第十八話 くっ……殺せっ!
レッサーデーモン達が駆けつけてくれた事で逃走には成功した。彼らの尊い献身と犠牲を無駄にしないために、今は少女を魔族国の外まで送り届けなくてはいけない。
少女と私は息を切らして走り続ける。西地区の出口は目と鼻の先だ。 だが、既に背後まで追跡者の女騎士隊が迫っていた。
「逃がすな。矢を射かけて足を止めろ」
その一声と共に矢が一斉に放たれる。私は少女と射線の間に割って入る。手を広げて少女を庇って矢を受ける。背中や首などに矢が刺さり、各部位に一斉に痛みが広がる。
「おい、ゾンヲリ、大丈夫か?」
少女の気づかいが骨身に染みる。多少の矢傷程度ならばゾンビの身なら大丈夫だろうと思っていた。
だが……。
「申し訳ございません。膝に矢を受けてしまいまして…… 私の事は気にせず先に行ってください」
「馬鹿なこと言ってないで早く走れ」
少女は足を止めてしまった。膝に受けた矢が関節の稼働を妨げる楔となり、もはや走る事は叶わない。このまま私に合わせて逃げていては必ず追いつかれる。
背負った大剣を引き抜いて両手で握りしめ、振り返る事にした。
「ここで多少時間稼ぎをします。後で必ず追いつきます。さぁ早く!」
「ふざけるな! いいからお前も来るんだよ」
少女は腕を引こうとする。時間をかけるわけにはいかなかった。こうしてモタモタしている間に騎士隊に距離を詰められていく。
「私はもう走る事ができません! このままでは足手まといになります。ですから私の事は置いていってください」
「結局…… お前も私を置いていく気か」
そう言い洩らした少女の表情は悲しみに満ちていた。悪夢にうなされていた時の少女の言葉を思い出し、返す言葉を失った。今、私がやろうとしている事は少女の悪夢の続きでしかない。
「ネクリア様……」
「この先、何もかも捨てて逃げたとして、護衛も無しに私一人でどうすれば良いんだよ。いいところで魔獣の餌がオチじゃないか。ならいい。ここで死ぬ方が遥かにマシだ」
少女は決意していた。それは死の覚悟。
何もかも失ってしまった先でどのように生きるかを考えた時、私は少女に依存していた。少女に自分の生き死にを任せきっていた。ただひたすら無責任に。
だが、私と違って少女には縋るものなど何もなかった。
「なぁ、ゾンヲリ。お前は何かやりたい事はあるか?」
……何もない。私には何もない。成せる事もない。やりたいこともない。生前の記憶も、地位も、夢も、希望も、何もかもが空っぽなのだ。今の私に残っているのは血生臭い殺しの業と少女との繋がりのみ。それは、意思なきゾンビ達と何ら変わらない。生ける屍そのものだ。
腐った舌と腐汁は味覚を狂わし、温もりを求めれば拒絶される。苦痛の来ない時間は二度とやってこない。滅びだけは常ににじり寄ってくる。こんな身体で、今さら何を求めろというのか。
何もしなければゾンビとして朽ちて滅ぶだけ。だから、腐り朽ちるまでに最もらしい理由が欲しかっただけだ。
「いいえ…… 私はネクリア様に必要されればそれでよかった」
「じゃあさ、私にはお前が必要なんだ。だから付いてきてくれよ。ゾンヲリ」
「はい」
膝に刺さった矢を引き抜き、足を引きずって歩く。降り注ぐ矢の数は増え、少女の代わりに受けた矢で背中は剣山となり果てた。
門の外に出る。星明りに照らされる先には闇しか見えない。だだっ広い平原をただひたすら歩き続ける事を少女に強要していた。それは、酷く、残酷な話だった。
「ようやく追いついたぞ」
凛とした女騎士の声が背後からかけられ、少女を背にして振り返る。兵数は十名以上、もはや戦闘での勝利は絶望的といえる。
「お前、しつこすぎるぞ。そんなんだと男に嫌われるぞ」
「黙れぇ! 男に媚び諂う淫売がぁ」
少女の悪態に激昂する女騎士。その怒り様は並ではない。形相だけでオルゴーモンを殺せる程だろう。割と本気で気にしているのかもしれない。
「うわ、怖い。助けてゾンヲリ、怖いおばさんが虐めるよぉ」
きゅっと腰に手を回され抱き着かれる。手は小刻みに震えている。
「……誠に恐縮で申し訳ございませんが、子供が怖がっておりますのでどうかお引き取り願えませんか」
「ああああああ煩い。こい! 今度こそ叩き切ってやる。お前らは手を出すな。こいつ等は私自らトドメをさしてやる」
「仕方ありません。降りかかる火の粉は払わなければなりませんね。ネクリア様はおさがりください」
少女は腰に回した手を解いて下がる。
この女騎士に勝っても負けても結果は変わらない。だが、意地だけは通すとしよう。
剣を引き抜いて構える女騎士に対し、大剣を横に薙ぎ払う。
「甘い!」
結果は分かっている。後の先をとられ、見事なカウンターの刺突で返してくる。矢が節々に刺さっているため、前に戦った時よりこちらの身体の動きが鈍い。
避けられるはずがなかった。顔面に迫りくる端麗な騎士剣はやけにゆっくりに見えた。
「ゾンヲリ!」
という少女の叫びを最期に、私の偽りの生は潰えた。
少女は私の使用していた肉体の元まで駆け寄ってくる。ここには、次の依り代となる死体はない。少女に死体を生成する力もない。死霊魂となって少女に寄り添い、事の成り行きを見守る事しかできない。
「次は貴様の番だ。淫売」
女騎士は少女に向けて端麗な騎士剣を向ける。少女はそれを無視し、死霊魂となった私を優しく抱いて見せる。それは、私には慈悲深い聖母に思えた。
「なぁ、ゾンヲリ。実はさ、ここから逃げる方法は一つだけあるんだ」
「何をわけの分からない事を言っている」
「ただ、実際やった事なんてないから、どうなるかも分かんないんだけどさ……【ソウルユニゾン】」
少女は私の死霊魂を体内へと取り込んだ。
そこは、今までの凍てついた身体と違い、熱で焼かれそうなくらいに暖かった。そこには痛みがなかった。身体の動きを阻害する損傷もなかった。
上を見上げると、女騎士の振り下ろしている最中の騎士剣が見えた。躱せる。
「なにっ?」
すぐ近くにある大剣を拾いあげて構える。前までの身体と比較するならば、羽のように軽く感じる。戦える。
「おおおおお!」
女騎士の防御に使った剣を剣圧でへし折った上で追撃の連斬をを振るうが、横髪を切り落とすという形で躱された。
「く、早い」「ウィルナ様!」
戦闘を継続出来なくなった女騎士に入れ替わるように、護衛の騎士達が次々と割り込んでくる。
だが、その程度の雑兵が割り込んで来たところで無駄に等しい。この手の連中を処理する方が大剣に向いている。
「邪魔だ!どけぇ!」
一度振るう。騎士の一人が千切れ飛ぶ。血の噴水が出来上がる。再び振るう。騎士二人がまとめて千切れ飛ぶ。紅い雨が降り注ぐ。断末魔など上げる間も与えない。痛みなど知らぬまま逝けばよい。
「ひっ」
一瞬で作り上げられた惨劇を前にして怯む騎士数名。戦場で敵を前にして怯む事は死を意味する。敵に対して容赦などしない。次の獲物に目掛けて大剣を地に走らせる。
「やめろ。お前たちは逃げろ! 勝てる相手ではない」
「ですが!」
「うわああああ!」
一人が逃げ始め、戦列は崩壊する。残る者もいるが戦意は失せていた。女騎士も諦めたように立ち尽くして此方を見るばかり。
「……淫売、いや、貴公の方か」
「どうやらそのようだ。ネクリア様に立てついた罪、高くつくぞ」
「くっ…… 殺せっ! だが、部下を追って殺すのだけはやめてくれ」
「ウィルナ様!」
「元より追ってさえ来なければそんな事をするつもりは毛頭なかった。だが、貴様らを残せば後ろから矢を射られかねない。許すわけにはいかないな」
「くっ……」
(おい、ゾンヲリ。流石にそこまでする必要はないんじゃないか?)
突如、少女の声が頭の中に響いた。
「ネクリア様!? 何処に」
(魂を通じてお前に話かけている。アレだな。自分の身体が好き勝手動くのって凄く気持ち悪いな。でもそんな事はどうでもいいから良いから許してやれ)
「はぁ…… ではネクリア様の恩情に感謝しろ。さっさと去れ。今度怪しい動きをするようなら覚悟しておけ」
今作のくっころノルマ達成!
女騎士。出さずにはいられない!