第四十九話:キョウカ人形
キョウカの刑獄での荒行を始めてからどれだけの月日が経ったのかは分かりませんが、半数のシスター達が荒行の半ばで神の元へと旅立っていきました。
「水牢の行、飢獣の檻、グラウベの牝牛、教闘の鈍槌……もう……たくさん……」
一日に一刻の間だけ許される休息の時間で、言葉を発する気力が残っているシスターはもう、ユリアさんだけでした。
グラウベの牝牛は、鋼鉄で作られた牝牛の型の中に入り、外から火をかけられ、奇跡【セイントベール】の祈りによって耐え続けるという荒行です。密閉空間の中で蒸し焼き状態ですので、酸欠で意識を失うか祈りの集中を乱してしまえば炎に焼かれる牝牛になってしまうという試練なのです。
この試練で二人のシスターが炎に焼かれ神の元へと行きました。
次の教闘の鈍槌の試練は中央の地下闘技場で行われます。試練の内容はシスターが1対1で教会の主兵装であるメイスを用いてお互い動けなくなるまで戦闘を行うというものです。そして、戦闘不能になった側は車輪挽きの刑に処され、四肢の骨を全て砕かれた後に奇跡によって治療を施されるのです。また、車輪挽きの刑に処す係は勝った方がやらなければなりません。
この試練で一人のシスターが車輪挽きの刑に処すのを拒否した事で代わりに刑を受けることとなり、刑吏が執行した車輪挽きの刑によって頭を砕かれ亡くなりました。
日に日に、死に対する感覚が鈍くなっていきます。私と同じ荒行を行うシスターに対し罰を与えることにも何も感じなくなっていきます。涙もとっくに流れなくなってしまいました。
最初に行われた水牢の行も、9人でようやく回せていた水車を4人で回さなくてはならなくなりました。今となってしまっては拘束具に繋がれている側の方が遥かに楽に感じてしまうようになっているのですから。
「アンジェ、貴女に折り入ってお願いがあるのだけど」
「シスターユリア、どうかなさいましたか?」
「明日、2週目の飢獣の檻が始まるのよね」
「ええ……そうですね……」
明日の試練が飢獣の檻であると考えるだけで震えが止まらなくなります。生きたまま何度も獣に貪られ続ける苦痛は、これまでの試練の中でも群を抜いて苦しいのです。奇跡【ヒールライト】が継続的にかけられていなければ死んでしまうような苦痛をほぼ丸一日受け続けるのですから。
人の手による裁きには多少の"容赦"が入りますが、飢えた獣は一切の慈悲をかけてはくれず、容赦もしてくれませんから。
「もしも私が獣に食われた時に、【ヒールライト】をかけないで欲しいの」
「そ……それは……」
「他のシスターは皆同意してくれたわ。だから、後は同じ檻の組であるアンジェ、貴女の同意だけ……。ごめんなさい、私が死んだら【ヒールライト】を貴女にかけられる人が居なくなってしまうから、きっと貴女も獣に食われて死んでしまうわ。でも……もう……私は試練には耐えられない。神の元へといきたいの。だから、お願いよ……アンジェ。一緒に死んで欲しいの……」
自殺は、今まで何度も考えた事です。ですが、自殺はイリスの教義において禁忌です。これを行った穢れた魂は神の元へと行けなくなってしまうのですから。それでもなお、舌を噛んで死のうとしたシスターも居ました。
ですが、舌を噛んでもすぐには死ねないのです。ですから、定期的に見回りに来る刑吏に見つかれば奇跡で回復されてしまいます。そして、罰として刑吏の監督の元で追加の試練を受けます。
私達は己の意思で死ぬことも許されません。試練の中で発生した不意の事故においてのみ、私達は死ぬことを許されるのです。
「……分かりました。私はシスターユリアの意思を尊重して、貴女に奇跡は施しません」
「ありがとう……」
どうして……見捨てているのにお礼を言われてしまうのでしょうか。そして、このような理不尽に屈し、失意のままに終わることが救いになるのでしょうか……?
でしたら、世界は、あまりにも残酷です。
「今回の飢獣の檻では2組が檻の中に入り、余った一人は外で待機していなさい」
そして、2週目の飢獣の檻が始まりました。私とシスターユリアは同じ檻の中へと入れられ、飢獣はいつものように舌なめずりしながら近寄ってきます。シスターユリアは膝を折って祈りの姿勢で黙したまま獣を待っていました。
「シスターアンジェ……? 何を?」
私はシスターユリアに奇跡は使いません。ですが、一つだけ、奇跡に頼らずにシスターユリアを救える方法はあるのだと信じています。
「神よ、どうか私に力を下さい。降りかかる暴力から守る為の力を!」
神は、何も答えては下さりません。ここには教闘の鈍槌で使っていたメイスもありません。牙から身を守る布切れすらも私には与えられていません。
ここにあるのは、この身ただ一つだけなのです。
「うあ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ!」
唸る獣の前へと駆け、大口の中からのぞかせる牙に目掛けて腕を突っ込みました。骨が一気に噛み砕かれる痛みと、肉が千切れる痛みが全身を駆け巡ります。
まだです。痛みには耐えなければ。
獣は私の腕をもぎ取ろうとしています。単なる食事としか私のことを見ていないのか、獣の動きはどこか緩慢です。
だから、残ったもう片方の手にある親指で、獣の目を突きました。
「ギャウゥ!?」
これに驚いたのか、獣は噛みついていた腕を離したのです。その隙を見て、すかさずに獣の首を絞める為に背にしがみつこうとしました。ですが……。
「あ、ぐ、う、腕が……っ」
だらりと垂れ下がっている腕は、私の意思に反して全く動いてはくれませんでした。骨までかみ砕かれてしまっているのですから。
このままでは、暴れ狂う飢獣に振り落とされて……。
「神よ、どうかシスターアンジェに癒しの光を与え給え【ヒールライト】」
腕が暖かな光に包まれまれると、それまで私を苛んでいた激痛が失われ、腕に意思の力が宿ります。
「うわああああああ!!!?」
両腕で抱きしめるように飢獣の首を締めます。
こうしてしがみ付いている間に限り、飢獣の牙が私に届くことはありません。ですが、暴れ狂った飢獣は私を地べたに引きずり回しながら鉄格子に目掛けて突進するのです。
私の足や脛の肉が地面で少しずつ削がれていき、地面には血の筋が出来上がっていきます。
「耐え、なければ……ああっ!!」
飢獣が鉄格子に体当たりを仕掛けたことで、私は勢いよく背中から叩き付けられます。ですが、飢獣も体勢を崩して地べたに転倒したのです。
私は飢獣の下敷きとなりましたが、幸い飢獣の体重は水牢の行の水車の人力機構程は重くありません。ですから、十分支えることも、可能です。
私は自身の両足も飢獣のワキバラへと絡め、飢獣の両足が天井を向くような仰向け姿勢になるように完全に固定しました。そして、より強い力で飢獣の首を全力で絞め続けたのです。
「は、や、く……倒れて、下、さい……」
「ギャ……ウウッ……」
そして、飢獣は全く動かなくなりました。
初めてなのです。相手は飢獣と言えど、私は初めて他者の命の灯火をこの手で消したのです。なのに……どうして、高揚感が芽生えているのでしょうか。分からないのです。本来もっと芽生えるべき想いがあるはずなのに、それを感じる事が出来ないのです。
それが、無性に悲しくて、虚しいのです。
「……ごめんなさい。あなたも神の元では安らかに過ごしてください」
物言わぬ躯となった飢獣にかけるこのような言葉も上辺だけです。
「おお……素晴らしい!!!」
興奮した様子で声を張り上げる男の人の声が聞こえました。その一声の後に、歓声が沸き上がったのです。
「己を犠牲にしてでもシスターユリアを守ろうとし、そして飢獣に打ち勝ったシスターアンジェの姿……何とも尊いのだ……」
「あれこそが、愛!」
檻の外で私達を見下ろしながら熱狂する人々。アレは……一体何なのですか? 何故、人が苦しみ、飢獣が死んでいる姿を見て笑えるのですか? 分かりません。
「大丈夫ですか? シスターアンジェ」
シスターユリアは私に奇跡を施してくれました。
「は……い。シスターユリア……アレは……何なのですか?」
「とりあえず今は休みましょ? 私達の試練はもう終わったのだから。それと、ありがとうシスターアンジェ。あなたのおかげでもう少しだけ頑張ってみたいと思ったわ」
「何故でしょうか?」
「あなたを置いて、私だけが神の元へ行って楽になってしまうのは、あなたにとってあまりにも惨すぎると思うから」
その後、他の檻のシスター達も協力して飢獣を倒してしまったことで飢獣の檻は終わり、私達5人のシスターには一時の休息が与えられることになったのです。
「ありがとうシスターアンジェ、あなたがあの恐ろしい獣に立ち向かって行く姿を見て、私達も食べられるだけじゃなくて戦えるって思ったの」
シスター達から感謝の言葉をかけられましたが、あまり実感がありませんでした。
「私は、ただただ必死だっただけなのです」
生き残った5人のシスター達が集まり、このように自由に雑談できる機会など、もうないのかもしれません。新しい飢獣を捕獲するために男の人達も出払ってしまっているのか、監視の目もないのです。
「それより、私達って結構一緒にいるのに、自己紹介もしたことが無かったわね」
「話せる機会、殆どなかった。でも、これからは共に試練をのりきる仲間。頑張る」
「なら私から、名前はユリア。と言ってもこの名前は教会に拾われた時に付けられた名前でさ、本名はもう思い出せないな。私はまぁ……"戦災孤児"って奴でさ。身体一つで何とか逃げた先の教会で司祭サマに出会って今に至るって感じ。はは……やになるよ」
シスターユリアに限らず、ここにいるシスター達はみんな同じような境遇で身寄りのない戦災孤児や"元奴隷"でした。最終的に司祭様に拾われ、教化を受け、半ば強制的にこの試練に連れて来られたのです。
ですが、私達には拒否する事が出来ません。私達を助けてくれる人達もいません。だから、この境遇を甘んじて受け入れてきたのが、私達、なのです。
「ふぅん? 親切なおじさん、ねぇ? 私だったらアンジェを助けてくれたそのおじさんとヤッてでも付いて行っただろうな」
「な!? 姦淫はいけませんよ。シスターユリア」
「大体、こんな恥も何もあったもんじゃない素っ裸の恰好でそんな台詞言っても説得力ないでしょ」
「うう……」
「待った。話は終わり、誰かが来る、静かにしましょう」
シスターユリアが一指し指で雑談を制止すると、石床を叩く音が徐々に大きくなってきました。そして、扉を開けて男の人が入ってきます。
「シスターアンジェは居るか? 司祭様がお呼びだ。ついてこい」
「……はい」
そうして、男の人に連れられた先にある休憩室で、司祭様と二人きりになりました。
「シスターアンジェ。貴女は選ばれたのです。そして、これより貴女には大変名誉ある特別な試練を与えます」
「特別な、試練ですか?」
「はい、貴女は明日、教会の優良信徒に奉仕するのです」
「あの……具体的には何をすればよろしいのですか?」
「アンジェ、貴女は優良信徒の言葉に従うだけでいいのです。ただし、万が一にも決して粗相のないようにしなさい。優良信徒は我々教会に絶大な利益をもたらす奉仕活動をして下さっている方々なのですから」
「分かり、ました」
そして、後日になり、私は寝室に連れてこられました。中央にはふかふかのベッド、教会のシンボル垂れ幕や煌びやかな装飾の施された調度品が壁にかけられていて、高価そうな壺とか置かれている部屋です。
そして、なんだか嗅ぎ覚えのある香が立ち込めていて、なんだか頭がぼーっとしてくるのです。
「よく来てくれたね。シスターアンジェ。一目見た時から会いたかったよ」
「はい、私もお会いしたかったです」
「まぁ、椅子にかけて楽にしていたまえ。お茶菓子も用意しているよ」
「はい……、失礼致します」
椅子に腰かけて机上に視線を送ると、見た事のないような砂糖菓子と温くなったハーブティが用意されていました。食器の材質は陶磁器製で美麗な模様が描かれていて、見るからに高価だと分かります。
「どうしたのかね?」
「いえ……ただ、このような贅沢品を私などが口にしてもよろしいのでしょうか?」
対面に座っている優良信徒の方はお茶菓子を口にしようとせずに私を見ているのです。何かを値踏みをするようなねばつくような視線で。
「勿論だとも、これらのシスターアンジェの為だけに用意したのだからね。それとも、私の用意したお茶菓子では満足できないのかね?」
「い、いえ。ありがとうございます。頂きます」
貴族のお茶会の作法など分かりませんでした。ただ失礼がないように恐る恐るスプーンで一口、お茶菓子を口にしました。
「どうだね?」
「はい、大変美味しいです」
味は……全く分かりませんでした。ただ、調和のとれた砂糖の甘さに異物のように食味を乱している苦味があって、それから……。あ……れ……?。 何ででしょうか、胸の辺りがどんどんと熱くなってくるのです。
「ふむ、このために用意した甲斐があったよ。では、早速だけどキミの愛と献身をこの分けてもらいたい。 手始めに足の指を舐めてもらおうか。ちゃんと、舌をていねいに這わせるんだよ? それと、ここでは私の事はご主人様と呼ぶように」
「……はい、ご主人様……」
それから、ご主人様の要望を成すがままに受け入れました。今回の試練は"痛み"を要するモノではありませんでした。むしろ、気持ちが良いとさえ感じていました。
なのに、なのに、どうしてこうも悲しいのでしょうか? 分からないのです。時間の過ぎ去っていく感覚も曖昧で、全く考えられないのです。
「ふぅ……」
「……ぁ?……ぉ……?」
「エロイム卿、そろそろよろしいでしょうか?」
エロイム卿と呼ばれたお方は、試練に疲れ果ててぐったりしている私の身体に触れ続けていました。
「どうぞ、司祭殿」
「シスターアンジェの具合はいかがでしたか?」
「最高だったよ。ところで司祭殿、聖白金貨を3枚出すのでこのシスターを処女と共に買い取りたいのだが? いかがかな?」
「それだけはどうかご容赦下さい。シスターアンジェは裁きの銀槌になりえる優等生で、尚且つ代わりも今の所おりませんので、その身体は清いままでなければいけません」
「ふむ、何故"裁きの銀槌"などにこだわる必要があるのだね?」
「我々の派閥は教会の中ではまだ"少数派"で、発言権も大きくはないのです。ですが、裁きの銀槌を我々の派閥から選出することが出来れば、我々の活動は教会内でも認められ、発言権も増します。そうなれば、我らの活動もより大規模にすることが可能なるでしょう」
「なるほど、司祭殿の事情は承知した。だが、私もそれなりに多くのリスクを負って教会に援助しているということを忘れてはいないだろうな?」
「ええ、勿論です。帝都ヴォイオディア地区の"改宗"活動や戦災孤児の回収活動、教化薬物の入手が順調なのも、ひとえにエロイム卿の様々な御助力があってこそだと存じております」
「帝都への"内政干渉"やオルヌル派に手を回して得ている"錬金薬の横領"を雷帝に感づかれてしまえば、私の首は帝都の門前に晒されるハメになるのだからな。だからこそ、私に褒美が必要だとは思わないか? 司祭殿」
「ええ、ですので、このキョウカの刑獄を拡大し、ある程度裁きの銀槌候補を安定生産できるようになった暁には、エロイム卿の元には最高のキョウカ人形を最優先で提供することを約束致しましょう」
「キョウカ人形、このシスターアンジェのようにか?」
「……ぉ……?」
お尻を平手で叩かれました。
「ええ。勿論、その時にはどのように使ってくださっても構いません。なんせ人形ですから。ただですね、我々の活動が評価されるのはまだ先の話です。そして、何をするにしても何かと物資が要り用になります」
に……ん……ぎょ……う?
「つまり、教会への援助を増やせ、と?」
「ええ、代わりと言ってはなんですが、"特別試練"はエロイム卿が望む限り何度でもして下さって構いません。ただし、シスターアンジェの代わりはおりませんし、まだまだ働いてもらうのです。人前でも今のような状態になってしまう程に教化薬物を使い込んで矯正しすぎてしまうのは流石にやめて頂きたいものですね」
「ふむ……。致し方ないな。コレを使った後の反応も一辺倒でつまらないものがある。ああ、そうだ司祭殿。最近手に入れた"新薬"を試してみたい」
「ほぉ、新薬ですか。どういったモノで?」
「これは、近年オルヌル派が開発したとかいう"ゾンビパウダー"と呼ばれる薬物でな、これを吸引した者は効果時間が続く間は極めて暗示にかかりやすくなり、ゾンビのように命令に絶対服従する奴隷に出来るという代物だ。噂によればだが立て続けに強い暗示をかけ続けることで"記憶操作"に近いことも出来るらしいのでな……」
「ほぉ、それは中々に興味深い話ですね。私も様々な手段を用いて小汚い戦災孤児共を従順なシスターになれるようにと教化を施してきましたが、完全な絶対服従の人形と呼ぶにはまだ程遠いと感じていた所です。ですからこの薬効は中々期待がもてそうなのですが……シスターアンジェに代わりはおりません。念のため余っている失敗作達である程度は薬効の実験はしておいた方が良さそうですね」
司祭様達は……一体何を言っておられるのでしょうか? 失敗作……? だめです。身体が熱くて、頭がぼ~~っとしていて上手く考えられないのです。
「同じ神を信仰してきた同士を失敗作と呼ぶとは、司祭殿も中々酷なことを仰りますなぁ」
「今の教会に蔓延る偽りの教えである異端を信仰するばかりで真の信仰に辿り着けず、これ程手間暇をかけて教化を施しても反抗的な思想が抜けきらぬどころか表に出してしまう者など、失敗作と呼ぶ以外に何と呼べばよろしいのでしょうか。よって、この失敗を戒めとし、シスターアンジェを模範としながら今後の教化の手法をより切磋琢磨していかなくてはならないのですよ」
一人称で意識蒙昧なのに何で陰謀会話聞き取れる? って疑問を浮かべる人間のがぜいいんだと思うが、アンジェさんの一人称回想なのに三人称でやるわけにはいかなかったという大人の事(殴
実際はアンジェさんと同調して記憶を覗き見てるネクリアさん十三歳及びゾンヲリさんが見ているモノだと納得して下s(殴
多分あと一話くらいでアンジェさんの刑獄パートは終わります。




