第五十五話:神の肉とキノコ人間
石階段を下りて地下1層に辿り着くと、真正面の通路の先にはかんぬきがかけられている大きな鉄扉が見える。司祭はその手前の十字路を右に曲がった先にある木造の鍵付き扉を開錠し、私達を招く。そして、扉の先へと踏み入ると、司祭が再び鍵付き扉を施錠したのだ。
……退路を断たれたか。
一応、木造扉の強度はそれ程頑丈そうには見えない。ダインソラウスを叩き付ければ破壊出来るだろう。だが、ブルメアが一人で逃げようとした場合には少々問題になる、か。
「司祭様、ここは?」
何も無い廊下を進んでいくと、扉で仕切られた個室が幾つも並んでる区画が見えてくる。個室を仕切っているのは木造の扉だが、外側からかんぬきがかけられる構造になっており、小窓からは中の様子を覗ける作りになっていることから、独房を連想させた。
「教化薬物の実験体収容区画ですよ。そうですね、一番奥の突き当りの部屋がエルフの教化を行うための実験室になります。ああ、それと、途中の個室を開けたりしないように。たまに発狂した末期の実験体が暴れたりしますのでね」
「あぁ~司祭様ぁ♡ 司祭様ぁ♡ もっと愛を教えて下さい。もっと、もっとぉ~♡」
ある個室の中から女の狂ったような嬌声が聞こえてくる。木の扉で隔たれた部屋の中がどうなっているのかは分からないし、出来れば覗き見たくもない。
「ぁあ~~~……。ぁあ~~~……うぅ~~~……うぅ~~~……」
またある個室の中からは声というよりは呼気を吐き出して絞り出すような呻き声が聞こえてくる。例えるならばゾンビのように精気や知性が全く感じられない。
「クスリ……クスリおぉ~~~……クスリぃい……」
「あ”あ”あ”あ”あ”ああああ!!!!」
狂ったような叫び声をあげる者もいれば、ひたすら何かに憑りつかれたかのように「クスリ」と言葉を発する者もいる。いずれも、全てがまともではない。
「なに……なんなの……これ……」
ブルメアは恐る恐る司祭に聞いてしまった。
「ああ、個室に閉じ込めているのは失敗作ですよ。教化薬物を過剰に投与しすぎると、あのように知性を失ってしまう者達も現れてしまうのです。ええ、嘆かわしい話ですが」
「僅かに理性が残っている者もいるようですが、あの部屋の中に居る彼女は?」
「飛竜狩りに犯された聖歌隊の一員だった女ですよ。一先ず消息不明になってしまったシスターアンジェの代わりにでもしようと思ったのですが、少々薬を多めに投与しすぎたせいかあのように色に狂った淫売に成り果ててしまいました。もうエルフも手に入った事ですから必要ありませんし、よろしければアレは貴方達で自由に"利用"して下さっても構いませんよ」
「……聖歌隊は仲間ではないのですか?」
「おかしなことを言いますね。神に捧げるべく純潔を異教徒と交わって捨てた売女など罪深き罪人以外の何物でもありません。もはや今生から来生に至るまで救済の道は閉ざされてしまっているのです。ですが、そのような汚らわしい売女にも献身をもって神の徒に奉仕できる機会くらいは与えて差し上げる事は出来るのです」
開いた口が塞がらなくなるような戯けた屁理屈にはもはや閉口せざるを得ない。ネクリア様ならこれに対し皮肉を込めて、生娘狂、とでも呼ぶのだろうが。
「……そうですか。それで、そのような薬をエルフに投与して大丈夫なのですか?」
「シスターアンジェで既に実証しているので少量を投与する分には問題ありませんよ。ただ、いかんせん少量では効果も薄くすぐ切れてしまいますので、教化に時間がかかってしまいます。ですから狂う直前の限界量を見極めるためにアレで実験をしたのが功を奏しましたね。念のためもう一人くらい女で実験しておきたい所ではあるのですが……。ああ、異端に堕ちたシスターアンジェを探し出して再洗礼する際に、薬の一度の投与量を増やして実験してみるのも一興ですね」
先ほどから司祭の話を聞いていて感じた事が一つある。恐らく、この男には"罪悪感"、即ち罪を犯しているという自覚が一切ないのだろう。
恐らく、司祭の思想の根源はは聖典の創世記だ。
神に作られた最初の男性ヒルメスと最初の女性エイファでは、エイファにヒルメスと同等の権利を司祭は認めていないように。男性を上位者と見て女性は生まれながらにして罪深い存在と見ているのだ。よって、女性は男性に従う為に存在するので道具や奴隷のように扱うことこそが正しく、善意や善行であると思い込んでいる節がある。
時に、地獄への道は善意によって舗装されているという格言がある。
意外な事だが、人間は自ら進んで悪を成そうとする者はあまりいない。悪を成したとしても、"やむを得ない理由があって仕方が無かった"と言い訳をしたがるものだ。その一方で人間は善き行いを積極的にしたがろうとする。その行いがどれだけ残酷で、どれだけ多くの者達に被害や悲しみをもたらすとしても、善意で行うならば何も躊躇わない。
これを"要らぬお節介"とも呼ぶが。それが私の場合は"復讐"だった。そして、司祭の場合は絶対者たる"神の命ずるがままに"にというわけだ。
どちらの本質も、"自分以外の誰かの為に"と宣っておきながら、"己の為に自分以外の誰かを犠牲にする"という己自身の醜悪さから目を背けるための便利な免罪符にしているに他ならない。
……所詮は、私も、この男も、程度は違えど何も変わらないのだとつくづく思い知らされる。
「……では、司祭様はシスターアンジェにさらに薬を投与するつもりである、と?」
「おや、不服ですか。ああ、そういえば、貴方はシスターアンジェを慕っておりましたね。でしたら、エルフとシスターアンジェを無事教化し終えた暁には、今回のエルフ捕縛における褒美として貴方に用済みとなったシスターアンジェを差し上げましょうか?」
差し上げる、か。彼女達が何を考え、何を思っているのかをまるで無視した挙句にモノ扱い、とはな。
……我慢しきれず感情を顔に出してしまった。だが、この男はなおも怒りを煽ろうとするのを止めない。いや、私の感情を逆撫でしている自覚もないのだろう。
おかげで、久しぶりにほんの少しだけ思い出せた感情がある。火炙りにされたように煮えたぎるハラワタ、理性をも焼き尽くす殺戮と破壊の衝動に全てを委ねたくなる感覚。
これを、"憎悪"、と呼ぶんだったな。だが、まだ堪えろ。
「……ええ、ありがとうございます。司祭様」
「おや、この個室の者は息絶えてしまっているようですね。シスターアンジェ、すぐに"アレを回収して"始末を……ああ、そうでした。いないのでしたね。ではエルフの教化が終わった後に貴方が代わりにやっておいて貰えますか?」
肉声を発しない個室を指して、司祭は私にそう言った
「アレとやらの回収やら、始末の方法は具体的にどうすればよろしいのですか?」
「……仕方ありませんね。新鮮な原料を一つ回収するついでにやり方を教えましょうか」
すると、司祭は扉のかんぬきを取り外し個室の扉を開け放ったのだ。
「ひっ!」
中の惨状を見て、ブルメアは悲鳴を堪えきれなかった。
目から血を流し狂死した屍……に見えた。だが、僅かに"動いている"。ピクピクと痙攣するように、手足を不規則に動かす様子はまるでゾンビのようにすら思えるだろう。
だが、それはゾンビではない。別種の存在なのだ。
「キノコ人間だと……ッ! 息を止めろっ」
「んんっ!」
もはや形振りを構ってはいられず、すぐにブルメアを抱き寄せて鼻や口元を布で覆う。
死者の血と体液を吸って丸々と太ったグロテスクなキノコを頭に生やしているソレは、死者の脳に寄生しては肉体を操り、生物に胞子を吸わせることで生殖する冬人夏草の一種だ。ある意味ではブロブと同様に空間をも汚染するので非常に厄介な相手になる。
目の前に居るのはまだ"生まれたて"の個体だ。成長した個体になると体中至る箇所にビッシリとキノコが生えそろうようになり、鋭敏に動くようにもなる。
司祭はそんな存在を気にも留めず、個室の中へと入りキノコ人間の頭部に生えているキノコをちぎったのだ。
「そう警戒せずと大丈夫ですよ。これがそのエルフに福音を授ける"神の肉"になるのですから」
そう言って司祭はちぎり取ったばかりのキノコを見せびらかしたのだ。キノコのちぎれた断面からは犠牲者の脳髄液と思わしき匂いたつ液体が滴り落ちていく。
……では、他の個室の中に居る者達全てが、これを食事させられたということか? ふざけている。ふざけているぞ。
キノコ人間の胞子は吸った者の思考を侵す。少量ならば肉体の自浄作用によって多少気分が悪くなったりする程度で済むが、大量に吸ったり肉体が弱っている状態になると胞子に抵抗できずに"根"を張られてしまう。
こうなってしまったら私が知る限りでは手遅れだ。今目の前にあるようなキノコ人間の新たな苗床と成り果てる。
「……司祭様、それでそのキノコをどうするおつもりですか?」
「これを粉々に砕いてゾンビパウダーに混ぜるのですよ。すると、通常のゾンビパウダーよりも効果が長続きしますし、より従順にしやすくなるのです。そして、一度飲ませてさえしまえば、後は自らコレを欲して何でも捧げるようになりますので、適度に与えてやりながらイリスの教義を身体に教え込んであげるだけでよいのです」
ネクリア様が言っていたな。教会が使っているゾンビパウダーは何か効果がおかしいと。その理由が、コレか。
「ではエルフの教化が終わりましたら、頭のキノコを回収し終えた死骸はもう要りませんのでそちらの廃棄口の中に捨てておいてください。それと、もし廃棄口に詰まるようでしたら四肢を切断しても構いませんよ」
司祭が指差した先には、寝ている人間なら一人くらいならギリギリ通せる狭い穴があった。
「廃棄口の先はどうなっているのですか?」
「地下2層から最下層の4層まで吹き抜けになっていますので、万が一死骸がゾンビ化してもその穴からゾンビが這い上がって来る事はありえませんので安心してください」
……最下層はキノコの楽園か、あるいは……地獄絵図のようになっていそうだな。ここから最深部に降りたらまず帰っては来れないというのは本当だろう。それが"ただのゾンビ"ならな。
「そうですか、しかし、キノコが欲しいのでしたら死体を捨てずに苗床にして回収した方が良いのではないですか?」
「それではいけないのですよ。何故なら一番最初に頭に生えてくるものでなくては神の肉となりえないからです。最も濃厚で、最も芳醇で、最も蕩けさせるのはこの部位ただ一つだけなのですからね」
……その一番最初のキノコとやらを採るために、どれだけのヒトにキノコを植え付けてきたのかは知る由もないが。
司祭は話を打ち切ると、教化室とやらの方へと進んでいく。ふと、ブルメアの様子を伺うと、心ここにあらずと言った風に立ち尽くしていたのだ。
「……」
「おい」
「……あっ、あれ……ごめん"ゾンヲリ"。なんか、ふわふわしてて」
私の名前を呼ぶのもそうだが、敵地のど真ん中だというのに"私しか見えていない"が如くの反応に困惑しかけた。明らかに様子がおかしい。
もう一度小さく耳打ちする
「気はしっかり保て、それと今の内に縄も緩めておけ。この臭い、既に敵の術中かもしれない」
廊下に並んでいる光源の蝋燭から漂ってくる香りには嗅ぎ覚えがあった。悪夢の中でシスターアンジェが独房の中で聖典を読まされていた時の蝋燭のアレだ。
知覚が妙に冴え渡る一方で思考が鈍くなり、身体が内側から火照ってくるのだ。ある種のトランス状態を誘引する作用があるのかもしれない。
「ひあんっ! う、うんっ」
ブルメアは大きく身体を震わせる。返事の声も裏返ってしまっていた。これも知覚が鋭敏になりすぎている弊害故か、耳打ちをするのも不味いな。
これでは隙を見て密談も出来ない。
「どうかしましたか?」
不審に思われたのか、司祭に催促される。
「すみません司祭様、どうもエルフがぼうっとしていましたので、おい、早く付いてこい」
「ああ、香が効いてきたようですね。ここの蝋燭には"神の肉"を溶け込ませた油をしみこませておりますから」
上気した表情、乱した呼吸、誘うような熱の籠った上目遣いの視線。このブルメアの状態は明らかに不味いぞ。かくいう私も冷静さを欠いている。まだ"痛み"による気付けがあるからこそ媚香の中でも正気を保てているが……。ブルメアを正気に戻す為に声をかけてやるわけにも……そうか、痛みか。
「はぁ~~……はぁ~~……。なんか……おかしい……よぉ。身体ぁ、熱くて変、だよぉ……ゾン――」
縋りついてくるブルメアの頬を平手で叩く。サキュバスのテンプテーションによる強烈な魅了でさえも、痛みで上書きしてしまえば正気に戻せるのだから。
……ネクリア様の義妹、イルミナと相対した時の経験が生きたな。
「おい、今は黙って歩け」
「えっ……? あっ。ご、ごめんなさい」
叩かれた直後、ブルメアは信じられないっといった表情を私に向けた後、少し経ってから大人しく付いてくるようになった。だが、やはりどこか様子がおかしい。普段私と接しているブルメアとは何かが違う。
……いずれにせよ、この場所に長居するのは色々な意味で不味いな。即座に司祭に戦闘を仕掛けて離脱を考えるべきか?
いや、この通路ではダインソラウスを振るうには狭すぎるし、奇跡を回避できない。暗器に仕込んである聖銀の短刀では一撃で殺し損ねる可能性も高い。また、司祭にも見られている状態なので奇襲も難しい。
傷をつけても反撃で私がディスペルを受けて消滅し、ヒールライトで傷を癒されてしまえば残っているのは冷静さを失っているブルメアだけ。"教化室"とやらの中には何の用意があるのかもわからない。そして何より、ここで焦って司祭を殺せば"情報"が何も手に入らない……か。
すまない。もう少しだけ、ブルメアには耐えてもらう。
おや……ブルメアさんの様子が……? 次回に続きます。
『魔獣図鑑』
・キノコ人間lv8
主に死体、あるいは糞尿などに寄生するキノコで正式名称はテオナナカトル。通称神の肉。殆どの場合ひっそりと佇むキノコでしかない。だが、何らかの条件で"生きている人間"に寄生してしまった場合、生者の脳を作り変えて支配し、自身の苗床としながら動き出すようになる。
また、脳から知識や視覚などの感覚器官を得ることにより、ある程度の記憶能力や物体を認識して攻撃を仕掛ける程度の凶暴性を獲得する。
通常ただの死体や糞に寄生しているテオナナカトルの胞子は大した毒性を持たないが、キノコ人間と化した個体の胞子になると途端人間にとって非常に有害な毒性を持つように変異する。主に生者の脳を作り変えた際に使った分泌物を豊富に含むようになるからだとも言われている。
それが一番濃いのが作中で紹介された頭に生えた一番キノコである。 また、言葉を発しないが実は個体としての意識や人格もこの一番キノコに芽生えているし、脳を共有している関係上寄生先の記憶も継承している。だからコレを食べるとアヘアヘになれる。
胞子を吸った者に発生する症状は個人差にはよるが様々で、幸福感、幻覚症状、知覚過敏、高揚または錯乱状態となり、重篤な者になるとまともな精神状態を保てなくなる。
そして、非常に強烈な依存性を持っているため、一度でもこれを吸ってしまうと強い自我があったり明確に拒絶する意志がない限り胞子を自ら吸いたくなってくる。 この依存性が極限まで高まってしまった者は最終的に次のキノコ人間の苗床となるのである。
といった性質から、テオナナカトルは一部では魔薬の原料として重宝されることがある。
また、キノコ人間は脳を得て獲得した生殖本能から、動く個体になると生者を捕まえて自分のキノコを食べさせようとするらしい(意味深)。
なお、元ネタはロ●サ〇3のスクリュードライバーの見切りを覚えるためのアイツ。なんでこんなマイナーな奴を使ったのか……コレガワカラナイ。また、今回はただの顔見せなので実際にキノコ人間が活躍するのはまだ先の話……なのさ。




