も憎んでいる。
そして、メアである自分自身すらも。
「……そうか……、メア、お前もブルメアだと言うのか、ならば、"俺は"……お前の在り方を否定はしない。望み通り、壊し方を教えてやる」
俺は、きっとまだどこかでブルメアを下に見ていたのだろうな。まだ自立するには早い、守らなければいけない。俺と同じ道を辿らずにいてくれればいいのだと。
それは思い違いだった。
きっと少しばかり過保護にしすぎたのだろうな。きっと俺がブルメアの暖かさに甘えてしまっていたのだ。彼女達はもう既に十分に強く、己の意思で進む"道"も決めてしまっているというのに。
俺が恐れていたのだ。既に俺に失う物など何もないのに失うことを。
「……教えて、くれるの? 本当に?」
「ああ、壊したければいくらでも壊せばいい。人間もエルフも殺したい? ならば好きなだけ全てを殺し尽くせ。俺を壊したいというのならそれもいい。いたぶり、踏み潰し、粉砕しろ。それが、お前の本当の望みだと言うなら……俺は、お前の憎悪を認める」
結局のところ、俺から彼女達に教えられることは……あまりにも単純だ。呆れるほどにな。俺のやり方で、俺の知っている道を示すしかない。
築き上げてきた物は、いずれ全て壊される。ただそれだけだ。
「……ぁぁ……あはっ!」
メアは満面の笑みを浮かべていた。
「ただ、一つ覚えておくといい。その力は、こうして他者に振るえば同じように他者からも振われる力だ。そして、そこには慈悲も救いも一切無い。敗れた者に与えられるのは残酷な結果だけだ。お前以外に、お前自身を守ってくれる者もいない」
怒りと憎悪は、誰しもが持ちうることを許される平等な権利だ。これに縋りつく事でしか前に進めないどうしようもない人間もいる。俺のように。弱者と敵の屍を踏み潰し続ける事でしか前に進めない道を。
流された血と涙で塗り固めろ。
「あっ!」
気を抜いたメアの一瞬の隙を突き、転げるようにして押し倒し、逆に馬乗りの形にし返す。そして、ブチブチと靭帯を引きちぎりながら折れた腕で無理矢理メアの首に手をかける。
「俺の知る、本当の痛みと快楽を教えてやる」
意思の力で理を捻じ曲げ、とっくに筋肉も切れて動かぬはずの指を無理矢理メアの首に食い込ませる。
「あぐっ! ぁあっ!」
「どうだ、メア。誰かから首を絞められるのは気持ちがいいか? それとも、己の意思で己自身を痛めつけるのはやはり痛いのか? だが、まだだ。まだ足りない。生きていては味わえない。死の先にある本当の痛みと快楽はな」
メアの気道をより強く締めあげ、血の流れをも止める。首の肌が徐々に死の色に青ざめていく。
「……ゲホッ、やめぇ……」
メアは苦悶の表情を浮かべ、目尻には涙も浮かべている。
「俺は緩めるつもりはない。抗え、さもなくば、そのまま死ねぇ! 肉と成り果てろ!」
「あ、ああああああ!」
メアは渾身の力を込め尋常ではない膂力で俺を引き剥がし、蹴り飛ばしてくる。
「ガハッ」
吹き飛ばされて石壁に叩き付けられた。あばら骨が内臓に突き刺さる。地に足がつけば折れた足の骨が筋肉に突き刺さる。ぶちぶちと靭帯が引き裂かれていく。
「……どうした? 俺はまだ死んではいないぞ? 殺すのだろう? 壊すのだろう? 首を絞めて全身の骨を粉微塵に砕いた程度じゃあ人間中々死ねない。 腕を引き千切れ、足をもげ、首をへし折れ、腹を裂け、心臓を潰せ、頭を砕け、敵は皆殺しにしろ。そう教えたはずだ」
激突の衝撃で外れた各部位の骨を壁や腕に押し付けて無理矢理くっ付ける。
「ケホっケホッちが……、こんなの違うの……ゾンヲリ、私はただ……」
「愛されたいか? それとも、優しくされたいか? 下らない」
「ひっ」
ナイフも握れなくなった両の手の平に、口で咥え抜いたナイフを突き刺す。全く使い物にならなくなった手も、こうすれば茨の鞭の代わりくらいにはなる。
「誰からも拒絶され続け悲劇に酔いたいという気持ちは理解できないわけでもない。だが、同情もしない。お前は、憎悪に酔うという奈落の底へと続く道を自分の意思で選んだのだろう? ならば、己の意思で己の手を汚し続けろ。憎悪の痛みを背負い続けろ。俺は止めない。だが、"俺の邪魔"をするならば、容赦はしない」
力が無いからされるがままに生きて来た。力が無いから愛されるために嫌々媚びてきた。だけど媚びずに愛されたい。好きなように振舞いたい、か。笑わせる。
そんな境遇なんぞ誰にとっても当たり前だ。そこら辺に浮いてる死に損ない共にだって腐る程いる。同情なんぞ一々していたらキリもない。悲惨な経験をしてもなお、ひたむきに前に進み続けようとする者だっているのだ。
こんなもの、つまるところは駄々をこねてるだけだ。クソガキの癇癪から始まる不毛な喧嘩となんら変わりない。
「さぁ、始めるぞ。壊し合いだ。壊さなければ、壊されるぞ」
そして、俺も、ただのクソガキだ。
「ひう……グス……イジワル……イジワル……だよ。どうしてゾンヲリは私にはあの子みたいに優しくしてくれないの……? 見てくれないの? 私その為だけに強くなったんだよ? 嫌な訓練だって全部我慢したんだよ? 私のことが見て欲しいだけなのに、抱きしめて欲しいだけのに。ゾンヲリは私の事、嫌いなの?」
メアはまるで子供のように泣き出し始めてしまった。
優しくされれば優しさで返されるかもしれないし返されないかもしれない。愛しても愛されないかもしれない。だが、憎悪を向ければ大きな憎悪によって返される。
世界とは、そういう風に作られている。
だから俺は、メアの憎悪には憎悪で返すしかない。痛み与えてくるというのなら、痛みで返し続けてやるしかない。それは、果てもなく虚しく不毛だ。
憎悪の痛みをもって、教えてやることしかできない。
「俺は、"お前達"の保護者ではない。前にも言ったが、俺は誰も愛さないし、誰からも愛されるつもりもない。もし誰かに愛される事がお前達の望みだというならば、俺以外の誰かにそれを求めるがいい。それが出来るように、俺なりに"お前達"に働きかけたつもりだ」
「や~……ゾンヲリ君。それを愛するって呼ぶんじゃないのかい? ってボクからのツッコミ待ちなのかい?」
突如虚空から声が聞こえてくる。見知った天使の声だ。
「お前は黙ってろ。ヨム」
「ぐす、ひぐ……うわあああああああああ!」
ついに逆上したブルメアが殴りかかって来る。
「ガハッ」
始めから分かっていた。この身体は既に度重なる損傷で死に体なのだから。私にこれを躱す術などない。戦いになど、なるはずも無かった。
「なんで? なんで! なんで!!!!」
目に見えぬ殴打の連打。全身滅多打ちにされながらもナイフ付きの手の甲を振り回す。だが、やはり当たりはしない。回避と同時にメアの後ろ回し蹴りによって再び石壁まで吹き飛ばされるだけだ。
風圧と激突の衝撃に耐え切れず手足が完全に千切れた。
「ガハッ……ハハッ……どうだ? 理解したか? 誰かを殴りつければ己自身をも殴りつける結果になるということをな。だが、まだだ。まだ俺を殺しきるには足りないぞ? さぁ壊し続けろ。終わりの無い享楽の果てまでな」
「わああああああああ! イジワル~~~~~! イジワル~~~~~!」
もはや目も見えん。ただひたすら殴打され続ける感覚だけが全てだった。そして、私を殴った分だけメアは自分の拳を傷つけていった。
「こんな……こんなはずじゃなかったのに……グス……」
メアが殴る事を止めた事で、私はめり込んでいた石壁から剝げ落ちて地面に崩れおちる。
「なんだ、もう気が済んだのか? まだまだ足りないだろう? 怒りと憎悪に任せて動けない奴を一方的に殴りつけるのはたまらなく気持ちが良いのだからな。止められるものではないだろう? なぁ? メア」
喉奥に溜まった血反吐を地面に吐き捨てる。
「うわああああああああ!」
「はい、【ディスペル】」
メアが最後の一発を振りかぶろうかという時に、【ディスペル】の声が聞こえた。私にかけられたのではない。付近に放たれている魔力の波動から推察するに、恐らくメアに対してかけられたのだ。
「あ……ゾン…………」
どさりと、近くに何かが崩れ落ちる音がした。恐らくブルメアだ。
「……何の真似だ? ヨム」
「全く、キミも大概ひねくれて意地っ張りだよね。こんなの抱きしめてなんかそれっぽい優しい言葉をかけた後に口づけしてそのままえっちしちゃえば丸く済みそうなのにねぇ? どうしてキミはわざわざ拗れる方向に話をもっていこうとするんだい? なんてね」
「煩いぞ」
「それともキミはさ、自分には愛される資格が無いから、ゾンビの身体だから、もう時間がないから、みたいなありきたりな事を思ってたりしないかい? だとすればちょ~っと残念だなぁ」
わざわざ俺が自覚していることを当てつけのように、傷口に塩を塗り込んで来る辺り、この天使は本当にいい性格をしている。
「煩いと言っている」
「おや、もしかして今のボクの言葉が痛かったのかい? でもボクはキミの為に言ってあげてるんだよ?」
「……これでまた、死に損なった、か」
俺はまだ、ヨムという天使を信用しているわけではない。
だから、ここで俺がメアに憎まれ殺されておけば、ヨムに見られているブルメアと俺の間にある関係が完全に決裂していることをヨムに見せつける事ができる。
そうすれば、ヨムが後で天界に何かを働きかけたとしても、私の巻き添えとして"天罰"を受ける事も無かった、はずだった。
だが、ヨムのこの様子からするに、私がしたことにあまり意味がなかったのだ。つまり、ただの茶番でしかない。
「や~……キミの事を死なせはしないよ。ボクがほんのちょっぴりキミをイジメたおかげでキミがこんなつまらない場面で力尽きてしまったら、ボクが責任を感じてしまうじゃないか。だからさっき"その辺にいたアンデッド"に対してかけてあげた【ディスペル】はね、キミに対するボクなりの贖罪の気持ちさ」
ヨムは私達に介入するに至った下らない屁理屈を述べている。
「お前も、大概無駄に面倒見が良くて面倒臭い奴だよ」
「ふくく……あははっ、それよりさ、地を這ってモゾモゾと動いて、キミはまるでイモムシみたいだね。なんてね」
私が無様に苦しみ続ける姿が見たい。こいつは、そういう奴だったな。
倒れているブルメアを仰向けになるように転がし、下に潜り込むようにして背負う。そして、イモムシのように折れた手足で這い擦って進む。地上を目指して。
「そこのメア……今は翠髪に戻ってるからブルメアちゃんだっけ? を背負って血まみれの恰好で地上に向かってどうするつもりだい? 今のキミが教会の一階を通り過ぎたりなんかしたら殺人事件になっちゃうよ~?」
俺はこんな状態になってもその辺に浮いてる弱者の死霊程度なら闘気だけで追い払えるが、ブルメアはそうではない。
死霊達が漂っているこの場にブルメアを寝かせたまま放っておくわけにもいかない。
「お前に答える理由はない」
せめて、1階の司祭の部屋まで運ぶ。
あそこならばここよりは安全であるし死霊の数も少ない。寝かせて置けるベッドもある。衣服棚を調べれば予備の修道服や下着くらいは探せば見つかるだろう。
「や~……全く、キミはさぁ……もう少しボクの事を信用してくれてもいいんじゃないかい? ボクとしてはちょっと悲しいよ」
「そういう台詞は信用されるような事を一度でもしてから言え」
「仕方ないなぁ~。じゃあ、ボクが特別にキミの為に一肌脱いでキミに信用されてあげようじゃないか。あ、ついでに服も脱いで見せてあげようか? 実はボクもキミ達のキスを眺めたらちょっとこの辺りが熱くなってきてね? ボクも興奮――」
「煩い、目が見えんのだからそんな事をしても無駄だ」
すると、頭上で何やら衣服が擦れる音がした後に、何かがはらりと頭の上に落ちて来た。……まさか、脱いだのか。
「それ、ボクの脱ぎたてパンツだよ。どうだい? 興奮したかい? 人のパンツを頭に乗せるだなんてキミは変態さんだね!? ゾンヲリ君のえっち!」
頭の中で何かがぶち切れる音がした。
「あ……? ……ああ……? ……ああああ!、あああああああああああ!!!!!!!!!!!!! ふざけるなああああああああ!!!!!」
「や~……ただの冗談じゃないか。キミは本当に目が見えてないんだね。これはキミに串刺しにされて破かれた前垂れだよ。留め金も壊れちゃってさっきからずり下がってきて嫌なんだよね。あ、でも今のボクはパンツ丸見えだけどね!?」
「もう、いい加減にしてくれ……」
「じゃあ、ちょっと行って来てあげるよ。あ、ボクが見てないからってはやまった真似だけはしないでおくれよ? ゾンヲリ君」
そう言い残すと、付近からヨムの気配が消え、私とブルメアと死霊達だけが暗い地下通路に取り残された。
「……どういう……意味だ?」
欲しがりマゾゴリラことゾンヲリさんに思わずドン引きするメアちゃんの図。そんなお話である
所詮メアちゃんはソフトマゾのファッションキチガイよ……。隙あらば捨て奸してはミンチになりたがる本物のキチガイには叶うまい……。
なお、実はボッコボコに殴られるよりスケベ攻撃されたり精神攻撃仕掛けられる方がゾンヲリさんに効いてる模様。